50周年企画「対談インタビュー」 第1回 福田成康×関本昌平

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2017/01/01
50周年企画「対談インタビュー」
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福田成康×関本昌平

ピティナ創立から半世紀を迎え、2月28日記念式典&演奏会に向けて、新年より「対談」リレーをスタートいたします。初回は、ピティナ専務理事の福田成康氏とピアニストの関本昌平さん。ほぼピティナの誕生と人生を共にしているお二人にとってのピティナ50周年を語っていただきました。


50周年を振り返って
福田

ピアノって、自分が生まれる以前は裕福の象徴で、食べることが第一義であった戦後の日本においては、ピアノは「経済発展の象徴」でした。
1960年代になり楽器が安く大量生産できる体制が整い、ピアノ教育は誰もがやれるもの、「情操教育」となり、母数が増えて今に至っています。最近、2014年頃からピアノ教育は「能力開発」という見方もされるようになりました。皆が数学者になる訳ではないけれど学校で算数(数学)は必須科目です。音楽もそうあっていいはずですし、国レベルでそうなっていないというだけなのでは。
ピアノ教育は本当にバランスが良く、聴く力、見る力、指が回るとか、左右のバランス、突発なことへ対応、室内楽におけるコラボレーションから作曲家との対話まで、総合的な能力開発といえます。身体性も論理性もあるし、ピアノ教育って、「教育の完全食品」と言えますね。

2000年代~の活躍について
関本

2003年は特別な年でした。記憶に残っているのは、A.ガブリリュクとのコンサート。これは大変刺激になりました。自分と同じ世代ですごいことをやっている人と共演する、それは先生から教わるものとは違った大きな経験です。同じころ、第1回福田靖子賞選考会が創設されましたが、これも同じ世代同士で聴講し合える、ということが画期的でした。

ピティナ50周年を振り返る 2000年代~
福田

いまは、Jr.G級マスタークラスや、ソナタコンクールのマスタークラスなどにで、同世代同士で学べる場が、続いていますね。

「聴く」ということ。「言葉にする」こと。
「自分の考え(意思)をもつ」こと。
関本

コンペティションのB級、C級でも、海外のショパンコンクールでも、僕は人の演奏を(演奏直前以外は)ほぼ全て聴きました。自分が練習した同じ楽譜の曲でも、習っている先生やその人自身でこんなに音楽が違うのだ、ということが子どもなりに分かります。音に対して、自分がどう思ったのか。それを結果とくらべて、こうだった、ああ、やはりこの人だったのだ、とか。コンクールではそれが一番勉強になりました。自分の演奏が上手くいったかどうかは判断できるけれど、案外、他人の演奏を聴いて感じることは難しい。それを言葉で表現できることはさらに難しいですが、とても大切だと思います。

福田

そういえば、ニューヨークにいらしたころは、指導者不在だったと思いますが、どう学んだのですか?

関本

自分の音楽観がはっきり見えてくると、指導が邪魔に感じることもあるでしょう。自分の生徒についても同じことがいえますが、先生について習っているだけでなく、誰が何といおうと「俺はこれがやってみたい」という気持ちを持つことは大事で、それが芸術だと思います。

福田

それは理想ですが、そうやって学べている人は少ないとは思いますが・・・。

関本

基礎的なベースは同じですが、どれだけ自分で興味をもって探していけるか、だと思うのです。「この音がいい音」という正解はなく、「自分のイメージする音」が先にあり、それをどう作っていくか、ということだと思います。先生に譲っちゃだめ(笑)。もちろん、あとで振り返ったときに、ああ、先生の方が正しかった、となるのはよいのですが、ある程度「自分はこうしたい」というのがあるべき。ある種の頑固さのようなものでしょうか。先生はこれが正しいというけれど、グレン・グールドは違うことやっているじゃん。それってどうなの?といった疑問をぶつけないと。伸びる伸びないの差はその辺にあるのではないかと思います。 僕の時代は、CD、ビデオ、テレビの時代。もちろん生の演奏が一番よいけれど、たくさんの演奏を聴きました。いまはYoutubeもあり、さらに便利になりましたね。いつでもあるから、音に対するありがたみがなくなっているかもしれない。耳の感度としては、平均的には弱まっているかもしれないですね。バッハ、ベートーヴェンの時代と今を比べると。

教育と演奏のバランス、新しいピアニスト像
福田

教育は創造の場だ、と、チェリストの堤先生がおっしゃっていました。創造性を刺激されることだと。

関本

僕は単純に教えることが好きなんです。教えていて分かることは、生徒は全員みな違う、ということです。手だって顔と同じで、大きさ、運動神経、柔軟性など様々。基本的な弾き方はあるけれど、自分に合ったものを見つけていかなければならない。また、技術、感性、歌い方、それも一つに決まっているわけではないのです。指導者には相手の問にどう返すかという適応力も求められますね。最も理想的なのは、教える・教えられる立場を越えて、「音楽を一緒に高められる仲間」になること、生徒から刺激を受けることはあります。

福田

ピアノ教育は、所得にもなるし、勉強にもなるし、一粒で二度おいしい、みたいな(笑)。息子が大学生なので感じることがあるのですが、理系だと研究7割・指導3割。結局、スポンサーである親は、わが子の教育を期待すると同時に研究者へのドネーション(寄付)を行っていることにもなります。これは、実は音楽の世界でも同じではないでしょうか?音楽の世界でも先生たちは、演奏を続けるべきでしょう。論文を発表し続ける科学者のように・・・。

関本

最近は、演奏する方が指導することも増えていますね。僕は大学生だけではなく、小学生にも教えていますが、演奏活動はもちろん、審査やステップなど・・・。自分で自分の首を絞めている(笑)ような気もするけれど、たぶん、自分はそれが全て「好き」なのだと思います。

将来への展望について
福田

2017年度に向けて展望みたいなものはありますか?

関本

まずは時間の使い方、ですかね。限られた時間をすべて全力でやるしかない。ちょっと怠けると全てが効率が悪いことになってしまう・・・。2月は、一部の例外を除き指導を休止して3月以降に続くコンサート準備を行います。

福田

それは、ニューヨークから帰国して以来初めてでは?

関本

そういえば、そうですね。

福田

それでは、10年後は?

関本

10年後というのは、10年前の自分が見ている今の自分。つまり、今の20代の方々が僕の年代になる時です。同じようにコンクールに参加しながら、演奏と指導をしている人たちが育ってきてほしいと思います。
僕が子どものころ、コンクールの最後に毎回講評があったのですが、杉浦日出夫先生の話とか、最前列でぽかーんと聞いていました。今、自分が教える逆の立場に立っていつも思うのは、この子どもたちの中から、10年後、20年後、今の自分みたいになっていく人がどれだけいるのかな、と。杉浦先生から「あの関本くんが立派になって・・」なんて言われるのと同じように、いまの子どもたちが、僕たちの仲間になっていくのをとても楽しみにしています。

(2016年12月16日ピティナ本部事務局にて)


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