19世紀ピアニスト列伝

ド・モンジュルー夫人 第3回:教育者としての功績

2016/03/22
ド・モンジュルー夫人 第3回:教育者としての功績

 ド・モンジュルー夫人は創設期のパリ音楽院で最初の女性ピアノ教授として数々の優れた弟子を育てました。第1段落では彼女の優れた門弟たちが紹介され、第2段落では作曲家としての評価が述べられます。第3段落以下では、大部の練習曲集を含む彼女のピアノ・メソッドへの賞賛が語られます。これらの練習曲は、今日、抜粋で録音もされていますが、古典的なものからショパン前夜を想わせるロマン主義的な小品まで様々なスタイルの曲を含む、大変魅力的な小曲集です。

ド・モンジュルー夫人

 ド・モンジュルー夫人は何年にも亘り若きプラデール1のピアノ学習を指導し、ボエリー2にも助言を与えた。この内、前者は後に、1802年、選抜試験の末、21歳でパリ音楽院ピアノ科教授の地位を獲得し、イアサント・ジャダン3の後を継いだ。プラデール(Pradher)――その名は正式には  Pradère  と綴るべきだろう――は1827年までパリ音楽院で教えた。エルツ兄弟、すなわちジャックとアンリ、大変著名なローズラン4、そして大変権威を持って首尾よく師の伝統を継承している我々の同僚フェエリックス・ル・クーペ5が教育されたのはまさに彼の流派においてである。ボエリーに関して、彼がヅィメルマンのクラス――私はそこの生徒だった――に訪れたときのことをまだ憶えている。私は彼の意図に従って、彼がクレメンティクラマーの様式で書いた6つの練習曲を教わった。この大家は既に亡くなった作曲家を回顧しかつ賞賛してはいたが、かといってそれが自作品の演奏に喜びを見出すことを妨げていたわけではなかった。彼は[私の演奏に]満足を示し、サン=ジェルマン=ロクセロワ教会でバッハのフーガを演奏する機会に招いてくれた。ボエリーはオルガンの優れた様式、正確でゆったり幅のある演奏を備えていたので、私はこの演奏を耳にした貴重な想い出を記憶に留めた。

 作曲家として、ド・モンジュルー夫人は高い志を持っていた。彼女は作品番号にして4作を成す10曲のソナタ、3曲の幻想曲、いくつもの性格小品、2声のための6つのノクターンを出版した。だが、これらのソナタは上手く書かれてはいるものの、目立った個性をはっきりと示すわけではない。正確に提示される着想の数々は独創性を欠いており、走句とモチーフの展開の性質にはド・モンジュルー夫人が特に敬愛した大家クレメンティクラマー、デュセックの手法が認められる。反対に、我々は『ピアノ教育のための完全教程』6というタイトルで出版された重要なメソッドについては、保留なしで称賛する。高度な美質を備えた女性、傑出したヴィルトゥオーゾたるド・モンジュルー夫人は、真の教師を形づくり、教師の教育の権威を決定付けるあの観察と分析の精神にとりわけ恵まれていた。

 50年以上前に私がピアノの学習を始めたときに用いたのは、まさにド・モンジュルー夫人のメソッドであった。この年代となれば、このメソッドの理論的な部分や美学的考察は、もはや古びていると思われることだろう。だが、決してそのようなことはない。千ある中から一例だけを引こうと思うなら、彼女の教程の序文で著者が示した数行の助言を書き写すことが最善である。「上手く言う[演奏する]」ということに関する彼女の格言の数々は、才能を見せ付けるために弦を切りハンマーを折って筋力を誇示するヴィルトゥオーゾが念頭に置くべきものであろう。

「上手く歌う技法は、用いる楽器が何であれ、同じである。その楽器の演奏者に特有のメカニスム[演奏の物理的な側面]のために譲歩したり、犠牲を払ったりしてはならないのであって、メカニスムを芸術の意志に従わせなくてはならない。
 ピアノが声楽のアクセントを何から何まで表現することは出来ないにせよ、それでも大多数のアクセントは、巧みな芸術家が摸倣できるようになるものだ。だが、他にも種々のアクセントがある。それらは、機転、音を導く技法、趣味、感性、語らせようとする楽器本来の欠点と長所に関する深い造詣に由来するものだ。」

 これほど上手く述べることは不可能である。序文全体には、同様の明晰さと良識がある。メソッドに関して、彼女は基礎的な原則から最も難しい技巧に至るまでを漸次的に導いている。3巻からなる教程には、メカニスムの数多くの定型と良い演奏の基礎をなす走句の兵器庫が丸ごと含まれているだけでなく、更に、十全な向上を凝縮しまとめた実践的メソッドに相応しいエクレクティスム(折衷主義)の精神を備えた完全な感覚で研究されたアクセント付け、装飾、趣味の原理をも含んでいる。響き、趣味の音符[=装飾音]、表現を扱う章は、細心の配慮をもって書かれ、教師ならびに生徒が遵守すべき基礎を示している。
 クレメンティの《グラドゥス》に倣って、ド・モンジュルー夫人のメソッドの第2部と第3部は、100数曲の様式トメカニスムの特別な練習曲を含んでいる。これらは、著者が持っていれば役に立つと考えた、演奏とリズムの難しさを克服するための様々な典型や創意工夫に富んだ組み合わせを含んでいる。最後に、古い様式による数々の主題変奏、カノンとフーガこの見事で正確なメソッドを完全なものにしている。このメソッドは残念ながら、愛好家の書棚にあるのみで、原版は溶かされてしまった。

  1. 次の過去記事脚注2参照
  2. 過去の連載記事脚注1参照
  3. 過去の連載記事脚注28参照
  4. Henri Rosellen()
  5. 過去の連載記事脚注16参照
  6. Hélène de Montgeroult, Cours complet pour l'enseignement du forté-piano conduisant progressivement des premiers éléments aux plus grandes difficultés, divisé en 3 parties, Paris, Pelicier, s.d.

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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