ロバート・レヴィン先生 インタビュー

ロバート・レヴィン先生来日インタビュー ~モーツァルト未完作品の補筆、即興演奏・・ライフワークを可能にした基礎指導とは
ロバート・レヴィン先生

14歳でパリ単身生活、
そしてナディア・ブーランジェに学んだこと

─ レヴィン先生といえばピリオド楽器演奏の第一人者でいらっしゃいますが、幼少の頃はフランスでピアノ指導を受けていたのですね。どのような経緯で渡仏されたのでしょうか?

私にとって音楽の守護神のような義兄がいるのですが、第二次世界大戦後、彼がフルブライト奨学金を得てパリ音楽院に留学した時、私も彼について夏にフランスを訪れました。その時私は12歳で、彼が全て面倒を見てくれました。それから毎夏フランスを訪れましたが、14歳の夏の終わり、義兄は指導のために米国に帰国することになり、ナディア・ブーランジェは私がフランスに残ることを勧めてくれました。結局それから1年間、一人でパリに残ることになりました。ホームシックにもなりましたよ。パリのアパルトマンの一室を借りて住み、朝食は家主のお婆さんが作ってくれ、昼はレストランでランチを食べ、夜はナディア先生の息子さんと一緒に夕食を頂きました。

パリ近郊のフォンテーヌブロー城
パリ近郊のフォンテーヌブロー城

ナディア・ブーランジェのレッスンは全て、パリ近郊のフォンテーヌブロー城の中で行われました(現在は利用不可)。城の一翼は現在ナポレオン美術館になっていますが、当時はアメリカン・コンセルバトワールが運営し、ナディア先生はそこに住んでいたのです。城の外を見渡すとイギリス式・フランス式公園や湖があり、今テニスコートになっている場所には、かつてパイプオルガンが付設された建物がありました。そこでよくオーケストラや室内楽が演奏されていました。街は素晴らしい森に囲まれ、レッスンがない週末は徒歩や自転車で駆け回ったものです。昔その一帯は海だったので、森の中には洞窟があるんですよ。結局フォンテーヌブローで5回夏を過ごしました。

─ フォンテーヌブローはインスピレーション溢れる街で、そこに10代前半に住んでいたというのは貴重な経験ですね。ブーランジェ先生からはどのようなことを教わったのでしょうか。

ナディア先生からは、行動規範と音楽の基礎を教えてもらいました。人は何歳で教育を受けてもよいですが、それをこの年齢で受けられたことを大変幸運だと思っています。例えば外国語を学ぶにしても、低年齢であれば自然に習得できますが、年を取るとやはり難しくなります。私はまだ幼かったので、心理的障壁もなく、自然に物事が学べたと思います。 ナディア先生はある時、ストラヴィンスキーの楽譜を置いて、私に初見するよう求めました。当時彼女は70歳だったのですが、私がなかなかできないと怒ったものです!でも私が泣き出すと、突然おばあちゃんのようになって「ごめんなさい、あなたをとても愛してるのよ」と優しくなるのですが、また弾き出すと怒る(笑)。

突然開けた即興演奏への道、全ては基礎のおかげ

ある時私はハーヴァード大学の生徒の一人に、ナディア・ブーランジェの教育について聞かれました。「彼女は何をしてくれましたか?」という問いに対し、生徒は20語での答えを求めていると思い、「彼女は城への鍵を渡してくれた」と答えました。

─ なるほど。具体的には、鍵とは何か教えて頂けますか?

道具箱があるとしましょう。この中には音楽家が必要とする全てのものが入っています。指揮者、作曲家、編曲者、演奏家、音楽学者・・・音楽に携わる人全てが必要とするものが詰まっている道具箱です。それはもしかしたら人生で一度だけ、あるいは一度も使うことはないかもしれません。

私はブーランジェの後に指揮者のハンス・シコルスキーに学びましたが、その時「君、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾くのであれば、即興ができないといけないよ。フリードリヒ・グルダのレコードを聴いて真似してみなさい」と言われました。私は面食らいましたが、そのアドバイスに従って音源を聴いてみました。そして、全てのオーケストラパートを彼が一人で演奏し、しかもカデンツも即興で演奏していることに、心底驚きました。私はグルダにも習いたかったですが、それは難しいだろうと思いましたので、「そうだ、あの『道具箱』をもう一度取り出してみよう」と思い立ちました。すると、そこには私が学んだ全ての基礎があったのです。音楽の文法、読譜の仕方等、ピアノ演奏に必要な全てです。それから1~2年後、私は即興演奏を始めていました。勿論シコルスキーの勧めとグルダの参考音源は不可欠でしたが、何よりナディア・ブーランジェの基礎指導がなければ出来ませんでした。こうして、私が予期しなかった形で、ブーランジェの基礎指導が私の身を助けてくれたのです。

モーツァルト未完成作品の補筆、そのライフワークとの出会い

即興というのは、「200年前の他人の語法を即興する」ことです。しかし例えば外国語を発音するのと、読み書きすることは別です。即興が走ることだとすれば、その前に歩けなくてはならない。では、ハイドンやモーツァルトを作曲できなくて、なぜ即興ができるでしょうか?もちろん彼らと肩を並べられるわけはありませんが、彼らのスタイルで作曲することが、即興演奏に繋がると思いました。

人生には、驚くべきチャンスが巡ってくることがあります。偶然を信じない人もいますが、私は運命だと信じています。その機会を生かさなければ、そのまま過ぎ去ってしまいます。
ちょうどシコルスキーの学びを終えた頃、ハーヴァード大学オーケストラの指揮者が「モーツァルトのレクイエムのオルガンパートを演奏してほしい」と私に依頼してきました。彼は私がモーツァルトに大変興味があることを知っていたのです。さらに「モーツァルトの新版が出版されたばかりなのだが、その巻末にモーツァルトの草稿がある。彼は完成前に亡くなってしまったのだが、君がその部分を作曲してはどうか?我々はそれを演奏したい」と。私はとんでもない!と思いましたが、「君が謙虚なのは分かるが、NOと言わずまず考えてくれ」と言われました。私はしばらく考え、これはシコルスキーが言っていたことだと思い直し、挑戦してみることにしました。

それをきっかけに、私はモーツァルトの未完成作品の補筆に興味を持ち始めました。すると、モーツァルトほど未完成作品を残した巨匠はいない、ということが分かってきました。彼は例えば弦楽四重奏曲を書いている途中で、他にお金になる作曲依頼があればそちらを優先し、その後再び着手したというような状況が多々ありました。実は1970~80年代にモーツァルトの手稿や草稿に関する研究が発表されたのですが、その結果、多くの完成作品は1~2年、5年、中には10年ほど草稿のまま寝かせていたことが判明しました。つまり、彼がもっと長生きしていれば、さらに多くの作品を完成させていたでしょう。決して草稿がよくないから、未完成であったわけではないのです。

それらの草稿を見て、補筆をしようと心に決めました。ちょうどその頃ハーヴァード大学卒業論文のテーマをシャルル・ボードレールにと考えていたのですが、モーツァルトの未完成作品に関して書いた方がいいのではないか、と急遽テーマを変更しました。それこそシコルスキーが言ってくれたことであり、そこで全てが一つになったのです。

卒業演奏会では、他の2つの未完成作品の補筆(ピアノとヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲、クラリネットと弦による五重奏曲)等が学生オーケストラによって演奏されました。指揮者は私の友人ジョン・ハービソンで、彼は米国屈指の作曲家です(実は日本から帰国した後、彼らと室内楽コンサートの予定があるんです)。その補筆作品がとても良い評価を頂き、その後様々な方からモーツァルト未完成作品の委嘱を受けたり、1991年にはレクイエム全曲の補筆作品がヘルムート・リリングによって委嘱・演奏され、2003年にはカーネギーホールからモーツァルトのミサ曲ハ短調の補筆依頼を受け、同ホールでリリング指揮・初演されました。

これらは全てナディア・ブーランジェ先生のおかげです。彼女が教えてくれていなければ、こうしたことは起きなかったでしょう。もちろんNYでも多くの素晴らしい先生方に教えて頂きましたが、彼女は特別な存在だったのです!

(あとがき)
幼少時のフランス滞在、ナディア・ブーランジェ先生の教え、シコルスキー先生が開いた即興演奏の道、大学オーケストラの指揮者の依頼から始まったモーツァルト未完成作品の補筆。現在レヴィン先生は、その類まれなる音楽的才能と博識を存分にライフワークに生かされていますが、そこへ導いてくれた周囲の助言や支援に対する感謝の言葉を欠かさないのも印象的でした。フェスティバルで披露された生き生きしたピリオド楽器の演奏からも、ハイドンのようにユーモラスで、モーツァルトのように人情溢れる、レヴィン先生の素顔が伝わってきます。インタビューはまだ続きますが、また機会があればご紹介したいと思います。
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