【インタビュー】第25回:岳本恭治先生 「ピアノを読む ~楽譜をそのまま鳴らすための、飽くなき探究心~」

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2007/06/01

takemoto_kyouji_int.jpg『ピアノを読む』や『江戸でピアノを』をはじめ多数の著書、記事、CDを出版し、今までの講演内容のレパートリーは20種類にも及ぶという岳本恭治先生。作曲家の作品や半生、ピアノの歴史、構造学、演奏法や指導法など、知らないことはないのではないかというぐらい、とにかく色々な分野に非常に造詣が深い。今回は、そんな岳本先生の素顔と、果てなき探究心のルーツに迫ります。

◎まずは、今度予定されている講座、「ピアノ指導者でもあった大作曲家たち~6人6様の指導法~」について教えてください。

「モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ショパン、リスト、ブラームス・・・作曲家やピアニストとしてはお馴染みの人物達が、ピアノ指導者としてはどうだったのか、そしてどのような指導法に基づいて教えていたのか。彼らのレッスン風景や生徒へ教えていた練習方法から、雑学的なことまで幅広くお話しする予定です。実際、『モーツァルトは生徒が集まらなくて、自分のことを宣伝してもらえるよう周囲に頼み回っていた』というようなお話をすると、大作曲家だと思っていた人が身近な存在に感じられて、共感される先生方も多いみたいです。そういった、作曲家の等身大の姿を知っていただきたいと思います。」

◎作曲家のことのみならず、先生は様々な分野に関して非常に幅広い知識をお持ちですが、研究へのモチベーションはどこから沸いてくるのですか。

「意識的に勉強するというよりは、とにかく全てを知っておかないと気持ち悪いんですよ。ベートーヴェンだったら、ピアノ曲に限定したとしても最初の曲から最後の作品まで全部。先日『ベートーヴェンの全て』という本を書いたのですが、その中では彼が普段どういうものを食べて、どういうコーヒーやワインを飲んでいたかまで書きました。

僕はピアノを習い始めて2年後から音楽大学の附属中学校のピアノ科に通っていたのですが、その頃から『とにかく全部の曲を見て、知りたい』と強く思っていました。10分休みの時はいつも学校の売店に行って、楽譜を見たり買ったりしていたので、自分が当時弾けなかったような曲も、楽譜はほとんど持っていましたね。今でもヨーロッパに行くと、毎日6時間ぐらい楽譜屋さんの屋根裏のようなところでず~っと楽譜を探しています。といっても、もうあまりにもたくさん買いすぎて、欲しい本がすでになくなりつつあるんですけど(笑)。

自分で曲を弾いてる時も、一番気になるのは、『本当はどうだったんだろう』ということばかり。例えばベートーヴェンが本当はトリルをどっちから入れてたか、とか、バッハ自身がインベンションをどのように弾いていたのかとか。楽譜の版によって音があまりにも違うことがすごく嫌で、中学時代から原典版を自分で探して弾いたりしていました。そしてそのうち、曲の作曲者や背景についても知らないと、練習していてもなんとなく嫌になってきちゃったんです。とにかく、楽譜をそのまま鳴らしたい、そのために色々なことを知りたい、という欲求でいっぱいでしたね。」

◎ すごいエネルギーですね(笑)。先生は音楽以外の分野にも造詣が深く、資格も多数お持ちだと伺いました。

「実は僕、資格マニアなんです(笑)。スペイン語検定も受けていますし、統合失調症の生徒さんを見ていた時はカウンセラーの資格も取りました。イギリスでピアノ指導者の検定があるんですが、それもわざわざ現地に行って取ったりしましたね。

ただ、結局何をするにしても、原点は全て音楽、そしてピアノを弾くためなんですよ。僕はF1が好きなのですが、それも車がピアノに似ているからです。ハンドル、アクセル、ブレーキ・・・といった構造的な面で共通点が非常に多いんです。それで、そういったことも良く知りたいと思って、国立音楽院の調律科でも2年間勉強し、卒業しました。」

◎ピアノ科と調律科両方を出ているって、すごく珍しいですね!

「海外で活躍しているピアニストの中では、ツィメルマンぐらいかもしれませんね。

僕が調律の勉強を始めたのは、他の楽器みたいに、ピアノも調子が悪い時は自分で調整したいし、弾きにくい楽器はその原因が知りたいと思ったからです。調律師になりたかったというよりは、学校では教えてくれないピアノの中身について、もっと知りたかったんです。この間も、ベートーヴェンが一番好きだったピアノの部品がわかって、すごく感激しました!あと、今の時代のピアノを調べるうちに、昔のピアノがどうなっていたのか知りたくなって、ウィーンに行って実際当時使っていたピアノを見たりもしました。それで、『自分はなぜ中学生の時、チェルニーを弾けなくて怒られたんだろう』と、つくづく思いましたよ。鍵盤の重さも構造も全然違うし、今のピアノで昔のように弾くのは無理なんです。

最近は僕が楽理科を出たと思われることが多く、ピアノを弾くと『先生、弾けるんですね!』なんて言われてるんですが、結局僕のこういった研究は全てピアノを弾くために発生して、そのために還元されているのです。」

◎ そんな先生にとって、未知の分野や今後の展望とは。

「それはありますよ!もっともっといろんなことを調べて、知りたいと常に思っています。

今新しい試みとして、ピアニストごとのピアノのカルテを作っているんです。例えばあるピアニストのために、一番演奏に合うように楽器を調整するには、どこの部品を何ミリまわして、何ミリ動かして、何ミリの深さにすればいいのか。これを全部カルテにしてしまえば、どこのコンサートホールでも、ある程度はそのピアニストに合った方法で楽器を調整できるようになるというわけです。今までは『もっと重たく』とか『軽く』と曖昧な言葉で説明していたことも、全て数値化すれば、ピアニストと調律師の間の通訳が成立するわけです。ピアノ科も調律科もどちらも出た身として、こういった通訳が出来るようになって、すごくうれしいですし、今後も色々なことをやっていきたいと思っています。また、現在進行中の原稿は、「大作曲家の病歴と生涯」「西洋音楽史」「西洋音楽史問題集」で、出版の予定があります。レクチャーコンサートでは、「世界初のピアノ曲」や「クレメンティが演奏試合でモーツァルトに負けた曲」「ショパンがパクッた、フンメルの曲」等を弾きますので、原稿だけではなく、ピアノの練習もしなきゃって感じです。さらに日本J.N.フンメル協会(スロヴァキア国際フンメル協会日本支部)の会長としての仕事も山積状態です。」

◎まだまだ課題は豊富ということですね!貴重なお話、ありがとうございました。

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