19世紀ピアニスト列伝

フランツ・リスト 第6回:管弦楽作品

2016/09/27
フランツ・リスト
第6回:管弦楽作品

 今回は、リストの管弦楽作品が話題です。パリ音楽院ピアノ科教授のマルモンテルが、当時、最先端の音楽に関心を持って耳を傾け、評価していたということ自体、とても興味深いことです。彼は、どのようにリストの「前衛音楽」を聴いたのでしょうか。古典的な修辞的音楽理論(完全終止を軸とした調的和性の体系)のなかで音楽を聴いているマルモンテルにとって、リストの交響詩は、ゴールが見えず、曖昧で形而上的な発想に基づいているように思えたのでした。

リスト ピエール・プチによるフランツ・リストの肖像写真(1866年、フランス国立図書館、Gallicaより)

 ピアノと管弦楽のために書かれた二作の協奏曲[S 650, 651]で、リストは、優れた学識をしっかりと示した。[これら2つの]作品を通して、真の霊感の誕生を予兆する、美しい着想の数々に出会うことができる。だが、後続し展開される旋律フレーズに似てしまうものは、全て回避しようとする頑なな態度を取るために、作曲者は、あの神経質な動揺、息切れしながら鍵盤上を駆け回る、錯綜した走句の中に放り出されてしまう。これらの走句は、オーケストラの響きと戦い、時に奇抜な和声の上を刺繍で飾るが、そうした箇所で完全終止を期待しても無駄である。平穏と単純さの不在、難しい技巧の障害物競走スティープルチェース――あれほど高度な知性の持ち主には、こうしたものは期待され得ないのだ。それは、演奏者と聴き手に音楽で謎かけをする、思索的な学識である。

 もっとも、リストの管弦楽曲と交響的作品は、別個に言及しておく価値があるものだ。これらの試みが大きな反響を呼んだとか、フランス楽派に決定的な影響を及ぼしたというわけではないが、リストは、リヒャルト・ヴァーグナーの旗手としての役割を果たした。彼は、抽象的学識の、もっとも決然たる擁護者の一人だと、自ら主張した。その学識の第一法則は、健全な音楽の外側で、あらゆる音楽的効果を探究することだったと考えられる。それは芸術の古い型、調性、楽段ペリオード、完全終止に馴染んだ耳にとっては、耐え難いシステムであり、どこまでも遠のいていく目的へと、息を切らして走っていく行程は、耳を迷わせてしまう。きわめて、あるいはあまりに現代的なこの考え方に則って、リストは、いくつもの交響詩《オルフェウス》、《プロメテウス》、《タッソ[――悲哀と勝利――]》、《ハンガリア》、《山岳で聞こえること》、いくつものミサ曲、交響的前奏曲、《ダンテ交響曲》、[交響詩]《英雄の葬送》、《マゼッパ》を書いた。これらの作品は、いずれも新しい楽派に属しており、その[存在上の]口実とは、せいぜい、才能ある詭弁家の世代を誕生させたということでしかない。形而上的理想を探究するに等しい、誤った精神――その至上目標は、純粋なる芸術を、音の助けを借りて絵画に変容させ、感情、感覚、言葉では言い表せぬ[音楽の]性分に戦いを挑み、ハイドンモーツァルトベートーヴェンヴェーバーの劇芸術ないし交響的芸術を、詩的で描写的ジャンル、つまり「模倣的」と自称しながらも極めて曖昧な芸術へと矮小化する。そこでは、霊感の推進力が、[音の]組み合わせの探究にとって代わられている。サン=トゥスタシュ教会とイタリア座で行われた、彼の宗教作品と交響的作品の上演――これらの演奏会は、サン=サーンスの献身的に主導により、彼の如才ない指揮の下で実現した――が、我々の印象を変えることはなかった。リストの音楽は、新ドイツ派の美点と欠点の双方を要約している。かくて、リストブラームスラフサン=サーンス自身の列に並んでおり、また、これらの隣人が、リストを見劣りさせることはない。けれども、彼らと同様、リストもやはり才能を濫用している点は、惜しまれる。彼は、若者が殆ど何も学ぶべきもの見出さず、多くを忘却してしまうような、そんな楽派の過ちに、才能を費やしたのだ。

 逆に、ロッシーニによる声楽の夜会1のピアノ用トランスクリプション、ならびにシューベルトによる歌曲のトランスクリプションについては、我々は手放しで讃辞を贈る。このジャンルにおいて、これほど完璧なものを我々は知らないし、あらゆる難易度で書かれたトランスクリプションを読むことを通して、それを確認することは、まったく有意義である。シューベルト《セレナード》[S 558, no 9]、《乙女の嘆き》[S 563, no 2]、《郵便馬車》[S 561, no 4]《魔王》[S 558, no 4]ベートーヴェン《アデライーデ》[S 466]、さらに50曲[あまり]の管弦楽ないし声楽曲は、この種の 編曲アランジュマンにおけるリストの卓越性をはっきりと示している。それらを演奏するには、大変優れた手腕、細心綿密な正確さのみならず、フレーズの価値を真に判断する能力、全体のなかで維持すべき歌唱パートと伴奏パートの配置を[はっきりと]聴かせるための、すばらしい機転が必要とされる。

  1. 原題は《音楽の夜会》 S 424。Franz Liszt, Soirées musicales, Milan, Ricordi, 1838.

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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