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    <title>会員・会友レポート</title>
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    <title>ザルツブルグ音楽祭（5） なぜ今「神話」なのか？オペラ２作品より</title>
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    <published>2010-08-20T09:05:00Z</published>
    <updated>2010-08-20T09:41:11Z</updated>

    <summary> 2010年の音楽祭テーマが「神話」であると知った時、なるほどと思った。プログラ...</summary>
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        <![CDATA[<p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="231" alt="2010Salzburg_town2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_town2.gif" width="300" />2010年の音楽祭テーマが「神話」であると知った時、なるほどと思った。<br />プログラムには、こう書かれてある。「神と人間が対立するところに、悲劇が生まれる」。これはミシェル・コールマイヤーの言葉である。</p>
<p>ギリシャ神話において神は自然や真理を象徴し、人間と相対する概念である。そして人間の利己的な振る舞いや、神と対立したり超越しようとする行為に対して報復を行う一方、試練を乗り越えた愛や友情には祝福をもたらす。これは人間の原初的な体験を擬人化したものであり、その神話が語り継がれている社会において普遍的価値観の拠り所となっている。</p>
<p></p>
<p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="300" alt="Dionysos.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Dionysos.gif" width="200" />さて21世紀が10年が過ぎた今、20世紀を牽引してきた価値観は根底から揺らぎを見せている。ザルツブルグ音楽祭芸術監督を10年ほど務めるユルゲン・フリム氏（演出家・ドイツ）は、過去3年間でこのようなテーマ設定をしてきた。「理由の闇たる部分」（2007）、「愛は死を超えるか」（2008）、「巨大な力の戯れ」（2009）。理屈ではなく、人間を無意識的に動かす価値観などに焦点を当てている。</p>
<p>そして今年は「神話」。このテーマに沿い、「エレクトラ」「ドン・ジョヴァンニ」「ノルマ」「ロミオとジュリエット」などが今年のプログラムに組まれた。また開催90周年を記念して、ドイツの現代作曲家ウォルフガング・リームにオペラ作品を委嘱し、ニーチェの思想を踏まえた「ディオニソス」が世界初演された。（photo:Ruth Walz）<br /></p>
<p>この時代において神話が語られるということは、何を意味するのだろうか。</p>
<p></p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>究極の愛を美麗な音楽にのせて　「オルフェオとエウリディーチェ」</h4>
<p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Orfeo_(c)Hermann-und-Clärchen-Baus2.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Orfeo_%28c%29Hermann-und-Cl%C3%A4rchen-Baus2.jpg" width="300" /><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Orfeo_%28c%29Hermann%20und%20Cl%C3%A4rchen%20Baus.jpg"></a>今回グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」、ベルクの「ルル」を鑑賞した。<br />クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」（1762）は、リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で上演された（オリジナル版）。</p>
<p></p>
<p>第一幕、妻の死を嘆き悲しむオルフェオを演じるのは、黒のスーツ姿が凛々しいメゾ・ソプラノのエリザベート・クルマン（Elisabeth Kulman）。体格はやや小柄だが声はしっかり出ている。数年前にソプラノからメゾソプラノに転向したそうだ。<br />舞台装置は非常にシンプルである。半円上の壁にドアが数箇所ついており、それが地上と冥界、男と女、人間と精霊といった対になるものを行き来することを象徴しているようだ。最愛の妻エウリディーチェ（Genia Kühmeier）が亡くなり冥界に消え、赤いドレスだけがオルフェオの手元に残る。嘆き悲しむオルフェオの背後で、琴を持ちオルフェオと同じ格好をした精霊が数人乱舞するが、これはオルフェオの精神が混乱し、さ迷っていることを現しているのか。</p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Orfeo_%28c%29Hermann%20und%20Cl%C3%A4rchen%20Baus.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="375" alt="Orfeo_(c)Hermann und Clärchen Baus.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Orfeo_(c)Hermann%20und%20Clärchen%20Baus-thumb-250x375-6032.jpg" width="250" /></a>冥界に召された妻を偲んで、オルフェオは妻にもう一度会いたいと神に請う。すると愛の神アモーレが登場し、オルフェオにある条件を提示し、冥界へ行く許可を与える。アモーレ役のクリスティーネ・カーグ（Christiane Karg）は、厳しくも温情ある通りの良い声でこの役にぴったり。ちなみにオルフェオ役とエウリディーチェ役は共にオーストリア出身、アモーレ役はドイツ出身、ザルツブルグ音楽院で教育を受けている。</p>
<p>はたして冥界にたどり着いたオルフェオは、地獄での試練を乗り越え、エリゼの園にたどりつく。時空を超えた時の流れと、魂の永遠性を象徴する演出とライティングはシンプルながら見事。そしてムーティの指揮も、天国のような柔らかさを演出する。そこで二人は再会を果たすが、「決してエウリディーチェの顔を見てはいけない」というアモーレの約束に背き、背後を振り返ったオルフェオは永遠にエウリディーチェを失う。アリア「エウリディーチェを失って（Che farò senza Euridice?）」は、ハ長調だからこそ伝わる再会の喜びと切ない悲しみに満ちているが、クルマンは激情を理性で抑えながら歌い上げる。</p>
<p>このクルマン演じるオルフェオはどちらかというと精神的な愛の過酷さを表現し、エウリディーチェ役は肉体的な愛の喪失を感じさせ、両者の表現の食い違いが気になった。この舞台演出はシンボルのみにそぎ落とした現代絵画のようであり、描き出されている究極の愛の姿も叙情的というより観念的、音楽も優雅で理性的である。その点においては、オルフェオ役の方がこの演出に適していたかもしれない。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">&nbsp;</span>愛の神アモーレは、約束を破ったとはいえオルフェオの真実の愛を確認し、エウリディーチェを生き返らせる。すると、次々に恋人や夫婦がよみがえり、生きていた頃と同じように喧嘩し、愛を確かあう。それと同時に、第一幕で登場したオルフェオと同じ格好をした精霊は、黒スーツから赤いドレスに変わり、琴を持ったエウリディーチェ（の精霊）へと変身する。そしてエウリディーチェは赤から白のドレスに変わる。それは何を意味するのか？<br />２人は男女という対になる存在だが、試練を乗り越えて同質の愛を獲得し、崇高な幸福感の中でフィナーレを迎える。白黒のドレスで並び立つ二人は、まさに一心同体。そしてエウリディーチェとなった精霊たちがステージ前に並び、完全無欠な神話的絵図で幕は閉じられた。</p>
<p>グルックの音楽は、指揮者ムーティの感情と質感のコントロールが効いた指揮と演出によって、精神愛を説く絵巻物語へと昇華した。カーテンコールではマエストロも壇上に上がり、満席の会場は拍手喝采に包まれた。（photos:Hermann und Clärchen Baus）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>男女関係のヒエラルキーを破る「ルル」、その顛末</h4>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Lulu_%28c%29%20Salzburger%20Festspiele_Monika%20Rittershaus3.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="199" alt="Lulu_(c) Salzburger Festspiele_Monika Rittershaus3.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Lulu_(c)%20Salzburger%20Festspiele_Monika%20Rittershaus3-thumb-300x199-6035.jpg" width="300" /></a></span>一方、アルバン・ベルク作曲の「ルル」。「オルフェオとエウリディーチェ」では愛しい女性の名を男性が呼ぶが、それから約200年後に作曲されたこの作品では、主人公は自分で「私はルル」と名乗る。女性性の変容とその顛末が描かれる。</p>
<p>主人公を演じるのは、フランスのソプラノ歌手パトリシア・プティボン。第一幕は白い羽根がついた白い下着姿で登場。プティボンの透き通るような白い肌と足、透明感ある声は、意図的に男性を誘惑して破滅させる典型的ファム・ファタルというよりは、悪意なき無意識や無自覚といったものを感じさせる。天使の羽根にも象徴されるように、ルルの精神は常に遠い理想の世界へと羽ばたき、現実感も罪の意識もない。プティボンの醸し出す浮世離れした雰囲気と透き通るようなソプラノは、まさにルルであった。</p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Lulu_%28c%29%20Salzburger%20Festspiele_Monika%20Rittershaus2.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="364" alt="Lulu_(c) Salzburger Festspiele_Monika Rittershaus2.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Lulu_(c)%20Salzburger%20Festspiele_Monika%20Rittershaus2-thumb-250x364-6089.jpg" width="250" /></a>このルルの演出・舞台装置はミラ・ネミロヴァという新進演出家が手がけているが、ドレスリハーサルの時点でかなり不評だったようだ。舞台装置は全体的にシンプルでやや稚拙、舞台転換も黒子が見えてどことなくぎこちない。しかし作品全体を通してみると、一つのメッセージがメタファーとした込められていたように思う。<br /></p>
<p>第一幕ステージ右におかれた、丸いオブジェを積み上げたような3メートル前後の物体、そして第二・三幕では黒い三角錐の物体が中央に配置され、第三幕ではそれが灰色の三角錐のテントに変わる。<br />これは男性と女性のシンボルを表しているのではないかと解釈した。第一幕でルルの結婚相手は彼女の素性を知って自殺し、さらにルルはシェーン博士を完全に征服するが、横に置かれた巨大なオブジェがゆっくり倒されたのは、女性性による男性の凌駕を意味したのではないだろうか。第二幕でルルはシェーン博士を射殺するが、黒く尖った三角錐のオブジェは度を越す攻撃性を有した女性性を象徴しているようだ。そして、黒い衣装で現れたルルは、「自由！」と叫ぶ。が娼婦に身を落とす第三幕では、三角錐のオブジェはそのまま灰色のテントへと変わり、ルルは一連の行為の審判を受ける。本来はロンドン下町の設定ではあるが、背景をテントと雪山にしたことで、ルルの運命を視覚的に暗示していた（賛否は別として）。そこに切り裂きジャックが客としてやってきて、ルルを一突きし絶命する。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Lulu_%28c%29%20Salzburger%20Festspiele_Monika%20Rittershaus4.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="376" alt="Lulu_(c) Salzburger Festspiele_Monika Rittershaus4.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Lulu_(c)%20Salzburger%20Festspiele_Monika%20Rittershaus4-thumb-250x376-6037.jpg" width="250" /></a></span>回文構造になっているベルクの音楽と同様に、演出にも鏡が使われた。第一幕から二幕への転換時、背景の絵は裏返されて、中央に血染めの円が描かれている鏡となり、高く吊り上げられていった。そこに投影されたのは、シェーン博士を屈服させているルルの後姿であり、ルル自身もいずれ何らかの超越的な力により屈服させられることを暗示していた。第三幕ではシェーン博士と同じ俳優が演じる切り裂きジャックによってルルは絶命するが、この反社会的存在の男にもまた罪の意識がなく、法の裁きを受けず生き延びようとしたルルと対になる存在。またルルを追ってきた同性愛者の伯爵令嬢は、「ルル、私の天使！」と叫び音楽は終わるが、これは第一幕でルルが天使の羽根を身につけたことで対のイメージが強調されている。</p>
<p>ルルは神話ではない。が、神話のような存在ということで今回プログラムに組まれた。ギリシャ神話では嫉妬や不信などから悲劇は連鎖的に起こり、最後は神から審判が下される。ルルも同様に。。</p>
<p>音楽はマルク・アルブレヒト指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。全体を支配する決して重々しくない響き、ヴィブラホンや金管楽器の効果、それがかえって現実感を打ち消し、ルルの夢想と虚構の世界を表現しているように感じた。そしてルルを演じきったプティボンの終始衰えぬソプラノの威力は、ストーリーに説得力を与えていた。こちらも万雷の拍手に包まれた。（photos:Salzburger Festspiele / Monika Rittershaus）</p>
<h4>神話の引用と、新しい世界観の構築へ</h4>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_town3.gif"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_hall.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="346" alt="2010Salzburg_hall.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/2010Salzburg_hall-thumb-250x346-6098.gif" width="250" /></a></span>では改めて、なぜ今「神話」なのか。今年はザルツブルグ音楽祭90周年にあたり、いつにもまして音楽祭の存在意義を自ら問い直している。1920年の創始当初、第一次世界大戦後の混迷を極めたヨーロッパにおいて、精神的な柱を作ることが目的のひとつでもあった。そして現在においても、その存在意義は変わっていない。「神話」というテーマにヒントがあるならば、それは、普遍的な価値観の見直しだろうか。たとえば、社会や自然には抗えない力があること、そして愛の価値は普遍だということ。</p>
<p>人は皆、自然のサイクルの中で生きている。が昨今、自身の欲望に忠実になりすぎるあまり、自然の摂理を軽視したり、超越しようとする動きがないだろうか。2010年の音楽祭テーマが「神話」であると知った時、これは「もう一度、自然をよく見よ」という警鐘だと思った。そして同時に、ここからまた新しい世界観を創り上げようと。<br /></p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/ViennaPhilharmonic_WolfgangLienbacher.jpg"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_statue.gif"></a></span>2011年は芸術監督が交代する（現芸術監督ユルゲン・フリム氏は次期ベルリン国立歌劇場総監督へ）。来年はどのようなテーマで音楽や歌劇が繰り広げられるだろうか。音楽に込められたテーマ、音楽と音楽の組み合わせから生まれるメッセージ、それも各アーティストの考えが反映されていて興味深い。<br />そして、何より音楽を純粋に楽しむ空気がここにある。「オルフェオとエウリディーチェ」を観にきたザルツブルグ在住のある親子は、「20年前にもこのオペラを観たの。懐かしいわね、舞台演出はだいぶシンプルになったけど本当に今日は楽しんだわ！」とお母様。またウィーン行きの電車内で隣り合わせた20歳の大学生も、「私の妹（14歳）は演劇が好きで、11歳の頃から毎年この音楽祭に行ってるの。私の家族と親しい友人が毎年誘ってくれるのよ。今年は「イェーダーマン」とコンサートを聴いたそうよ」。確かに地元に根付いているのを感じる。また日本や中国などアジア各国からの聴衆も、多く会場で見られた。来年もまた楽しみ！である。</p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_statue.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="186" alt="2010Salzburg_statue.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/2010Salzburg_statue-thumb-250x186-6093.gif" width="250" /></a>＊なお今年の<a href="http://www.salzburgerfestspiele.at/">ザルツブルグ音楽祭</a>は8月30日まで開催中。最終日はオープニングと同じ、「イェーダーマン」で締めくくられる。また、米シカゴのラジオ番組<a href="http://www.wfmt.com/">98.7WFMT</a>では、同音楽祭を特集。2011年1月、4回にわたり放送予定（各2時間）。<a href="http://www.wfmt.com/">WFMTホームページ</a>で音声が試聴可能。ぜひお聴き下さい！</p>
<p>リポート：菅野恵理子／Eriko Sugano<br /></p>]]>
        
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    <title>ザルツブルグ音楽祭（4）ローカルでグローバル！地元＆日本人音楽家も</title>
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    <published>2010-08-18T03:40:00Z</published>
    <updated>2010-08-18T04:59:50Z</updated>

    <summary>ザルツブルグはモーツァルトの生まれ故郷でもあり、17歳から25歳まで青年期に住ん...</summary>
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        <![CDATA[<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="300" alt="2010Salzburg_Geburtshaus.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_Geburtshaus.gif" width="226" />ザルツブルグはモーツァルトの生まれ故郷でもあり、17歳から25歳まで青年期に住んだ思い出深い街でもある。その生家（Geburtshaus）と住居（Wohnhaus）は、現在も多くの音楽愛好家や観光客に親しまれている。生家には生前使っていた鍵盤楽器やヴァイオリン、家族の肖像画、遺髪（と言われる）、オペラ舞台演出の模型などが展示されている。また、「このピアノで『魔笛』を作曲していました」と妻コンスタンツェがいうクラヴィコードも。この小さな楽器から小宇宙のようなオペラの数々が創造されたことに、また新たな感動を覚える。（写真：ザルツブルグの目抜き通りにあるモーツァルトの生家）</p>
<p>さて、このザルツブルグ音楽祭に出演するアーティストの国籍は様々である。出演者だけでなく、たとえば芸術監督ユルゲン・フリム氏（Jürgen Flimm）はドイツ出身、プログラム表紙の写真撮影は韓国出身ビエンウー・バエ氏（Bien-U Bae）、またウォルフガング・リムの特別委嘱作品「ディオニソス」の舞台演出は、日本で生まれドイツでアートを学んだジョナサン・ミース氏（Jonathan Meese）が担当している。<br />一方で、名門ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を始め、自国のアーティスト起用も多い。ハーゲン弦楽四重奏団の一員でモーツァルテウム教授でもあるクレメンス・ハーゲン（vc）は、アンスネスらとの共演で素晴らしい演奏を聴かせてくれた。その他、地元のオーケストラも伝統的に同音楽祭に参加している。この音楽祭はローカルであり、インターナショナルでもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>地元の２オーケストラも活躍！</h4>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Camerata_WalfgangLienbacher.jpgのサムネール画像" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Camerata_WalfgangLienbacher-thumb-300x200-6027.jpg" width="300" />地元カメラータ・ザルツブルグの演奏を、祝祭大劇場に隣接しているモーツァルトのための劇場（Haus fur Mozart・1580席）で聴いた（7/31）。シューマンの交響曲4番・3番、途中にショパン協奏曲1番を加えてのプログラム。指揮はフィリップ・ヘレヴェッヘで、ピアノはポゴレリッチの予定だったが数日前にキャンセルが発表され、代役としてショパン2番は小菅優（7/28）が、そしてショパン1番はポーリーナ・レスチェンコ（7/31）、いずれも20代の女性ピアニストが務めた。<br />この室内楽団はヴァイオリン始め、金管も優れ、木管と金管のバランスも心地よく感じた。特に背景となるハーモニーの重ね方が理性的でバランス良く、それがシューマンの交響曲に独特の色彩感をもたらし、１枚の絵画を多方面から見ているような感覚に陥った。ただショパン協奏曲1番で、ポゴレリッチの代役として登場したレスチェンコは、テンポをよく揺らし、フレーズの行方が定まらない印象。幻想性を意図的に演出している感が否めず、新しい演奏解釈というには疑問が残る。この日はカメラータ・ザルツブルグの、シューマン4番の演奏が印象に残った。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Batiashvili-Mozart-Matinee_WolfgangLienbacher.jpgのサムネール画像" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Batiashvili-Mozart-Matinee_WolfgangLienbacher-thumb-300x200-6018.jpg" width="300" /></span>またモーツァルテウム大ホールでは、モーツァルテウム管弦楽団によるモーツァルト・マチネを聴いた。セレナーデ第6番「セレナータ・ノットゥルナ」KV239（1776）、マーチK.249とセレナード第7番「ハフナー・セレナーデ」K. 250（1776）。いずれもモーツァルト20歳の作品。特に後者は結婚式のために作曲されたという背景もあるが、全体を貫く明るい曲調が印象的である。カメラータ・ザルツブルグと同じく地元の室内楽団ではあるが、洗練度がやや異なる印象。それは第2・3・4楽章においてソロ・ヴァイオリンが超絶技巧を披露するハフナー・セレナーデでより浮き彫りになった。少し冒険的なプログラムではなかっただろうか。一方、前半の2曲目にはヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219 （1775）が配され、ソリストにグルジア出身ヴァイオリニストのリサ・バティアシヴィリが登場した。現在31歳のバティアシヴィリは、ここぞという時に発揮される説得力ある太い音と確実なテクニック、迷いなき表現力、何より音楽を直感で掴み取る力に優れている。作曲家などからの信頼も厚く、さらに将来を期待させる。（photo:Wolfgang Lienbacher）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>名門オーケストラで20年間在籍する日本人ヴァイオリニスト</h4>
<p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="300" alt="2010Salzburg_tezuka.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_tezuka.gif" width="232" />今回素晴らしい演奏を聴かせてくれたカメラータ・ザルツブルグ室内管弦楽団には、20年ほど在籍している日本人団員がいる。ヴァイオリンのセカンドトップを務める手塚有希子さんだ。ザルツブルグ音楽祭で毎年のようにコンサートやオペラを演奏する中、今年は前述のコンサートのほか、歌劇「ノルマ」でエディタ・グルベローヴァ（Edita Gruberova）、ジョイス・ディドナート（Joyce DiDonato）など世界最高峰の実力派歌手と共演した。もう一つ所属しているバーゼル室内管弦楽団では、チェチリア・バルトリ（Cecilia Bartoli）との共演ツアーなども多く、こうした名歌手との共演にも大変インスピレーションを受けるという。現在古楽も勉強中という手塚さんにお話を伺った。</p></p>
<p>&nbsp;</p>
<h6>―先日はカメラータ・ザルツブルグの素晴らしい演奏を聴かせて頂きました。20年ほど在籍されているとのことですが、モーツァルトのほか主要レパートリーを教えて下さい。また2つの楽団に所属され、どのような日々を送っていらっしゃいますか。</h6>
<p>手塚さん：カメラータ・ザルツブルグは、本来ディベルティメントなどを得意とする弦楽アンサンブルが主体で、シャンドール・ヴェーグ（Sándor Végh）が指揮をしていた頃から所属しています。当初は教授と生徒が混在する小編成の楽団だったのですが、次第に拡大し、様々な国籍の団員が集まり（現在はオーストリア人が多い）、今は各地で弾かせて頂いています。レパートリーはやはりモーツァルト、そしてハイドン、シューベルト、メンデルスゾーンが多いですね。シューマンやベートーヴェンはたまに弾きます。<br /></p>
<p>　一方のバーゼル室内管弦楽団では、バロックからコンテンポラリーまで全て演奏しています。チェチリア・バルトリとの共演ではバロックを、またジョヴァンニ・アントニーニ指揮（Giovanni Antonini）でベートーヴェン交響曲全曲録音（現在7番まで録音）などにも取り組んでいます。<br /></p>
<p>　私自身はザルツブルグとバーゼル、二つのオーケストラに所属する傍ら、古楽の勉強もしています。実は十数年前から勉強したいと思っていたのですが、ある時フライブルグ・バロックオーケストラのコンサートマスター2人に出会い、『やるなら今だ！』と思い立ち、2年間フランクフルトの大学院に通いました。今年2月に試験が終わり、あとは論文提出が控えています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p></p>
<h6>―古楽への興味のきっかけは？ヨーロッパで音楽を演奏していると歴史の源流を辿りたくなる、という思いでしょうか。</h6>
<p>手塚さん：その人のタイプ次第だと思いますが、私の場合はもともとロマン派より初期のバロックの方が好きで心に響きますし、もっと自分を表現できる気がしています。テクニック的に大変でないと言われることもありますが、むしろシンプルなほど大変。古楽は楽譜の読み方が違うので、歴史の本やルールを読んだり、ヴァイオリンの前身であるフィデルも弾きました。もちろん昔のことを全て正確に知ることは難しいですが、アイディアを得ることができました。古楽は古楽として分けるものでなく、古楽も含めてすべては「音楽」であり、全て繋がっているんです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h6>―古楽を学んだ上でモーツァルトなどに取り組んだ時、視点に変化はありましたか？</h6>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">&nbsp;</span>手塚さん：そうですね、細かいアーティキュレーションやハーモニーの進行に目がいくようになりましたね。古楽はハーモニー進行が中心なので、モーツァルトの音楽はそれから脱しているとはいえ、よく聴くようになりました。ヴァイオリンは旋律楽器なので旋律がメインですけれど、本来は下から支えられているわけですから。昔は例えばカルテットを聴くとヴァイオリンの旋律ばかり聴いていたのですが、今は全ての楽器を一緒に聴くようになり、総譜もよく見るようになりましたね。モーツァルトに関してはザルツブルグで鍛えられたので、全体のキャラクターなどに関する考え方はあまり変わっていないと思います」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h6><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="224" alt="2010Salzburg_mirabell.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_mirabell.gif" width="300" />―楽団の中でも音楽的・精神的な柱になっていると思いますが、歴史ある楽団の雰囲気はどのような感じですか？</h6>
<p>手塚さん：今は20-30代の団員も多く、若返ったと思います。団員の個性は強いですね。フリーランスの楽団なので、一人一人が毎回高い集中力を持ち、音楽の中身もインテンシブ。どこに座っていても全員が120％の力を出しています。それが聴衆の皆さんに伝わって、たくさん足を運んで下さるのだと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h6>―2011年ザルツブルグ音楽祭ではケント・ナガノ指揮での演奏会、また2012年10月には、ハンス・ヨルグ・シェレンベルガー指揮＆マリア・ジョアン・ピレシュとの来日公演が決定（1990年以来）。楽しみにしています！</h6>
<p>&nbsp;</p>
<p>写真：ミラベル庭園</p>]]>
        
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    <title>ザルツブルグ音楽祭（3）響き合う才！アルゲリッチ、アンスネスの室内楽</title>
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    <published>2010-08-16T07:30:00Z</published>
    <updated>2010-08-16T09:03:16Z</updated>

    <summary> 天才モーツァルトを、老サリエリの視点から描いた映画『アマデウス』（1984年／...</summary>
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        <name>sugano</name>
        
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        <![CDATA[<p>
<p><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="300" alt="2010Salzburg_town.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_town.gif" width="235" />天才モーツァルトを、老サリエリの視点から描いた映画『アマデウス』（1984年／ミロシュ・フォアマン監督）がある。若きモーツァルトの才能に嫉妬し、毒殺したのではないかと噂されたサリエリであったが、この映画では、瀕死のモーツァルトに寄り添い、口述筆記によってレクイエムを完成させるというストーリーになっている。この時のサリエリの表情は、天賦の才への驚嘆と敬服だった。</p>
<p>あくまでフィクションではあるが、天才を見抜く才のあったサリエリは、この映画ではレクイエム執筆上の"共演者"として描かれている。共演者とは、お互いの芸術観を理解して始めて成り立つ関係だ。共演者を引き立てるか、共演者によって引き立てられるのか、あるいはお互いに引き立てあうのか。共演者を選ぶことは、音楽を創造する上で重要な鍵となる。（photo:Salzburger Festspiele Pressebüro）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>アルゲリッチと仲間たちが繰り広げる、自由な音楽との戯れ</h4>
<p>さてモーツァルトの住んだ家のそばに、作曲家の名を冠したモーツァルテウム大学（芸術大学）がある。1841年モーツァルト没後50年を記念して建設され、翌1842年にモーツァルト音楽祭が開かれている。807席ある大ホールは、適度な広さと音響を兼ね備え、室内楽やリサイタルに適した空間となっている。ここで、マルタ・アルゲリッチ、そしてレイフ・オヴェ・アンスネスによる室内楽コンサートがそれぞれ行われた。一部のプログラムが重なっていたが、アプローチの違いが興味深い。</p>
<p>まずアルゲリッチとその仲間たちによるコンサートから。三部構成の充実した内容で、第1・2部ではサン・サーンス英雄綺想曲op.106、ヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタ、ラフマニノフの組曲第1番 「幻想的絵画」Op.5、休憩をはさんで、ショパン晩年のチェロ・ソナタ、ブラームス青年期のピアノ四重奏曲op.25と、様々な編成の室内楽曲の醍醐味を見せてくれた。女王アルゲリッチはラフマニノフのデュオを長年パートナーを組むリリア・ジルベルシュタインと共演。さすがに息の合った演奏で、ジルベルシュタインの野太い節回しに対し、アルゲリッチの鋭いタッチから繰り出される高次元で響く音が全体を支配していた。それはミッシャ・マイスキーとのショパン・チェロソナタにも表れ、アルゲリッチのリードにマイスキーが呼応する形で曲が進むという印象。第二部はアルゲリッチ不在ながら、ロシア出身ドラ・シュヴァルツベルグ、ノラ・ロマノフ親子のヴァイオリン・ヴィオラがリードし、激情的な面が強調される気迫あふれるブラームスの四重奏で締めくくった。<br /><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Argerich_Kammerkonzert_%28c%29Wolfgang%20Lienbacher.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="375" alt="Argerich_Kammerkonzert_(c)Wolfgang Lienbacher.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Argerich_Kammerkonzert_(c)Wolfgang%20Lienbacher-thumb-250x375-6030.jpg" width="250" /></a></p>
<p>第二部の最終曲はジプシー風ロンドだったが、第三部はその流れを受け継いでジプシー風音楽が全開する。ハンガリー出身ヴァイオリニスト、ゲザ・ホッシュ・レゴッキー（25歳・写真右）と5人のデビル達（Geza Hosszu-Legocky &amp; The 5 DeVils）が登場。レゴッキーは9歳にして多数のテレビ出演を果たし、10年ほど前からヴェルビエ音楽祭を始めとする主要音楽祭に出演し、アルゲリッチとも多く共演している。クラシックに軸足を置きながら、他ジャンルをクロスオーバーする演奏で、その弓裁きの鮮やかさは実に見事。5人のデビルたちも脇役と主役を交代しながら、音楽を自由自在に広げていく。サイレント映画に出てくるようなレゴッキーの風貌は25歳という年齢を忘れさせるが、グループを率いる腕前は相当なもの。余興で聴かせてくれた森の鳥のさえずり（第2ヴァイオリンの鳥、ヴィオラの牛も加わる）もユーモア精神たっぷり。ずっと微笑を称えて脇役に徹していたヴィオラが、牛の「モー」の一音を弾いた瞬間は、会場が爆笑。3時間近くにわたるコンサートは、大喝采で締めくくられた。</p>
<p>現在69歳のアルゲリッチは若手との共演も多いが、その世代を超越した芸術性はこうした仲間たちとの共演によって一層引き立たされる。換言すれば、アルゲリッチという一人の存在がこうして異色の才能をいとも簡単に結びつけるのだと、この多彩なプログラムと演奏を聴いて改めて感じた。モーツァルトこそ1曲も出てこなかったが、モーツァルトのような自由な精神が感じられた一夜だった。（photo:Wolfgang Lienbacher）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>全員が一流ソリスト！会場を沸かせたアンスネスの室内楽</h4>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Andsnes_Frost_Hagen%28c%29WolfgangLienbacher.jpg"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Andsnes_Frost_Hagen%28c%29WolfgangLienbacher.jpg"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Tetzlaff_Andsnes_%28c%29WolfgangLienbacher.jpg"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Andsnes_Frost_Hagen(c)WolfgangLienbacher.jpgのサムネール画像" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Andsnes_Frost_Hagen(c)WolfgangLienbacher-thumb-300x200-6057.jpg" width="300" /></span>今年のザルツブルグ音楽祭では、生誕200周年を記念してショパンやシューマンのプログラムが多いが、ブラームス室内楽シリーズも行われている。音楽監督のヒンターハウザー氏によれば、「音楽の広いランドスケープを見せたい」。</p>
<p>音楽祭も中盤に差し掛かった8月13日、レイフ・オヴェ・アンスネス（Leif Ove Andsnes /pf）、クリスチャン・テツラフ（Christian Tetzlaff /vn）、クレメンス・ハーゲン（Clemens Hagen /vc）、マーティン・フロスト（Martin Fröst / cl）というスーパーソリスト級の4名とタベア・ツィメルマンalt.を加えた、5名の室内楽演奏会が行われた。1曲目はアルゲリッチのプログラムにも組まれた、ヤナーチェク60歳の作品ヴァイオリン・ソナタ。冒頭からヴァイオリンのストレートに心に訴えかける音に圧倒される。そしてピアノの高い集中力と絶妙なテンポ設定と音質、完全に二人が同じレベルの芸術性を持つアーティストならではの、質の高いインスピレーションを交換しながら演奏が進んでいく。特に第4楽章Adagioは、胸をえぐられるような深く暗い哀愁を帯びた表現。このデュオが当夜の白眉であった。続くブラームスのクラリネット三重奏は、クラリネットのふくよかで伸びのある音と、明瞭で安定した質の高いチェロが加わり、トリオの完全なる一致を見た。</p>
<p>休憩をはさんでベルクのクラリネットとピアノのための4つの作品op.5は、クラリネットを生かしながら無駄なく慎重に音を重ねるピアノに、歌のように表情豊かな旋律を奏でるクラリネット。デュオのバランスが絶妙な洗練度の高い演奏であった。二人の耳の良さが際立つ（フロストは今年9月NHK交響楽団と共演予定）。 
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Andsnes_quartet%28c%29WolfgangLienbacher.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Andsnes_quartet(c)WolfgangLienbacher.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Andsnes_quartet(c)WolfgangLienbacher-thumb-300x200-6060.jpg" width="300" /></a></span>そして最後のブラームスの四重奏曲op.25もやはりアルゲリッチのプログラムと重なる。第1楽章はお互いバランスを考えるあまりやや控えめな表現になったり、ヴァイオリンとヴィオラのピッチの僅かな違いが気にはなった。が、全体の質の高さは変わらない。特に全員のエネルギーが高次元で発揮された第4楽章は渾身の演奏。あまり感情に埋没せずさっと奏される部分や、テンポの揺らし方で気になる箇所もあったが、すべては第4楽章のフィナーレに向けて慎重に設計された演出効果であった。（photos:Wolfgang Lienbacher）</p>
<p>アルゲリッチと仲間たちも多彩なプログラムで目と耳を楽しませてくれたが、このアンスネスを始めとする5人は全員が同じクオリティの芸術性を共有しており、そこから生まれる高い緊張感と集中力に満ちた演奏は、忘れえぬ名演として身体と脳裏に刻まれた。</p>
<p>普段ソリストとして世界各地で活躍しているアーティストたちが、この地に集い、再会の喜びとともに、ステージで音楽創造の時間を楽しむ。そんなインスピレーションに満ちた空気を共有できるのが、音楽祭の醍醐味だろう。そんな時、モーツァルトの生まれ故郷、ザルツブルグの底力を感じる。</p>]]>
        
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    <title>ザルツブルグ音楽祭（2）キーシン、ソコロフ、シフ・・祝祭大劇場３人のリサイタルから</title>
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    <published>2010-08-14T03:20:00Z</published>
    <updated>2010-08-16T05:42:22Z</updated>

    <summary> ザルツブルグ音楽祭のプログラムは、「オペラ」「演劇」「コンサート」の3つに大別...</summary>
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        <![CDATA[<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Batiashvili-Mozart-Matinee_WolfgangLienbacher.jpg"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Kissin_Solistenkonzert_WolfgangLienbacher.jpg"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="224" alt="2010Salzburg_3.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/2010Salzburg_3.gif" width="300" /></span>ザルツブルグ音楽祭のプログラムは、「オペラ」「演劇」「コンサート」の3つに大別される。今年のコンサート数は約70公演で、リサイタルはキーシン、ツィメルマン、ポリーニ、ソコロフなどが、シューマンとショパンを始めとするプログラムで臨んだ。またアルゲリッチ、グリモー、アンスネスなどが室内楽、またオーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団始め、ロイヤル・コウセルトヘボウ管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー、スウェーデン室内楽管弦楽団、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団など、世界の一流オーケストラが集う。</p>
<p>さて、同音楽祭会場の中でも最大規模の祝祭大劇場（Grosse Festspielhaus・2179席）ではエフゲニー・キーシン、グリゴリー・ソコロフ、アンドラーシュ・シフのソロ・リサイタルが、それぞれ8月第1・2週目に行われた。若くした花開いた才能がさらなる高みに上ろうとする途上にあるキーシンと、完全に独自の世界観を持つ約30歳上のソコロフとシフ。三者三様の演奏は、ほぼ満席の会場を大いに沸かせた。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Kissin_Solistenkonzert_WolfgangLienbacher.jpgのサムネール画像" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Kissin_Solistenkonzert_WolfgangLienbacher-thumb-300x200-6020.jpg" width="300" /></span>まずキーシン（8/2）はシューマン幻想小曲集op.12とノヴェレッテop.21-8、ショパンのバラード全曲を組み合わせたプログラムでザルツブルグに臨んだ。前半のシューマンでは彼なりの解釈があまり見えてこない演奏だったが、後半のショパン・バラードはミスタッチこそ散見されたものの、演奏は秀逸。細かい性格描写よりも、大きなフレーズ感で巨大な音楽をつかんでいく方が合っている。テンポの揺れが少なく、フレーズの連なりを大きな呼吸で描ききるため、全体像がつかみ易い。最高の頂点はバラード3番に。またアンコールで弾いたスケルツォ2番は歯切れよく、中間部への導入箇所はえもいわれぬ極上の美しさだった。奇をてらわない自然でスケールの大きい感性は、これからどのように熟成されていくのか。（photo:Walfgang Lienbacher）</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Sokolov_Solistenkonzert_WolfgangLienbacher.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Sokolov_Solistenkonzert_WolfgangLienbacher.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Sokolov_Solistenkonzert_WolfgangLienbacher-thumb-300x200-6022.jpg" width="300" /></a></span>対して、ソコロフ（8/5）は分厚い手から生み出される素晴らしく弾力性がある音、瑞々しい響きと、フェルトを1枚はさんだような優しい音色・・指の下で音楽が息づいているのが伝わる。全てが「ジャスト」であり、いつの間にかこちらの鼓動まで同調してしまう音楽の力がある。今年還暦60歳を迎えるが、身体・精神的にも衰えるどころか音楽から新たなエネルギーを得ながら、進化し続けているようだ。プログラムはバッハのパルティータ2番、ブラームス幻想曲集op.116、後半はシューマンのソナタop.14。バッハは各声部にそれぞれドラマがあり、繊細かつ明瞭に、そして気品を持って歌わせる。ソコロフの内省的で優れたバランス感覚が際立つ。ブラームスはやや客観的なアプローチで、もう少し叙情性があってもよいだろうか。音楽に忠実でよく練られた表現が貫かれ、シューマンのソナタなど大曲ほどそれが発揮されていた。対して、アンコールのショパン前奏曲などはやや作りこんだ表現に思えた。（photo:Walfgang Lienbacher）</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Schiff_Solistenkonzert_Silvia%20Lelli.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="375" alt="Schiff_Solistenkonzert_Silvia Lelli.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Schiff_Solistenkonzert_Silvia%20Lelli-thumb-250x375-6025.jpg" width="250" /></a></span>一方アンドラーシュ・シフ（8/11）はまるで別世界を描く。ピアノに向かって真摯に親密に独白しているようなソコロフと対照的に、シフは聴衆とのコミュニケーションに熱心である。まず聴衆に挨拶し、ドイツ語で説明を始める。その後簡単に本人が英訳したところによると、当夜弾かれるベートーヴェンop.27は「月光ソナタ」と名称がついているが、ベートーヴェン本人がつけたのではない、それは忘れて聴いてほしいということ。また第1楽章では一度もペダルの踏み換え指示がないのでその通りに弾くが、これは決して私のアイディアではありませんよ（笑）という2点。ユーモアを交えた説明の後、赤い布地カバーのイスに腰をかける。</p>
<p>ソナタop.27は説明通り、ペダルを一度も踏み変えずに最後まで弾きとおした。現代ピアノで弾くと音が濁りまくるが、その中でぽーんと響く高音は不気味で、かつ美しい。第2楽章はガラッと雰囲気を変えて軽快に。第2主題の左手の旋律線を強調し、その余韻を残したまま第3楽章の冒頭の音へ。ディナーミクこそ比較的小さいが、安定した左手と音質を自在に変幻させる右手で、一つ一つのフレーズに多彩な表情をつけていく。それはシューマンのソナタop.11も同様で、同型のリズムパターンや音の跳躍を強調したり、旋律を最高の美音で歌い上げるなど、一つ一つの楽想の妙味を最大限に引き出す。続くシューマンのダヴィッド同盟舞曲集に至っては、軽妙洒脱の極み。時に真珠の艶のような音色を配しながら、一瞬一瞬に幅広い表現を試みる。そのため例えばワルトシュタイン・ソナタなどは全体像が見えづらい傾向もあるが、重厚感や深刻さといった直接的表現を避け、軽やかな美しさの中に憂いや哀しさが感じられる表現は彼ならでは。その精神は、モーツァルトと近いのかもしれない。・・・さらにステージから三方向に向かって深々とお辞儀をするシフを見て、思わずチャプリンとも重なった。（photo:Silvia Lelli）</p>
<p>なお今回3人3様のシューマンを聴いたが、キーシンはぜひソナタを聴きたかった。3人の中で最も安定感があったのはソコロフで、特に印象に残ったのはシフのダヴィッド同盟舞曲集。会場はいずれもほぼ満席でスタンディング・オベーションが出たが、ショパン・スケルツォやマズルカを含むアンコール５曲を弾いたキーシンが最も聴衆を熱狂させたようだ。</p>]]>
        
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    <title>ザルツブルグ音楽祭（1）音楽祭から発信するグローバルなメッセージとは</title>
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    <published>2010-08-12T13:00:02Z</published>
    <updated>2010-08-12T15:08:56Z</updated>

    <summary> 90年の伝統を誇るザルツブルグ音楽祭。リヒャルト・シュトラウスらの呼びかけによ...</summary>
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        <![CDATA[<p><font style="FONT-SIZE: 1.25em">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="229" alt="2010Salzburg_1.gif" src="http://www.piano.or.jp/english/images/2010Salzburg_1.gif" width="300" /></span><font style="FONT-SIZE: 0.8em">90年の伝統を誇るザルツブルグ音楽祭。リヒャルト・シュトラウスらの呼びかけにより、1920年に創設されて以来、毎年この地に一流アーティストが集い、数十万人もの聴衆が音楽の夕べを楽しむ。ロングドレスやタキシードに身を包む聴衆も多く、まさにクラシック音楽殿堂の地という印象である。今回はザルツブルグから数回に分けてリポートします。</font></font></p>
<h4>世界大戦直後のヨーロッパで、人心を結びつけた音楽祭</h4>
<p><font style="FONT-SIZE: 1em">現在のザルツブルグ音楽祭は、90年前に第1回目が開催された（前身となる音楽祭は1887年開始）。この音楽祭が他と一線を画すのは、純粋に最高の音楽を楽しむ場を提供するほか、政治的なメッセージを含んだものだったこともあろう。</font></p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Everyman_%28c%29Hermann%20und%20Cl%C3%A4rchen%20Baus.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="300" alt="Everyman_(c)Hermann und Clärchen Baus.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/Everyman_(c)Hermann%20und%20Clärchen%20Baus-thumb-200x300-6012.jpg" width="200" /></a><font style="FONT-SIZE: 1em">時は1920年。人類史上初の世界大戦（第一次世界大戦）が1914年に勃発し、1917年に終息したものの、時代は混迷を極め、ヨーロッパの精神は分断された。そこで、作曲家リヒャルト・シュトラウスはじめ、詩人ヒューゴ・フォン・ホフマンスタール、俳優マックス・ラインハルトらは、ヨーロッパに平和と和解をもたらすために、音楽祭という形で人々の心を一つにしようと試みる。それがザルツブルグ音楽祭の始まりである。その時に上演されたホフマンスタールの道徳劇「イェーダーマン（Everyman）」は以後、同音楽祭開幕時に上演されている。（photo:Hermann und Clärchen Baus）</font></p>
<p><font style="FONT-SIZE: 1.25em">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/english/images/Everyman_%28c%29Hermann%20und%20Cl%C3%A4rchen%20Baus.jpg"><font style="FONT-SIZE: 0.8em"></font></a></span><font style="FONT-SIZE: 0.8em">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Everyman_%28c%29Hermann%20und%20Cl%C3%A4rchen%20Baus.jpg"></a></span>その後、第二次世界大戦下ではオーストリアはドイツに併合され、同作品が上演禁止になったり、音楽祭出演歌手への干渉など憂き目に遭うが、戦後はカラヤンの登場やウィーン交響楽団を始め他楽団の出演機会も増え、黄金期を迎える。その後もプログラムの拡大など多くの変遷を経て、今日に至っている。</font></font></p>
<p><font style="FONT-SIZE: 1em">ヨーロッパの中央に位置し、常に複雑な政治事情に影響を受けながらも、時代の変化を敏感に感じ取ってきたザルツブルグ。だからこそ、この音楽祭では「今」という時代性をよく反映しているのかもしれない。</font></p>
<p><font style="FONT-SIZE: 1em"></font>&nbsp;</p><font style="FONT-SIZE: 1em">
<h4>世界の「今」を象徴する音楽祭プログラム</h4>
<p></font><font style="FONT-SIZE: 1em">では実際どのようなコンサートが行われているのだろうか。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/english/images/World_Orchestra_of_Peace_WL.jpg"></a></span>昨年はダニエル・バレンボイム率いるウェスト＝イースタン・ディヴァン管弦楽団（West-Eastern Divan Orchestra）により、歌劇フィデリオが上演された。このオーケストラはご存知の通り、バレンボイムと故エドワード・サイードによって結成され、イスラエルとアラブ諸国出身の音楽家が団員となっている。このオーケストラの存在そのものが、平和と共存へのメッセージになっている。</font></p>
<p><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><a href="http://www.piano.or.jp/english/images/World_Orchestra_of_Peace_WL.jpg"><font style="FONT-SIZE: 0.8em"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="World_Orchestra_of_Peace_WL.jpg" src="http://www.piano.or.jp/english/assets_c/2010/08/World_Orchestra_of_Peace_WL-thumb-300x200-6004.jpg" width="300" /></font></a><font style="FONT-SIZE: 0.8em">また今年はヴァレリー・ゲルギエフ指揮・平和のための世界オーケストラ（World Orchestra for Peace）がマーラーを演奏（8/6）。このオーケストラは1995年、国連創立50周年を記念して指揮者ショルティにより創設された。「平和親善大使としての音楽の強さ」とは、ショルティが残した言葉である。その精神を受け継ぐ同オーケストラによる演奏会は、今年のハイライトの一つである（photo: Walfgang Lienbacher）。</font></font></p>
<p>そして今年のフェスティバル共通テーマは「神話」。これは一体何を意味するのか。謎かけのようなテーマであるが、これにもメッセージが込められている。</p>
<p><font style="FONT-SIZE: 1em">もちろん、音楽は純粋に楽しむもの、である。しかし分断されたものを繋げるもの、あるいはまとまりを強くするもの、音楽にはこうした役割があるのだということも、改めて実感する。それはステージ上だけでなく、聴衆も同じである。同じ場所にいて、同じ音楽を聴いて、ふと隣の人に話しかけたり、話しかけられたり、そうしながらザルツブルグの出会いは広がっていく。創設時のメンバー、詩人ホフマンスタールは、「全ての出来事はスパイラルで進行していく」と述べたそうだが、そうしたスパイラルの原点としての、音楽の強さがここにある。そしてそれは国境を越え、ヨーロッパという括りも越え、グローバルに波及していく。</font></p>
<p><font style="FONT-SIZE: 0.8em"></font>&nbsp;</p>
<h4>グローバルに広がる聴衆とスポンサー</h4>
<p><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><font style="FONT-SIZE: 0.8em"><a href="http://www.piano.or.jp/english/images/YoungConductorAward-Lissabonn_WL.jpg"><font style="FONT-SIZE: 0.8em"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="YoungConductorAward-Lissabonn_WL.jpg" src="http://www.piano.or.jp/english/assets_c/2010/08/YoungConductorAward-Lissabonn_WL-thumb-300x200-6006.jpg" width="300" /></font></a>5大スポンサーがグローバル企業であることも、それを象徴している。スイスのネスレ（1991-／食品）、クレディ・スイス（2006 -／保険）、ドイツのアウディ（1995- ／自動車）、シーメンス（1999- ／電気エレクトロニクス）、そして地元オーストリアのユニカ（2002- ／保険）。またプロジェクト毎のスポンサーとなる企業もあり、スイスのモンブラン（2002- ／時計・万年筆）は若い舞台監督プロジェクト、クレディ・スイスは若い声楽家プロジェクト（2008-）、そして今年ネスレは音楽祭と共同で若い指揮者のための奨学金コンクールを創設し、支援している（photo:Walfgang Lienbacher）。この指揮者コンクール優勝者は賞金1万5千ユーロ（約180万円／1ユーロ=120円で計算）のほか、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団を指揮する権利が与えられる。またシーメンスの名を冠した野外上映会がカピテル広場で連日開催され、過去のフェスティバル映像などが楽しめる。そして今年の目玉の一つ、現代作曲家ウォルフガング・リーム（独・Wolfgang Rihm）の作品特集は、ロシュ（スイス・ヘルスケア）がバックアップしている。こうした私企業、ならびに約1800名にのぼる個人献金が70％、国や市からの公的支援は約30％という。</font></p>
<p><font style="FONT-SIZE: 0.8em"></font></p>
<p></font><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><font style="FONT-SIZE: 0.8em">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="224" alt="2010Salzburg_2.gif" src="http://www.piano.or.jp/english/images/2010Salzburg_2.gif" width="300" /></span>一方、昨年度聴衆動員数は世界各国より213,055人で、チケット売上は昨年2300万ユーロ（約27.6億円／1ユーロ=120円で計算）。実に93％の座席が売れたそうだ。この数字はホールがほぼ満席であることを意味しているが、今年もそれを裏付けるかのようにどのホールに行っても熱狂的な聴衆で溢れていた。地元オーストリア、近隣ドイツやスイス、イタリア、フランスからの安定的な来場者数に加え、日本・中国などのアジア諸国、南米からの聴衆も増加中。統計によると、ロシアからの聴衆は前年比160％、また中国のチケット売上げは3倍増。今年もそれに匹敵するか上回ると予測されている。</font></font></p>
<p><font style="FONT-SIZE: 1em"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/argerich-Kammerkonzert_Wolfgang%20Lienbacher.jpg"></a>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/argerich-Kammerkonzert_Wolfgang%20Lienbacher-thumb-200x133-6014.jpg"></a></span>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/argerich-Kammerkonzert_Wolfgang%20Lienbacher.jpg"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="argerich-Kammerkonzert_Wolfgang Lienbacher.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/08/argerich-Kammerkonzert_Wolfgang%20Lienbacher-thumb-300x200-6014.jpg" width="300" /></a>さて90周年を迎える今年、多彩なプログラムでオペラやコンサート、演劇が約1ヶ月間に渡り行われている。その様子を数回に分けてリポートしたい。（photo:Walfgang Lienbacher）</p>
<p></font>リポート：菅野恵理子</p></p>]]>
        
    </content>
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    <title>メディアはどう伝えたか？聴衆の存在は？―エリーザベト王妃国際コンクール（12）</title>
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    <published>2010-06-09T08:42:55Z</published>
    <updated>2010-06-09T17:24:48Z</updated>

    <summary> 長い歴史と伝統を誇るエリーザベト王妃国際コンクール。今年も新たなエピソードに彩...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/">
        <![CDATA[<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100515%20audience.JPG"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100515 audience.JPG" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/06/20100515 audience-thumb-250x167-5389.jpg" width="250" height="167" /></a></span>長い歴史と伝統を誇るエリーザベト王妃国際コンクール。今年も新たなエピソードに彩られて、華やかに幕を閉じました。1ヶ月近くにわたり、どれほどの聴衆が会場に足を運び、またテレビ・ラジオ・Webでライブ中継をご覧になったでしょう。今回はそんなコンクールを支える第三の眼（耳）、聴衆とメディア、そしてスポンサーについてお届けします。</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>20年間増え続ける聴衆。「私は通い続けて、まだ10年目です」という方も</h2>
<p><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100515_ME.JPG" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100515_ME.JPG" width="209" height="314" />ベルギーの聴衆は大変活発で、議論好き。そして審査員のヴィルサラーゼ先生が仰るように、若いピアニストを応援する温かい視線と、あらゆる演奏をオープンに聴き、自由に議論する文化を感じます。セミファイナルでは僅かな当日券は飛ぶように売れ、ファイナルでは発売後まもなく完売と大盛況でした。</p>
<p>コンクール事務局長ミシェル・エティエンヌ・ヴァン・ネステ氏（Michel Etienne Van Neste）によれば「ここ20年ほど聴衆は増え続け、2001年よりモーツァルト協奏曲を課題に入れてからはさらに増えています。今年の来場者は130％増（セミファイナル時）。なるべく多くの方にお越し頂きたいと思い、当日来なかった方の席を無料提供していますが、それでも残念ながらお断りしなくてはいけないことも多かったです」。</p>
<p>コンクールがもたらすのは、熱狂と興奮だけではありません。ヴァン・ネステ氏はさらに、「若い音楽家の支援とともに、音楽を大衆化することも我々の使命です。エリーザベト王妃は、音楽は人を向上させ、人々の対話をうながし、国に平和をもたらすもので、大変重要と考えておられます」。</p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100524_Ota.JPG"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100524_Ota.JPG" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/06/100524_Ota-thumb-250x187-5395.jpg" width="250" height="187" /></a>このコンクールに通い続けて数十年になる方も多く、「私はまだ10年目です」という言葉すら聞くことも。それだけ、このコンクールの芸術性の高さ、運営への厚い信頼、若い才能への期待、そしてその成長を見守る楽しさが、着実に受け継がれているのを感じます。</p>
<p>（写真上：コンクール事務局長ヴァン・ネステ氏（左）。写真下：ベルギーの経済研究所で働く太田瑞希子さん。2年前から声楽、ヴァイオリン部門を聴き、今年もセミファイナルから毎日のように通っておられました）</p>
<p></p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>リアルタイムで熱くコンクールを伝えるテレビ中継・ライブストリーミング配信</h2>
<p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100524_interview.JPG"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100524_interview.JPG" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/06/100524_interview-thumb-250x186-5391.jpg" width="250" height="186" /></a>聴衆の増加に深く関わるメディア。2001年から始まったWebライブストリーミング配信は国際コンクール初の試みで、今やすっかりコンクールには欠かせない媒体として定着しました（映像配信は電気通信会社Belgacom）。また二大国営テレビ局、VRT（フラマン語圏）、RTBF（フランス語圏）が、セミファイナルから連日テレビ中継。カメラ6台で映し出す映像は、ピアニストの真上からのアングルもあり、迫真迫る表情や細かい身体・指の動きを拾います。音の確かさも長年の経験の賜物。<a href="http://video.cmireb.be/vod">Webでは9月15日まで視聴</a>できます！</p>
<p>また、ステージ脇のボックス席にはTV司会者が座り、毎日異なるピアニストがゲストとして招かれ、コンクールの様子を語っていました。ファイナルでのゲストには、1991年優勝のフランク・ブラレイ等。こうした映像や音源は欧州放送連合（EBU）を通じて、全世界の国営放送（NHK含む）にて無料で使用可能です。さらに演奏後インタビューも連日のように行われ、特にファイナル最終日はTVカメラを担いだクルーが関係者や聴衆も直撃取材していました（筆者も突然マイクを向けられ「優勝者は誰だと思いますか？」など色々聞かれました）。</p>
<p>なお今回メディアからも副賞が贈呈され、 Klara-Canvasprijs(VRT) 2500ユーロとPrix Musiq'3(RTBF)は、ともに1位のデニス・コジュキンが受賞しました。</p>
<p>＊TV映像とは別に、コンクール側でも別途CD用録音を行っており、毎年入賞者CD boxとして販売されています。詳しくはこちらへ（<a href="http://www.cd-elisabeth.be">www.cd-elisabeth.be</a>）。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>メディアは、どう伝えたか？</h2>
<p>ジャーナリストの存在も、コンクールのクオリティ・コントロールや若手ピアニストの評価・認知度向上には欠かせません。コンクール期間中、ファイナル指揮者や新曲作曲者を囲む共同記者会見や、La Chapelle滞在中のファイナリスト12名へのインタビュー機会が設けられ、各国のジャーナリスト達はより広い視点でコンクールをとらえる「第三の目」として活動していました。</p>
<p><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100515_SM.JPG"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100515_SM.JPG" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/06/20100515_SM-thumb-250x166-5385.jpg" width="250" height="166" /></a></span>このコンクールを30年聴き続けているベルギー・ジャーナリスト協会会長のセルジュ・マルタン氏（Serge Martin／写真中央）は、参加者傾向の変化についてこう話して下さいました。<br />「以前は米国とロシアの闘いといった時代もありましたが、今はロシアの時代が戻ってきつつあります。また最近はアジア人のプレゼンスが強くなっていますが、以前と違って巨匠のコピーではなく、自分のパーソナリティを発展させている。これは変化だと思います。」（セミファイナル時）</p>
<p>ここに、2名のジャーナリストによる佐藤卓史さんのファイナル演奏評をご紹介しましょう（一部抜粋）。</p>
<p>「Takashi Sato（26）はセミファイナルのレパートリーにおいて、多彩さ、かつ正確に様式をとらえる能力を示した。そしてその印象は（ファイナルでの）シューベルトのソナタD959で、早くも決定的となった。それはシューベルトのあらゆる魅力がつまった演奏であった。半ば夢見心地のアレグロ、アンダンティーノでの均整取れた推進力、スケルツォの純真無垢な茶目っ気、アレグレットでの飽くことなき歌心。しかしすべての感情は、運命の壁へと通じていた。そこに配された重みは、思いがけぬ厳粛さを示唆し、驚くべきコントラストを生み出した。（以下略）」（Serge Martin／Le Soir紙）</p>
<p>「（ファイナル3日目の演奏評）初めてオーケストラとピアノのディナーミクのバランスがよく取れた演奏。その音楽解釈と同様、あっと驚かせる音響効果や自身の積極的関与（と多くの技術的訓練）によって厳密に設計された音は、一瞬にしてこの曲に然るべき正当性をもたらした。当の作曲家をちらりと見ると、彼はただただ動転しているようだった。そして最後のプロコフィエフ第1番は、ここまで素晴らしい音楽家であることを示したこのピアニストの、真のヴィルトゥオージティを見せるに至った。（以下略）」（Martine D.Mergeay／La Libre Belgique紙）<br /></p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>若い人は、長期の聴衆となりうるか？</h2>
<p>メディアの発達により、音楽への入り口は飛躍的に増えています。では参加者と同世代くらいの若い聴衆は、どれだけ増えているのでしょうか？ヴァン・ネステ氏に次世代の聴衆育成についてお伺いしました。<br />「26歳以下はセミファイナルまでは無料、ファイナルも毎日last minute ticket（7ユーロ）を何席か残し、若い人が気軽にコンクールを見学できるように配慮しています。またセミファイナルでは大手銀行BNP Paribasの支援により、予選・セミファイナルに毎日100人招待しました。簡単な音楽解説の後コンクールを聴いてもらい、休憩時間には無料でドリンクも飲めます。音楽解説は私がすることもありますし、アーティストや音楽学者など、毎日交代で務めました」。</p>
<p>セミファイナルは1日で8名（4名のリサイタル、4名のモーツァルト協奏曲）の演奏を聴くことができます。同世代の活躍する様子をみて、音楽に興味を持つ子もいるでしょう。コンクールはその入り口としての役割を果たしているといえそうです。<br />また今回ちょうどパリ褒賞演奏旅行に来ていた仲田みずほさん（2009年度ピティナ・ピアノコンペティショングランプリ）も電車1時間半のブリュッセルまで足を運び、セミファイナルを半日見学。「みな一人一人全く違う個性で、とても興味深く聴くことができました」と話してくれました。<br />&nbsp;</p>
<h2>個人の力がコンクールを強く支える</h2>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_sponsor_IWC2.gif"></a></span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_sponsor_IWC.gif"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100526_sponsor_IWC.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/06/100526_sponsor_IWC-thumb-250x197-5397.gif" width="250" height="197" /></a></span>コンクールのプログラムにはスポンサー名が公表されていますが、銀行などの民間企業のみならず、貴族や一般市民からの個人献金が多いのが印象的。<br />ヴァン・ネステ氏曰く「このコンクールには、ロイヤル・ファミリーに属する人々、ベルギーの国民など、多くの方が個人的に寄付をして下さる伝統があります。ベルギーの税制では、米国ほどではありませんが、僅かながら個人献金の税制控除があります。我々は政府から一切財政支援を頂いていませんので、自分たちの方針を自由に決めることができますが、大変ルールに厳しく運営していますので、それを多くの方々が賛同し、個人的に支援して下さっているのです。また個人の遺産を寄付して頂くこともあり、そうしたことによっても我々の財政体制は強化されています」。</p>
<p>ジャーナリストのマルタン氏によれば、「スポンサーの存在は避けられません。ただ、プログラムに企業名を載せるだけでなく、実際に人を送り込むこと」も重視。前述したとおり、銀行BNP Paribasの協力により若い聴衆を招待したり、また別の銀行Fortis Bankではファイナリスト1名の録音をし、また10-30公演分のコンサートを顧客のために用意しているそうです。&nbsp;（上写真はファイナルの企業スポンサー・IWC） </p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100515%20HugoDP%20KimTH.JPG"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100515 HugoDP KimTH.JPG" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/06/20100515 HugoDP KimTH-thumb-250x183-5386.jpg" width="250" height="183" /></a>一方で、ボランティアスタッフも大活躍！Facebookを通じて入賞者ファンページなどを作ってネットワークを広げているのは、ボランティアのユーゴ・ド・プリル氏（Hugo de Pril・写真右）。パリ・オペラ座にも定期的に足を運ぶという大のオペラ好きでもある氏は、カメラを片手に会場中を駆け回っていた他、今回ファイナル結果発表前には優勝者予想ページを作ってfacebookを盛り上げ、当選者には2009年度入賞者CD Boxをプレゼント。「コンクール後も長く愛される音楽家に」―そんな若いピアニストを見つめる深い愛情を感じます。</p>
<p>こうした個人の力が、このコンクールでは生きているのです。</p>]]>
        
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    <title>作曲家が気に入った演奏は？―エリーザベト王妃国際コンクール（11）</title>
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    <published>2010-05-31T05:01:58Z</published>
    <updated>2010-05-31T07:20:57Z</updated>

    <summary>作曲家は、誰の演奏がお気に入りか 今回ファイナリスト12名が8日間で音楽を作り上...</summary>
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        <name>sugano</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/">
        <![CDATA[<h2>作曲家は、誰の演奏がお気に入りか</h2>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_sato.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="219" alt="100529_sato.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100529_sato-thumb-172x219-5328.gif" width="172" /></a>今回ファイナリスト12名が8日間で音楽を作り上げた新曲課題「Target」。作曲者ジョン・ミンジュ氏（Jeon Minge）はどのような感想を持ったのでしょうか？</p>
<p>ミンジュ氏にファイナル終了後お伺いしました。</p>
<p>「僕はエフゲニー・ボザノフさんと佐藤卓史さんの演奏が一番良かったです。ボザノフさんはとてもクリエイティブで、佐藤さんは僕の音楽観をよく理解してくれたと思います」。<br />（写真は結果発表時の佐藤卓史さん）</p>
<p>*ファイナル・セミファイナルの全演奏は、<a href="http://video.cmireb.be/vod">コンクールホームページ</a>でお聴き頂けます。</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>意図通りの演奏、驚きの演奏</h2>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-left" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 20px 20px 0px" height="224" alt="100524_Fafchamps.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100524_Fafchamps.gif" width="300" /></span>また今回審査員を務めたアンヌ・ケフェレック先生やヴィルサラーゼ先生などにも大好評だったセミファイナル新曲課題「Back to the Sound」。この曲を書いたジャン・ルーク・ファシャンプ氏（Jean-Luc Fafchamps）にインタビューしました。</p>
<h5>―セミファイナルの演奏に対して、どのような印象をお持ちになりましたか？</h5>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="250" alt="100529_kozhukhin3.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_kozhukhin3.gif" width="172" /></span>ライブでは半分くらい聴きました。とても楽しかったですね。大半のピアニストは、この曲から何かを見出して弾いてくれたと思います。会場で聴けなかった分は録音を聴きましたが、特に6、7名の演奏が興味深いと思いました。セミファイナル一人目（Sophia Vasheruk）も良かったのですが、既に二人目にしてユーリ・ファヴォリン（4位・写真下）がベストに近い素晴らしい演奏をしてくれました。彼は現代曲が得意なんですね。その他3、4名は本当に私の意図通りに弾いてくれました。</p>
<p>驚くべき演奏という意味では、デニス・コジュキン（1位・写真上）ですね。楽譜をみて、あの演奏が出てくるとは！グレン・グールドのように全く違う音楽になっていて、そのレベルが高く説得力もありました。楽譜通りではない部分もありましたが、それもありかと思わせてくれました。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_favorin.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="219" alt="100529_favorin.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100529_favorin-thumb-172x219-5327.gif" width="172" /></a></span>セミファイナルにはアジア人も多くいましたが、うち2、3名の演奏に素晴らしかったです。音に対する意識が秀でていて、特にキム・テヒョン（5位・写真上）とキム・ダソル（6位・写真下）の二人は本当に興味深かったですね。キム・テヒョンは音が多彩で想像性豊か、彼のモーツァルトも幻想的で素晴らしい演奏でしたね。キム・ダソルは録音で聴いたのですが、幻想的ではないのですが、とても成熟していましたね。</p>
<h2>作曲者の意図と異なるが、説得力ある演奏とは</h2>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_kimth.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="227" alt="100529_kimth.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100529_kimth-thumb-172x227-5324.gif" width="172" /></a></span>デニス・コジュキンは少し私の意図とは違うようにリズムを変えた部分があったのですが（リズムはかなり考えて書いたので、ちょっと怒っていますが）、彼はこの曲をドラマティックにしたい、説得力を持たせたいと思ったのでしょう。<br />実はこの曲はコンクールのために作曲したわけではなく、偶然これを含む三部作「Back to the Pulse」、「Back to the Voice」を書いており、ちょうど3曲目の「Back to the Sound」が完成した時にコンクールの話が来たのです。実はこれは子供時代に自分が感じたピアノの印象を託した曲です。もちろん子どものための曲ではありませんけれど。この曲は他の2曲に比べるとむしろ軽くて印象派に近い曲なのですが、コジュキンはそうしたくなかったみたいですね。まあそれもいいでしょう。ただこれが独立した1曲であれば彼の演奏は解決法の一つかもしれませんが、あと2曲を知ったら、色々変えなければいけないことも出てくるでしょう。</p>
<p>とはいえ、曲と格闘し、何か違ったものを見つけて、それを成し遂げること、これが面白いんですね。その点で、彼の演奏は素晴らしかったです。</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>アジア風の音色は、幻想性をイメージ</h2>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_kimds.gif"></a></p>
<h5>―曲の中でアジア風の音色も感じられました。</h5>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_kimds.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="223" alt="100529_kimds.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100529_kimds-thumb-172x223-5325.gif" width="172" /></a></p>
<p>ガムランの音に似ていると言われましたが、率直に言えばその通りですね。鐘のような音色やハーモニックな音を考える時（ガムランは私のアイディアそのものではありませんが）、アジアのパコダのようなものが心に浮かんだことは確かです。ドビュッシーやスティーブ・ライヒはガムラン、メシアンは日本の音素材を使っていますが、私にとってもアジアは極東。幻想であり、自分から遠くにあるもののイメージです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h5>―幻想的という点においては、誰の演奏が最も印象的でしたか？</h5>
<p>まず、キム・テヒョンです。もう一人、こちらは成功というわけではありませんでしたがバーバラ・ネポニャシュチャヤ（露・セミファイナリスト）でしょうか。彼女は、そんなに多くの奏法を持っているわけではありませんが、私の音楽を空気中に浮遊させたような感じで、幻想というより、幻想的な映画のような印象でしょうか。彼女は恐らくミニマル音楽が得意なんじゃないかな。</p>
<p><br />ミンジュ氏、ファシャンプ氏が気に入った演奏に共通していたのは、楽譜をきちんと読みこなして音楽の意味を理解した演奏、そして作曲者自身をもはっとさせる演奏者のクリエイティビティを感じさせる演奏。あくまで楽譜に従うのが原則ではありますが、「こんな解釈の仕方もあったのか」という想像力の枠を広げてくれる演奏は、作曲者自身に驚きと感動を与えることがあります。音楽的アイディアとそれを表現するテクニック、その二つが揃うと強い説得力を発揮します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＜情報＞現在ベルギーのモンス音楽院で作曲とアナリーゼを指導しているファシャンプ氏。今秋アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルさん（Anne Teresa de Keersmaeker）率いるダンス・カンパニーと一緒に来日する予定。ご興味ある方は<a href="www.octus.be">こちら</a>へ！</p>]]>
        
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    <title>想像力が導いた勝利―エリーザベト王妃国際コンクール最終日＆結果発表！</title>
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    <published>2010-05-30T09:40:34Z</published>
    <updated>2010-06-27T01:41:52Z</updated>

    <summary>プロコフィエフ協奏曲2番で盛り上がった最終日 いよいよ迎えたファイナル最終日。会...</summary>
    <author>
        <name>sugano</name>
        
    </author>
    
        <category term="国際コンクールレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h2>プロコフィエフ協奏曲2番で盛り上がった最終日</h2>
<p>いよいよ迎えたファイナル最終日。会場は最高潮の盛り上がりを見せました。結果発表を終演後に控えた、最後の2名がファイナルの演奏に臨みました。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="semifinal_Huangci2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semifinal_Huangci2.gif" width="250" height="167" /></span>前半は女性ファイナリストのクレア・ファンチ（米）。浜松国際コンクールやアカデミー参加などで、日本でもご存知の方は多いでしょう。可憐な雰囲気と細い身体ながら、ベートーヴェン・ソナタ21番とプロコフィエフ協奏曲2番に立ち向かうエネルギーは相当なもの。よく指が回り音も鮮やかで美しいのですが、ワルトシュタインは和声の変化やフレーズの流れから、もう少し汲み取れる感情があったのではないかと思う余地を残しました。プロコフィエフ2番は速めのテンポでさっと行く箇所が多いものの（特に2・3楽章）、4楽章では耳の良さと美しい歌心が見受けられました。ただ曲の意味を考えると、美しさの中も不安やおののきといったニュアンスが含まれるとさらに奥行きが出るでしょう。そして新曲「Target」では、前に推進する力を秘めつつも、ハープやヴァイオリンといった弦楽器との美しいアンサンブルが印象に残りました。</p>
<p><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="semifinal_Kozhukhin2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semifinal_Kozhukhin2.gif" width="250" height="167" />そして注目株のデニス・コジュキン、彼はアイディアの人と言えばよいでしょうか。軟・剛、軽・重といった質感の異なる音を多彩に使い分ける能力と、曲のコンセプトを見極めて的確に選曲する力。それが一つになると、劇的なインパクトを与えます。彼のセミファイナルで特に印象に残っているのは新曲「Back to the Sound」。ラストの爆発するような和音の後に続く、物質が溶けていくような柔らかい音が生み出す落差は、意外性を持って演奏を印象づけました。さて今回のファイナルでは、その長所が生かされた選曲。ハイドンのソナタHob.XVI:49は深い呼吸と音の美しさ、そしてユーモア精神も発揮、聴衆を次第に惹きこんでいきます。新曲「Target」は旋律の柔らかい美しさとリズムの強打、そしてディナーミクの幅広さを存分に生かしたカデンツァ。さらに彼の特徴が最大限に生かされたのは、最後のプロコフィエフ協奏曲2番でした。柔らかい音質を使った冒頭はオーケストラと溶け合い、美しく幕開けます。ソロパートはもう少し不気味さがあってもいいかと思いましたが、特に第3楽章は抑えたテンポと音色で静かに始まり、荒廃した廃墟に霊魂が彷徨うような雰囲気まで。その演出の仕方に意外性があり惹きこまれます。第4楽章も質感を自在に変化させながら、音楽を多面的に表現し、オーケストラに負けない迫力ある音でフィナーレ。聴衆はスタンディング・オベーションで最後のファイナリストを称えました。<br />（写真はいずれもセミ・ファイナルより© Bruno Vessié）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>いよいよ、ファイナル結果発表！！</h2>
<p>2010年度エリーザベト王妃国際コンクール、約1ヶ月にわたるコンクールの結果発表の時がやってきました。このコンクールでは、1位から6位まで順に発表していきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100529_kozhukhin.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_kozhukhin.gif" width="250" height="198" /></span>最終結果は以下の通り。</p>
<p>1位：デニス・コジュキン（Denis Kozhukhin／ロシア）</p>
<p>2位：エフゲニー・ボザノフ（Evgeni Bozhanov／ブルガリア）</p>
<p>3位：ハネス・ミナー（Hannes Minnaar／オランダ）</p>
<p>4位：ユーリ・ファヴォリン（Yury Favorin／ロシア）</p>
<p><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100529_bozhanov.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_bozhanov.gif" width="250" height="179" />5位：キム・テヒョン（Tae-Hyung Kim／韓国）Korea&nbsp;</p>
<p>6位：キム・ダソル（Da Sol Kim／韓国）</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span>その他ファイナリスト　*アルファベット順</p>
<p>クレア・ファンチ（Claire Huangci／米国）</p>
<p>キューヨン・キム（Kyu Yeon Kim／韓国）</p>
<p>アンドレイ・オゾキンズ（Andrejs Osokins／ラトヴィア）</p>
<p>ジョンハイ・パク（Jong-Hai Park／韓国）</p>
<p>佐藤卓史（Takashi Sato／日本）</p>
<p>イェクウォン・スンウー（Yekwon Sunwoo／韓国）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>
<p><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100529_satoaudience.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100529_satoaudience.gif" width="250" height="174" />今回何と言っても注目されたのは、予選から熾烈な闘いを見せたデニス・コジュキンとエフゲニー・ボザノフ。二人の甲乙つけがたい才能と魅力は、多くの聴衆の関心と議論を呼び、このコンクールの水準を一段と高めました。コジュキンが多彩な音色とアイディアの人だとすれば、ボザノフは魔性を秘めた美意識の高さと独特の直感力。それぞれの特徴と楽曲がぴったり合うと、えもいわれぬ強い印象を残します。この結果は、エリーザベト王妃国際コンクールが真の音楽家を生み出すコンクールである、ということを確かに裏付けるものとなったと言えるでしょう。</p>
<p>その他、ユーリ・ファヴォリンのピカソのような音楽的アプローチ、キム・テヒョンの内面でとらえる音楽の美しさ、キム・ダソルの音楽読解力、そして佐藤卓史さんの音楽構築力も印象に残りました。佐藤さんの演奏はベルギーの大衆紙でも絶賛され、結果発表時でもその名前が呼ばれると、聴衆はスタンディング・オベーションで彼の健闘を讃えていました。</p>
<p></p>
<p>またこのコンクールの特徴を決定づけたのが、新曲課題曲。特に8日間で仕上げたファイナル課題「Target」を通して、それぞれの特徴や個性が垣間見え、とても興味深く聴くことができました。セミファイナル、ファイナル二人の新曲作曲家に「誰の演奏が一番良かったか？」を伺いましたので、後日詳しくリポートする予定です。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100520_GrandPlace.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100520_GrandPlace.gif" width="350" height="233" /></span>なおコジュキンの優勝によって、これで2003年度以来3代にわたり、プロコフィエフ協奏曲2番優勝伝説が受け継がれることになりました。次回はいかに？？</p>
<p>コンクールは終わりましたが、引き続き「作曲家はどの演奏が気に入ったか」、「メディアはコンクールをどう見たか？」、「審査員インタビュー」「表彰式リポート」などの記事もお届けする予定です。あと少しお付き合い頂ければ幸いです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>伝説となるか、異才の登場―エリーザベト王妃国際コンクール決勝5日目（9）</title>
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    <published>2010-05-29T10:55:48Z</published>
    <updated>2010-06-27T01:46:04Z</updated>

    <summary>異才の登場に、会場大興奮 ファイナル5日目。昨日ボザールは開演前から、静かな興奮...</summary>
    <author>
        <name>sugano</name>
        
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        <category term="国際コンクールレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h2>異才の登場に、会場大興奮</h2>
<p>ファイナル5日目。昨日ボザールは開演前から、静かな興奮の渦が巻き起こっていました。登場したのは5名の韓国人ファイナリストの一人、キューヨン・キムと、予選から何かと話題をさらっているブルガリアのエフゲニー・ボザノフ。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semifinal_KimKY2.gif"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="semifinal_KimKY2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/semifinal_KimKY2-thumb-250x166-5314.gif" width="250" height="166" /></a></span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">前半は</span>韓国のキューヨン・キム。実はジュニアの頃、2002年ピティナ・ピアノフェスティバルにも出演したことがある彼女。すっかり大人のムードが漂う年齢になりました。セミファイナルでは明るくユーモアあるハイドンのソナタHob.XVI:48と渾身のシューマン（クライスレリアーナ）を聴かせてくれました。音質が多彩で和声感もあるので、どちらかというと小品ごとに特徴を描きわける方が得意か。一方、昨日のベートーヴェン・ソナタ31番はフレーズの描き方が単調になる時があり、音楽全体の方向性が見えなくなる時がありました。また新曲はリズムが合わない箇所があり、もう少し熟考する時間があれば良かったかもという印象。プロコフィエフ協奏曲2番は、一音一音に彼女の強い思い入れが伝わってきました。一方で、もう少し音楽全体を見据えた客観性があればと感じました。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100514_Bozhanov@BrunoVess.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100514_Bozhanov%40BrunoVess.gif" width="250" height="167" /></span>そしていよいよ登場したエフゲニー・ボザノフ（ブルガリア）。セミファイナルでは、完全に会場を別世界に誘いました。ショパンのノクターン17番、ソナタ3番は、長くゆったりした呼吸の中で静かに音楽が進行していくのですが、その美しさの中に魔性を含み、えもいわれぬ独特の空気感に会場は完全に息を呑み、誰一人咳払いすらしませんでした。予選では、「バッハを聴いた瞬間に泣きました」という聴衆まで。<br />その感動をもう一度！と、昨日のボザールは興奮に包まれました。まずベートーヴェン18番は比較的軽やかな音色は決してベートーヴェン向きではありませんが、やはり独特の歌いまわしで彼の世界観に。特に２楽章は音色に対する耳の良さが発揮され、また各楽章の性質の違いも軽やかに表現します。ラフマニノフ協奏曲2番は深い音ではないものの、やはりふとした瞬間に見せる美しさのエキスが詰まったフレージングは健在。官能や優美というより、誇り高い美に近いでしょうか。そして何より度肝を抜かれたのは新曲「Target」。やはり耳の良さが際立っており、どの楽器の音がいつ入り、ピアノとどの配分で合わせたらよいのかを全て分かっているかのよう。冒頭の一音は強靭な指のバネでパン！とトライアングルと同じ音質で始まり、中間部も木管や金管の響きに合わせたような音色。独特のエネルギーでオーケストラをリードし、オケの音にも緊張感が漲ります。そしてカデンツァ冒頭の和音は戦慄すら漂わせて一瞬空気をとめ、蓄積したエネルギーが最後また爆発するといった展開で、この曲を締めくくりました。やはり異才です。<br />（写真はいずれもセミ・ファイナルより© Bruno Vessié）</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100528_talents.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100528_talents.gif" width="300" height="228" /></span>さて、本日はいよいよ最終日。クレア・ファンチ（米）と、トリを飾る注目株デニス・コジュキン（ロシア）。二人ともプロコフィエフ協奏曲2番を演奏します。そして午前0時（日本時間30日午前7時頃）から、いよいよ結果発表です！</p>
<p><br />右写真は演奏後のボザノフ、国際コンクール評論家グスタフ・アリンク＆明美さんご夫妻、そして2003年度優勝者セヴェリン・フォン・エッカードシュタイン。７年前凄みあるプロコフィエフ協奏曲２番で優勝をさらい、トレンドの火付け役に。（今年は６名がプロコフィエフの協奏曲、うち３名が２番を選択）</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>世界的ピアニストはどう見る？エリソ・ヴィルサラーゼ先生に聞く</h2>
<p>世界的ピアニストでもあり、現在モスクワ音楽院およびミュンヘン音楽大学で後進の指導にもあたるエリソ・ヴィルサラーゼ先生。このコンクールは、2007年度に続き二度目の審査になります。ファイナルまでのおおよその印象を語って頂きました。</p>
<h5>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100528_Virsaladze.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100528_Virsaladze.gif" width="300" height="199" /></span>―まず2007年度に比べて、今年の水準はいかがでしょうか？</h5>
<p>2007年度よりレベルが高いですね。今回初めて聴くピアニストの中にも、面白い才能が沢山います。</p>
<h5>―今年はセミファイナルに大きな変更点（リサイタル・プログラムを2つ用意）がありましたが、3年前と比較してどう思いますか？</h5>
<p>リサイタル・プログラムを２つ用意するというのは、とてもいいと思いますね。ただ年齢制限が27歳ではなく30歳にしてもいいと思います。以前は32歳まででしたから。</p>
<h5>―要求されるレベル、年齢制限ともにハードルが上がっていますが、それでも多くの才能が集まっていますね。</h5>
<p>ええ！何人かは大変優れた才能です。</p>
<h5>―このコンクールでは多くの曲を準備しなくてはなりませんが、レパートリーの幅広さは審査対象になりますか？</h5>
<p>一次予選では63人中、何人か変わった曲を選んでいて審査するのが難しかったです。（セミファイナルでの）レパートリーの幅広さは、場合によりますね。例えば小品を集めただけの選曲では審査が難しい場合もありますが、やはり何と言っても演奏のクオリティでしょう。どう弾いたかが重要です。レパートリーに限らず良い演奏をすることもありますし、大曲を弾いてもあまり何も伝わらないこともありますし。ただプログラムからは、参加者のテイストを知ることができます。何を選ぶのか、どうプログラムを築くのか、そこから多くのものが見えてきますね。</p>
<h5>―セミファイナルの新曲課題（『Back to the Sound』）はどう思われますか？</h5>
<h5></h5>
<p>この曲はとても好きですね！2、3人はとても興味深く弾きましたよ。</p>
<h5>―ファイナルの新曲課題（『Target』）はいかがでしょう？</h5>
<p>とても興味深い曲だと思いますね。自分では弾きませんが、若いピアニストにとってはコンピュータと同じで親しみある言語なのでしょう。大部分のファイナリストはほどほどの演奏でしたが、幾人かは興味深い演奏をしてくれました。</p>
<h5>―セミファイナルでのモーツァルト協奏曲は2001年度から採用されていますが、どのように評価されましたか？</h5>
<p>モーツァルト協奏曲・・これはなかなか難しいですね。本当によく弾けた人は僅かで、だいたいは良い生徒のレベルで、アーティストのレベルではありませんでした。2007年度の例を挙げますと、私は河村尚子さんの演奏が良かったと思いますよ。</p>
<h5>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="final_jury2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/final_jury2.gif" width="300" height="200" /></span>―セミファイナルとファイナルでは印象は変わりましたか？</h5>
<p>それほど変わりません。基本的に、どのような演奏をするかほぼ予測しています。小ホールと大ホールの違いはありますけれども、セミファイナルで大体分かっていますので。（右写真は審査員席© Bruno Vessié）</p>
<h5>―最近の若いピアニストの感性は変わってきていると思いますか？</h5>
<p>いえ、良い才能はいつでも良い才能で、時代を経ても変わりません。もちろん社会状況や生活環境の変化によって人間は変わりますが、本来の感覚は変わらないと思います。例えば誰かが良いショパンを弾いたとしたら、それは良いもの。勿論以前の時代とは違うけど、良いものです。<br />技術的な面と芸術的な面は、両方大事ですね。ただコンクールでは技術的に優れていなくてはなりませんので、20世紀前半のピアニストには今のセミファイナルも通らないでしょう。今のピアニスト達は、速くクリーンに、技術的にも完璧に弾けますから。<br />ただ、あまり若くして色々弾けるとマスコミや聴衆がセンセーショナルに取り上げ、ショー化してしまいます。若いピアニストはキャリア形成を急いでしまい、深い音楽理解やレパートリーを広げる勉強など、彼らが本当に必要とする成長の機会を失ってしまいます。このプロセスが、芸術的才能を摘んでしまうのではないかと危惧しています。</p>
<h5>―若いピアニストを見守るもう一つの眼、コンクールの聴衆をどう思われますか？</h5>
<p>このコンクールの聴衆は全てのアーティストを応援して、温かい心を感じますね。参加者は誰もが相当な時間をかけて準備をし、その成果を発表しているわけですから、それを聴衆の皆さんが理解されていると思います。</p>
<h5>―様々な国際コンクールを審査されている立場から、このコンクールに多くの才能が集まり、レベルが高い理由は何だと思われますか？</h5>
<p>長い伝統があり世界的によく知られていますし、また優勝者・入賞者などが大変活躍しています。それが良いピアニストを呼び寄せる磁力になっているのでしょうね。そして年々水準が下がることなく、上がり続けています。</p>
<h5>―ところでこのコンクールに来る前、リスト国際ジュニアアカデミー（蘭・ユトレヒト）を見学したのですが、グルジア始め東欧の子供達の豊かな音楽性に魅力を感じました。以前ルーマニアでも同じような印象を抱いたのですが、グルジアでもやはり生活の中に音楽があるのでしょうか？</h5>
<p>特にグルジアの民俗音楽は、世界随一の豊かさだと思います。例えばお店でテーブルにゲストが来ると、お互い知らなくても、皆で歌を歌いだすんですよ。全く違う声質なので、自然とポリフォニックになるのです。ピアニストだけでなく、現在世界的に活躍しているヴァイオリニスト、声楽家もいますね。社会環境はよくありませんが、皆ベストを尽くそうとしていて、私は自分の国に誇りを持っています。首都トビリシにはトビリシ国際ピアノコンクールがあり（3年毎・次回は2012年度）、このエリザベト王妃国際コンクールのように、聴衆が常に満席で温かい。とても良いコンクールです。</p>
<h5>―いつか必ず訪れてみたいと思います。ありがとうございました。</h5>
<p>&nbsp;</p>
<p>審査員席で、時折身を乗り出すように熱心に聴いているヴィルサラーゼ先生。「この人はどういうアーティストなのか？」―先生の芸術的な感性は、常に優れた才能をキャッチしています。現在16歳の男の子や12歳の韓国人の女の子など、才能あるジュニア指導にもあたるヴィルサラーゼ先生。"I teach him"ではなく、"I work with him"といった表現にも、国籍年齢に関係なく、優れた音楽的才能に敬意を払っている姿勢が伝わってきました。大福が好き、という大の日本通でもあります。<br /></p>]]>
        
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    <title>韓国のプレゼンスの高さとは―エリーザベト王妃国際コンクール決勝4日目（8）</title>
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    <published>2010-05-28T12:19:27Z</published>
    <updated>2010-05-28T13:58:06Z</updated>

    <summary>ファイナル4日目、既に12名中8名が弾き終えました。ボザールには昨日も、若いピア...</summary>
    <author>
        <name>sugano</name>
        
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        <category term="国際コンクールレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/">
        <![CDATA[<p>ファイナル4日目、既に12名中8名が弾き終えました。ボザールには昨日も、若いピアニストを見守る温かい眼と心を持つ聴衆が集まっています。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="167" alt="semifinal_Osokins@BrunoVess.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semifinal_Osokins%40BrunoVess.gif" width="250" /></span>さて昨日登場したのはラトヴィアのアンドレイ・オゾキンズと、韓国のキム・テヒョン。<br />現在英国王立音楽院に留学中で、「英国では授業の一環でプログラム・ノートを作ったり、コンサートでは演奏前にスピーチします」というオゾキンズ。彼の特徴はディナーミクの幅広さだろうか。セミファイナルでは特別なことはしないが、ふとした瞬間に幻想的な空気感を作れる印象がありましたが、今日はプロコフィエフ協奏曲3番で伸びやかに響く音とオーケストラと息にあったところを見せてくれました。その点では新曲「Target」は何とかまとめようとおとなしい作りになり、もっと自在に戯れても良かったのではと思わせました。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="250" alt="semifinal_KimTH@BrunoVessie.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semifinal_KimTH%40BrunoVessie.gif" width="167" /></span>キム・テヒョンはセミファイナルで、実に素晴らしいシューマンの幻想小曲集とモーツァルトのソナタ13番を披露したのが記憶に新しいところ。自然な呼吸から生まれる長いフレーズ感、曲想を的確に捉える力は、音楽本来の姿を表出させる力があり、それはベートーヴェンのソナタ6番にも生かされていました。特に1楽章再現部、第2楽章での奥行きの出し方は秀逸。新曲では、大きなフレーズの流れを感じる力を発揮し、次々繰り出される多彩なリズムが直線的・断絶的ではなく、流れに乗った前向きの力が漲っていました。中間部の木琴とのアンサンブル、後半のカデンツァも美しい響き。一方ブラームス協奏曲1番は少し曲が大規模過ぎたか、一音一音鍵盤を押しこめるような打鍵になる箇所もあり、本来持つ自然なフレーズ感が影を潜めた形に。それでもこの大舞台にこめる想いは十分伝わってきました。<br />（写真はいずれもセミ・ファイナルより© Bruno Vessié）</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>ファイナリスト3名を指導！チュンモ・カン先生にインタビュー</h2>
<p>本日はファイナリスト3名の指導者であるチュンモ・カン先生（Prof.Choong-Mo Kang）のインタビューをお届けします。カン先生は、長期指導計画に基づいて生徒一人一人を長く見守っていくため、全生徒の記録を綴った「生徒ダイアリー」をつけているそうです。今回はお忙しい中、メールにてお答え下さいました。</p>
<h5>―今回は3名の生徒さんが見事ファイナルに進出されました。おめでとうございます。長期でご指導なさっているとのことですが、それぞれ10代前半はどのような生徒さんだったのでしょうか？</h5>
<p>キム・テヒョンが私のところに来たのは、彼が高校生の時でした。初めは少しシャイでとてもおとなしい子でしたね。彼が心を開くのには少し時間がかかりましたが、とても誠実な人柄で音楽に並々ならぬ情熱を持っていることを私は見抜いていました。彼は素晴らしく柔軟で、私はその才能を高く評価しています。</p>
<p>キューヨン・キムが初めて来たのは確か10か11歳の頃だったと思います。とても繊細な子で、初めはそれほど音楽に興味を持っていませんでした。しかし数年経ち小学校6年生に上がる頃から、突然音楽に真剣に取り組むようになり、その成長は目覚しいものでした。彼女は10年以上教えましたが、今でも時々私のところにやってきて弾いてくれます。私にとってはまだ繊細な少女なのです。彼女の音楽的直感は大変成熟しており、驚くべきものです。彼女には「何をしなくていいか」を伝えるだけで十分で、あとは彼女が全て自分でやり遂げてくれます。</p>
<p>ジョンハイ・パクは小学校6年生の時にやってきました。最初はそれほど音楽的には見えませんでしたが、彼が素晴らしく頭が良く、厳しいプレッシャーにさらされた方が実力が出ることを私は知っていました。そこで私が望む通りの結果が出るように、彼には少々厳しく接してきました。現在、彼は私が最も信頼をおく生徒の一人です。彼の成熟度と深みは素晴らしいもので、彼はどのように音に奇跡をもたらすか分かっています。私は彼の勇気と努力を心から尊敬しています。</p>
<h5>―特にセミファイナルでのキム・テヒョンのシューマン幻想曲は素晴らしい演奏でした。近年彼に音楽アプローチの変化、あるいは成長が見られますか？</h5>
<p>そうですね。テヒョンの音楽的アプローチには成長が見られます。それは昨年のことだったと思います。彼はコンサートのために韓国に戻ったのですが、私にその前に一度聴いてほしいと。その時、彼の演奏がよい方向に変化しているのを感じましたが、その時はあえて何も言いませんでした。というのも、私が何か言うことで彼を混乱させたくなかったのです。「君が自分の演奏に確信が持てるようになるまで、もう私は聴かないことにするよ。もし私が何か言えば、かえって君は混乱するだろうから。今君は現在師事している先生を全面的に信頼するべきで、私はそれを邪魔したくない。自分の耳を信じ、先生の言うことを聞きなさい」。その時以来一度も彼にはコメントしていませんが、今私はこれでよかったと思っています。将来彼が100％自分の音楽に確信が持てるようになった時、私は彼にもっと言葉をかけてあげたいと思っています。</p>
<h5>―このコンクールでは、セミファイナル、ファイナルともに新曲が課されています。新しい曲に取り組む時、カン先生ならば生徒さんにまずどのようにアドバイスされますか？</h5>
<p>まず第一に、「よく音を聴きなさい・・・音が持つ心を聴きなさい・・そしてその音があなたに何を訴えかけているのかを聴きなさい」と言うでしょう。第二に「作曲家の意図を見出しなさい」。もし作曲家が光そのものだとしたら、演奏家とは光のプリズムなのです。第三に、「自分が良い音楽家であると思うなら、その直感を信じなさい」</p>
<h5>―ありがとうございました！</h5>
<p>&nbsp;</p>
<p>変化の兆しを見せていたキム・テヒョンに、「あえて今は声をかけない」というご判断、そして今それが正しかったと仰るカン先生。それは、生徒の心身の発達を汲んだ長期指導計画と、音楽家としての信頼関係があるからこそ。じっくりと基礎を築き、タイミングを見計らって生徒の自立を促す、カン先生の指導アプローチは大変示唆に富んでいます。</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>West meets Eastの先鋒を行く韓国</h2>
<p>昨年行われた浜松国際ピアノコンクールでも、優勝者含め、韓国出身ピアニストが４名決勝進出するなど、韓国勢のプレゼンスの高さが注目を呼びました。今回のエリーザベトでは12名中5名、確かな存在感を感じます。<br />韓国人ファイナリストや作曲家ミンジュ氏、記者会見にいらした駐ベルギー韓国大使等とお話しましたが、皆さん朗らかで紳士的、そして自らの能力を信じて真摯に音楽を学んでいる姿が印象的でした。</p>
<p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="190" alt="100526_patrick.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_patrick.gif" width="150" />もう一つ印象的なのは、海外へのオープンさ。先週21日（金）に行われた記者会見には前述の韓国大使が同席されましたが、「なぜあなた方は我々ヨーロッパの音楽をそこまで熱心に学び、そしてこのような成果を上げているのか？」という質問がありました。その時の大使のスピーチからは、韓国民が持つ芸術性、そして若い世代の能力に、大きな信頼と誇りをもって応援している様子が伝わってきました。また今回接した韓国出身ピアニストも英・独語などでコミュニケーションを取っており、海外進出を見据えた外国語教育が根付いていることを伺わせました（特にキム・ダソル君の流暢なドイツ語には脱帽）。</p>
<p>（写真は、毎年ユニークな音楽祭を主宰するパトリック・デクラーク氏。昨年開催された<a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/2009/11/20_9649.html">Klara Festival</a>にはチョン・ミュン・フン率いるソウル・フィルハーモニーや太鼓グループU-Theatreなど、韓国人アーティストも多数出演）</p>
<p></p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="267" alt="100524_oriental2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100524_oriental2.gif" width="200" />そして「ヨーロッパの音楽は、すでに我々の音楽の一部」と言う新曲作曲者ジョン・ミンジュ氏。今回は打楽器を多く取り入れた新曲課題「Target」でボンゴを使っていますが、実際に中東・アフリカ音楽に接触する機会があり、筆者も同行させて頂きました。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">&nbsp;</span>場所は、映像監督で打楽器奏者でもあるカミール・チャブナ氏（Kamil Chaabna）のスタジオTactus Factory。チャブナ氏は指揮者ロリン・マゼールやミシェル・タバシュニク、若手音楽家などの映像製作を手掛けており、西欧・中東音楽にも精通している方。実際にいくつか中東の打楽器を演奏して頂きましたが、直感に訴えかけてくるリズムは官能的でもあります。中東音楽は、基本のリズム・メロディパターンを元に、即興で音楽を広げていきますが、リズムは4/4から120/4まで実に多彩！<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="221" alt="100524_oriental1.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100524_oriental1.gif" width="300" /></span>ミンジュ氏は「西欧と中東音楽をミックスした曲を作りたい」と意気込んでいました。</p>
<p><br />さて、いよいよ本日はファイナル5日目。キューヨン・キム（韓国）と、大注目のエフゲニー・ボザノフ（ブルガリア）が登場します。<a href="http://www.cmireb.be/en/n/448-Piano_2010_-_watch_and_listen_live_!.html">ライブ中継はこちらから</a>！<br /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>ベルギーに印象残す日本の芸術性―エリーザベト王妃国際コンクール決勝3日目（7）</title>
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    <published>2010-05-27T11:05:37Z</published>
    <updated>2010-05-27T13:30:09Z</updated>

    <summary>ファイナルも3日目となりました。連日満席のボザールには、ブリュッセルだけでなく、...</summary>
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        <name>sugano</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/">
        <![CDATA[<p>ファイナルも3日目となりました。連日満席のボザールには、ブリュッセルだけでなく、近隣の街から電車や車で通いつめている方が多くいます。ちなみに筆者の隣は、車で約１時間のゲントという街から通っているオペラ通の方。3日目ともなると座席近くの人と親しくなり、休憩時間にはワイン片手に思い思いピアニストについて語り合う姿が、あちこちで見受けられます。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="167" alt="semifinal_sato@brunoVessie2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semifinal_sato%40brunoVessie2.gif" width="250" /></span>さてこの日は唯一の日本人ファイナリスト、佐藤卓史さんの登場に注目が集まりました。<br />「シューベルトが好き」とソナタD959を選んだ佐藤さん。この曲に求められている質の高い繊細な音を多層的に使い分け、和声の変化も丁寧に弾き分けながら、決して感傷的になりすぎずに、シューベルトの精神性に迫っていく演奏。速めのテンポでさっと進む部分もありましたが、それが第4楽章では現世の残像のような効果をもたらしました。そして白眉は新曲「Target」。右手のこぶしで一音目を鳴らしてインパクトを持たせ、カデンツァに入る前も冒頭と同じくトライアングルの響きと合わせるように右手で一音。構造の対象性とリズムの非対称性といった面白さも分かる演奏。変拍子にも上手く呼吸を合わせ、オーケストラとの息の合わせ方もオケ譜をきちんと読んだと思わせる出来で、新曲初のブラボー！演奏後、聴衆からも多くの賛辞が寄せられました。</p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="167" alt="semifinal_Minnar@BrunoVessi.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semifinal_Minnar%40BrunoVessi.gif" width="250" />前半に登場したハネス・ミナー（Hannes Minnar）はベートーヴェンの初期ソナタやサン・サーンス協奏曲で、自分を分かった選曲。素直なベートーヴェンと同じく、新曲も自然なフレーズに身を任せる感じ。フレーズの行方を考えるあまりリズムの特徴を捉え切れない箇所などが散見されたのは残念でしたが、他楽器の音色を生かす余白を残した演奏でした。サン・サーンス協奏曲5番では、指揮者アルソプの若手ピアニストに対する優しいサポート精神が発揮されていました。（写真はいずれもセミファイナルより © Bruno Vessié）</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>「キャラクターの違いを描き分けた」佐藤さんへ終演後インタビュー</h2>
<h5>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_sato_tv.gif"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100526_sato_maruyama-thumb-250x190-5270.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="190" alt="100526_sato_maruyama.gifのサムネール画像" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100526_sato_maruyama-thumb-250x190-5270-thumb-250x190-5271.gif" width="250" /></a></span>―お疲れ様でした！この8日間はどのように過ごしましたか？</h5>
<p>最後は詰めて頑張りましたが、基本的にはエンジョイして生活を送れました。みんなと仲良くなれて、残りの人が僕の出発を温かく見送ってくれました。とても温かい雰囲気でしたね。<br />（写真：終演後の佐藤さんと、欧州連合日本政府代表部の丸山則夫公使）</p>
<h5>―新曲にはどのように取り組みましたか？</h5>
<p>音を完璧に追うというより、セクションごとのキャラクターや、その音がどのような意味を持ってそこにあるのかを重視して表現しようと思いました。例えば打楽器の民族的な要素が強い部分や、低音でパーカッシブなところ、響きがぱーんと一瞬あって綺麗に消えていくところなど、なるべく対照的になるようにしようと思いました。</p>
<h5><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_sato_tv.gif"></a>―最前列で聴いていた方によれば、最初の一音を弾く前に、隣の二音を左手で押さえて、右手のこぶしで音を鳴らしたとか。</h5>
<p>はい。作曲者がなるべく最初の一音をインパクトある音にしてほしいということだったので。彼は１の指だけで弾くとか・・と言っていましたが、鍵盤の端にあってバランスが取りにくいですし、隣の音を押すといけないので、周りを押さえてこぶしで叩くことを昨日思いつきました（笑）。</p>
<h5><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_sato_tv.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="195" alt="100526_sato_tv.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100526_sato_tv-thumb-250x195-5276.gif" width="250" /></a>―他楽器とのアンサンブルという点では意識したことはありますか？</h5>
<p>管楽器やハープは出が遅いので、指揮者のバトンだけに合わせないで、ちょっと遅れて入ってくるのにつけようとしました。（写真：終演直後に行われたTVインタビューの様子）</p>
<h5>―古典ソナタはシューベルトD959を選ばれましたね。</h5>
<p>シューベルトのピアノソナタへの取り組みの集大成ともいえる曲で、後期ソナタは3曲とも全く違う性格なのですが、このイ長調は中でも構築感があってしっかり書かれていると思います。とても長いのですが、今どの部分なのかを考えながら弾くのが重要かなと思いました。</p>
<h5>―どのような音質を意識しましたか？</h5>
<p>シューベルトは基本的に「歌うこと」ですね。ピアノだけれどなるべく声に近いような音、また場所によりますが、立ち上がりの鋭くない音ですね。かつ高音のオブリガートなどは玉を転がすような音色を目指しました。</p>
<h5>―これで全ラウンドが終了したわけですが、予選からファイナルまでを振り返って一言お願いします。</h5>
<p>一次予選はエチュードの準備が大変でしたが、セミファイナル以降は色々な自分の面を見せようと考えて、なるべく異なるキャラクターのものを対照的に演奏することを心がけました。ファイナルはオーケストラがつくので、音量が出るように考えて弾きました。</p>
<h5>―次に演奏する曲、または目標を教えて下さい。</h5>
<p>6月下旬から7月にかけて日本で演奏会を行う予定です。7月には初めて日本でモーツァルト協奏曲23番を弾き振りします。その他にも何曲か指揮をする予定なので、スコアの勉強をしなくてはと思っています。</p>
<h5>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="223" alt="100526_sato_lachapelle.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_sato_lachapelle.gif" width="300" /></span>―やはり指揮も。新曲を聴いていて、オケ譜をきちんと読んでいる印象を持ちました。</h5>
<p>現代曲の場合は全てのパートを見るのは基本的に不可能なのですが、自分も弾かなくてはいけませんし・・ただキーになる部分が入ってくるのか、各楽器のタイミングをいつも意識していました。</p>
<h5>―結果発表まであと3日。今は何をしたいですか？</h5>
<p>ブリュッセル観光ですね。ホストファミリーは少し市内から離れているのですが、家の近くも少し散策してみたいです。<br />（写真：8日間を過ごしたLa Chapelleにて。Kim君相手にマッサージ中？）</p>
<h5>―お疲れ様でした！</h5>
<p>&nbsp;</p>
<h2>ベルギーの中で存在感示すJapan</h2>
<p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="192" alt="100513_maeyamainterview.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100513_maeyamainterview-thumb-250x192-5278.gif" width="250" />欧州連合本部が置かれているベルギーの首都ブリュッセル。ここでも多くの日本人の方がご活躍されています。<br /></p>
<p>佐藤さんと一緒に写真に写っているのは、欧州連合日本政府代表部の丸山則夫公使。ワインと音楽に大変造詣が深く、今回もセミファイナル、ファイナルも毎晩のように会場に足を運ばれ、各ピアニストについて鋭く熱心に語っておられます。セミファイナルでは、国営テレビによる演奏終了後インタビューに前山仁美さんが出演した際、流暢なフランス語で通訳を務められました。「前山さんの演奏後、あの美しい音に惹かれてモーツァルト協奏曲20番の楽譜を早速買いました」と丸山氏。佐藤卓史さんの新曲演奏も絶賛されていました。</p>
<p></p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_yoko.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="185" alt="100526_yoko.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100526_yoko-thumb-250x185-5272.gif" width="250" /></a></span>そして、ベルギー在住音楽ジャーナリストの恒川洋子さん。「ベルギーは本当に人が温かくて魅力的な街！アーティストやホストファミリーなどの横の繋がりも強くて、コンクール後にこの街が好きになって住む人も多いんですよ」と、いつもその魅力を熱く伝えて下さいます。国籍年齢に関係なく、興味を持ったアーティストに積極的に話しかけ、人と人を繋げる名人でもあります。大のグルメでもあり、フランス語圏の音楽業界では知らない方はいないくらいご活躍です。（写真左はスタインウェイのGerrit Glaner氏）</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="92" alt="jeannoelgobron.jpg" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/jeannoelgobron.jpg" width="130" /></span>またベルギーには、日本を愛する人が多くいます。お二人ご紹介しましょう。日本の大衆文化や民衆の素顔などを通して1980年代の日本社会を描いた『Satori Stress』の作者で、ドキュメンタリー映画監督ジャン=ノエル・ゴブロンさん（Jean-Noël Gobron、写真©Nilufar Ashtari）。様々な階層の老若男女の生き様や思いを映し出すカメラの、鋭くも愛情ある眼差しが印象的です。また詩人であった母を描いた作品『Portrait of my mother poet（2009）』では、2003年度ピアノ部門優勝者セヴェリン・フォン・エッカードシュタイン（Severin von Eckardstein）が演奏・楽曲提供しています。　</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100526_picapica.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="165" alt="100526_picapica.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100526_picapica-thumb-250x165-5274.gif" width="250" /></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">&nbsp;</span>ヨーロッパにとって、日本は神秘でもあり、未来型でもあります。「Charaや椎名林檎が好き」という日本ファンのフィリップさんは、雑貨ショップのオーナー。サブロン広場からグラン・プラスに向かう坂道の途中にあるこの店は、ピンクのディスプレーが目を引きます。フィリップさんはデザインの仕事に長年携わり、現在このお店で日本をモチーフにデザインしたグッズや日本の可愛い小物、洋服などを扱う傍ら、日本人ビジュアル系バンドの支援も。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">&nbsp;</span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">&nbsp;</span>「Japanは未来の姿だと思います！」<br /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>60分、29時間、8日・・「個の力」を引き出すシステム―エリーザベト王妃国際コンクール（6）</title>
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    <published>2010-05-26T09:09:47Z</published>
    <updated>2010-06-27T01:43:10Z</updated>

    <summary>さて、今年は韓国出身ピアニストが5名ファイナルに進出し、新曲課題に選ばれたピアノ...</summary>
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        <name>sugano</name>
        
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        <category term="国際コンクールレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/">
        <![CDATA[<p><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100514_ParkJH@BrunoVessie.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100514_ParkJH%40BrunoVessie.gif" width="250" height="167" />さて、今年は韓国出身ピアニストが5名ファイナルに進出し、新曲課題に選ばれたピアノ協奏曲「Target」の作曲者も韓国出身と、まさに韓国躍進が著しい年となりました。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span>昨日ファイナル2日目に登場したファイナリスト2名も、ともに韓国出身。<br />最初に登場したジョンハイ・パク（Jong-Hai Park）は、シューベルトD784から。深い思考の枠の中で音楽が進んでいくのだが、やや音色が単層的になり、細かい機微が表現しきれず一本調子に聴こえてしまったのは残念。セミ・ファイナルではモーツァルト協奏曲で優れたアンサンブル能力を示しましたが、この新曲でもそのバランス感覚が生かされ、打楽器やハープとの掛け合いも美しく、上手くまとめた印象でした。プロコフィエフ協奏曲3番も優等生の演奏。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100514_SunwooY@BrunoVessi.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100514_SunwooY%40BrunoVessi.gif" width="250" height="167" /></span>次のスンウー・イェクウォン（Sunwoo Yekwon）は、優れたリズム感と印象的な重低音を持ち、それが新曲で随所に生かされていました。特に二度の音程の強調が一定の効果を与え、この曲の特徴を引き出していました。ラフマニノフ協奏曲は3番はやや背伸びした選曲で、彼なりの学習成果が見えた演奏。譜面から垣間見える精神に肉薄できると、もう少しオーケストラとも融合するのではと思わせました。<br />（写真はいずれもセミ・ファイナルより© Bruno Vessié）<br />&nbsp;</p>
<h2>「個」を大切にするコンクール</h2>
<p>さて、このコンクールは個人個人を大切にし、運営が公正かつ丁寧に行われていることでも知られています。それはベルギーのお国柄とも関係しているでしょう。</p>
<p>まずロイヤルファミリーのファビオラ元王妃が会場に姿を見せると、聴衆は全員起立し、ロイヤルボックス席を向いて拍手でお迎えします。審査員が入場・着席する時も拍手。そして毎回司会者がプログラム紹介をしますが、フランス語・フラマン語・英語の3ヶ国語を均等に使い分け、完全に3語圏が公平になるよう演出しています。セミ・ファイナルのオーケストラも、フランス語圏とフラマン語圏から１楽団ずつ、毎年交替で起用しています（今年はフランス語圏）。</p>
<p>さらにセミ・ファイナル最終日、最終演奏者が弾く直前に審査員長が起立し、聴衆に向かって一礼。オーケストラ（Orchestra Royal de Chambre de Wallonie）と指揮者（Paul Goodwin）、新曲課題曲の作曲者（Jean-Luc Fafchamps）に敬意を表し、短いスピーチを行いました。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/20100508_hitomimaeyama.gif"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="20100508_hitomimaeyama.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/20100508_hitomimaeyama-thumb-250x186-5256.gif" width="250" height="186" /></a></span>またこのコンクールを長く支援する個人スポンサーや、参加者が滞在するホストファミリーには地元の名士が多く、コンクール終了後もそのピアニストを温かくサポートしてくれる方も多いそう。こうした「個」をサポートする体制が整っているのが印象的です。（写真は前山仁美さんとホストファミリー）</p>
<p>それを全て統括しているのが、コンクール事務局長のミッシェル・エティエンヌ・ヴァン・ネステ氏。三ヶ国語を巧みに操り、会場でも様々なゲストと会話しながら、迅速スマートに諸事に対応されています（後日インタビュー紹介）。</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>緊張状態を作り、個人個人の最大限の力を引き出す</h2>
<p>さて、では冒頭の「60分、29時間、8日」とは何でしょう？既に記事でもご紹介していますが、予選・セミファイナル・ファイナルでの課題が指定されてからの準備時間なのです。</p>
<p>まず予選では5曲用意してきたエチュードより、実際に弾く曲（1曲、あるいは複数曲）を指定されるのですが、それが「演奏60分前」。前山仁美さんも「直前まで何を弾くのが分からないのが難しかったです。本番60分前に指定されて、それからどんな曲順で弾くかを考えたのですが、これは初めての経験でした」。この厳しい課題をこなし、見事セミ・ファイナルに進出しました。<br />またこの予選で興味深いのがプログラム順。共通課題であるバッハの前奏曲とフーガから始まる参加者が多い中、タネーエフの前奏曲とフーガから始まり、次にバッハを配置したデニス・コジュキンの曲順と演奏が評判を呼びました。</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100521_all3.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_all3.gif" width="300" height="217" /></span>次にセミ・ファイナルで弾くリサイタル・プログラムを指定されるのが、「演奏29時間前」。新曲1曲を含む50分プログラムを２つ用意し、その一方を指定されます。実際に演奏するプログラムが決定した後、29時間で本番を迎えるわけです。佐藤卓史さんは、「指定された方のベートーヴェンのソナタ32番op.111は、このコンクールのために取り組んだ曲です。もう一方のプログラムに入れていたシューベルトD664は以前から弾いていたのですが、結果としてベートーヴェンを指定されて良かったと思います」。本日登場するファイナルではシューベルトD959とプロコフィエフ協奏曲1番を弾く佐藤さん、大いに注目されます。</p>
<p><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100521_Catherine2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_Catherine2.gif" width="300" height="216" />そして「演奏8日前」とは、ファイナルで演奏する新曲課題曲（ピアノ協奏曲）の楽譜が手渡される日。それと同時に、携帯電話やPCなどは全て押収され、ブリュッセル郊外にあるLa Chapelleに入居することになります。ファイナルは一晩で2名ずつ出演するため、入居するのも順番に2名ずつ。先週21日（金）にLa Chapelleにて記者会見がありましたが、「今日6日目で、もうすぐ本番です。この新曲はヨーロピアンスタイルで、形式も古典に近く理解しやすい。僕が世界初演になるので責任を感じています」という演奏番号1番のユーリ・ファヴォリンや、「今日ここに到着して新曲楽譜も今見たばかり。今ちょっとランニングしていたんですが、これから心身を良い状態に保って取り組みたいです」という演奏番号12番のデニス・コジュキンまで、ファイナリストの様子も様々。それぞれ何日目かで心身の状態も違います。緊張感に包まれながらも、時折外に出てリラックスしたり、食事中も和気あいあいとした雰囲気。この8日間という時間の使い方は、各ファイナリストに委ねられています。（写真上：La Chapelleのお母さん的存在、寮長のCatherineさん、写真下：この日の夕食はブロッコリーのキッシュ・サラダ・スープ）</p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_Catherine.gif"></a>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_dinner.gif"></a></span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0px 0px 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="100521_dinner.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_dinner.gif" width="300" height="265" /></span>「直前まで何を弾くか分からない」という緊張感と、それを克服することで生まれる「何を指定されても弾ける」という自信、そして自分一人で音楽を作り上げる「個」の強さ。このコンクールでは予選、セミファイナル、ファイナルと進むにつれて、一人一人の音楽観やパーソナリティの強さがどんどん浮き彫りになっていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>本日のライブ中継は<a href="http://www.cmireb.be/en/n/448-Piano_2010_-_watch_and_listen_live_!.html">こちら</a>から！</p>]]>
        
    </content>
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    <title>指揮者マリン・アルソプと女性のリーダーシップ―エリーザベト王妃国際コンクール（5）</title>
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    <published>2010-05-25T13:24:43Z</published>
    <updated>2010-05-25T15:36:02Z</updated>

    <summary><![CDATA[満席のボザールで、ついにファイナル！ &nbsp;コンクールも4週目に入り、いよ...]]></summary>
    <author>
        <name>sugano</name>
        
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        <category term="国際コンクールレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/">
        <![CDATA[<h2>満席のボザールで、ついにファイナル！</h2>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">&nbsp;</span>コンクールも4週目に入り、いよいよファイナルを迎えました。ファイナル初日の昨晩、満席のボザール（2065席）に2名のファイナリスト、ユーリ・ファヴォリン（ロシア）、キム・ダソル（韓国）が登場しました。まず古典ソナタを1曲演奏し、続いてマリン・アルソプ指揮ベルギー国立管弦楽団との共演で、新曲課題「Target」、そして参加者自身で選曲したピアノ協奏曲1曲を演奏しました。</p>
<p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="167" alt="semiF_Favorin.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semiF_Favorin.gif" width="250" />二人とも知性派ながら音楽へのアプローチは別。ファヴォリン（ベートーヴェン29番・リスト協奏曲1番）は、その客観的なアプローチが情緒と切り離されることが時折あるが、音楽の構造を見極め、分解・再構築して一つの新しい世界観を作り上げるタイプ。リスト協奏曲は新曲の勢いを引きずったようなやや前のめりな演奏ながら、硬・軟質な音の使い分けで多彩な表情を引き出しました。<br />キム（ハイドン31番、ブラームス協奏曲1番）は、頭の中で大きなフレーズの放物線を描きながら、その曲にふさわしい規模感で音楽を構築するタイプ。間の取り方も絶妙で、緻密なハイドンと巨大な建築物のようなブラームスは、どちらも音楽全体を冷静に見据えた演奏。両者とも、選曲と音楽アプローチに妙味を感じました。</p>
<p></p>
<p><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="167" alt="semiF_KimDS.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/semiF_KimDS.gif" width="250" /></span>そして何といっても注目が集まったのは、新曲課題「Target」。文字通り世界初演となるファヴォリンは、変化するリズムと打楽器的な要素を十分に意識した作り。特に打楽器とのアンサンブルからカデンツに至る後半に楽曲の重心が置かれ、これが彼のターゲットかと思わせるほど。一方のキムは、作曲家の意図である「ラから始まり、ラで終わる」を意識したのか、中盤の同音連打のラにも特別な音色を配置し、すっきりと全体が見える音楽に。全く異なる演奏が会場を沸かせました。<br />（写真上：Yury Favoin, 下：Kim Da Sol&nbsp;いずれもセミ・ファイナル演奏より © Bruno Vessié） </p>
<p><br />また今夜の2名の演奏も大いに期待されます。ライブ中継は<a href="http://www.cmireb.be/en/n/448-Piano_2010_-_watch_and_listen_live_!.html">こちら</a>から！</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>指揮者マリン・アルソプに聞く、コンクールの指揮とは</h2>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100515_alsop%28right%29.gif"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="200" alt="Marin-Alsop@KymThomson2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/Marin-Alsop%40KymThomson2.gif" width="300" /></span>さて今年度ファイナルで指揮をするのは、「コンクールの指揮は初めて」というマリン・アルソプ女史。米国出身・女性指揮者の採用はこのコンクール初となります。ご自身の指揮活動だけでなく、若手指揮者の育成や女性指揮者・リーダーシップ教育まで幅広く手掛ける、アルソプ女史のインタビューをお届けします。<br />（写真©Kym Thomson）&nbsp;</p>
<p>―エリーザベト王妃国際コンクールは、米国ではどのような位置づけなのでしょうか？</p>
<p>エリーザベト王妃国際コンクールは、米国でも最高位の国際コンクールと位置づけられています。<br />若い音楽家とはよく共演していますが、コンクールで指揮をした経験はほとんどありません。とはいえ、芸術にコンクールが存在することを100％反対しているわけではありません。たしかに芸術は主観的なものですし、審査は難しいですが、このコンクールを興味深く思ったのは、これはコンクールというより、若いピアニストたちの成長の機会を提供し、お互いが知り合いサポートしあう場だから。それには長い目でみて、様々な意味があります。また審査員の投票の仕方などを見ましても、私が知る限りですが、いわゆる否定的な意味での「コンクール的」なコンクールではありません。</p>
<p>―ファイナリストの中には我が道を行くタイプもいると思いますが、ソリストとどうコミュニケーションは取りますか？</p>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="199" alt="ONB@Fabrice-Kada2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/ONB%40Fabrice-Kada2.gif" width="300" />各演奏者がどのようにオーケストラに反応し、関係を作るのかを見るのが楽しみです。ソリストに合わせて弾きやすい雰囲気を作ってあげたりすることもできますが、私は特にそれは必要ないと思っています。皆さんそれぞれ違いますし、主張したいことも異なります。<br />大事なのは、対等の立場でコラボレーションすること。全てはバランス、そして作曲家と作品との統合性だと思います。テンポ設定などに関しても。よい伴奏者とは、補助ではなく、よいパートナーであること。皆さんアーティストとして音楽への理解もあると思うので、とんでもないテンポを望むことはないでしょう。問題はないと思います。ただ今回私は伴奏する立場であり、リードする立場ではないので、とにかく彼らをサポートすることを意識しています。（写真：ベルギー国立管弦楽団 © Fabrice Kada）</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>若い女性指揮者をサポートするフェローシップ</h2>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100515_alsop%28right%29.gif"></a>―若い音楽家への教育について、どのようにお考えでしょうか。</p>
<p>両親ともプロの音楽家で、母はチェロ、父はヴァイオリン奏者でした。私は2-6歳までピアノを、それからヴァイオリンを習いました。そして9歳の時、バーンスタインが子どものためのコンサートでNYフィルを指揮しているのをみて、「私は絶対にこれがしたい！」と思い、それから一度も決意が変わったことはありません。タングルウッド音楽祭でバーンスタインに何度か師事しました。彼は面白い人ですが、怖い存在でもありましたね。<br />若い世代の音楽教育に貢献したマエストロからは、大きな影響を受けました。現在私自身もいくつかフェローシップ・プログラムを運営していて、2002年からは「女性指揮者のためのフェローシップ」を始めました。今年はルーマニアの女性指揮者が優勝し、私と一緒にワールドツアーに出る予定です。また他の指揮者との共演などを通して、ステージ経験を積んでもらいます。<br />またボルティモア（メリーランド州）ではマイノリティの子どもたち（幼稚園-小学校1年生）に対して、音楽教育プログラムも始めました。これは60分のTV番組になっています。</p>
<p><br />&nbsp;</p>
<h2>メンターは日本人ビジネスマン！</h2>
<p>20歳の時、指揮者を目指して本格的に学んでいたころ、「10年後には女性指揮者が必ず増える」と期待していましたが、20年経った今でも私とあと少ししかいません。なぜでしょうか？それは才能の問題ではなく、やはり機会が少ないんですね。それがフェローシップを創設した理由です。それから、私が感謝を表したい人がいます。実は私には音楽とは直接関係ないメンターがいます。滝富夫さんという日本人ビジネスマンの方で、アン・クラインやダナ・キャランのオーナーです。知り合ったのは私が21歳の頃で、当時私が持っていたスウィング・バンドを率いて、彼の結婚式で演奏したのがきっかけでした。</p>
<p>その後、ある日彼に電話しまして、「私はどうしても指揮者になりたいんです。サポートして頂けませんか？」と話しました。そうしましたら、「もちろん！」と。それ以来ほぼ20年間、私がNYで設立したコンコーディアというオーケストラを支援して下さっています。また<a href="http://www.takiconcordia.org/">タキ・コンコーディア指揮者フェローシップ（Taki Concordia Conducting Fellowship）</a>を共同創設しまして、若い指揮者、特に女性指揮者をサポートしています。彼は音楽に関しては何もわからないのですが、（その指揮者が）どんな才能なのかをコンセプトで示し、将来を信じて支援して下さっています。実は先週もNYでランチをご一緒したのですが、本当にとても素晴らしい方です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>コミュニティや企業の女性リーダーとも接触するプログラム</h2>
<p>今ちょうど2年間のフェローシップを始めたところで、今年はルーマニア人女性指揮者が受賞しました。2011年米国にて10週間にわたるプログラムの契約を交わしたところなのですが、実はこれコンサートだけではないんです。コミュニティや企業で働くビジネスウーマンや女性リーダーとも接触しながら、社会における女性のリーダーシップや次世代へのメンター的役割を育成していくという、より大きなコンセプトのプログラムになっています。</p>
<p>私自身は2006年にダボス会議に招待されまして、様々な分野におけるリーダーの方々にお会いしたり、国際社会における女性リーダーシップなどについて対話する機会がありました。こうしたネットワーキングもどんどん進めたいと思っています。<br /></p>]]>
        
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    <title>12名はどう新曲に取り組む？―エリーザベト王妃国際コンクールリポート（4）</title>
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    <published>2010-05-24T17:02:56Z</published>
    <updated>2010-05-24T23:34:25Z</updated>

    <summary>いよいよ本日から始まるファイナル。古典ソナタ1曲、参加者自身が選んだピアノ協奏曲...</summary>
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        <name>sugano</name>
        
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        <category term="国際コンクールレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/">
        <![CDATA[<p>いよいよ本日から始まるファイナル。古典ソナタ1曲、参加者自身が選んだピアノ協奏曲1曲に加え、新曲課題のピアノ協奏曲が課されています。新曲課題はこのコンクールの伝統でもある、いわば「最後の試練」。セミ・ファイナル終了後、12名のファイナリストは各演奏日8日前に新曲楽譜を渡され、1週間かけてこの曲に取り組むことになります。最後の試練が行われるのは、ブリュッセル郊外にあるLa Chapelle。美しい樹々に囲まれた静かな環境で、現在12名は一人一人新曲に向き合っています。</p>
<p></p>
<h2>優勝を射止めた「Target」、作曲者は韓国出身の22歳</h2><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_minje.gif"></a>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_minje.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="237" alt="100521_minje.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100521_minje-thumb-200x237-5224.gif" width="200" /></a></p>
<p>さて先週金曜日、新曲が初めて報道陣に公開されました。タイトルは「Target」。作曲者は韓国出身の22歳、ジョン・ミンジュ氏（Jeon Minge）。2009年度作曲部門応募作品147作品の中から選ばれました。審査員はアリエ・ヴァン・リズベス（Arie Van Lysebeth）、チン・ウンスク（Chin Unsuk）、ブルーノ・マントヴァーニ（Bruno Mantovani）、ブノワ・メルニエ（Benoît Mernier）、カイヤ・サーリアホ（Kaija Saariaho）、フレデリック・ヴァン・ロッサム（Frederik van Rossum）の6名。すでにリハーサルを終えたファイナルの指揮者マリン・アルソプ女史は「プロフェッショナルで、とても良い作品」と太鼓判を押しています。今夜から始まるファイナルにて、12名による世界初演が大いに期待されます（<a href="http://video.cmireb.be/live">ライブ中継はこちらへ</a>）。</p>
<p>さて、その協奏曲「Target」を作曲したミンジュ氏は、現在韓国芸術大学作曲科で学ぶ22歳（最年少優勝）。6歳で作曲を始め、これまでも多くの作品を手掛けてきたミンジュ氏は、「日本が好き」という清楚な佇まいの青年。しかし新曲はパーカッションを多く取り入れ、力強いエネルギーに満ちあふれています。ピアノも弾くというミンジュ氏が、ファイナリスト12名に期待することは？</p>
<p>「この作品は特定のイデオロギーや前衛的で実験的な要素を入れた作品ではなく、映画をみているような感覚で、演奏者にもお客さんにも楽しんでほしいと思っています。<br />爆発音のような冒頭に続き、ピアノがラの音で始まります。それが次第に発展していき、最初の爆発音のようなパッセージがあり、最後はまたラの音で終わる。つまり、また始めに戻ります。テクニック的に難しい要素はそれほどありませんが、強いて言えば様々なリズムを入れてあります。<br />ファイナリストの皆さんには彼らが演奏したいように、普段モーツァルトやベートーヴェン、プロコフィエフなどを演奏するように、偏見なく自然に向き合ってほしいと思います。」</p>
<p><img class="mt-image-none" height="270" alt="100521_all2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_all2.gif" width="400" />ボンゴなども含む多様なパーカッションを取り入れたこの作品。パーカッションの位置づけは？「パーカッションを第2ピアノのように考えました。現代曲にはパーカッションがよく使われているので、これが現代曲だと見せたかったんです。ボンゴは古典曲には使われていませんが、現代曲には打楽器グループの一つとして使われています」 　（左写真はファイナリスト12名。La Chapelleにて）</p>
<p>ピアノ曲ではバッハの前奏曲とフーガの多様な形式から、毎日新しいものを発見しているというミンジュ氏。西欧音楽を学ぶアジア人という点では、日本も韓国も立場は同じ。そこで、若い世代の作曲家としてどのようなアイデンティティを持っているか、尋ねてみました。<br />「ヨーロッパの音楽が韓国に入ってから、既に100年の歴史があります。韓国の音楽はアジアの伝統音楽だけではありません。音楽は人生の一部であり、クラシック音楽も私たちの音楽の一部だと思います」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>ファイナリストはこの曲にどう取り組んでいる？</h2>
<p>では、ファイナリストたちはこの新曲をどのようにみているのでしょうか？何名かにきいてみました。（演奏順）</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_favorin.gif"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_favorin.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="144" alt="100521_favorin.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100521_favorin-thumb-120x144-5226.gif" width="120" /></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline">●</span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_all.gif"></a></span>ユーリ・ファヴォリン（Yury Favorin）<br />「そんなに前衛的ではなく、むしろ伝統的な印象です。いい曲だし、現代曲はとても好きなので、取り組むのが楽しいです。1週間で仕上げるのは難しいけど、不可能ではありません。今回自分が世界初演となるので、責任を感じています！」</p>
<p>●アンドレイ・オソキンス（Andrejs Osokins）　<br />「よく書かれていて、音響効果も興味深いですね。冒頭は少しゆっくり、中間部はパーカッションでエネルギーにあふれている。１週間の時間の使い方？そうですね、初日はとにかく練習して、音符を探さなくても弾けるようにすること。それからエピソードのように全体を繋げていき、最終日にオーケストラと合わせて音楽のフィーリングを確かめます。すでに初日につかんでいるのですが、音楽全体のアイディアを最終日に確認します」。</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kimTH.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="154" alt="100521_kimTH.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100521_kimTH-thumb-120x154-5238.gif" width="120" /></a></span>●キム・テヒョン（Kim Tae-Hyung）<br />「2日前（水曜日）にこの楽譜をみたばかりで、この曲に関してこうだと確実なことは言えませんが、ストラヴィンスキーのようですね。印象主義でもないですし。弾くのがとても楽しいです。タイトルについては作曲家に聞かないといけませんが、何かを掻き立ててくれる瞬間、あるいは何らかのインパクトを待つ、そういう意味でターゲットなのではないかと理解しています。リズムがよく変わるので、オーケストラとのコンビネーションが複雑で難しいですね。ゴングの音やパーカッションらしい音、鉄琴の強い音、ピアノにもプロコフィエフのトッカータのような同音連打がある、それが打楽器のようです」</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/051015_bozhanov.gif"></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kozhukin.gif"></a></span>
<p><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="159" alt="100521_sato.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_sato.gif" width="120" />●佐藤卓史さん<br />「作曲家にタイトルの意味を聞いたら、『追いかけている感じ』という答えでした。電子のような動きをイメージしていると。自分としては、特に二度と九度の音程の印象が強く、それが普通の三度などとは違い、緊張感を生んでいると思います。そこに向かっていき、その音が出る。あるいは出ない時もありますが。それがターゲットを意味しているのではないかと思います」</p>
<p></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kimKY.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="151" alt="100521_kimKY.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100521_kimKY-thumb-120%20x151-5240.gif" width="120" /></a></span>●キューヨン・キム（Kim Kyu-Yeon）<br />「昨日（木曜日）にスコアを初めてみました。特に冒頭が難しいですね。変拍子が多く、リズムのカウントや合わせるタイミングが難しいと感じます」</p>
<p>
<p>&nbsp;</p>
<p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_bozhanov.gif"></a>●エフゲニー・ボザノフ（Evgeni Bozhanov）<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="164" alt="100521_bozhanov2.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_bozhanov2.gif" width="120" /></span>「ちょうどオーケストラ・パートを聞いたところです。新曲、好きですよ。<br />今年1月に日本で佐渡裕さんと共演しました。素晴らしい体験でしたね。普段は文学や美術も好きで、時間があれば美術館にも行っています」</p>
<p></p>
<p></p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kozhukin.gif"></a>&nbsp;</p>
<p>●デニス・コジュキン（Denis Kozhukin）<br /><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kozhukin.gif"><img class="mt-image-right" style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 20px 20px" height="157" alt="100521_kozhukin.gif" src="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/assets_c/2010/05/100521_kozhukin-thumb-120x157-5233.gif" width="120" /></a>「1週間という時間を上手く使わないといけませんが、もっと短い時間、例えば1晩で曲を仕上げなければならないこともあったので1週間は十分だと思います。新曲はとても興味深いですね。最近は現代曲も好きですし、よく弾いています。ピアノの使い方も新しい。<br /><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kozhukin.gif"></a>普段は現代美術を見たり、文学やスポーツも好き。心身をよい状態に保つのが大切ですね。ピアノの前にずっと座っているわけではないです（笑）。特に今日（金曜日）は新曲の楽譜を開いたばかりなので、マインドを最高の状態にしなくては」（写真）<br /><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kozhukin.gif"></a></p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_kozhukin.gif"></a>&nbsp;</p>
<p>ファイナル初日<a href="http://video.cmireb.be/live">ライブ中継</a>は、本日24日20時より（日本時間25日午前3時）！</p>
<p><a href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/images/100521_all.gif"></a><br />&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>論文：ショパンとパリの音楽界　２／岡部　玲子先生</title>
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    <published>2010-05-24T06:12:11Z</published>
    <updated>2010-05-24T07:43:20Z</updated>

    <summary>承前</summary>
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<div style="text-align:right;">常磐大学人間科学部紀要「人間科学」第27巻第１号（2009年10月）掲載論文（PTNA掲載用に一部修正）</div>

<div style="font-size:20pt;float:right;">　<span style="font-size:12pt;">岡部　玲子</span></div>

<div style="font-size:20pt;">【論文】 ショパンとパリの音楽界　2</div>
<div style="clear:both">Chopin and the musical community in Paris　　OKABE,　Reiko</div>
<br />

<h3>３．ショパンがパリに受け入れられるまで</h3>

<p>　前章で見てきた背景を踏まえて、ショパンがどうしてパリを目指したのか、そして、どのようにしてパリの音楽界に認められていったのかを考察する。</p>

<div class="t2">３．１　ショパンは何故パリを目指したか</div>
<p>　<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、1810年3月1日にポーランドのワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラで生まれた。父はフランス人で、スカルベック家に伯爵の息子の家庭教師として雇われていた。母はポーランド貴族の末裔。一家は、ショパンが生まれて間もなくワルシャワに移った。父がワルシャワに新しくできたリツェウム（高等学校）のフランス語とフランス文学の教職に就いたからである。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、ワルシャワ音楽院卒業後、自分の力を試すために、1829年にウィーンを訪れた。わずか１ヶ月足らずの滞在の間に、国外で初めての演奏会を２回行い、華々しいデビューを飾り、楽譜の出版も決定した。翌年、フランスの7月革命勃発のニュースにためらいながらも、11月に再びウィーンへ出発した。その直後にワルシャワ蜂起が起こり、ウィーンの対ポーランド感情が悪化、ウィーンで活動が出来ないまま、1831年7月にウィーンを去り、ザルツブルグ、ミュンヘン、シュトゥットガルト（ここでワルシャワ陥落を知る）経由で９月中旬にパリ到着、以後、祖国ポーランドへ一度も戻ることなく、人生の後半をパリで過ごすこととなった。<br />
　2度目のウィーン滞在の後に、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が目指した行き先として、イタリア、あるいは、パリ経由でイギリスに赴こうとした等、数多くあるショパンの伝記では諸説言われてきた。しかし、以下の1831年6月25日付の<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の手紙（ワルシャワの両親宛）からは、目的地として記されたイギリスは、旅券獲得のための手段であり、ショパンがパリを目指していたことが確認できる。<br />
「イギリス向けの旅券を取ってパリに行こうと思います。マルファッティは親友のパエール宛ての紹介状をくれるといっていますし、カンドラーはもうライプチッヒの音楽新聞にぼくのことを書いているのです。」（へドレイ1965:121）<br />
　ワルシャワ蜂起後、ロシア大使館は、パリ行きのポーランド人を政治的に怪しんでいた。旅券が取れた報告のショパンの手紙（7月16日付）に、旅券はロシア大使館に二日留め置かれた、とあることから、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の旅券はロシアの干渉を受けていたようである。<br />
　では、なぜパリだったのか。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の往復書簡選集（Hedley1962）の翻訳者、小松雄一郎が、その解説の中で、「ショパンがパリに求めたものは、まず第一に『自由、平等、友愛』のフランス、ポーランドの味方であるフランスであって、パリの華麗、エレガンス、『芸術性』ではなかった。」（ヘドレイ1965:529）と言うように、当時の社会情勢から考えても、主たる動機は、身の安全のためであったと考えられる。</p>

<div class="t2">３．２　パリ到着後</div>
<p style="padding-bottom:0">
　<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>はパリを目指すに当たって、ウィーンから紹介状をいくつか携えてきた。マルファッティからパエールへの紹介状、それから出版社宛にいくつかの紹介状である。ポーランドの師エルスネルからルシュールへの紹介状もあった。それらの中でも、マルファッティが持たせた親友パエールへの紹介状が最も重要だったと考えられる。マルファッティは皇帝公認の医師で、世界的に知られた人物であり、音楽を愛し、<a href="/enc/dictionary/composer/beethoven/">ベートーヴェン</a>の臨終を診察した医師だった。マルファッティの妻はポーランド人であり、ウィーンで活動できずに悶々としていた<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>を、度々ポーランド料理でもてなした。マルファッティは<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の才能が埋もれる事を惜しんで紹介状を書いてくれた。紹介状の宛先、パエール［Paer, Ferdinando 1771-1839］は、イタリアの作曲家で、19世紀の最初の10年間、イタリアのオペラ・セミセリア発展の中心人物の一人だった。フランスでは、当時は、まだ自国の音楽の下地ができていなかったため、招聘されたのである。パエールはヨーロッパ中のほとんどの宮廷から楽長の地位に就くように要請されるほどに、その才能が高く評価されていた。1797-1801年の間は、ウィーンのケルントナートーア劇場の音楽監督を務めた。ここで<a href="/enc/dictionary/composer/beethoven/">ベートーヴェ</a>ンと知り合っていることから、マルファッティとの交友関係もこの頃から始まったであろうと推測される。その後、パエールはドレスデンの宮廷楽長となるが、ナポレオンの要請を受けて、1807年に帝室礼拝堂楽長に就任し、オペラ＝コミック座の監督やイタリア座の音楽監督を歴任した。彼を引き立ててきたナポレオンが失脚した後は、イタリア座の監督に留まるだけだったが、それでも上流社会での歌や作曲の教師としての収入もあり、影響力のある地位と裕福な生活が十分維持できた。1832年には国王ルイ＝フィリップの私設礼拝堂の指揮者に任命されたのであった。<br />
　パエールのお陰で、ショパンは役所からパリ滞在を許可されたという（マレック＆ゴードン＝スミス1981:82）。そして、パエールからは、<a href="/enc/dictionary/composer/cherubini/">ケルビーニ</a>、バイヨ、<a href="/enc/dictionary/composer/rossini/">ロッシーニ</a>、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>を紹介された。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が彼らに会ったことは、1831年12月12日の手紙で確認できる（河合2001:24、ヘドレイ1965:132）。これらの人物は、以下に記すように、パリの音楽界における重鎮とも言える名士たちである。<br />
　<a href="/enc/dictionary/composer/cherubini/">ケルビーニ［Cherubini, Luigi 1760-1842］</a>は、フランスで活動したイタリアの作曲家、指揮者、教師、音楽理論家、学校管理者、音楽出版者である。半世紀にわたるフランス音楽界の重鎮で、1822年より42年までパリ音楽院の院長を務めた。<br />
　バイヨ［Baillot, Pierre 1771-1842］は、フランスのヴァイオリン奏者兼作曲家で、パリ音楽院教授、パリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者（1821-31年）、1825年から宮廷礼拝堂オーケストラの首席奏者を務めた。<br />
　<a href="/enc/dictionary/composer/rossini/">ロッシーニ［Rossini, Gioachino 1792-1868］</a>は、イタリアの作曲家である。19世紀前半、<a href="/enc/dictionary/composer/rossini/">ロッシーニ</a>ほどの名声と富、大衆の人気、芸術的影響力を誇った作曲家は他にいない。1823年にパリを訪れて国王の歓待を受け、1824年にパリのイタリア座の芸術監督となった。イタリア座はもちろんのこと、オペラ座でも《オリ伯爵》《ウィリアム･テル》等の新作上演や、《ゼルミーラ》《セミラーミデ》等の旧作の改作上演が行われ、まさに一世を風靡した。肉体的にも精神的にも衰えが見え始めた1836年にはイタリアへ移り、1855年に戻るまで長期にわたってパリを離れた。<br />
　<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー［Kalkbrenner, Frédéric 1785-1849］</a>は、パリ音楽院出身であり、ドイツ生まれのピアニスト兼作曲家、ピアノ教師である。イギリスで活動した後、1824年の末よりパリに落ち着き、ピアノ製造会社プレイエルの技術改良に協力し、同時にすぐれた経営手腕を発揮した。当時、既にピアノ演奏の中心地だったパリで第一人者となり、ヨーロッパ全土に名を馳せた。彼は、全盛期の1831年に、ピアノのメソッド作品108を出版、同年に、若手教師のために、より高度な研修講座を始めた。ショパンは1831年11月に<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>を訪ねた時、始めたばかりのこの講座への参加を勧められ、躊躇しながらも断った。その主な理由は、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>が提案した３年間という勉強期間が長すぎると感じたことである。それでも、二人の交流は続き、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>は、1832年2月26日にサル・プレイエルで行われることになる<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリでのコンサートを実現するために積極的に手を貸した。このコンサートが、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリでの最初のコンサートである。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>に自作の<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000380.html">ピアノ協奏曲第１番ホ短調作品11</a>を献呈した（1833年出版）。<br />
　パエールは、さらに<a href="/enc/dictionary/composer/mendelssohn/">メンデルスゾーン</a>を（マレック＆ゴードン＝スミス1981:82）、そして、マリー・プレイエルを（ベーチ2005:31）、ショパンに紹介したという。ドイツの作曲家、<a href="/enc/dictionary/composer/mendelssohn/">メンデルスゾーン［Mendelssohn(-Bartholdy), Felix 1809-1847］</a>は、1825年にパリを訪れた際に、<a href="/enc/dictionary/composer/cherubini/">ケルビーニ</a>、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>、バイヨ、<a href="/enc/dictionary/composer/rossini/">ロッシーニ</a>と会った。しかし、ショパンとは面会の機会に恵まれなかった。その時は、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がまだパリに来ていなかったからである。<a href="/enc/dictionary/composer/mendelssohn/">メンデルスゾーン</a>は、1831-32年の冬を再びパリで過ごすことになったが、この時に<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>と会っている。この間のいきさつについては未解明の部分が多く、二人の出会いが、<a href="/enc/dictionary/composer/cherubini/">ケルビーニ</a>、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>、バイヨ、<a href="/enc/dictionary/composer/rossini/">ロッシーニ</a>等を通してなのか、それとも、パエールが直接<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>に紹介したのかについては不明である。<br />
　一方、マリー・プレイエルという女流ピアニストに関しては後述することとし、まずは、マリーの夫、カミーユ・プレイエル［Pleyel, Camille 1788-1855］から述べたく思う。というのは、夫カミーユは、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>の説明箇所で触れた「ピアノ製造会社プレイエル」と深い関係にあったからである。彼は、父イニャス（イグナス）・プレイエルとの共同経営者（出版社、ピアノ製作会社）であり、特にピアノ製造部門の責任を負っていた。一方で、彼自身、作曲家兼ピアニストでもあった。1832年2月26日の<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリ・デビュー演奏会は、1830年に会社が設立したサル・プレイエルで行われた。二人の交流は、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の生涯にわたって続くのである。<br />
　マリー・プレイエル［Pleyel, Marie Moke 1811-1875］は、1830年まで女子校でピアノを教え、フェルディナンド・ヒラーや<a href="/enc/dictionary/composer/berlioz/">ベルリオーズ</a>と同僚だった。ヒラーの恋人だったマリーは、ベルリオーズと恋愛の末、婚約にまで至った。しかし、1830年12月にローマ賞を受賞した<a href="/enc/dictionary/composer/berlioz/">ベルリオーズ</a>がローマへ出発すると、パリに残されたマリーは、恋愛事件のスキャンダルから身を守るために、3ヵ月後にカミーユ・プレイエルと結婚した。この結婚はすぐに破局へと向かい、1835年に正式に離婚した。離婚後、マリーは演奏活動を再開して各地で大成功を収めた。これは、女性の芸術活動が好奇の目で見られた当時としては異例なことである。<br />
　このマリー・プレイエルと<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の出会いに関しては、前述のように、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>、そして夫カミーユ・プレイエルとの関係もあり、ベーチの言うように、パエールの直接の紹介なのかどうか疑問である。マリーは、婚姻中は、夫カミーユ・プレイエルによって音楽サロンの運営を任されていた。ベーチによると、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のデビュー演奏会は、マリー・プレイエルが<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>に演奏会を開くように依頼したという。さらにベーチの言によれば、「ちょうど一ヵ月後の一八三二年三月二十日、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は同じ場所で二回目の演奏会を開く。感謝の意をこめて、ショパンはマリー・プレイエルに、一八三一年に完成していた<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000429.html">作品九の《三つのノクターン》</a>のうちの一曲を捧げる。また、<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000458.html">作品六十九の一のワルツ</a>も夫人への献呈作品である」（ベーチ2005:34）とのことである。このべーチの記述は、検討が必要である。まず、マリーが演奏会を依頼したという部分であるが、ベーチ2005の『音楽サロン』は、副題に、「秘められた女性文化史」と付されていることから判明するように、女性主導の観点をあくまで尊重するような記述の仕方になったと思われる。しかも、「ちょうど一ヵ月後の一八三二年三月二十日、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は同じ場所で二回目の演奏会を開く」とあるが、この日に<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の演奏会が開かれたという事実は、アトウッド1991やMichałowski;Samson2001等、他のどの資料にも出てこない。これらの資料では、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の次の演奏会は、1832年5月20日、パリ音楽院ホールでの慈善演奏会とされている。それから、「<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000429.html">作品九の《三つのノクターン》</a>のうちの一曲を捧げる」という部分であるが、<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000429.html">作品９</a>は3曲セットで出版されており、それが、カミーユ・プレイエル夫人（マリー・プレイエル）に献呈されたのであり、そのうちの１曲というのは誤りである。さらに、「<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000458.html">作品六十九の一のワルツ</a>も夫人への献呈作品である。」というのも、以下に記す理由により誤りである。すなわち、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の作品番号の66以降は、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の死後に親友のフォンタナによって出版されたものである。未出版の小品を書きとめた自筆楽譜を献呈するのは、いわゆる社交辞令のようなものであったため、曲によっては複数の自筆楽譜が存在し、別々の人に献呈されている場合がある。Kobylańskaによると、<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000458.html">作品69-1</a>の場合、３種類の自筆楽譜の存在が判明しており、それぞれに次のような書き込みがある（Kobylańska1979:166）。
</p>

<dl class="list1" style="font-size:12pt;">
<dt>（１）</dt><dd>ショパンの手で、１ページ目の右上方に献呈「pour Mlle Marie」、2ページ目6段目の上に署名「FF　Chopin」、7段目の上に場所と日付「Drezno Sept. 1835」が書かれている。</dd>
<dt>（２）</dt><dd>譜面の右上端にショパンの手で、「à Mme Peruzzi hommage de FF Chopin 1837」と、献呈、署名、日付が書かれている。
</dd>
<dt>（３）</dt><dd>3ページ目の右下にショパンの手で「à Mademoiselle Charlotte de Rothschild hommage F. Chopin Paris 1842」と献呈、署名、場所、日付が書かれている。</dd></dl>

<p>　ベーチは、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の（１）の献辞を論拠として、「Marie」をマリー･プレイエルと同一視したと思われる。しかし、1835年にドレスデンでこのワルツを贈った「Marie」は、プレイエル夫人とは別人で、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>とワルシャワで旧知だったヴォジンスキ家の娘、マリア・ヴォジンスカである。ドレスデンで再会した時、すっかり成長した16歳のマリアに<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は一目惚れした。そして、ヴォジンスキ家の人々と一緒に1週間過ごした後、ドレスデンを離れるのだが、その際、マリアに贈ったのがこのワルツ<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000458.html">作品69-1</a>であり、"別れのワルツ"と呼ばれている。したがって、「<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000458.html">作品六十九の一</a>のワルツも夫人への献呈作品である」という記述も誤りということになる。<br />
　これらのことから、ベーチのマリー・プレイエルを巡る記述、マリーが<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>に演奏会を依頼したという記述は、信憑性が薄いと思われる。<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>がプレイエルとの繋がりでサル・プレイエルを演奏の舞台として用意したという可能性が高いと想定される。<br />
以上、見てきたように、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>はパエールから、<a href="/enc/dictionary/composer/cherubini/">ケルビーニ</a>、バイヨ、<a href="/enc/dictionary/composer/rossini/">ロッシーニ</a>、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>という、パリ音楽界における其々の分野の中心人物に紹介されたことにより、その後の人脈が広がり、パリでの活動の基盤となったと考えられる。</p>

<div class="t2">３．３　パリ・デビュー演奏会</div>

<a name="h02"></a>
<div style="float:right;margin-left:15px;width:310px;">
<strong>表２．ショパンのパリ・デビュー演奏会のプログラム</strong>
<div class="prg">
<dl class="list1">
<dt><strong>第一部</strong></dt><dd>&nbsp;</dd>
<dt>1.</dt>
<dd>ベートーヴェン作曲の五重奏曲、バイヨ、ヴィダル、ユルアン、ティルマン、ノルブラン氏の演奏による。</dd>
<dt>2.</dt><dd>トメオニ嬢とイザンベール嬢による二重唱。</dd>
<dt>3.</dt><dd>ピアノ協奏曲、F.ショパン氏の作曲および演奏による。</dd>
<dt>4</dt><dd>.トメオニ嬢によるアリア。</dd>
<dt><strong>第二部</strong></dt><dd>&nbsp;</dd>
<dt>1.</dt><dd>カルクブレンナー氏作曲による、六台のピアノのための序奏と行進曲付き大ポロネーズ、カルクブレンナー、メンデルスゾーン=バルトルディ、ヒラー、オズボーン、ソヴィンスキ、ショパン氏の演奏による。</dd>
<dt>2.</dt><dd>イザンベール嬢によるアリア。</dd>
<dt>3.</dt><dd>ブロードによるオーボエ独奏。</dd>
<dt>4.</dt><dd>モーツァルトの主題による華麗なる大変奏曲、F.ショパン氏の作曲および演奏による。</dd>
</dl>
（スモレンスカ＝ジェリンスカ2001:148、1月15日のプログラムの写真より、岡部訳。）<br />
実際に行われた2月26日のプログラムは残っておらず、資料として残存するのは、予定が延期になる前の１月15日、「ワルシャワ出身のフレデリク・ショパン氏による大演奏会　歌と器楽」と題されたものである。2月26日には、メンデルスゾーンの代わりにソヴィンスキが出演した。
</div></div>




<p>サル・プレイエルで1832年2月26日に行われた<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリ・デビュー演奏会のプログラムは、種々の文献に掲載されており、以下の表２で示されている通りである。五重奏、重唱、オーボエ独奏等、様々な出し物による構成となっている。現在のリサイタルの形態、つまり、一人のピアニストが、全ての演目を暗譜で演奏する形態は、意外にも、1839年のリストの演奏会に端を発するものである。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の演奏会は、当時の習慣に従って、多彩な演目が並べられていたのであった。</p>


<p>　表２に見るように、曲名には作品番号や調性などの記載がない。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の協奏曲が、<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000380.html">第1番作品11</a>として出版された「ホ短調」なのか、第1番より早くに作曲されていた<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/chopin/000381.html">第2番作品21</a>の「ヘ短調」なのかについては、明らかではない。この点を、エーゲルディンゲルが指摘している（エーゲルディンゲル 2007:201-8）。拙論では、まず、出演メンバーに注目したい。弦楽四重奏団はバイヨが出演を申し出た自分の弦楽四重奏団のメンバー、バイヨ、ヴィダル、ユルアン、ノルブランである。アトウッドによると、バイヨの弦楽四重奏団は、当時パリの尊敬の的であったという（アトウッド1991,上巻:96）。当日の演奏は五重奏曲だったために、さらにもう一人の奏者として、ティルマンが選ばれた。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>以外の演奏者名は、姓しか記されていないが、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の手紙等に基づいて名前を明らかにしてその人物像を紹介すると、以下のようになる。<br />
　まず、ユルアン［Urhan, Chrétien 1790-1845］であるが、彼は、ドイツ生まれでフランス在住のヴィオラ奏者兼ヴァイオリン奏者、作曲家である。1814年オペラ座管弦楽団に入り、1823年にはその第１ヴァイオリン奏者の席に座り、1836年には同座専属のヴァイオリン独奏者となる。そのかたわらで、バイヨ四重奏団においても活動した（1824-37年）。アントン・ボーラ
ーの四重奏団ではヴィオラを担当した（1830-31年）。1828年、パリ音楽院演奏協会のコンサートマスターとなる。<br />
　ノルブラン［Norblin, Louis Pierre Martin 1781-1854］は、フランスのチェロ奏者。ショパンと同様に、父がフランス人、母がポーランド人だった。パリ音楽院卒業、1809年イタリア座管弦楽団入団、1811-41年オペラ座の首席チェロ奏者。1824年から1846年までパリ音楽院で教えた。バイヨ四重奏団のメンバー。アブネックとともに1828年のパリ音楽院演奏協会発足の一員だった。1831年12月14日、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がワルシャワの師、エルスネルに宛てた手紙に「私の演奏会は25日に延期されたこと・・・それをまとめるにはたいへんな面倒がございました。そして、もしパエール、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>、特にノルブリン（先生によろしくと申しております）がおりませんでしたら、こんな短時日で決して演奏会はできなかったでしょう。」（ヘドレイ1965:147）とあることから、ノルブランはエルスネルと既知の間柄だったと思われる。<br />
　ティルマン［Tilmant, Théophile 1799-1878］は、フランスの指揮者兼ヴァイオリン奏者である。パリ音楽院で学び、イタリア座とオペラ座の管弦楽団でヴァイオリン奏者として活躍、イタリア座管弦楽団の副指揮者（1834-38年）、首席指揮者（1838-49年）。パリ音楽院演奏協会が設立された年である1828年から始まって、1860年まで副指揮者を務めた。<br />
　ヴィダルとブロードについては、詳細不明であるが、アトウッドによると、ヴィダルはイタリア座の指揮者であり、国王のオーケストラではパエールの下で弾いていた。オーボエ奏者のアンリ・ブロードは音楽院で教えるかたわら、パリ・オペラ座でも演奏していた（アトウッド1991,上巻:100）。<br />
　スタマティ［Stamaty, Camille (Marie) 1811-1870］は、ピアニスト、作曲家、教師で、カルクブレンナーの弟子だった。ピアニストとしての最初の公開演奏会は、サル・プレイエルで1835年３月15日に行われた。<br />
　<a href="/enc/dictionary/composer/hiller_f/">ヒラー［Hiller, Ferdinand (von) 1811-1885］</a>は、ドイツの指揮者、作曲家、教師。<a href="/enc/dictionary/composer/mendelssohn/">メンデルスゾーン</a>の親友。1828年からほぼ7年間パリに滞在し、数多くの演奏会を開き、ピアニスト、作曲家としての才能が高く評価された。<br />
　オズボーン［Osborne, George Alexander 1806-1893］は、アイルランドのピアニスト、作曲家。1826年にパリへ行き、<a href="/enc/dictionary/composer/pixis/">J.P.ピクシス</a>にピアノを、フェティスに和声と対位法を学ぶ。まもなく<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>の指導の下にピアノ技巧を完成させ、フランスにおける<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>の演奏スタイルの最もすぐれた演奏者の一人となる。またたく間に、パリ、ロンドン両都市で流行のピアニストおよび高名な教師となった。<br />
　ソヴィンスキ［Sowiński, Wojciech 1805(1803?)-1880］は、ポーランドの音楽著述家、ピアニスト、作曲家、教師。1830年以降はパリに住み、主に音楽とピアノの教師として活動した。<br />
　声楽家のトメオーニは、18世紀から19世紀にかけて活躍したイタリアの音楽家の一族であるが、この一族に関しては、今でも記述に混乱がある。トメオーニ嬢というのは、おそらくエルミニア・トメオーニ［Tomeoni, Erminia （1783年以降パリ生-1845年以降没）］のことであろう。パリ音楽院で声楽と鍵盤楽器を学び、パリで歌ったり教えたりした後、ツアーに出た。イザンベール嬢については詳細不明である。<br />
　これらの出演メンバーは、バイヨと<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>が集めてくれた人達だった。声楽家に関しては、ロッシーニの協力もあった。<br />
　次に、当日の聴衆に注目すると、その面々は主にポーランドから移り住んできた人たちで、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の音楽家仲間や、ヴォイチェフ・グジマワ伯爵やチャルトルィスキ家およびプラテル家の人々に勧められて来場した貴族たち、それから、カルクブレンナーの招待客である。この客たちは、著名な批評家、作家、ピアニスト、作曲家などパリ音楽界のリーダーたちだった。<a href="/enc/dictionary/composer/hiller_f/">ヒラー</a>は晩年、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の最初のプレイエルでの演奏会には、パリの「全ての音楽の名士」が集まったと回想している。その中の一人で、ルヴュ・ミュジカル誌の編集長である批評の権威、フェティスは、1832年3月3日の同誌に、「<a href="/enc/dictionary/composer/beethoven/">ベートーヴェン</a>が書いたピアノのための音楽と、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の霊感がピアニストのための音楽として創り出したものは全く別である。それは芸術のこの種の分野に大きな衝撃を与えた。メロディは魂から溢れ出たという表現がぴったりで、構成は想像性に満ち、どの部分をとっても独創的であった」と述べている。また、演奏家としても、「気品に満ち、さり気なく優雅で、音が澄んでいてかつ華やかでもあった」等、惜しむことなく称賛して<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の名を広めた。しかし、即興的な趣が時おり感じられたことを、彼は好ましくないと考えたようである。（批評の全文は、アトウッド1991下巻:151-152）<br />
　以上、この演奏会のプログラムの中で、協力者として見える名前は、パリで、パエールがショパンに紹介した人たち、および、その人物とつながりのある人たちである。このデビュー演奏会の成功で、ショパンの名声はパリ中に広まった。つまり、ここでも、マルファッティからのパエール宛紹介状が有効に作用し、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリでの出発を決定付けたと言える。<br />
　しかし、一方で、再三デビュー演奏会の日にちが延期されたことに関して、エーゲルディンゲルは、「おそらくこれは、カルクブレンナーのショパンに対する嫉妬、すなわちショパンの演奏会を失敗に終わらせようという彼の画策によるのではないだろうか」（エーゲルディンゲル2007:200）と述べている。演奏会は当初、前年の12月25日に予定されていたが、歌手の調達が困難で延期となった。次に１月15日と予告されたが、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>が病気のため延期となった。この際のプログラムでは表２のように、<a href="/enc/dictionary/composer/mendelssohn/">メンデルスゾーン</a>が出演予定であったが、2月に挙行された実際の演奏会では出演はなかった。彼は聴衆の中にいただけだった。出演者交代の理由はわからないが、12月12日付のショパンが友人ティトゥスに宛てた手紙によれば、そこには既に<a href="/enc/dictionary/composer/mendelssohn/">メンデルスゾーン</a>の名前はなく、代わりにソヴィンスキと書かれてあった。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がパリに来た当初、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>が、自分のもとで３年間勉強すれば...、と言った話は有名である。この申し出に対して<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は喜んで舞い上がっていたが、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の師エルスネルは、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>が<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>に嫉妬して言ったものとして、弟子になることに反対した。このいきさつは、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の手紙（師エルスネルや家族との手紙のやり取り）に見ることができる。しかし、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>は、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が弟子になることを丁重に断った後も、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の才能を正しく評価し、プレイエルのホールを使えるように準備する等、デビュー演奏会に力を尽くしたとするのが一般的な説であった。先に述べたエーゲルディンゲルの説は、演奏会プログラム等の資料、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の手紙、さらにメンデルスゾーンの手紙から検証して導いた結果である。そして、このデビュー演奏会の入場料が、<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>によって、10フランという、オペラ座公演より高価な価格に設定されたため、当日の聴衆が少なくて、実入りが無かったことは、多くの資料に語られている。このことは、エーゲルディンゲルの説もあり得ると考えられる。<a href="/enc/dictionary/composer/kalkbrenner/">カルクブレンナー</a>の嫉妬と邪魔が事実であったとしても、また、たとえ彼が失敗を目論んだとしても、結果的にはこのデビュー演奏会は成功し、パリにおけるショパンの以後の活動を決定付けることになった。</p>

<div class="t2">３．４　デビュー演奏会以後</div>
<p style="padding-bottom:0px;">　1832-33年の冬には、既に<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリでの地盤は固まっていたようである。すなわち、1833年1月、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がジェヴァノフスキに宛てた手紙には「僕は最高の社交界に出入りしています。大使、公爵、大臣たちの間にすわるのです。僕は自分をとくに売り込むようなことはしなかったのに、どんな不思議が起こったのでしょう」（河合2001：57）とある。では、デビュー演奏会からここに至るまでの間、つまり、１年足らずの間に、物事は彼にとって順調に上向いていたのであろうか。それとも、しばしば伝記で語られているように、演奏会もできず、弟子もいなくなり、精神的に不安定になり、アメリカへの移住まで考えていたのであろうか。あるいは、そうした事態に立ち至ったある日、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は街でばったりラジヴィウ公に会い、ロスチャイルドの夜会に誘われて一夜にして人気者になったのであろうか。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が一度どん底に落ちた、という説が出てきたのは、おおむね次の２点が根拠になっていると思われる。</p>

<dl class="list2">
<dt>〔１〕</dt><dd>パリにコレラが大流行したり、政治的暴動が起こったりしたことにより、以下のような状況が生まれたこと。<br />
a. 1832年春、アントニ・オルウォフスキ（ワルシャワで<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の師エルスネルのクラスの同級生）が、パリからワルシャワの自分の家族に宛てた手紙の記述、「...ここ二･三日 彼[ショパン]は非常に憂うつになっています...ホームシックです。」「パリは悪い状態です。芸術家たちはたいへんな困りようです。コレラが原因で金持ちたちはいなかに逃げて行きました。」（へドレイ1965:156）<br />
b. パリに一緒に来るはずだったワルシャワのヨゼフ・ノヴァコフスキに宛てて、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が書いた1832年4月15日付の手紙、「ここで弟子をとることは非常に難しく、演奏会を開くのはもっと困難です」（マレック＆ゴードン=スミス1981:115）。<br />
c. ポーランドからの亡命者に、コレラの流行や政治的な暴動を避けて、アメリカへ移住する人が多数いたこと。</dd>
<dt>〔２〕</dt><dd><a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、1832年3月13日に、パリ音楽院演奏協会へ出演許可願いを提出したが、それが却下されたこと。</dd></dl>

<p class="main">　まず1点目から詳述すると、パリにコレラが大流行したり政治的な暴動が起こったりしたことにより、パリの社会状況が良くなかったことは事実である。しかし、オルウォフスキがワルシャワの家族宛に書いた1832年11月の手紙には、「彼は今流行の中心にいる。もうじき世の中には<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>風手袋なんてものが現れるに違いない。もっとも時々ホームシックに悩まされてはいますが」（スモレンスカ＝ジェリンスカ2001:149）と、記述されている。ここから明らかとなることは、パリにおいて<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の人気が非常に高まったこと、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>自身は望郷の念にさいなまれていたことである。したがって、ホームシックを直ちにどん底状態、つまり、生活上の困窮と芸術活動の停滞に結び付けることはできないであろう。この手紙の日付に関して、英語版の翻訳者へドレイは[一八三四年]と記しているが、鍵括弧（ [ ] ）の記号で付されているので、ヘドレイが推察補足したものである。ヘドレイ編の書簡集では、明確な日付に対してはそのまま記し、推測に基づいて補足した場合は鍵括弧を加えている<a href="#cssLecture" title="<b>（注1）</b>鍵括弧が付された補足は、ほとんどが英語版訳者によるものであるが、日本語版で補足されたものもある。しかし、その区別は明らかにされていない。" style="font-size:11pt;font-weight:bold;">（注1）</a>。したがって、スモレンスカ＝ジェリンスカ2001に記載されている日付、「1832年11月」の方が、確度が高いと思われる。そうなると、既にこの時期に、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリでの地位が、流行の前触れを予感させるほど固まっていたことになる。資金面で苦しかったことは事実である。しかし、父ミコワイは、パリで身を固めるまで、費用が必要なのは当然のこととして援助をしていた。さらに、母も家族に内緒で送金していたようだ。姉ルドヴィカも、お金が要るようなら、こっそり私に知らせて、と手紙に書いている。全面的に家族の協力があったと考えられる。<br />
　アメリカ行きを考えていたという従来の説については、近年では、「根拠がない」と、否定的に見られている。例えば、マレック＆ゴードン=スミス1981において、真実とは思えない、という記述が既に現れている。頻繁に交わされていた家族や友人との手紙等に、アメリカに関する言及が出てきていないことからみても、アメリカ行きを計画していたと考えることは難しいであろう。さらに、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>はこの時期に、既に出版社との契約が成立しており、それなりの収入があったと考えられる。また、契約という希望にあふれた事実が、芸術の都パリに強く彼の心を惹きつけたことであろう。スモレンスカ=ジェリンスカ2001によると、<br />
　「ショパンは、1832年夏には、パリ有数の出版社シュレザンジェ[シュレジンガー]と全作品を刊行するという契約に署名。同時に、このフランスの書店と共同出版の形で、冬以降ライプツィヒではプロープスト社から（ほどなくこれは有名なブライトコップフに引き継がれる）、そしてロンドンではウェッセル社から（ショパンの全作品が）発行されることになった」（スモレンスカ=ジェリンスカ2001:149）<br />
　ということである。このことは、1832年6月28日付の父からショパンに宛てた手紙に、シュレジンガーは「約束を守って、作品に支払ってくれていますか」（ヘドレイ1965:157）と触れられていることから確認できる。ショパンの父への返事は明らかになっていない<a href="#cssLecture" title="<b>（注2）</b>ショパンが書いた家族宛の手紙の多くは、1863年にロシア兵士たちの手で破棄された。そのため、ショパンが返事を書かなかったのか、あるいは、返事を書いたが失われてしまったのか等、詳細は不明である。" style="font-size:11pt;font-weight:bold;">（注2）</a>。ショパンの作品は、この時期から、独、仏、英の３国からほぼ同時に初版が出版された。実際、作品６以降の作品が、独、仏、英の3国から、1832年より順次出版されている（出版に関する詳細は、岡部2001:8-12を参照）。このことも、ショパンがアメリカへの移住を考えていたことを否定する事実となるであろう。<br />
　次に2点目であるが、拙論第2章で見たように、パリ音楽院演奏協会は社会的権威のあるもので、演奏会に出演すれば、その権威に認められた演奏家ということになる。ショパンの出演願いに対しては、その左上方に「出願願い／到着遅し」と記入されている（エーゲルディンゲル2007:202写真掲載）。この時、すでに<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は無名ではなかった。デビュー演奏会の協力者を見ても分かるように、パリ音楽院、あるいはパリ音楽院演奏協会に良く知られていたはずである。そのために「出演の出願が遅すぎる」ということになったのかもしれない。パリ音楽院演奏協会の主催ではないが、ショパンは1832年5月20日に、パリ音楽院での慈善演奏会に出演している。<br />
　最後に、街で偶然ラジヴィウ公に会い、一夜にして人気者になったという説であるが、ラジヴィウ公とは、オペラ・ファンのヴァレンティ・ラジヴィウ公のことであり、彼は、ポーランドの有名な貴族で、ショパンに援助を申し出たポズナン大公国総督アントンの弟でもある。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がパリに着いた当初、あらゆる機会を見つけてオペラを見に案内してくれた。もし<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が窮地に追い込まれていたとしたら、街で偶然会うまで<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>を放っておいたであろうか。ただし、この間にラジヴィウ公自身がパリから離れていた可能性等を明らかにすることができなかったので、調査の必要があり、今後の課題である。<br />
　以上のことを考え併せると、伝記で語られている「<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がどん底に落ちていた」というのは、おそらく事実ではなかったであろうと推察される。</p>


<div class="t2">３．５　パリのもう一つの社会背景</div>

<p>　<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリ生活では、彼の社会背景を構成するもう一つ重要な要素がある。それは、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のデビュー演奏会の時、聴衆に名を連ねていたポーラドから来た人たちである。<br />
ポーランドでは、1830年のワルシャワ蜂起後、翌年の2月に、貴族アダム・チャルトルィスキを首班とする国民政府が樹立した。しかし、ロシア軍の反攻が始まり、各地で戦闘の末、9月7日にワルシャワは占拠され、蜂起は失敗に終わった。この後、ロシアの追及を恐れて、パリには多数のポーランド人亡命者たちが逃げのびて来た。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がパリに到着したのが9月半ばだったので、ちょうど時を同じくして、一国を代表する政治家、貴族、学者、芸術家たちがパリに来たことになる。その中には<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>と親しかった人も多数いた。パリではアダム・チャルトルィスキ公が中心となり、多岐に渡る活動を展開した。パリはポーランド人の避難所であるとともに、ポーランド文化の首都としても機能した。1832年に「ポーランド文芸協会」が発足した際に、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は入会が認められ、1833年1月16日付のポーランド文芸協会宛の手紙に、選挙で会員に選ばれ、入会が許可されたことの感謝を述べている。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、チャルトルィスキ家と同様にポーランドから亡命して来たプラテル伯爵家にも出入りして知己を広げた。後に、マルツェリーナ・チャルトルィスカ公爵夫人（旧姓ラジヴィウ）は、パリのポーランド亡命社会の中心となったランベール館で、音楽サロンを催した。彼女はラジヴィウ家の公女として生まれ、アダム・チャルトルィスキの息子アレクサンドルと結婚、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の弟子でもあり、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の奏法をそのまま受け継いだと言われている。<br />
　亡命ポーランド人の一人ユリウシュ・スォヴァツキが自分の母に書いた1832年9月3日付の手紙では、私邸の社交的な集いについて報告している。<br />
　「...プラーター[プラテル]での晩餐会の間に、かれのとこでの芸術家たちの集まりの夜会に招かれていましたので、ちょっと立ちよりました。男ばかりのパーティーでした。有名なピアニスト、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がひいてくれましたし、...一言でいえば、愉快な夜会でした。<br />
　二、三日あとでストラシュウィッツが同じようなパーティーを開きましたが、月並なもので、...パーティーは十時から午前二時までかかって死ぬほど退屈でした。ところがパーティーが終わる前に<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がほろ酔いきげんで、実に精妙な音楽をピアノで即興演奏しました」（ヘドレイ1965:159）</p>

<p>　この手紙からは、9月初めの時点で、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が私邸に招かれて演奏していたことが伺える。このことは、前章で検討した、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がどん底に落ちていたという説を否定する根拠の補強となるであろう。<br />
　スモレンスカ＝ジェリンスカによると、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が収入確保のために始めたピアノの個人教授は、まず、ポーランド人貴族のプラテル家とコマール家だった。コマール家では三人の娘に教えたが、その長女が、結婚してパリの重要な音楽サロンの女主人（salonnière）となるデルフィナ・ポトツカだった。彼女は、1832年から離婚する1843年まで、常時パリで暮らしていた。このデルフィナを崇拝していたド・フラオー伯爵を通じて、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は教師としてフランスの貴族社会に入っていった。パリ貴族社会で最上級のヴォーデモン公爵夫人、ノワイユ公爵家、国王の側近ド・ペルチュイ家、エステルハージ伯爵、ロートシルド[ロスチャイルド]男爵らが、自分のため、また妻や娘のために、この傑出した教師を雇う栄誉を得ようとした。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のレッスン料が１時間20フランということを定めたのはプラテル家とチャルトルィスキ家であり、その高額なレッスン料が、むしろすばらしい宣伝になった（スモレンスカ＝ジェリンスカ2001:167）。ロスチャイルド男爵夫人がパリでの弟子の第１号だったという説もある。「ロスチャイルド家の夜会に出て一夜にして人気者に」という話から出てきたようにも思えるが、事実は不明である。いずれにしても、ポーランドからの亡命者たちによる共同社会の存在が、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリでの成功の背景にあったと言えるであろう。<br />
　1834年には、ロシア皇帝が「ポーランド王」として、「フランス領内に滞在中のすべてのポーランド人は、旅券延長手続きのためロシア大使館に出頭すべきこと、もしこれを怠った場合、その者は政治亡命者と認定され、そのことはさまざまな重大な結果を招く可能性がある」という命令を下した。これについては父ミコワイが<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>に宛てた9月7日付の手紙の中で、「...お前は騒動が起こる前に旅立って、それには関係がないから、大使館へ行ってこのことについて尋ねるようにしてほしいと思う。わたしはお前が亡命者で不注意な連中のなかの一人に数えられないように希望しています。間違いなくこのことはしておくように、結果は知らせてください。」（ヘドレイ1965:174）と言ったにもかかわらず、出頭せずに亡命者であることを選択した。さらに、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が高い評判を得ると、ロシアは<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>を獲得しようと、「ロシア皇帝付き主席ピアニスト」という身分を提供するが、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は応じなかったという（河合2001:90）。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、パリのポーランド人亡命社会の中で生きることを選択したのである。
</p>

<br />

<h3>４．まとめ</h3>
<p style="padding-bottom:0px;">
拙論では、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>がなぜパリへ向かったのか、そして、今まで不明なことが多かったパリ到着の当初について、パリではどのように受け入れられていったのかを中心に見てきた。その結果、以下のことが明らかになった。</p>

<dl class="list2" style="margin-left:15px;margin-roght:15px;">
<dt>1.</dt><dd>ウィーン滞在中にワルシャワ蜂起が起こり、ウィーンで活動できなくなった<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、主に身の安全のために、パリを目指す決心をしたこと。</dd>
<dt>2.</dt><dd>パリに着いた直後、ウィーンから携えてきた僅かな紹介状の中で、マルファッティからパエールに宛てた紹介状が、その後の<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリにおける活動を決定付けたこと。</dd>
<dt>3.</dt><dd>さらにパエールが紹介したケルビーニ、バイヨ、ロッシーニ、カルクブレンナーという当時のパリ音楽界の中心人物の協力により、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のパリ・デビュー演奏会が成功し、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>の名前がパリ中に知られたこと。</dd>
<dt>4.</dt><dd>デビュー演奏会後、最高の社交界に出入りするようになるまでの間、困窮してアメリカ移住まで考えたという伝記で語られている話は、事実では無かったであろうこと。
<dt>5.</dt><dd>パリにはポーランドから貴族・知識人層を中心に多数の亡命者が来ており、ポーランド文化の中心地となり、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>もその亡命社会に支えられたこと。</dd>
<dt>6.</dt><dd>ポーランド亡命社会の貴族、ならびに音楽サロンを通じて知遇を得たパリの最上級の貴族たちが、競って、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>をピアノ教師として迎えるようになったこと。</dd></dl>

<p>　パリでの当初、声楽優位の伝統の中で、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、故郷の師エルスネルにもオペラを書くことを勧められたが、1831年12月14日付の師へ宛てた手紙にもあるように、「ピアニストとして世の中に出る」と、既に決めていた。それでもエルスネルは諦めきれず、1832年11月13日の手紙、さらには1834年9月14日の手紙にも、オペラの作曲を期待する文面が見られる。しかし、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>はオペラ作曲家という選択をしなかった。<br />
　1831年以降、パリは、商業主義、文化的流行現象、社会活動における自由競争の場となった。1831年にパリで、ヴァイオリンのパガニーニが、ヴィルトゥオーゾ（卓越した技巧の演奏家）として成功をおさめて以来、多くのピアノ奏者兼作曲家たちがパリにやってきて、華やかな技巧を競い合った。中でも、<a href="/enc/dictionary/composer/thalberg/">タールベルク</a>、<a href="/enc/dictionary/composer/liszt/">リスト</a>、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>が抜きん出ていたが、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、<a href="/enc/dictionary/composer/liszt/">リスト</a>や<a href="/enc/dictionary/composer/thalberg/">タールベルク</a>ほどには公開演奏をしなかった。華々しい演奏活動を好まなかったからである。1833年1月第2週にドミニク・ジェヴァノフスキに宛てて書いた手紙に、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、「君がイギリスやオーストリアの大使館で演奏すれば、たちまちもっと優れた才能が君にあることになるのだ。ヴォデモン公爵夫人が君のパトロンになれば、たちまち君はもっとすばらしい演奏家ということになるのだ」（ヘドレイ1965：162）と書いている。<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>はパリ到着後、早い時期に、演奏会での名声のほかに、上流社会や社交界で認められる栄誉が何よりも大切だということを、理解していたようである。<br />
　父から受け継いだフランス人の血、幼い頃から貴族の館に出入りして自然に身に付いていた貴族風の身のこなし、知識人との交流から得た知識の数々、人柄の魅力、機知にあふれた会話、非の打ちどころない礼儀作法により、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は難なくパリの上流社会に入ることができたに違いない。しかも、本人自ら、社交界で頂点にいられるように常に努力をしていた。<br />
　パリでは、プレイエル社のピアノと出会い、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>は、この響きを最大限に使って表現の幅を広げた。そして、イタリア・オペラとの出会いが、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>のベル･カント奏法を生み出した。ちょうど音楽サロンが盛んになったパリ、各地からピアニストが多数集まってきたパリ、貴族たちが競って売れっ子ピアニストを自分や妻や子供のために雇ったパリだったからこそ、<a href="/enc/dictionary/composer/chopin/">ショパン</a>という、生涯にわたって、ほぼピアノ曲の作曲に専念できた特別な音楽家が生まれたのであろう。</p>


<h2>参考文献 <small style="font-weight:normal;">(著者アルファベット順)</small></h2>
<div class="sanko">

<strong>Atwood, William G.　　アトウッド，ウィリアム</strong>
<p>1987　<em>Fryderyk Chopin, Pianist from Warsaw</em>, New York: Columbia University Press<br />
1991　日本語訳『ピアニスト・ショパン』（上・下）　横溝　亮一（訳）　東京：東京音楽社</p>

<strong>Balthazar, S.L. ; Budden, Julian</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Paer, Ferdinando" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 18:882-885</p>


<strong>Beci, Veronika　　ベーチ，ヴェロニカ</strong><br />
<p>2000　<em>Musikalische Salons, Blütezeit einer Frauenkultur</em>,Düsseldorf/Zürich: Artemis&Winkler Verlag<br />
2005　日本語訳『音楽サロン　秘められた女性文化史』早崎えりな；西谷頼子（訳）　東京：音楽之友社</p>



<strong>Benton,Rita</strong><br />
<div>2001a　</div><p style="padding-bottom:0px;">"Pleyel, (Joseph Stephen) Camille" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 19:922-923</p>
<div>2001b　</div><p>"Pleyel, (Camille) Marie (Denise) Moke" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 19:922-923</p>

<strong>Boucourechliev, André　ブクレシュリエフ，アンドレ</strong><br />
<p>1996　<em>Regard sur Chopin</em>,  Paris: Fayard<br />
1999　日本語訳『ショパンを解く！』小坂　裕子（訳）　東京：音楽之友社</p>

<strong>Bourniquel, Camille　　ブールニケル，カミーユ</strong><br />
<p>
1957　<em>Chopin</em>, Editions du seuil<br />
1969　日本語訳『《永遠の音楽家》ショパン』荒木昭太郎（訳）　東京：白水社</p>

<strong>Charlton, David ; Trevitt, John ; Gosselin, Guy</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Paris VI. 1789-1870" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 19:100-111</p>

<strong>Cooper, Jeffrey</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Tilmant, Théophile (Alexandre)" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 25:477</p>

<strong>Cortot, Alfred　　コルトー，アルフレッド</strong><br />
<p>1949　<em>Aspects de Chopin</em>, Paris: Albin Michel<br />
1972　日本語訳『ショパン』河上　徹太郎（訳）　東京：新潮社  </p>

<strong>David, Paul ; Parikian, Manoug ; Garnier-Bute, Michelle</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Baillot, Pierre (Marie François de Sales)" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em>, London: Macmillan 2:490-491</p>

<strong>Dekeyser, Paul</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Kalkbrenner, Frédéric" Sadie, Stanley (ed.), The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) , London:Macmillan 13:328-330</p>

<strong>Eigeldinger, Jean-Jacques　　エーゲルディンゲル，ジャン=ジャック</strong><br />
<p style="padding-bottom:0px;">1979　<em>Chopin vu par sesélèves</em>, Neuchâtel: Editions de la Baconnière<br />
1983　日本語訳『弟子から見たショパン　そのピアノ教育法と演奏美学』米谷　治郎；中島　弘二（訳）　東京：音楽之友社<br />
1988　<em>Chopin vu par sesélèves</em> (nouvelle édition remaniée), Neuchâtel: Editions de la Baconnière</p>
<div>2005　</div><p>日本語訳『弟子から見たショパン　そのピアノ教育法と演奏美学（増補・改訂版）』米谷　治郎；中島　弘二（訳）　東京：音楽之友社<br />
2000　<em>L'univers musical de Chopin</em>, Librairie Artheme fayard<br />
2007　日本語訳『ショパンの響き』小坂　裕子（監訳）　小坂　裕子；西　久美子（訳）　東京：音楽之友社</p>


<strong>Ellis, Katharine</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Stamaty, Camille (Marie)" Sadie, Stanley(ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 24:263-264</p>

<strong>Fend, Michael</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Cherubini, Luigi (Carlo Zanobi Salvadore Maria)" Sadie, Stanley(ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 5:571-586</p>


<strong>Gossett, Philip</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Rossini, Gioachino (Antonio)" Sadie, Stanley(ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 21:734-768</p>

<strong>Grenier, Jan-Marie　　グルニエ，Ｊ=マリー</strong><br />
<p>1964 　<em>Frédéric Chopin</em>, Paris: Editions Seghers<br />
1971　日本語訳『ショパン　不滅の大作曲家シリーズ』店村新次；赤瀬雅子（訳）　東京：音楽之友社</p>

<strong>Hedley，Arthur　　へドリー，アーサー</strong><br />
<p>1957　<em>Chopin</em>, London: Dent (1st ed. 1947)<br />
1983　日本語訳『フレデリック・ショパン』野村　光一（訳）　東京：音楽之友社</p>

<strong>Hedley，Arthur (ed.)　　へドレイ，アーサー（編）</strong><br />
<div>1962　</div><p style="padding-bottom:0px;"><em>Selected correspondence of Fryderyk Chopin</em>, Translated and edited with additional material and a commentary by Arthur Hedley, London: Heinemann</p>
<p>1965　日本語訳『ショパンの手紙』小松　雄一郎（訳）　東京：白水社　(2003新装復刊)</p>

<strong>ホルクマン，ヤン　　野村千枝（訳）</strong><br />
<p>1957　『ショパンの遺産』　東京：音楽之友社</p>

<strong>Jackman, James L.</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Tomeoni, (4)Erminia Tomeoni" Sadie, Stanley(ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 25:566-567</p>

<strong>加藤　一郎</strong><br />
<p>2004　『ショパンのピアニズム　その演奏美学を探る』　東京：音楽之友社</p>

<strong>河合　貞子</strong><br />
<p>2001　『ショパンとパリ』　東京：春秋社</p>

<strong>Kobylańska, Krystyna</strong><br />
<div>1979　</div><p><em>Frédéric Chopin, Thematisch-Bibliographisches Werkverzeichenis.</em> Translated by Helmut Stolze, edited by Ernst Herttrich. München: G.Henle Verlag</p>

<strong>小坂　裕子</strong><br />
<p>2004　『ショパン』　作曲家　人と作品シリーズ　東京：音楽之友社</p>

<strong>Lenz, Wilhelm von  レンツ，ヴィルヘルム・フォン</strong><br />
<p>1872　Die grossen Pianoforte-Virtuosen unserer Zeit, Brelin: B.Behr's Buchhandlung<br />
2004　日本語訳『パリのヴィルトゥオーゾたち』中野真帆子（訳）　東京：ショパン</p>

<strong>Macdonald, Hugh</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Habeneck, François-Antoine" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 10:634-635</p>

<strong>Macgregor, Lynda</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Norblin (de la Gourdaine), Louis (Pierre Martin)" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 18:31</p>

<strong>Marek, George R & Gordon-Smith, Maria   マレック＆ゴードン＝スミス</strong><br />
<p>1981　『ショパン━その実像━』木村博江(訳）　東京：東京創元社</p>

<strong>Methuen-Campbell, James　メスエン＝キャンベル，J.</strong><br />
<p>1981　<em>Chopin Playing from the Composer to the present day</em>, <br />
1987　『ショパンをひく』井本　晌二（訳）　東京：シンフォニア</p>

<strong>Michałowski, Kornel ; Samson, Jim</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Chopin, Fryderyk Franciszek" Sadie, Stanley (ed.),<em> The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 5:706-736</p>

<strong>Mongrédien, Jean</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Osborne, George Alexander"Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 18:768</p>

<strong>Morawska, Katarzyna</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Sowiński, Wojciech" Sadie, Stanley (ed.),<em> The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 24:110-111</p>

<strong>岡部　玲子</strong><br />
<p>2001　『パラダイム手法によるショパン《バラード》全4曲のエディション研究』　お茶の水女子大学　博士論文</p>

<strong>佐藤　允彦</strong><br />
<p>1991　『ショパンとピアノと作品と』　東京：東京音楽社</p>

<strong>Sietz, Reinhold ; Wiegandt, Matthias</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Hiller, Ferdinand (von)" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.)</em> , London: Macmillan 11:509-511</p>


<strong>Smoleńska-Zielińska, Barbara　　スモレンスカ＝ジェリンスカ，バルバラ</strong><br />
<p>1995　<em>Fryderyk Chopin i jego muzyka</em>, Warszawa: WSP<br />
2001　日本語訳『決定版　ショパンの生涯』 関口　時正（訳）　東京：音楽之友社</p>


<strong>Ringer, Alexander (ed.)　リンガー，アレグザンダー（編）</strong><br />
<p style="padding-bottom:0px;">1990　<em>Man & music: the early romantic era, between revolutions : 1789 and 1848</em>, London: Macmillan</p>
<p>1997　日本語訳『ロマン主義と革命の時代　西洋の音楽と社会７　初期ロマン派』 西原稔（監訳）東京:音楽之友社</p>


<strong>田村　進</strong><br />
<p>1980　『ポーランド音楽史』　東京：雄山閣</p>

<strong>Todd, R. Larry</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Mendelssohn(-Bartholdy), (Jacob Ludwig) Felix" Sadie, Stanley(ed.),<em> The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 16:389-424</p>

<strong>遠山　一行</strong><br />
<p>1976　『ショパン』　東京：新潮社</p>

<strong>Walton, Benjamin</strong><br />
<div>2001　</div><p>"Urhan, Chrétien" Sadie, Stanley (ed.), <em>The New Grove dictionary of music and musicians (2nd ed.) </em>, London: Macmillan 26:155</p>

<strong>Wierzynski, Casimir  ウィエルジンスキ，カシミール</strong><br />
<p>1972　『ショパン』 野村光一；野村千枝（訳）　東京：音楽之友社</p>

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