会員・会友レポート

ロシア訪問記〔前編〕/加藤麗子先生

2004/04/12
モダン・ピアノ・デュオとの出会い───
オレグ氏&著者&ローゼンブラット氏
左からオレグ氏、筆者、ローゼンブラット氏

「モダン・ピアノ・デュオ」とは、ロシアのアレクサンドル・ローゼンブラットとオレグ・シンキンによる熱いパフォーマンス・デュオのことである。 ローゼンブラット氏が、伝統的なクラシック音楽にジャズ・ラテン・ロック・フォークソングなどを融合して作曲し、オレグ氏とのセッションにより 一層魅力的に仕上げる。これを「クロスオーバー」なジャンルという。 彼らの魔力にとりつかれた人々を「ローゼンブラット中毒」と評する人もいるが、正に私も一瞬にしてそうなってしまった一人である。 「ローゼンブラット自作自演集」(注1)を聴き始めた瞬間、何もかもが一変したのだ。 更に、彼らの幻のライヴ映像を見た時は、ただもうため息をつくばかり。ローゼンブラット氏の作曲が 素晴らしいのは勿論のこと、クラシックを基盤に超絶なテクニックを兼ね備える彼らのデュオは、 サービス精神旺盛な前代未聞の熱いパフォーマンスを披露していた。私は彼らの作品にアプローチしたいという欲求にかられた。

ボリショイ劇場

その後の純粋な気持ちと熱意によって、幸運にもローゼンブラット氏本人から知遇を得ることができた。 更に彼は、私のライブ写真(注2)を一見しただけで何と「是非、日本で一緒にコンサートをやろう!!」と持ちかけてくれた。。。 私の熱い思いとローゼンブラット氏の全てを超越した理屈抜きの本能的決断が、一瞬にして解け合った不思議な出来事で、 これが事実だと信じるまでには大変多くの時間を要したのを覚えている。 そして2005年3月11日に初来日公演が決定し、そのリハーサルの為、2004年12月14日に私はデュオのパートナー(注3)と共に ロシアへ飛び立つこととなった。「ダブル・ピアノ・デュオ」の誕生である。

想像を絶する事件ともいうべきドラマ───

12月14日

アエロフロート航空の直行便で10時間かけてモスクワに到着。噂と違い快適な飛行だった。空港は暗い。 現在のロシアは、ソ連時代の名残りで入国に関する手続きがスムーズにいかず、外国人は歓迎されていないように感じたが、かなり日本のパスポートに守られていたのは事実である。モスクワの空港にはローゼンブラット氏が出迎えてくださった。普段からファックスのやり取りをフレンドリーにさせて頂いていたのも手伝ってか、とても自然な初対面だった。ホテルに向かうタクシー内での最初の話題は 「ここはロシアですからすべてがスケジュール通りにいきません。日本人はきちんとしていると思いますが、ロシアではハプニング続きになるでしょう。心得ていてください。」というものだった。そして早速それまでに立てられていたスケジュールの変更の話が続いた。 確かに到着早々、彼と同行していたロシア人通訳と既にとんでもないトラブルが生じていた。支払いに関しては外人料金を要求された。次の日から通訳無しということでお互い片言の英語によるコミュニケーションだったが、かえって感性だけのやり取りが4人の友情を深めていったのだと、今は思う。

12月15日(リハーサル初日)

二人の楽しい演奏模様

オレグ氏の車でいざ彼の勤める劇場へ移動。そしてリハーサル会場へ案内された。覚悟はしていたがやはりその予感は的中した。ピアノが2台必要なのだが、そこにあったのは壊れたグランドピアノと壊れた電子ピアノだった。ペダルは外れかけていた。当然合わせると音程が2度ほど狂っている。気持ち悪いが贅沢は言っていられない。価値観が変わった瞬間だった。しかも2台8手の新曲を初めて合わせたその迫力は、圧巻!この日彼らは、我々の演奏に大変満足して下さり、恐れ多かった。訳も分らないまま一日が終わった。

12月16日

この日もオレグ氏の劇場で同様に個人練習とリハーサルを行い、パフォーマンスの作戦を練った。

12月17日

作曲家本人より作風の説明を受ける

「今日はグランドピアノが2台あるぞ。」と自慢気におっしゃっていたのですが、実際はフォルテ以上の音を出すときしむので加減して弾いた。勿論この日もピアノ椅子がなく姿勢が猫背になりながら。ローゼンブラット氏の合図がオーバーアクションで4人が合わない為、合図の出し方について対立し、互いの外国語(英語)での意思の疎通がうまくいかず仕舞いにはけんかになり、オレグ氏の仲介によってやっと仲直りというハプニングもありました。この日のリハーサルは2時間のはずが、なぜか20分だったのが未だ謎だ。

12月18日

オレグ氏のコンサート

ジューイッシュ・アカデミーという施設所有のホールにて、新曲「ジャパニーズ・ファンタジー」のレコーディングが行われた。この曲は、日本で世界初演されるメイン曲で日本の歌(さくらさくら・浜辺の歌・赤とんぼ)が盛り込まれたお洒落なジャズファンタジーである。さすがに少しは恵まれた環境だったが、2台8手を合わせるのはかなり難しいと痛感した。また彼らのパワーに完全に食われてしまっている自分に落ち込むが、彼らは我々に対しひたすら褒めて下さった。どうも彼らが音楽に求めているものは我々と違うらしいと思い始める。余興でお二人の生演奏に触れる機会もあり、高い表現力に加え、ため息が出るほど解け合った演奏に涙が出た。

12月19日

昼間はお二人へのインタビュー(加藤が取材)、夜はオレグ氏のパフォーマンスコンサートを彼の劇場で鑑賞した。まぎれもなく何と本番に、あの壊れたピアノと壊れた電子ピアノが使われていた。素晴らしい演出家(注4)によるヴォーカル中心のステージだったが、楽器が悪いにもかかわらず、質の高い仕上がりに驚き感動した。 オレグ氏いわく「これは仕事だ」と割り切っておられたが、彼はロシアの著名なアーチストとして政府から高く評価され、国内外のコンサートツアーでかなり多忙のようだ。

12月20日

コンサートの前日なのでローゼンブラット氏が休息を取りたいとおっしゃり、我々は個人練習後に市内観光をした。オレグ氏はこの日もご自分のコンサートの本番。相変わらず彼が練習をしている様子は全くない。

12月21日

コンサートを無事終えて

 ジュコフスキーで我々4人のコンサートが行われた。1台はヤマハ・グランドピアノだったが、もう1台が壊れた白いピアノであまりのショックにメーカー名までは思い出せない。連日の衝撃に思わずお二人にロシアのピアノ事情について伺ったところ、彼ら自身グランドピアノを持っていないという。モスクワ音楽院卒がグランドを持っていない!ロシアはすごい国だと驚嘆した。 私はこのコンサートが失敗に終わったと思ったが、聴衆はかなり喜んでいたのが印象的だし、何よりも不思議だ。ロシアの聴衆はとにかく温かかった。このような環境の中でローゼンブラット氏のような温かい芸術家がたくさん育まれてきたのはまぎれもない事実だ。私は、聴衆から演奏家を評価するという方向性を感じ受けることもなく、とても気持ち良かった。

  彼らは楽器がどうであれ、その環境の中で素晴らしいピアノのやり取りができる。彼らにとって媒体は重要ではない。なぜならば測り知れない程の鋭いインスピレーションと、溢れんばかりのアンテナを張りめぐらせ、心で音を楽しんでいるからだ。彼らの曲と演奏は、私に既成概念や一方向からの価値観の中で生きることが、いかに自分自身の可能性を狭め、曇らせてしまうかを示して下さった。私は「ローゼンブラットとオレグ」という音楽宇宙によって、それまでの私自身から開放されたといっても過言ではない。 颯爽とジャジーでユニークな熱いピアノを弾く彼らの存在は、大変魅力的であり、何よりもショックだ。普段の彼らは別々に仕事を持って活動をしておられるので、このモダン・ピアノ・デュオの活動の位置づけを伺ったところ、 「人生最大の趣味です。一生涯飽きることはないでしょう。」 自然で理想的なピアノ・デュオがここに存在した。


注1 残念ながら現在廃盤。「鉄腕アトムファンタジー」などユニークな作品が収録されている。
注2 加藤麗子ホームページ参照⇒こちら
注3 野口杏梨
注4 イヴァン・ポポフスキー。マケドニア(旧ユーゴスラビア)出身の若手演出家。


ピティナ編集部
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