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【19世紀ピアニスト列伝翻訳シリーズ】 ~ジョン・フィールド 第1回
掲載日:2013年8月15日

ショパンを知る人なら一度は聞いたことがある「ジョン・フィールド」の名前。「ノクターン」という歌唱的な小品を数多く作曲し、このジャンルにおいてはショパンの先駆者と位置づけられています。しかし、実際、彼の人柄、演奏となるとあまり知る機会がありません。ショパンよりも28歳年上の名手の非常に際立った個性が生き生きと描かれています。

ジョン・フィールド(1782-1837)



ジョン・フィールドの音楽的個性は極めて大きな価値をもち、その独創性は極めて著しくまたその様式と手法の影響はあまりに際立っているので、我々がここで要約的にこの人物を検討するに際して、音楽芸術、とりわけピアノの現代的な流派に対してこの大家が及ぼした作用については触れずにおく。我々はそこで、一風変わったこの偉大な音楽家の人相を素描することとしよう―名声の時を手中に収め、ヴィルトゥオーゾとしての深い印象が今なお我々の想い出の中に残り続けているこの音楽家の容貌を。

ジョン・フィールドは、1782年、ダブリンの劇場のオーケストラに所属する音楽家の息子として、この街に生まれた。彼の祖父はこの街のオルガニストで、ごく幼少の彼に音楽の手ほどきをした、この老教師の教え方が厳格で荒っぽかったために、彼にとって最初の学習は殆ど魅力的なものにはならなかったし、教師の方が生徒に愛情を持たない場合には大変得るところの乏しいものとなった。とある若気の過ちによって、彼は一時期家族から離れたが、生活が逼迫してくるとすぐさま家族のもとに戻ってきた。時にフィールド16歳。数年後、ロンドンのオーケストラに職を得た彼の父は、息子をロンドンに連れて行きクレメンティに引き合わせ、その愛弟子となった。この高名な大家は、お気に入りの生徒と共にパリ、ドイツ、ロシアをめぐる一連の旅行に乗り出した。クレメンティのコンサートでフィールドが演奏すると、大変に受けが良かった。人々は、20歳のヴィルトゥオーゾの演奏に、名高い流派の長クレメンティの輝かしく卓越した美点を認めて感嘆し、特にJ. S. バッハエマヌエル・バッハの作品の見事な演奏流儀に魅せられた。イギリスとドイツであれほど人気のあるこれらの大家は、当時のフランスではまだ例外的な地位を得ておらず、彼らの力強い天分にこれが認められることとなるのはその後のことである。

フィールドクレメンティとともにヴィーンに滞在する間、偉大な対位法作曲家アルブレヒツベルガーのレッスンを受けた。それから彼はクレメンティとともにサンクトペテルブルクを訪れ、いくつかの演奏会で演奏し、例によって成功を収め、最終的にロシアに定住することに決めた。クレメンティはといえば1803年の春にロンドンに戻ることを考えていた。今度は自らが指導者となりあらゆる保護監督から解放されたフィールドは、名声の絶頂の只中で、引っ張りだこの流行の教師、ヴィルトゥオーゾとなった。彼は数多くの実り多き演奏会をロシアの主要諸都市、クールラント、リトアニア、ペテルスブルク、モスクワで開き、多年にわたりペテルブルクとモスクワに滞在した。残念なことに、ジョン・フィールドは怠け癖、美食趣味があり、強いワインがことのほか好きで、レッスンはおぼつかなく、簡単に手に入る収入を浪費し、誰かれ構わず貸してしまうので、自身の輝かしい地位を利用するすべを知らず、儲けたかなりの金額をロシアで全く貯めることをしなかった。



(訳:上田泰史)
執筆者:上田 泰史 
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