【実施レポ】音楽総合力UPワークショップ2017 第3回 小川 典子先生

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2017/07/21
音楽総合力UPワークショップ2017 音楽総合力UPワークショップ2017
実施レポート
レポート:坂 かず先生
  • 3
  • 小川典子先生 (2017年6月21日(水):開催)
  • ピアニストになって得たもの、失ったもの

イギリスと日本を拠点に女性ピアニストとしてご活躍の小川典子先生。デビューのきっかけとなったリーズ国際ピアノコンクール入賞から今年で30年という節目の年に、ご自身のピアニスト人生をお話くださいました。

少し変わっている学校生活時代(小~大学まで)

小川先生はお母様がピアノの先生というご家庭に生まれ、ごく自然な流れとしてピアノを始めました。毎週土曜日の「桐朋学園子供のための音楽教室」に楽しみに通い、聴音は現代曲でも無調でも何でもこなす耳の良い生徒でした。今の小川先生のエレガントの雰囲気からは想像できませんが、とても活発でいたずら好きな子供だったそうです。しかし師事する先生に恵まれず、4歳半から黒田文子先生、その後師事した井口愛子先生、弘中孝先生、野島稔先生はそれぞれにご病気や演奏活動が忙しくなり、定期的にレッスンを受けられなかった長い学生時代を送ることになってしまいます。全日本学生音楽コンクールで優勝した高校時代も依然とレッスンのない環境であることを悩み、ついに留学を決心しジュリアード音楽院に入学します。が、そこでも2回レッスンを受けたところで、サッシャ・ゴロニツキ先生がご病気になってしまいます。ジュリアードを卒業するまでの4年間もほぼ独学となり、楽しい留学生活ではあったものの、周りの生徒が先生と信頼関係を結びレッスンを受けていることが羨ましく、そしてなにより寂しく感じたそうです。

国際コンクール挑戦の数年間(1983~87年)

大学3年生から第2回日本国際音楽コンクールピアノ部門第2位を皮切りに国際舞台への挑戦が始まります。1985年、独学で世界の頂点、「ショパン国際ピアノコンクール」へ乗り込みます。ワルシャワ音楽院の練習室で隣から聞こえる一瞬の隙もない素晴らしい音色のショパンのスケルツォ3番を前に「とんでもないところに来てしまった!」と体が震えたことは今でも記憶に新しいそうです。一次予選は通過するも二次は落選してしまい、コンクールから拒絶される気持ちで人前で号泣したそうです。

そして、次はチャイコフスキー国際コンクールです。運よくベンジャミン・キャプラン先生のレッスンを一度だけ受けることができ、予選はホールの音響と観客を味方につけ通過します。喜びと共に、「二次と本選の曲は誰からもアドバイスを受けていない」という強い不安が頭をよぎります。その気持ちは舞台上でも消し去ることができず、演奏に影響し残念な結果となりました。不思議なことに、この時は一滴の涙も出ません。一度戻ったニューヨークで自分の限界を悟り、さらに師事する先生もいないことに絶望し、失意のどん底で日本へ帰国することになりました。世界中の才能の集まるニューヨークで自分の力を知り、師事する先生もいないことに絶望し、失意のどん底で一度日本に帰国となります。

その時、日本に一通のエアメールがキャプラン先生から届きます。「リーズ国際コンクールに出るつもりがあるのならサポートしたい」という内容でした。書簡でのやり取りの3か月後、迷いなくイギリスに飛びます。イギリスでは数日おきにキャプラン先生のレッスンを受け、充実の3か月の準備期間を過ごします。レッスンを受けられる喜び、そしてイギリス人の前でピアノが弾けることがとにかくうれしく幸せな気持ちでコンクールを迎え、リーズ国際音楽コンクールは3位を受賞しました。小川先生は「もっと上の位だったなら、独学の時間が長く続いた自信のなさから気持ちが付いていかなかっただろう。3位でよかった」と当時を振り返ります。

第3位なのに演奏活動が始まってしまった(1988~)

ヨークシャーのプロモーターは自分の意見を強く持ち、1位にこだわらず良いと思った演奏家と契約するそうです。プロモーターに白羽の矢を立てられた小川先生には、受賞後から1991年まで多数の契約コンサートが入り、それををこなすために友人や先生の力を借りてイギリスに滞在することを決断します。そしてリーズでの「3位」は自分にとっての大きな勲章であり、次のコンクールに挑戦しようとは思わなくなり、「実社会に出ていく」ことを決心しました。

女性+ピアニストで得られること、あきらめること(30~40代)

ロンドンで下宿していた家は夫婦とも金管楽器奏者でした。不規則な生活で2人の子供を育てること、また演奏旅行をしながら家庭を持つことは難しいという現実を目の当たりにします。ピアニストとして一度家庭に入ってしまえば復帰は難しいであろうと強く感じ、それが小川先生の人生の選択に大きく影響することとなりました。 当時2年間一緒に暮らした自閉症を持つジェイミーとの経験が生んだ「ジェイミーのコンサート」はイギリスの自閉症協会からも注目され、十数年間に及ぶ活動が大きく評価されています。

海外で弾き続けるためには...。

日本でマネージャーといえば、楽屋周りで演奏者のお世話をする「付き人」に近い意味を持ちますが、海外では全く逆です。海外でのマネージャーとは、奏者がビジネスとして成り立つかを判断する人であり、奏者が招待状を用意してマネージャーにコンサートに来てもらい、自分が売り物になるかどうかを見てもらいます。音楽事務所との関係も同じで、奏者との間には一定の緊張状態が存在するそうです。またプロモーションや広告活動も奏者自らが主体となって行うそうです。

イギリスでの演奏料は実際低額だそうで、仕事として活動するためには、とにかく演奏の数をこなす必要があります。ピアニストにとって心身ともに健康なことは欠かせない条件です。小川先生は演奏後は自ら運転をせず、代わりに深夜高速バスに乗りうたた寝しながらロンドンに帰るというパターンを好んでいるそうです。誰もが驚くこの移動手段ですが、何年も次から次へ演奏会をこなすには自分の体力を自覚しながら最も良い方法を見つけること、そして家族や友人との時間など「人間としてのバランス」を大切に生活することを心がけていらっしゃるそうです。

セミナー終盤、以下のの2曲を小川先生が演奏くださいました。
モーツァルト作曲「トルコ行進曲」
武満徹作曲「雨の樹 素描」
当時のコンクールで要求された「自国の曲」というカテゴリーで武満徹の曲をたくさん弾いたことが、その後のドビュッシーの理解を深めるきかっけになったそうです。ホールにあふれる透明感のある美しい響きに会場の先生方も引き付けられていらっしゃいました。

質問タイムでは、「キャプラン先生のレッスン方法について」、「独学時代に練習でどのような工夫をされていたか」、「イギリスの子供のためのピアノ教育やコンクールについて」など次々に質問があり大いに盛り上がりました。その中で、小川先生が審査委員長を務める浜松国際ピアノコンクールについてのお話が印象的でした。「若いピアニストたちに浜松国際音楽コンクールを最後のコンクールとして世界に羽ばたいてほしい。浜松からピアニストとして仕事ができるように、そんなコンクールにしたい」という言葉は小川先生ご自身のリーズ国際コンクールのご経験からであり、審査委員長としての小川先生の豊富であり野心だそうです。


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