リスト/超絶技巧練習曲 第11番 夕べの調べ ピアノ:エフゲニー・ザラフィアンツ

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2011/10/21

この曲集の原型は1826年頃「すべての長短調の練習のための48の練習曲」として実際に作られた12曲がパリで出版されたものであり、その後1838年に「24の大練習曲」として(実際に書かれたのはやはり12曲)、計2度の改訂を経て最終的に1851年「超絶技巧練習曲集」として完成した。調性はハ長調から始まって平行短調を添えて五度圏を逆回りして変ロ短調で終わっている。ただし標題は初めから意図されたものではなく、出版する際にリスト自身か出版者によって付けられたものである。ヴィルトーゾとしてヨーロッパ中を風靡したリストの名技を後世に伝える傑作だといえよう。<続きを読む>

音源情報

この音源は、ALMレコードのご厚意により、CD「エフゲニーザラフィアンツ オーベルマンの谷|リスト作品集」から1トラックをご提供いただいたものです。

コンサート情報

11月14日(月) 13:00 芸術の秋 ザラフィアンツの「紅葉」(神戸市北神区民センター ありまホール)
11月15日(火) 13:0018:30  芸術の秋 ザラフィアンツの「紅葉」(神戸市西区民センター なでしこホール)
12月12日(月) 19:00 エフゲニー・ザラフィアンツ ピアノリサイタル(東京文化会館 小ホール) ※チケット販売中

演奏

ピアノ:エフゲニー・ザラフィアンツ

1959年ロシア共和国のノヴォシビルスクに生まれる。音楽家の両親のもとで育ち、6歳からピアノを父に学び、8歳からはモスクワ音楽院付属中央音楽学校でエレナ・ホヴェンに師事、幼少より天才的な才能を発揮し、1975年にはグネーシン音楽学校に進む。
しかし、青年の純粋さゆえに招いた不本意な出来事に遭い、南ウラルのオルスクへと移され、モスクワ音楽院への道が閉ざされるという悲劇を味わっている。
1979年にはオルスク音楽院を首席で卒業するが、一切の演奏活動の機会は与えられなかった。 1980年ゴーリキー市のグリンカ音楽院に再入学、首席卒業後、大学院でも研鑚を重ねている。ここではイリヤ・フリートマンに師事。この間、全ロシアコンクール、ラフマニノフコンクール等で入賞し、ようやくロシア国内でのリサイタル、協奏曲の演奏会を行うようになったが、その素晴らしさが国外に伝えられることはなかった。
ザラフィアンツの名前がようやく人々に知られるようになったのは、1993年ポゴレリッチ国際コンクール(アメリカのカリフォルニア州パサデナ)で第2位となった以降のこと。以来住居はクロアチア共和国に構え、ドイツや日本を中心に演奏活動を行っている。
日本には1997年秋以来、度々来日し、東京をはじめ全国各地でコンサートや公開講座を行っている。
2004年ロシア・フィルハーモニー交響楽団(アレクサンドル・ベデルニコフ指揮)と、チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番を共演する。2005年チェコ・プラハ管弦楽団(武藤英明指揮)と、ベートーヴェンピアノ協奏曲第3番を共演。また、2006年ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団(ユハネス・ヴィルトナー指揮)とラフマニノフピアノ協奏曲第2番を共演し、室内楽の分野でも力量を発揮し、2007年ザグレブ弦楽四重奏団とシューマン、ブラームスのピアノ五重奏も絶賛を浴びた。
2007年には来日10周年記念イベントとして東京紀尾井ホールにてリサイタル、スーパーワールドオーケストラとベートーヴェンピアノ協奏曲第3番をはじめ、各地で公演し益々巨匠性を発揮している。
2006年より、ザグレブ国立音楽院講師に就任。レコーディングも活発に行っており、日本ではALMレコード(コジマ録音)より12枚のCDをリリース。毎回、レコード芸術(月刊誌)では特選盤をはじめ、高い評価を受けている。
さらに、ナクソス(NAXOS)からも3枚のCDをリリースし、特にスクリャービン前奏曲全集の中の「前奏曲第1集」は、イギリス・グラモフォン誌の月間ベスト10に選ばれるなど、常に注目を浴びている。
2005年音楽の友での21世紀の名演奏家事典にて、世界の注目されるピアニスト100人に入るなど、ザラフィアンツの聴衆の魂を揺さぶる精神性の高い演奏は、毎回大きな感動を与え、熱烈なファンを増やし続けている。

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