みんなのブルグミュラー

特別寄稿:ブルグミュラー兄弟と日本~ノルベルト生誕200年を祝して~ 前島美保

2010/10/28

ショパンシューマンイヤーに沸く今年2010年は、同世代を生きたノルベルト・ブルグミュラー((August Joseph)Norbert Burgmuller: 1810~1836)の生誕200年という特別な年でもあります。ノルベルトとは、そう、我々おなじみの『25の練習曲』を作曲したフリードリヒ・ブルグミュラー(Friedrich (Johann Franz) Burgmuller: 1806~1874)の四歳下の弟です。


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ノルベルトは1810年2月8日にドイツのデュッセルドルフにて、アウグスト・ブルグミュラー((Johann) August (Franz) Burgmuller)の末息子として生まれました。幼少の頃よりピアノに才能を示していたノルベルトは、L. シュポーア、M. ハウプトマンにつき作曲を学ぶなど、音楽家となるべく教育を受けたと言われています。しかしながら野心に乏しく世事に疎かったために、狭いサークル内での称賛とは裏腹に、社会的境遇には恵まれず、貧しい生活を送っていたようです。将来を嘱望されつつも、1836年5月8日、訪問先のアーヘンにて26歳の若さでこの世を去ります。その死を悼んでメンデルスゾーンが曲を捧げたという話や、シューマンをして「シューベルトの早世以来、ブルクミュラーの早世ほど悲しいことはない」と嘆かせたということもこれまたよく知られたエピソードです(以上は、『ニューグローヴ世界音楽大事典』(第2版、Richard Kershaw執筆「ブルクミュラー,ノルベルト」の項等参照)

ノルベルトに関する研究は、とくに本国ドイツを中心に進んでおります。
Klaus Martin Kopitzによる"Der Dusseldorfer Komponist Norbert Burgmuller"(Boss, 1998)や、以下のようなサイト、事典等でもノルベルト研究の最新の成果を知ることができます。またノルベルト作品は楽譜としてもかなり市場に出回っているようです。
http://www.burgmueller.com/
"MGG" (Personenteil 3)

というわけで、詳細なノルベルトの事蹟や研究の最前線についてはそちらを参照していただくことにして、ここではその外伝とも申せましょうか、日本におけるブルグミュラー兄弟のいささか混乱した受容の一齣に光を当ててみたいと思います。


戦前戦後の解説

ブルグミュラー兄弟の日本における紹介は、『25の練習曲』の楽譜解説と共にあったとみてよいかと思われます。初期の例として、連載第8回「日本ブルグミュラー事始」でも取り上げた戦前好樂社より出版されたMOHANシリーズの『25の練習曲』を確認しておきたいと思います。

第8回連載後、心ある方よりご寄贈いただいた昭和15年9月出版のMOHAN『25の練習曲』(原隆吉編輯)。
【写真1】第8回連載後、心ある方よりご寄贈いただいた昭和15年9月出版のMOHAN『25の練習曲』(原隆吉編輯)。

ここでは『25の練習曲』を作曲したフリードリヒの事蹟について述べた後、最後にノルベルトに関しても触れられています。フリードリヒ作曲の作品100番は『25の練習曲』、105番は『12の練習曲』、109番は『18の練習曲』。ノルベルトについても「スポアやハウプトマンの弟子」と伝えられており、この解説はほぼ事実に即した的確な記述内容となっています。背景にはMOHAN『25の練習曲』が原版とした輸入楽譜の存在が窺われますが、ここで重要なのは、初期においてはフリードリヒとノルベルトが兄弟で別人と捉えられていたということです。この解説箇所は昭和17年版、昭和21年版、昭和22年版でも変わっていません。


混乱期の解説

さて、ピアノがごく一部のみならず一般家庭においても演奏されるようになった戦後は、ある意味『25の練習曲』が日本のピアノ界に深く浸透した時期とも申せましょう。しかし、手近な全音版『25の練習曲』の解説を読むと、MOHAN楽譜とは異なりいささか奇怪な現象が現れます。

写真2 【写真2】全音版『25の練習曲』。1963年のクレジットあり。定価130円。
『音楽事典』平凡社、昭和32年。
【写真3】『音楽事典』平凡社、昭和32年。

薄緑の表紙で1963年(昭和38年)のクレジットを持つこの全音版『25の練習曲』の解説を見ますと、「1810~1836」、「シュポア・ハウプトマンに師事」、「僅か26才で円熟を待たずしてこの世を去った」とあり...そうなのです、すっかりノルベルトの事蹟にすり替わってしまっていることがわかります。またよく見ると「ブルグミュラー」としかなく、ファーストネームに言及がないことにも気付きます。数年前に出版された平凡社『音楽事典』(昭和32年刊)を確認すると、「ブルクミュラー,ノルベルト」の項にはノルベルトの事蹟が載っており(【写真3】)、【写真2】の解説とよく似た内容となっています。ファミリーネームが同じということで、あるいはこのノルベルトの事典項目を参照したのかとも思われますが、推測の域を出ません(なお、この『音楽事典』には「ブルグミュラー,フリードリヒ」は立項されていません)。

一方、私(昭和50年生)が子供時代に使用した全音版『25の練習曲』を見ると、これとはまた別の解説であることがわかります。

写真4
【写真4】全音版『25の練習曲』。定価350円。(ちなみにこれより少し前の定価300円の全音版『25の練習曲』も同内容)

まずファーストネーム(F.)が復活し、生没年もフリードリヒのそれに変わっています。しかし「シュポア・ハウプトマンに師事し...」の一文は【写真3】のそれをほぼ踏襲しており、基本的にノルベルトの事蹟です。そして「特にピアノの練習曲(Op. 68, 76, 97, 100, 105)は...」では、再びフリードリヒの作品群が列挙されています。つまり、解説文の中にフリードリヒとノルベルトの事蹟が混在していることがわかります。


現在、そして

むろん、今発行されている各社版『25の練習曲』の解説では、フリードリヒの生い立ちからその後の活動まで丁寧に辿られるものが多く、ブルグミュラー兄弟にまつわるこうした混乱は見受けられません。先に引いた『ニューグローヴ』の存在の大きさが偲ばれるわけですが、では、どうして最初期にはなかったような事蹟のもつれが昭和30年代以降起こったのかと考えると、いくつかのギャップが表面化してきます。すなわち、日本における『25の練習曲』の飛び抜けた受容とフリードリヒ研究の立ち遅れ、それに対する世界におけるノルベルト研究の進展です。孫引きの連鎖や同時代の事典情報の挿入を余儀なくされるほど新陳代謝よく『25の練習曲』が発行されつつも、その作曲家研究には直接結びついていかなかったこのケースは、実践と研究の現場が両輪となって動いてゆくことの難しさを暗に示しているかのようです。がしかし、考えてみれば『25の練習曲』の作曲家の事蹟が混乱していてもこれまで問題視されず、受容にもほとんど影響がなかったとすれば、それは一面で、作品それ自体の持つある種の強さ(?)を立証しているとも言えるのではないでしょうか。

お手持ちのブルグミュラー楽譜も、久しぶりに眺めてみると思わぬ発見があるかもしれません。上記に触れたのはそのごく一部。ぜひこの機に、日本におけるブルグミュラー像のゆらぎと存在感に想いを馳せられてはいかがでしょうか。


☆お知らせ☆

水面下でじわじわ高まってきている感があります(?)ノルベルト・ブルグミュラー生誕200年記念祭。ぶるぐ協会でもいよいよ12月19日(日)にコンサートを開催する運びとなりました!今回は兄弟対決と題し、クラリネット、チェロ、ギター奏者の方々にもご協力いただきます。もちろんノルベルトのピアノ作品も、少し面白い趣向でお聴きいただきます。年の瀬のお忙しい時期とは存じますが、皆さまのご来場を心よりお待ち申し上げております。

ぶるぐ協会第3回 トーク・サロンコンサート
兄弟対決!F. ブルグミュラー vs N.ブルグミュラー~ノルベルト生誕200年を祝して~
◆ 2010年1219日(日)
◆ マルシャリンホール(京王線調布駅東口すぐ 飯野病院7F)
◆ 午後2時開演
◆ 2500円 全席自由 (ペア券4000円)
◆ チケットご予約:
burgmuller25@gmail.com
(人数とご連絡先を明記して下さい)

ブルグミュラーには、「天才作曲家」と称された弟ノルベルトがいたことをご存知ですか?ヨーロッパで「ブルグミュラー」といえば、むしろこの弟を指すと言われるほど、才能豊かだったノルベルト。彼はショパンと同い年!ショパン・イヤーに沸いた本年の終わりに、ぶるぐ協会が満を持して、ノルベルト・イヤーを祝う演奏会を開きます!兄弟の秘曲がズラリ登場。ピアノと室内楽をお楽しみ下さい。


飯田 有抄(いいだありさ)

音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。

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