「チェルニー30番」再考

47. チェルニー「30番」:第1番についての補遺―リュリの謎

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2015/05/07
第二部「30番」再考
47. チェルニー「30番」:第1番についての補遺―リュリの謎

本連載の第43回でチェルニー「30番」の第1番を扱ったとき、そのルーツが「リュリのジーグ」とされる作品にそっくりだ、という話をしました。しかし、そのルーツと思われる曲はルイ14世の宮廷で活躍したあのジャン=バティスト・リュリの作品とは到底思えない様式の鍵盤楽器のための作品でした。そもそもリュリは鍵盤楽器のための作品を書いていません。では、これは一体どういうことだったのでしょうか。

この問題について、読者の方から「ルイエLœillet」という作曲家の名前と関係があるようだ、との見解を頂きました。そこで、このルイエについて調べていくと、どうやらあの「リュリのジーグ」はルイエの作品だったということが分かりました。

まず、なぜルイエが作曲した作品が19世紀にリュリ作として出版されていたのか。この混乱は、ごく単純に名前の類似から来ているようです。2人の名前を深比較してみましょう。

ジャン=バティスト・リュリ(1632~1687)
Jean-Baptiste Lully (1632~1687)
ジャン=バティスト・ルイエ(1680~1730)
Jean-Baptiste Lœillet (1680~1730)

ファースト・ネームが同じです。しかし、彼らが生きた時代は7年しか重なっておらず、リュリのほうが半世紀ほどルイエよりも年上です。

しかし、リュリとルイエが混同される原因は、ルイエがイギリスに居たことと関係があります。19世紀に編纂されたフェティスの音楽人名事典によると、ルイエはフランスのガンという町の生まれで、初めフルート・トラヴェルソを学び、若くして名手の域に達しました。作曲家としての活動し、1702年にパリに赴き自作のフルート・ソナタを出版します。8年ほどパリに留まった後、彼はロンドンに赴き、自宅に音楽愛好家をあつめて週1回のコンサートを催すようになります。ここで愛好家たちがレッスンを行ったり作品を販売したりしたことで、かなりの収益を上げました。クラヴサン奏者でもあった彼は、ロンドンとアムステルダムで練習用のチェンバロ組曲をいくつも出版しています。

問題の「ジーグ」がロンドンで出版されたのはダニエル・ライト(Daniel Wright)という出版社からで、1717年頃のことです。ジーグは『ハプシコードまたはスピネットの練習:アルマンド、クーラント、サラバンド、エール、メヌエットとジーグ』と題された曲集に収められています。

さて、彼のチェンバロ組曲がこのロンドンで出版されたということが問題を引き起こします。楽譜に書かれた「ルイエLœillet」の名前の発音は英語では「ルイエ」とは読まれなかったはずです。イギリス人たちが、ルイエがフランス人だということを知っていて語末の< t >を発音しなければ(フランス語では語末の子音は基本的に発音しません)「ルィレ」や「ルレ」と発音された可能性があります。これを後の19世紀から20世紀初期のイギリスやドイツの編集者たちが少しずつ知られるようになっていたリュリと混同してしまったと考えられます。

ルイエの「ジーグ」は、19世紀後半から20世紀初期にかけてヨーロッパ各地で出版されていました。その背景には、音楽史研究の進展によってピアノの隆盛とともに忘れられていたクラヴサン音楽を復興しようという動きがあります。この時期、古いクラヴサン音楽は、ピアノ曲のレパートリーに組み込まれていきました。次の表は、インターネット上で参照できたこの曲を含む5つの曲集をまとめたものです。左欄から、出版国、曲集タイトル、編者、「ジーグ」の作者の表記、出版情報となっています。

出版国 曲集タイトル 編者 作曲者表記
(リュリ/ルイエ)
出版地、出版社、出版年代
『ピアノフォルテ、その起源と進歩、構築』 エドワード・フランシス・リンボー (1816~1876) 「リュリ」 ロンドン, Robert Cocks and Co., 1860.
『年代順に並べたいにしえの鍵盤音楽』 エルンスト・パウアー(1826~1905) 「リュリ」 ライプツィヒ, Bartholf Senff, 1885.
『フランスのクラヴシニスト』(第2巻) ルイ・ディエメール(1843~1819) 「リュリ」 パリ, Durand et fils, ca 1897
『クラヴサンの大家たち』(第2巻) ルイス・ケーラー(1820~1886) 「リュリ」 ブランシュヴァイク, Henry Litolff's Verlag, 19世紀後半
『初期の鍵盤音楽』(第1巻) ルイス・エスタール(Louis Oesterle) 「リュリ」 ニューヨーク, G. Shirmer, Inc., 1904
『ピットマン・ジーグ・アルバム』 アルトゥール・ヘンリー・ブラウン(1830~1926) 「リュリ」 ロンドン, Frederick Pitman, 年代不詳

面白いのは、イギリス、ドイツ、フランスで出版された楽譜が軒並み「リュリ」作としてこの曲を出版していたことです。「ルイエ」は本来フランスの作曲家であるにもかかわらず、逆輸入した際に「リュリ」になってしまった点は面白い点です。『フランスのクラヴシニスト』を編纂したディエメールはパリ音楽院教授マルモンテルの門弟で、自身も師のあとを次いでピアノ教授となりました。リュリ研究が進んでいなかった当時、さすがにこの作品をルイエ作と言い当てるのは、音楽院教授といえでも難しかったのでしょう。

図 『ピアノフォルテ、その起源と進歩、構築』(1860)の扉にある挿絵

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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