今月、この曲

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曼珠沙華ミュージックトレード社『Musician』2016年10月号 掲載コラム

 私事だが数年前、頚椎ヘルニアを患い左手の握力が半分になった。今迄のようには弾けない...が、鍵盤は押せる。神様は微妙なラインを残したものだと苦笑いしつつ、気付けば「弾き唄い」に辿り着いていた。真意の謎めく歌詞、副科声楽にしては広範囲な音域、演奏上の表記がかなり難しい伴奏。何故この難曲を最初に選んだのか...。そう思った時、遠い日に見た曼珠沙華の列が微笑んで、首を縦に振っている気がした。
 20数年前、腕白息子二人の手を引いて、毎日坂道を昇り降りしていた。愛知県小牧市にある彼等の幼稚園は、ひと山すべてが敷地の「お寺」である。中腹に立派な本堂、百数十段の階段上に鐘つき堂、両手で抱えきれない太さを誇る櫻並木、冬には氷の張るカルガモの池、塀も無く唐突に現れる広い墓地。手を引いているのか、振り回されているのか分かりたくもないが、本堂の隣にある園舎まで四季折々の風や匂いの中を、朝に夕に共に歩いた。
 園内虫取り場でのカブト・クワガタ・セミ取りも終盤を迎えると夏休みも終り。運動会に備え、行き帰りの坂道はかけっこ練習場になる。しかしすぐ砂利道に転んで膝をすりむき、悔し泣きする息子達。その脇で、彼岸花の茎が一斉に並び彼等を見守っている事に初めて気付いた。
 土手の土砂崩れを防ぐ意味で植えられたのか、はたまた周囲の墓地に眠る人々の精気を後世に継ぐための自然な繁殖なのか、定かではない。その茎はたった3日で30cmに伸び、4~5日目に開く真紅の冠は「君達のセパレートコースはここだ!」と言わんばかりに花弁を風に揺らす。この見事なコース取りが坊主達のかけっこを輝かせたものだった。
 彼岸花、別名・曼珠沙華はサンスクリット語で「天上の花」。祝い事の前兆で天から赤い花が降ってくると云われている。この花を見ると不思議と左手に力がみなぎってくるのだ。「死人花」など各地で様々な異名も持つこの花、さてどんなイメージで聴かれましょうか?

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