脳と身体の教科書

第02回 身体が動く仕組み (1)筋肉の働き

2010/02/05
身体が動く仕組み
(1)筋肉の働き

音を鳴らすには、指を曲げないといけませんし、ブレスする際に手を持ち上げたければ、肘や肩を曲げないといけません。ピアノを弾くということは、関節を曲げ伸ばしすることの連続です。その関節を動かしているのは、筋肉です。図1を見てください。筋肉というのは、基本的に二つの骨にくっ付いていて、関節をまたいでいます。筋肉が縮むと、二つの骨が引っ張られるので、関節が回ります。

関節の周りには、向かい合うように、2種類の筋肉が付いています。関節を曲げるための筋肉を「屈筋」、その反対側に付いていて、関節を伸ばすための筋肉を「伸筋」といいます。大事なことは、「片方の筋肉が縮むとき、もう片方の筋肉は弛んでいないと、関節は動かない」ということです。ドアを開けようとするとき、反対側から誰かが引っ張っていると開きませんようね。それと同じです。ですから、例えばレの鍵盤を人差し指で連打するときには、指を曲げ伸ばしするために、指の屈筋と伸筋が「縮んだり弛んだり」を、交互に繰り返しています(図2)。

では、曲げる筋である「屈筋」と、伸ばす筋である「伸筋」が同時に収縮すると、どうなるのでしょうか?これは、言葉の通り「同時収縮」と呼ばれていて、関節を硬くします。ピアノを弾く人が「硬くする」と聞くと、"悪いこと"みたいに思われるかもしれませんが、これは元々、身体を守るために必要な仕組みです。例えば、手を上から振り下ろして、思いっきり鍵盤を叩くとしましょう(注:やらないでください)。この時、関節を固めないと、打鍵の衝撃で、筋肉や腱を傷めてしまいます。

もっと大切なことは、同時収縮は、指先と鍵盤が当たる瞬間に、手や腕のエネルギーを鍵盤に伝えるための役割を担っています。関節を固める量が足りないと、十分なエネルギーが体から鍵盤へ伝わらず、狙った大きさの音が出ません。事実、私の研究で、打鍵時の肩、肘、手首の筋肉の同時収縮量を計算したところ、大きな音を出すにつれて、同時収縮の大きさも増えていきました1)。このように、必要なだけ関節を固めることは、音を鳴らすために必要なことです。一方、ピアノを初めて弾く人は、「どれだけ関節を固めれば、狙った音が出るか」がわからないため、手をカチコチにして弾くわけです。

(2)脳の働き

これら筋肉の伸び縮みは、脳や脊髄から筋肉に送られてくる電気信号によって調節されています。脳というのは、その場所毎に、働きが違います。目から入った楽譜や鍵盤の情報は後頭部、耳から入った音の情報は耳の上のあたりで処理されます。筋肉に「動け!」と電気信号を送るところは、主に頭の頂点からやや前のあたりだと思ってください。この中でも、さらに「肩の筋肉に指令を送る脳の部位はこのあたり、手首の筋肉のはこのあたり・・・」という風に、脳は筋肉ごとに区分けされています。筋肉ごとの部屋があるようなものです2)

筋肉は、複数の繊維が束になっています。この繊維一本を「筋繊維」と言います。しかし、私たちの脳と身体は、一つ一つの筋繊維を、縮めたり弛めたりするといった器用なことはできません。脳や脊髄からの電気信号を送るパイプ(運動神経)は、何本かのまとまった筋繊維にくっ付いています(図3)。大まかに言うと、1本の運動神経とつながっている筋繊維の数は、胴体に近い筋肉ほど多く、指先や足先に行くほど、少なくなります。例えば、一本の運動神経に電気信号を送るだけで、肩の筋繊維は数百本が一気に縮む一方で、指の筋繊維は数十本しか縮まないということです。筋繊維がたくさん縮むほど、大きな力が出ますので、肩の筋肉の方が大きな力を発揮しやすく、わずかに力を増やしたり減らしたりするのは、指の筋肉の方が向いているわけです。

ピアノという楽器は、f の音の音量を調節するより、pの音の音量を調節する方が、より細かい力の調節が必要です。例えば、f の音をさらに2倍大きく聴こえるようにするためには、打鍵の力を2倍増やす必要があるとしましょう。しかし、p の音を2倍大きく聴こえるようにするには、打鍵の力を1.2倍にするだけで十分だったりします3)。ですから、f の音を「もっと大きく」と言われれば、肘や肩、或いは胴体の動きを増やし、pp の音を「もう少し大きく」と言われると、繊細な力のコントロールをするために、指の力を増やすのが、身体にとって自然な音量調節法になります。よく名ピアニストが「弱音のコントロールは難しい」とおっしゃいます。これは、肘や肩、胴体など、どこを使っても音量を変えられる強音と違い、弱音のコントロールは、指しか頼れるところがないためでしょう。さらに、「正確に力を調節しよう」を思えば思うほど、脳は同時収縮の量を増やそうとしますので4)、それによって時に必要以上に指が固くなり、動かしにくくなることも、弱音のコントロールの難しさに関係していると考えられます。

以上、身体が動く仕組みについて、簡単に説明しました。これから先の話を進めていく上で必要ですので、初回の今回だけは、基本的な話が中心になっています。次回は、手を鍵盤上で「上下、左右、前後」に動かすための筋肉について、お話します。



【脚注】
1)
オクターブ打鍵時の肩、上腕、前腕の筋肉の活動を測定し、同時収縮量を定量化しました(Furuya and Kinoshita 2008 Exp Brain Res.)
2)
おおまかには、筋肉と脳部位の対応関係はありますが、ある一つの神経細胞が、複数の筋肉を同時に収縮させることもあります(e.g. Grazziano and Aflalo 2007 Neuron; McKiernan et al. 1998 J Neurophysiol)。
3)
もちろんこの値は、ピアノによって違います。(Goebl et al. 2005 J Acoust Soc Am; Kinoshita, Furuya, Aoki, Altenmuller 2007 J Acoust Soc Am)
4)
この話は、力みのところでまた詳述します。(Gribble et al. 2003 J Neurophysiol.; Osu et al. 2004 J Neurophysiol; Wong et al. 2009 J Neurophysiol)

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古屋 晋一(ふるや しんいち)
上智大学 音楽医科学研究センター(MuSIC)センター長,ハノーファー音楽演劇大学 客員教授.大阪大学基礎工学部を卒業後,同大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得.ミネソタ大学 神経科学部,ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医学研究所にて勤務した後,2014年度より現職.アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員,日本学術振興会特別研究員PDおよび海外特別研究員などを歴任.音楽家の脳と身体の研究分野を牽引し,マックスプランク研究所(ドイツ)やマギル大学(カナダ),ロンドン大学(イギリス)をはじめとする欧米諸国の教育・研究機関における招待講演や,国際ジストニア学会や国際音楽知覚認知学会,Neurosciences and Musicといった国際学会におけるシンポジウムのオーガナイズを多数行う.また,ヨーロッパピアノ指導者協会(EPTA)をはじめとする国内外の音楽教育機関において,演奏に結びついた脳身体運動科学の講義・指導を行う.学術上の主な受賞歴に,ドイツ研究振興会(DFG)ハイゼンベルグ・フェローシップ,大阪大学共通教育賞など.主なピアノ演奏歴として,日本クラシック音楽コンクール全国大会入選,神戸国際音楽コンクール入賞,ブロッホ音楽祭出演(アメリカ),東京,大阪,神戸,奈良でのソロリサイタルやレクチャーコンサートなど.主な著書に,ピアニストの脳を科学する,ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと.ランランとのイベント,ビートたけし氏との対談,NHKハートネットTVへの出演など,研究成果を社会に還元するアウトリーチ活動にも力を入れている.東京大学,京都市立芸術大学,東京音楽大学にて非常勤講師を併任.アンドーヴァー・エデュケーターズ公認教師.www.neuropiano.net
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