海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ヴァン・クライバーン国際コンクール(10)セミファイナル・耳の良さ&対話力

2013/06/01
早くも6月!ここフォートワースは気温が一段と上がり、夏のような暑さとなった。第14回ヴァン・クライバーン国際コンクールは12名のセミファイナリストが出揃い、6月1日からいよいよセミファイナル審査が始まった。セミファイナルはソロリサイタル60分(新曲課題曲含む)と室内楽1曲(ピアノ五重奏)。ピアニストとしての力を総合的に審査される、重要なラウンドである。1日にソロリサイタル3名、室内楽3名が演奏する。初日の演奏から、それぞれ印象に残った演奏を挙げてみた。*

●ソロリサイタル Recital ― 耳の良さを極める

耳の良さは音楽家にとって最も大切で、この耳がそれぞれの音楽が求める音を模索し、様々な音色を創っていく。その点から印象に残ったリサイタル演奏は、ニキタ・ムンドヤンツ(Nikita Mndoyants, Russia)と阪田知樹さん(Tomoki Sakata, Japan)。

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まず大健闘中、日本の阪田知樹さんから。特にヴェルディ=リスト『「アイーダ」から神前の踊りと終幕の二重唱』は本人が得意とするリストの編曲作品で、やはり曲想の捉え方から細部の音色の作り方まで一本の芯が貫かれている。煌めくようなパッセージは金糸の羽衣を思わせるほどの柔らかさと艶やかさがあり、またディナーミクの豊かさと音色、特に弱音の美しさは気配をよく表現し、この物語をエキゾチックに彩ってくれた。最後は死と引きかえに得た愛の勝利を感じさせる、ニュアンスある弱音で終わる。この耳の鋭敏さからすれば、ドビュッシー練習曲第1巻はもっと音が研ぎ澄まされるのではないかと感じる部分もあったが、特に4度のための練習曲はとても美しく響いてきた。ラフマニノフのソナタ第2番(1931年版)はダイナミックな音と勢いある演奏で弾き切った。photo: The Cliburn/Carolyn Cruz

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阪田さんは「今回は比較的長く勉強していて、愛着のある曲ばかりなので、楽しんで演奏できたかなと思います。ヴェルディ=リストはアイーダということでエキゾチックな感情表現があるのですが、そもそもこの編曲が好きなので選びました。ヨーロッパやアメリカの中で、自分のナショナリティを改めて意識し、オリエンタルな音楽表現を心掛けたいと思っています。」
聴衆の心をつかみ、楽屋口ではサインを求める輪ができた。クライバーン鑑賞は3回目というボストン出身ピアノ指導者は、サンディエゴからの友人とともに、「サカタさんは素晴らしかったわ!」と興奮気味に語ってくれた。

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ニキタ・ムンドヤンツは大変細かい音の層を持っており、いい加減に出している音は一つもないと思わせるほどに、曲の細部まで丁寧に表現していく。スカルラッティのソナタK.476, K.87, K.125はチェンバロで弾いているかのような音質で、バスが通奏低音のように、安定した拍感の上に色彩感と推進力を与えている。転調は音質・音色・テンポを微妙に変化させ、また様式感の中で感情表現をする。新曲課題曲テオファニディス作曲『Birichino』は繰り返される無窮動な音型の廻りを、様々な音色が時にユーモラスに彩る。作曲家の言葉によれば、この題名は「いたずらっ子」を意味するそうだ。ドビュッシー『前奏曲』(第1巻より『沈める寺』、第2巻より『ヴィーノの門』、『花火』)は、霧の中から立ち上がってくるような陰影と奥行ある『沈める寺』が秀逸。ムソルグスキー『展覧会の絵』では「プロムナード」が、常に次をドキドキ予感させるように物語を進めていく。最後はもっと大仰でもいいくらいだったが、音色と間を効果的に用いながら、各章の特徴を最大限に引き出した演奏だった。

奥行きあるドビュッシーの音色をどう作っているのだろうか?本人に尋ねてみた。「オーケストラから多くを学んでいます。オーケストラの音に単に似せるのではなく、ピアノはそれ自体が豊かな音を持っていますので、単なるコピーではなく、翻訳ですね。ミックスすることで、何か新しい音を見出したいのです。ムソルグスキー『展覧会の絵』は交響曲のようなので、オケのような音を出すのは比較的やさしいと思います。ドビュッシー『前奏曲』のオーケストレーションもいくつか知っていますが、この曲に関してはピアノのオリジナル版の方がより音色が豊かですね。時々魔法のような音がありますが、オケ版にそのピアノのニュアンスを盗み取ったような音があります」。それぞれの作品に特別な何かを見出すことが大事だと思う、と誠実な口調で語ってくれた。(写真は予選結果発表後)


●室内楽 Chamber Music―音楽上の対話から生まれるケミストリー

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アンサンブルは共演者と音楽を通じて対話しながら、どんな世界を新たに創りあげていくのかが聴きどころ。そこにケミストリーが生まれると、音楽は何倍も面白くなる。その点で面白かったのはウラディミール・ホロデンコ(Vadym Kholodenko, Ukraine)による、フランクのピアノ五重奏曲へ短調。本日最後の迫真の演奏に、楽屋口にも多くのファンが詰めかけていた!

フランクのピアノ五重奏の選曲は、セミファイナリストではホロデンコ唯一人。ピアノが特に声高に主張するわけではないのに、彼が全体の流れをつくってリードし、音楽が進むにつれて求心力を増していく。弦は安心してピアノに身を委ね、その流れの中で弦からも様々な表現が引き出されていた。ホロデンコ自身のピアノも素晴らしいが、さらに共演相手の潜在能力を引き出しながら一つの世界観を創れる、真のアンサンブル力を持つと感じた。photo:The Cliburn/ Ralph Lauer

対話するためには、相手の意志やタイミングをくみ取る気持ちのゆとりも必要になる。これは経験値の差が出ると思うが、アンサンブル課題は様々な音楽体験を積むという点でも、とても意義深い課題だと思った。ちなみにヴァン・クライバーン国際コンクールでは第1回大会から課題になっており、室内楽賞*受賞者はラルフ・ボタペック(優勝)と中村紘子さん(ファイナリスト)であった。

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会場Bass Hall斜向かいは現在工事中。サンダンス・プラザとして複合施設&ショッピングモールができる予定である。そこでこのような幕が張り巡らされているのだが、このアメコミ漫画が面白い。西部開拓時代に生きるサンダンス氏が21世紀にタイムスリップするという設定で、工事現場用ヘルメットをカウボーイハットと間違えたりする。まるでテルマエロマエ!?。これはハッと我に返り、仲間に夢の内容を語るという一コマ。当然仲間の反応は、「おいサンダンス。飲み過ぎなんじゃないか?さ、みんなもう行こーぜ」。
 
*リード文と賞名を追加しました。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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