50周年企画「対談インタビュー」 第7回 寺脇研×福田成康

50周年企画「対談インタビュー」
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寺脇研×福田成康

生涯に渡って学び続ける、生涯に渡って音楽を楽しむ・・。ピティナ設立からのテーマはこの50年でどのように実現していったのでしょうか。ピティナの活動をずっと支えて下さった元文部科学省の寺脇研氏(現:京都造形芸術大教授)にお話を伺いました。

◆ 聞き手:福田成康(ピティナ専務理事)

福田

本日は、お忙しい中ありがとうございます。ピティナも50周年の節目を迎え、過去を振り返りながら未来を考えていかねばなりません。文部科学省生涯学習局設立時の齋藤諦順氏のインタビュー(参照:Our music139号p.20-21)には「生涯学習とは、一生涯学び続けることはもちろん、学校中心主義ではなく、学校外での勉強もやっていかねばならない」とあります。法人化からは30年、まだまだやれることがあると思っています。

寺脇

1966年の創立ですか。実に早い動きですね。法人化も早い判断でしたね

ピティナ50周年を振り返る 2010年代~
生涯学習時代の幕開け
福田

いま当時のことを思い返していかがですか。

寺脇

「生涯学習」という言葉は、1987年7月の臨教審の答申で初めて使われ、88年に文部省(現文部科学省)に生涯学習局(現生涯学習政策局)が発足しました。
学習者が主体で、いつでもどこでも、誰でも学べる・・・。ようやくそういう時代になったか、と思いましたね。
ピティナは85年に法人化したばかり、88年4月に初めて福田靖子先生とお会いした時は、「生涯学習をやるためにここにきました」とご挨拶したと思います。それまでの「社会教育団体」から「生涯学習団体」に移行する団体がごくごく少ない中、福田靖子先生は「私共は生涯学習の団体としてやっていきます!信念をもって、これだ、と思ったの。」とおっしゃいましたね。これは、本当に印象に残っています。それから3か月後に生涯学習局が正式に発足しました。

福田

ピティナの定款には「生涯をかけて学ぶ」という文言がありますが、すでに84年の設立趣意書には「ピアノの先生が余っている、勉強しつづけないとなくなってしまう。生涯に続けてやっていかなければ・・・」といったことが書かれていした。

福田

今から33年前に書かれたとは・・。今、充足したと思える事は、ピアノ教育の地域間格差がなくなったこと。また、先生方が学び続ける、ということはかなり実現しています。でも、寄付はまだできていませんし、民間の活動もまだまだです。教育は、税金による部分がとても大きいので、民間でどれだけやれるのだろうかと思ったこともありますが、これは、本当に、知恵ひとつ、ですね。

新しい公共の流れ
寺脇

法人化の前は、20年くらい任意団体だったわけですよね。50年前に子育てをしながら30代で立ち上げたとは・・・やっぱりすごい人だよなあ。

福田

寺脇さんは、今「カタリバ」(NPOカタリバ)の活動もされていますが、今、こういう活動をする若い人は結構いるんですか?

寺脇

たくさんいますよ。昔のピティナのようなNPOがこれからどんどん出来て、50年もやっていけば・・。子どもの活動の場は言うまでもなく学校ですが、いま学校外のものが凄く増えている。放課後に子どもたちが勉強をする、というのが増えてきていますね。カタリバはNPOですが従業員80人ですよ。民間からの寄付や、行政の受託などで運営されていますが、従来は行政だけが受け皿だった類いの事業を、カタリバが受け皿となってやっています。代表は35歳。若いNPOは、クラウドファンディングとかいろいろな形で活動していますね。従来の寄付は、機関へ出す、個人へ出す、でしたが、最近の主流は「プロジェクトに出す」です。今後の民間資金の導入というのは、斬新なコンクールを立ち上げるとか、貧しい子もピアノを弾ける機会の創設とか、子どものピアノ演奏の鑑賞をしませんか、とか、いろいろアイデアを出せるんじゃないかな。

福田

『新しい公共』を前提にした生涯学習ですね。そういう意味では、日本の未来は明るいですね。

学校教育における音楽の比率について
福田

日本の学校教育の音楽の時間数比率は、割合からいうと小学校低学年が高く、中高にいくにつれてどんどん減っています。もし、未就学児の学習に音楽が存在するなら、その比率がもっと高くなる可能性があるのではないかと思います。

寺脇

遠からず、義務教育年齢が引き下げられる・・ということは主流の考え方になるのかもしれませんね。「義務教育」とは「無償化する」ということ。幼稚園・保育園から無償にしていくということは、みんなが行く、という考え方になる。無償でやるからには、そのカリキュラムが整備されていく。おっしゃるとおり、保育園や幼稚園で学ぶことには、音楽的なものが多くなるでしょうね。

福田

音楽専科についても、やはり今は中学からだけです。首都圏は割と小学校でも多いですが。

寺脇

私は入省して2年くらい教科書検定を担当しましたが、1970年代の小学校に専科の先生はほとんどいませんでしたね。音楽の得意な人と、全くやったことのない人の間で大きな差があり問題でした。当時の教科書は、1年で勉強する楽曲数が70曲~80曲と膨大で、教える方にも無理があったと思います。80年代には、どの都道府県でも採用試験でピアノ実技を課すようになりましたが、世の中の音楽教育が高度化していく中で、先生もピアノを弾けなければ、となったのでしょう。

福田

ピアノをやるようになったのは、比較的最近なのですね。大阪のデータですが、普通にピアノが弾ける人は10%らしいです。授業でどこまで・・・というのはありますが。

寺脇

授業時間数の話でいえば、1992年と2002年の学習指導要領の改訂を経て、時間数自体は減りました。ただ、学校教育の中で、2時間で教養を身に付けさせるのではなく、1時間はとっかかりを作ってあげて、土日は、例えば美術館にいく習慣をもった子どもを作っていこうじゃないか、という趣旨でした。美術の世界では、早い時期からそういう考えが出ていて、美術教室と学校が連携して、学校で美術に目覚めた子には美術教室にいく道を作ってあげるなどやっていましたね。1980年代に大英博物館を訪れた頃、ここには子どもがわんさかいるのに、日本の美術館には大人しかいないと感じたことがありました。今は、変わりましたね、科学博物館に至っては子どものための場所といっていいくらい。
生涯にわたって楽しむ時間、ということを考えると、音楽や美術は、長いこと楽しめる性質のものですし、こうした民間との連携で、楽しんでもらえればよいのだという考え方ですね。

福田

それは、学校の美術の先生たちが言い始めたことですか?音楽業界でも何とかしたいですね。

寺脇

70年代頃までは音楽も美術も教科書の傾向は同じでしたが、安野光雅(あんの・みつまさ:日本画家、元美術教員)さんが著者となって『新しい美術』という教科書が小さな出版社から出されました。それは革命的でしたね。「美術っておもしろいぜ!ものをつくるってこんなおもしろいんだよ!」と、子どもの心をわしづかみにするものを作ったんです。ところが、経済も大変ですし、検定には通ったものの、結果としては会社が続かなくなりましたけれど。時代が早すぎたんですね。ただ、そういう動きはありましたね。

これからの学校教育と生涯学習の連携
福田

学校の中だけでなく、「生涯」といった時、例えば、カラオケ館などにピアノが入っていますが、歌うだけでなくて合奏するのが当たり前になってもいいですよね。今日は残業やめて、カラオケ館で合奏しようか・・とか。防音室が全国にこれだけあるというのは、実は日本のインフラですよね。逆に活性化しないと、もったいないです。

寺脇

つまり、義務教育期間だけの話ではなく、それから先がどうなるか、ってことですね。

福田

どれだけ、学校と連携しながら、ピアノや吹奏楽を続けさせるかもテーマです。アメリカやカナダは音楽検定があって70万人位が受験しますが、それは音楽検定の成績が大学で使ってもらえるからなんですね。去年、東大のAO入試にピアノコンクールに優勝した人が合格しましたが、音楽も使われるようになってほしいです。そういえば先日、大学で講義をした際に、学生さんたちにレビューシートを書いてもらったのですが、書かれている内容が、偏差値が高いと世間で言われる大学より、音楽大学の子たちの方が良かった、とてもしっかりしたことを書いてくれていました。

動機の強さが、まなぶ力
寺脇

偏差値が高いだけでは、何かをアレンジすることには得意でないかもしれない。でもその音大の子たちは「音楽をやりたくて」きているのだから。成績が良くても、それを学ぶことへのモティベーションがなければそうならないでしょう。

福田

学びたい、という意欲が強いからですね。

寺脇

大学に入るための勉強ではなく、本当にピアノがやりたくて入るなら、それは全然驚かない、普通の話だと思いますよ。

福田

動機の強さは、偏差値20位ひっくりかえしちゃう。

寺脇

モチベーションとはそういうこと。今の子たちが、どう音楽と向き合うかを言語化しなくてはいけないのですが、例えば、相手のことがものすごく好きなら、良いラブレターが書けますよ。反対に、どんなに文章力があっても、愛がなければ書けない。ここにいけば得だろうとか、対象への愛なくして入ってもだめなんですよね。

福田

高校までにある程度、そういう意識をもった人たちを、音楽の業界でいうなら、生かされる場を、音楽をもっとやってもいいんだよ、というのを見せていきたいですね。

大学での学びは、社会でも生かされる
寺脇

私は美大におりますが、美術の人たちはユニークでおもしろいですよ。4年間大学でやりたいことを堪能して、作りたいものを作って出て行く、そして普通に就職する。副学長がよく言うのですが「あなたたちがやっていることは、サラリーマンになっても趣味で続けていける "ライフワーク"を作っている。食っていけるものはライスワーク。ライフワークにつながるものをやっているからすごいんだよ」と。焼物、織物、漫画・・・等々、ライフワークにしている人口はどんどん増えていると思います。音楽も、もちろん、演奏を目指すプロもいていいけれど、91年頃ピティナと一緒にやらせてもらった、大人のための教室みたいに、音楽を楽しむためのもの、という意識が必要でしょうね。

福田

そういう意味では、大内孝夫さんという方が『音大生は武器になる』という著書を出しましたが、音楽教育業界もかなり空気感が変わりましたよ。

111人のまなびすとによる111台グランドピアノ大合奏
寺脇

少し話を戻しますが、88年に生涯学習が始まったからといって、当時の民間教育の意識はそう変わるものでもなく、さあ、これから広げていこう、というときに、多くの団体に声掛けして開催したのが「全国生涯学習フェスティバル」でした。
各団体を口説いてまわりましたが、この時も、最初からやりたくてたまらない、というのはピティナでしたね(笑)。世の中に知らしめるための大イベントとして、子どもから大人まで111人のピアニストが111台のピアノを弾くという構想でしたが、蓋をあけてみると応募者は400人以上(!)。選抜をしたら、それでは生涯学習にはならないということで、全員参加できることを考えました。そんな大人数の合奏では音がずれて無理だという意見には、時間差が前提の曲を作曲頂き、さざなみのような音楽とでもいうのでしょうか、そういう曲に仕上がりました。1台に大人も子供もお年寄りもいて。また、プロのピアニストもそうでない人も・・・。文部省職員も10人くらい参加しましたね。ヤマハなど楽器メーカーは楽器提供と調律で支援、千葉県も支援、国をあげて生涯学習の幕開けイベントを行った。つまり、これだからできません、ではない、そこがまさに、生涯学習の発想なんですね。学校教育というのは、入学試験もそうですが、基本的に不可能な部分があります。でも、生涯学習の考え方は、理想は、全部いれましょうよ、ということなのです。

生涯学習のパイオニアとして
寺脇

ピティナは、生涯学習のパイオニアとして、常に動いてきました。それは85年設立当時からだった、ということです。その後も大人向けのピアノ教室、新しい取り組みに積極的に取り組んでいった。 靖子先生は、なんといったらいいか、勘なんですかね。先見の明というか。偉大な指導者だったと思いますよ。

(2017年1月19日(木)本部事務局にて)



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