第08回 装飾音について2

第08回 装飾音について2

2006/07/13 | コメント(0)  | トラックバック(0)  | 

【演奏】  ♪ クープラン 「恋するウグイス」 (MP3) 演奏:武久 源造
※CD:「恋するウグイス」より(1993 AEOLIAN:AEO-513)

 今日は、装飾音の働きについてのお話の第2回をお届けします。

 前回は、リズムを強調したり、より生き生きとさせるための装飾音をご紹介しました。今回のテーマは旋律的装飾音です。これも考えてみれば、あらゆる民族の民謡から芸術歌曲まで、ジャズから演歌まで、歌というものには必ずと言っていいほど登場する装飾技法です。

 私はかつてこんな経験をしました。あるとき、ヴァルターの音楽辞典の装飾音の所を読んでいました。ヴァルターはバッハの従兄弟で、作曲家、理論家として有名な人物です。さて、その中でたまたまアクサンと呼ばれる装飾音についての個所に目が止まりました。アクサンは、長く伸ばした音の最後を瞬間的に半音、または一音上げる、という装飾技法で、バロックの後期にはずいぶん流行ったようです。これは普通楽譜には指示されておらず、奏者が任意に付け加えて表情を豊かにするためのものでした。ヴァルターは、「情熱が高まった時、これを用いると良い」という意味のことを書いています。

 と、ここまで読んだところで、私は疲れて一休みすることにし、何気なくラジオのスイッチを入れたのでした。すると、聞こえてきたのはラジオ演歌教室といった風な一種の視聴者参加番組でした。局に電話をかけると、スタジオには先生がいて、電話口で歌ってレッスンしてもらう、という趣向の番組でした。聴くとも無く聴いていた私は、その演歌の先生の一言に飛び上がるほど驚かされたのです。彼いわく、「ここは情熱が高まっていますので、楽譜には書いてありませんが、音の最後を少ししゃくりあげると良いでしょう」

 なんと、300年前のドイツの音楽理論家が書いたのと寸分たがわず同じ技法を、全く同じ目的のために使え、と、現在日本の演歌の先生が教えておられるのです。これは私にとって、天恵ともいうべき大きな感動でした。300年の時間の隔たりがあっても、日本とヨーロッパという距離があっても、人間の根源的な音楽性は共通している部分がある。ひょっとしたらその部分はかなり大きな広がりがあるのではないか。いや、実は人類は皆、殆ど同じなのではないだろうか、とさえ思えてくるのです。勿論、この種のことは非常に注意深く考えねばなりません。演歌とバロック歌曲をいっしょにすることには大きな無理がある。それは言うまでもありません。ただ、装飾音というのは、我々の根源的な音楽の質、表現意欲の部分に深く根ざしていることは確かです。

 ところで、今例に挙げたアクサンという装飾音ですが、これは鍵盤楽器でやるのはなかなか難しいのです。ヴァイオリンや笛ならば効果的にやれます。つまり、音を出してからそれを膨らませてその最後を聴こえるか聴こえないぐらいのほんの一瞬、軽く上げてこそ巧くいくのです。音が減衰してしまうピアノやチェンバロ、強弱の変化がタッチによっては付けられないオルガンなどでは、やってみてもかなり興醒めなことになってしまいます。残念なことです。しかし一方、鍵盤楽器には鍵盤楽器のお得意の装飾技法があります。例えば、ターン付きトリル、スナップと呼ばれる短い前打音や素早いモルデント、音と音とを結ぶ流れるようなルーラードなどがそれです。フランソワ・クープランに代表されるフランス・ロココ時代の鍵盤曲、そして、エマーヌエル・バッハに代表されるドイツ疾風怒濤時代の鍵盤曲を見れば、すばらしいサンプルが無数にあります。ふんだんに貝殻を使って装飾を施したことで知られる、あのロココ(貝殻のという意味)工芸を思い出してください。人工的に創るのが困難なあの自然な曲線、一つ一つが異なっていながら絶妙なバランスを持つ貝殻の美しさ、それをクープランは音楽に散りばめようとしたのです。トリルとターンを組み合わせ、それをいろいろな速さで弾く。また、一つの装飾を弾きながら音の速度を自在に変えることによって、さまざまな曲線を表現することができます。エマーヌエル・バッハからモーツァルト、ベートーヴェンにかけて、これらの装飾技法はまた新たな展開を見せますが、機能は似ています。旋律に柔らかな曲線を付加して優美さを産み出すのです。この種の装飾音を弾く秘訣は、それがいつ弾かれたか、聴いている人にあまり意識されないように、柔軟に、さり気なく、伸縮する時間間隔の中で奏することです。


武久 源造

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