会員・会友レポート

ロシア訪問記〔後編〕/加藤麗子先生

2004/04/12
お二人へのインタビュー───

加藤:モダン・ピアノ・デュオの活動のきっかけは何だったのですか。

アレクサンドル・ローゼンブラット氏(以下A・R):私たちは昔からとても仲が良かったのですが、大学も違いますし、芸術の分野で一緒に活躍することは全く考えていませんでした。ある時生まれて初めてピアノソロを作曲し、ソロのコンサートで「パガニーニの主題による変奏曲」や「ピアノソナタ」を演奏しました。しかし、何か大切なものが足りない気がしていました。その時オレグさんの頭に素晴らしいアイデアがひらめきました。 彼は「あなたには、オーケストラの為のカマリンスカヤ・ファンタジーがあるのだから、二台ピアノ用に作曲したらどうか」と。その後私たちはそれを一緒に演奏し、その結果 「素晴らしい」と確信しましたので、これをきっかけに一緒にデュオを組むことになりました。 ピアノデュオは、ただ二人で弾くという事ではありません。良く練習しても良いものはできません。二人とも同じ世界観と時間感覚、そして同じ物事の受けとめ方ができなければ良いデュオにはなりません。私たちの間にはそれがあります。また日常生活にも表れています。物事を一緒に同じような反応で同じ言葉で評価します。周りの人たちがその様子にびっくりするんです。

加藤:お二人のデュオはとても理想的でうらやましいです。演奏上の良きパートナーを見つけるのは、最愛の結婚のパートナーを 見つけるより難しいと言う人もいますがやはりそうでしょうか。

オレグ・シンキン氏(以下O・S):実際には本当にそうかもしれませんが、我々の場合は昔から仲が良く当たり前のことだという気がしているので、自然な結果でしょう。

チャイコフスキー記念コンサートホールの
地味なポスター

A・R:もう一つ大事なことがあります。私たちは普段別々に仕事をしています。しかし二人の芸術(デュオ)は最大の趣味の形として表れていますので、飽きることはありません。(実は、1時間前にオレグ氏からも同じ言葉を聞いていたところだった。)

加藤:お二人の演奏のパワーはいったいどこから来るのですか。

A・R:非常に難しい質問ですね、なぜならば自分を評価できませんから。しいていえば、星座の相性がとても良いということです。

O・S:(笑)サーシャはしし座で、私はてんびん座です。(サーシャとはローゼンブラット氏のニックネームです)

A・R:グッドコンビネーション!!

加藤:お二人はご自宅にアプライトピアノをお持ちだと伺っております。日本ではピアノを専門にされている方たちの多くがグランドピアノです。ロシアのピアノ事情をお聞かせください。

O・S:以前わが国でも専門にピアノをやっている人たちはグランドピアノでした。しかし現在のロシアの住宅はとても狭いので、プロでもグランドピアノを持っていない人が多いです。

加藤:ハートフルでユーモラスな演奏をされるお二人は、いったいどんな少年時代を送ってこられたのでしょうか。

O・S:私はシベリア出身です。シベリアのイメージといえばそれは雪と過酷な寒さです。私はそのような環境の中で音楽学校を卒業した後、現在のモスクワ音楽アカデミーへ進学しました。父はオーボエ奏者でした。私は子供の頃あまりピアノの練習が好きではなく、アイスホッケーなどのスポーツの方が楽しかったごく一般的な子供でした。

A・R:オレグさんは練習があまり好きではなかったとおっしゃいましたが、私にはその表現では足りません。なぜならば練習は大嫌いでしたから(笑)。父はバイオリニスト、母はピアニストでした。両親は私にピアノを練習させる為に「ちゃんと練習したら飛行機のプラモデルを買ってあげる」などと約束したりあの手この手でピアノをやらせました。13歳まで絵を描くことが大好きでしたし、外でサッカーなどもしていました。 しかし13歳の時ホロヴィッツの演奏を聞き、その時のインパクトが余りにも強烈でそれがきっかけとなってピアノから離れることができなくなりました。

加藤:オレグさんはどんなアーチストから影響を受けましたか。

O・S:私も同じでした。ひとつ加えるならば、ピアニストとしてのラフマニノフです。若い時のギレリスも好きです。

加藤: ローゼンブラットさんにお伺いします。クロスオーバーなジャンルの音楽への転機はいつ頃ですか。

チャイコフスキー記念コンサートホールの寿司バー

A・R:私はモスクワ音楽院においてクラシックピアノと作曲理論を学んだと同時に、ジャズピアノも勉強しました。卒業論文はアメリカのジャズピアノをテーマにしました。 その時にジャズハーモニーを知るようになり心の中に残りました。1984年、音大を卒業した時の私は、自分が作曲家になるとは全く 思っていませんでした。卒業した後はクラシックをずっとやっていましたが、ある時ある友人が「みんなが歌の音楽を 作っていっぱいお金を稼いでいる時にあなたはどうしてクラシックをやっているのか。あなたもこういう曲を作って下さい」と言って、歌集をくれました。生まれて初めて言葉に曲をつけ、それが当たって人気も出てテレビでも使われたのでした。初めての経験でした。そして、私が大学時代学んだジャズハーモニーとクラシックの基礎に加え、理論的な知識もありましたので、それらをミックスしてクロスオーバーな音楽を作り始めたわけです。オレグさんの仕事もクロスオーバーと関係がありますので、お互いの能力を調和できるのです。

加藤:これから行われます来日公演プログラムのコンセプトは何ですか。またソロ演奏をなさらず、すべてデュオ演奏なのはどうしてですか。

A・R:ソロとデュオを一緒にするというコンサートの伝統はないですから、ソロならソロ、デュオならデュオだけの演目です。またクロスオーバーといえば、ロシアと日本、私たちが日本の聴衆とクロスオーバーすることができれば、それはとても幸せです。

加藤:スパシーバ!!(ロシア語で「ありがとう」の意)

お二人:ありがとう!! (日本語で)

全員:ほら、今も同時にタイミングが合いましたね!反応が同じ!(笑)

加藤:最後に日本の皆さんにメッセージをお願いします。

O・S:エレナ・カンブローバと一緒に活動している関係で、世界中を旅行して周りました。しかし、日本には一度も訪問した事がないので、私にとって今一番行きたいと望む国、それは日本です。日本の伝統文化に大変興味を持っていますので、その文化を創った人々にも会いたいと思っています。また、日本に訪問して帰国した友人が、不思議にも良い意味で人間的に変化していました。人間に良い影響を与えている国の皆さんの前でコンサートをやれる事は私にとってとても幸せです。

A・R:私の日本との関係には真義があると思う。1999年に贈り物として着物を頂きました。その着物を着てから、日本と不思議で神秘的な関係が始まりました。「ステップ バイ ステップ」 私は日本に近づいている気がしました。日本人に出逢ったり、日本人と話をしたり、日本で私のファンが現れたり。。。神秘的な関係で私は非常に嬉しい。日本人への祈りといえば、今と同じように勤勉で、美しい伝統を守り続ける国でありますように心から願っています。『日本の聴衆との出会いがインパクトの強い出逢いになりますように!』

加藤:お忙しい中、ありがとうございました。 (この直後、オレグさんのコンサートが始まった。)


アゼルバイジャン料理店にて
ローゼンブラット氏とオレグ氏の熱いおもてなし

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ピティナ編集部
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