海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ヴァン・クライバーン国際コンクール(20)審査員野島稔先生・古典を踏まえて

2013/06/12
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1969年第3回大会で第2位入賞し、今まで3回審査をされている野島稔先生(1981年・1985年に本審査、1989年にビデオ審査)。今回は実に24年ぶりのご審査だそうです。当時を振り返りながら、選曲の仕方やその評価、留学などについて語って頂きました(6/8)。


―ご自身が出場された1960年代、また審査をされた1980年代と比べて、どのような変化をお感じになりますでしょうか。当時から今のような自由選曲だったのでしょうか?

私自身が受けた第3回大会(1969年)は極端にレパートリーが広大でした。バッハ、スカルラッティ、ハイドンから新曲まで、ほぼ主要なレパートリーが網羅されていて、全員必修でした。実際には全てではなく指定された曲のみを弾くのですが、それは直前まで知らされず、ステージに出てからアナウンスされるのです。ですから、実際の演奏時間の2倍か3倍近いレパートリーを準備することになります。ただあまりに増えすぎたということでその後縮小され、私が審査をした1980年代には、それほど極端に広いレパートリーを要求されることはなかったと思います。

また1966年第2回大会では、当時まだ珍しかったプロコフィエフ協奏曲第2番(第1楽章のみ)が共通課題だったと思います。今でこそコンクールの定番になっている曲ですが、当時は楽譜すら入手困難だったんですよ。私が出場した第3回大会(1969年)は協奏曲を4曲用意しなければなりませんでした。その4曲とは、ベートーヴェン第4番、ブラームス第1番、ラフマニノフ第2番、あるいはパガニーニの主題による狂詩曲、プロコフィエフ第2番。結局弾いたのはその中の1曲でしたが、本番2日くらい前まで何が指定されるか分からなかったのです。

推察するにクライバーン氏がプログラムなどに関するご意見と見識をお持ちで、私がお伺いしたところでは、すぐ世に出て演奏活動ができる実力とレパートリーを持っていなければならないということ。室内楽を取り入れるのも彼のアイディアです。その点では、独特な課題の出し方ですね。室内楽は自分が受けた時はピアノトリオ、審査した1980年代は今と同じくピアノ五重奏でした。

―実際に演奏する2倍、3倍のソロ曲を準備しなくてはならない、しかも協奏曲は4曲準備と、何とハードですね!!現在ソロ課題は完全自由選曲となっていますが、ピアニストがどのような勉強を積み重ねているのか、プログラムを見ればある程度お分かりになりますか?

何%かは分かるかもしれませんが、やはり実際に演奏を聴いてみないと、ということはありますね。弾く曲によって出来の差が激しい人も見受けられます。第1次・第2予選と違う印象を受ける人も(良くも悪くも)いますね。これだけの量のレパートリーを弾かせることで、そのピアニストの全体像がより明確に分かります。時間をかけて色々なレパートリーを見ること、それが大きなコンクールの主要な要素だと思います。

―最近では他の国際コンクールでも自由選曲が増えているように思います。今年ご審査されたエリザベート王妃国際コンクールでも、少し課題傾向が似ていますね(セミファイナル)。課題が決まっている場合と自由選曲とでは、審査の視点は変わりますか?

沢山弾かないといけませんので、あまり同じ傾向の作品ばかり弾くというよりも、やはり色々な作品を交えないとプログラム自体がもちません。良いプログラムは、自ずからバラエティに富んだプログラムになってくるでしょう。エリザベート王妃コンクールの第一次予選ではバッハ平均律と古典ソナタが共通課題で、それに自由曲とエチュードがあります。その場合ですと古典作品と自由曲の演奏で、彼らの持っている音楽がある程度浮き彫りになってきます。自由曲には自分の一番得意で弾きやすい曲を選びますが、その場合でも、興味を持って長い時間聴かせられるかが勝負だと思います。

審査員は皆さん思うのだと思いますが、通過させたいと思うピアニストは、「もう少し聴いてみたい」という方ですね。例えば彼らがどこかのコンサートで弾く、それを聴いてみたいか。単純に言えばそういうことだと思います。審査する側も一聴衆なんです。彼らの持っている音楽が自分にとって興味が持てるか、新鮮な感覚で楽しめるか、そうであればもう少し聴いてみたくなります。長時間審査していると確かに疲れますが、自分が興味を持てる演奏は、聴いていると生き生きしてくるんですね。また年齢の若いピアニストでまだ未熟だなと思っても、応援したいという気持ちが持てる人もいます。聴衆も同じだと思います。技術とか演奏のレベルというよりも、言葉にならないもの。これは人間対人間でも同じですね。音楽とはそのような要素を持っているのだと思います。

―確かにその通りですね。ところでコンクールの課題の出し方は、教育のあり方にも影響すると思います。自由選曲が増えてきたことは、その前提となる時代様式等の勉強が定着したこともあるかもしれませんが、プログラムの作り方に関する教育が増えることは考えられるでしょうか。自分が好きな曲、弾ける曲を並べるだけでなく、たとえば60分間興味を惹きつけられるプログラムをどう組むかなど、より主体的に選曲に関わるような教育ですね。

今回のコンクールでも、あまり普段聴かれないような曲を随分聴けました。指導者に勧められたからではなく、自分が曲を発見する、そのような自由な発想がこれから求められるのかもしれませんね。ただ注意しなければならないのは、やたら難しい曲や珍しい曲を弾けばいいというものではないこと。いわゆる知られた曲は難しいですし、あらゆる名演奏が耳に入っているので、それで印象づけるのは容易ではありません。とはいえそれを避けるために珍しい曲を発見して弾くというのでは、おのずから音楽に出てしまいます。

それと、やはりクラシック音楽の基盤があることが大事です。古典作品を弾くと(基礎があるかが)よく分かります。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・その中で自分の世界を表現することですね。クライバーンでも古典の協奏曲が課題ですし、エリザベート王妃ではモーツァルトの協奏曲が課題です。いずれにしても古典の世界をどれだけ理解しものにしているのかというのは、常につきまといます。他の曲でアピールしても、やはり古典のレパートリーが芳しくない人はなかなか上位に行かないでしょう。音楽の世界自体、作曲家の歴史があり、その栄養を吸収しながら発展しており、そういった要素が作品の中に宿っています。自由だからといってそれを飛び越えるのではなく、それを踏まえた上でさらに自分の世界を自由に表現する人が、輝くのではないでしょうか。

―まず型を学び、それを踏まえた上で自由に表現するというのは、芸術に共通していますね。先生はご自身のお名前を冠した「野島稔・よこすかピアノコンクール」で審査員長を務められていますが、このコンクールはどのような方向性をお持ちでしょうか?

第一次予選はエチュード(ショパンが必須課題、その他リスト、ドビュッシー、ラフマニノフ、スクリャービンから選曲)、全体で約10分です。エチュードとは指がどれだけ鮮やかに動くかではなく、詩的な音楽の世界や、音楽の多様性を凝縮して表現する術を学ぶものなので、ある程度の時間を聴くために少し長めに設定しています。第二次予選はベートーヴェンのソナタ全楽章です。全楽章、曲全体を勉強させるのが一つのポイントです。セミファイナルは30分の自由選曲です。

―バランスの良い課題で、全楽章、曲全体を弾くというのもとても大事ですね。最後の質問になりますが、最近はグローバル化が進み、幼少期からの海外交流も進んでいます。日本人がさらに海外で飛躍するために、大先輩からアドバイスを一言お願いします。

このところ日本人も良いものを持っている人が結構いますね。絶対数からいえば中国や韓国より少ないかもしれませんが。ただ日本にいると、落ち着いて自分の内なる世界を見つめるという時間があまり持てないかもしれません。例えば私が最初にモスクワに留学した時。夜11時まで音楽院で練習し、その後雪がしんしんと降る中、その日勉強したことを振り返りながら、30分くらいかけて宿舎まで歩いて帰りました。そうしようと思わなくても、そうなる環境だったのですね。これは自分の内の問題ですから、そうしようと思えば東京の中でもできるのですが。留学の際には学校や先生も大事ですが、生活のあり方や日常の気持ちの持ち方も大事だと思います。海外ではあまり人に左右されず、その違いを楽しむ文化がありますから、そういったことも刺激になると思います。

そうはいっても、今の若い方は随分と自由な発想をもっていますね。日本からもこういう人が出てきたんだと、何だか嬉しくなります。

―世界の中での日本や自分、そういった立ち位置が見えてくると同時に、身も心もオープンになってきたのではないかと思います。貴重なお話をありがとうございました!


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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