19世紀ピアニスト列伝

ルイ・アダン 第4回(最終回): 芸術家、教育者としての成功と投資家としての失敗

2016/01/04
ルイ・アダン 第4回(最終回):
芸術家、教育者としての成功と投資家としての失敗

実業家としても成功した弟子のカルクブレンナーとは対照的に、ルイ・アダンは自身の資産運用には長けていなかったようです。息子もまた同様でしたが、両者とも、勤勉に働いて借金を返済するという実直がありました。第三段落は例によって人相描写です。バッハヘンデルの肖像でおなじみの鬘についての既述は、当事の服飾習慣を知る上でも興味深い内容です。

アダン
図:ルイ・アダンの肖像
(BnF, Gallicaより転載)

ルイ・アダンは、自身の慎ましい資産を管理することに関して、息子アドルフ・アダンーーのちに彼は輝かしい作曲家、機知に富んだ著述家となったーーのようには、幸運ではなかった。芸術家兼ビジネスマンは稀有な例外に属するのである。1827年、還暦を越えていたルイ・アダンはうまい投資をしようと考え、自ら3分の2を出資して不動産を購入した。突如、1830年の革命が勃発し、貴族や財界人が職を追われた。多くの芸術家が亡命し国外で新たな生活の糧を求めることを余儀なくされた。多年に亘り、彼の裕福な顧客と、生産的とはいえない彼の家政がもたらしていたあの[不動産からの]収入を失い、ルイ・アダンは購入した不動産に係る債務返済が不能となり、損を承知で、つまり40年間働いてきた成果を犠牲にして、これを転売しなければならなかった。

この健気な芸術家は、契約を履行するために[老後の]安寧を返上し、勇敢にも再び仕事に就いた。その後、アドルフ・アダンはリリック座の創設者兼監督に早変わりした折、彼もまた10万フランの蓄えを使い果たし、債権者に債務を完済すべく著作権を放棄した。すべての劇場監督がこうしたあくまで誠実な例に当てはまるわけではない。それどころか、一体どれだけの監督が、株主やスポンサーを破産させておきながら輝かしい財産を築きえたことか!

私は、自分が彼のごく若い同僚になるずっと前からルイ・アダンを知っている。1827年、私が音楽院に入学した時分、この著名な教授はすでに70歳を目前にしていた。彼の美しい人相は心の善良さを映し出していた。大変優しげな眼差し、開いて微笑む口、規則正しい顔立ちはありありと共感を示し、いやおうなく敬意を起させた。当時の慣習に従って、ルイ・アダンは禿げた頭をふさふさした鬘で守っていた。[当事は]頭部を露わにすることがまだ習慣ではなかったが、こんにち、それは若い人々の間でも受け入れられている。瑪瑙の筋のように整った線の顔が禿げた頭に合っていたロッシーニは、数多くの鬘をコレクションしており、[着用の際に]鬘だと分からないように、生えかけの髪には、十分に注意が払われた。

1827年、ルイ・アダンはレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ章を受勲した。1843年、彼はパリ音楽院教授を辞めたが、その時には85歳になっていた。我々は1848年に彼が90歳で他界したことを悼んだ。この仕事と献身の人生にあったのは、疲労と試練である。それはいかなる種類の過失や汚点でもない。非常に有能で過剰なほど勤勉、自己の功績には謙虚で、自身のライバルと弟子に好意的、芸術の進歩に開かれた精神を持っていたルイ・アダンは、我々以前の世代の教授職においてもっとも好感的で、高みにある人物の一人であり続けている。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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