「チェルニー30番」再考

11.出版社に無視された序文の内容とは?―「諸刃の剣」のタイトル

2014/07/01
第一部 ジャンルとしての練習曲~その成立と発展(1820年代~30年代)
11.出版社に無視された序文の内容とは?―「諸刃の剣」のタイトル
I. モシェレス(1820年の肖像)(パリ国立図書館電子資料サイトGallicaより)
I. モシェレス(1820年の肖像)
(パリ国立図書館電子資料サイトGallicaより)

前回は、ボヘミアの作曲家モシェレス(1794-1870)がパリで自作の《性格的大練習曲集》作品95(1837)を出版したときに、肝心の各曲タイトルが出版社によってすっかり省かれてしまっていた状況、そしてこの不誠実な出版に対する彼の抗議文を見ました。

実は、この練習曲集の原稿にはタイトルばかりでなく、モシェレスが教育者として思いの丈を綴った長い序文がついていたのです。出版者シュレジンガーはタイトルはおろか、この序文はまで出版に反映させなかったのです。ではここで、モシェレスが遅れて人々に紹介した練習曲の序文1をかいつまんで見てみましょう。

対象はテクニックを完全にマスターした学習者

まず、モシェレスはこの練習曲の対象者を限定して次の様に述べます。「これらの練習曲の作者は以前出版された2冊の続編としてこれを作曲したわけではない。しかし、筆者はすでにこれらの練習曲集に慣れ親しんだ人々にぜひともこれらの練習曲を捧げたい。」ここで述べている以前に出版された2冊とは、9年前の1828年に出版した24の《練習曲集》2作品70を指します。この曲集はショパンが作品10を書く際に参照した可能性が高いとされる作品で、無論様々な音楽的・様式的な工夫に富むものではありますが、機能的な指使いの探求など、テクニックの向上を促す内容でした。つまり、モシェレスはこの新しい作品95がテクニックをマスターした上級者向けの作品だ、ということを言いたいのです。

「芸術の高尚な目的」を目指す練習曲
   ―目標は「心の印象」と「溢れでる情熱」の表現

だからこそ、この練習曲によって「ピアニストは筆者が自ら設定した芸術のいっそう高尚な目的に近づくことになるだろう」とモシェレスは続けています。ではこの芸術の高尚な目的とは何を指すのでしょうか。曰く、「指使いの指示はほとんどない。演奏者が何よりも表現するように努めなければならないのは、心の印象であり、溢れ出る情熱である。」モシェレスにとってこの練習曲はもはや指やポジションの練習ではなく、表現力を高めるための練習曲だったのです。

諸刃の剣としてのタイトル

このように練習曲を捉えたとき、彼が各曲につけた「怒り」や「海辺に注ぐ月光」などのタイトル(前々回の記事参照)は、演奏者と作曲者のイメージ共有という点で大きな意味を持ってきます。しかし、彼にとってこれらのタイトルは、作曲者自身の「心の印象」や「溢れ出る情熱」のヒントであり、具体的イメージを限定し、それを演奏者に押し付けるものではありません。このことは、次の文から明らかです。「それぞれの練習曲に付された性格的なタイトルおよび様々なニュアンスを示す専門用語は、作曲者の意図をごく僅かに表しているに過ぎない。これ以上描写的であろうとすることは、この芸術[=音楽]の一線を踏み越えてしまうことになると筆者には思われたのだ。筆者はただ、ピアニストたちの想像力を喚起し、この作品を作曲しながら筆者が抱いた印象に似た印象を生み出すことを望んだまでである。」

まとめ

これで彼が練習曲に詩的なタイトルをつけた理由が明らかになりました。この練習曲の主要な目的は「心の印象」や「溢れ出る情熱」の表現であり、その模糊(もこ)たる印象や感情を演奏者に喚起するために、具体的なタイトルを付け、これらを示唆しようとしたのです。但し、彼は言葉で書かれた物語と交響曲を結びつけるいわゆる標題音楽を支持したベルリオーズとは違って、それ以上、言葉が音楽に介入するのを拒みました。なぜなら、彼にとって―ショパンもそう考えていたように―音楽には音楽にしか語りえないものがあると考えていたからです。それが音楽固有の領域であり「一線を踏み越え」て言葉に訴ええると、音楽固有の表現が侵害される、と考えたのでした。

  1. この序文は、練習曲出版後、モシェレスの抗議文を受けてシュレジンガーが出版していた『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカール』紙に掲載された。序文の日付は1838年1月21日。
  2. Ignaz Moscheles, Études pour le piano forté ou leçons de perfectionnement contenant une suite de 24 morceaux dans les différents tons majeurs et mineurs op. 70, Paris, M. Schlésinger, 1828.

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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