19世紀ピアニスト列伝

フェルディナント・リース 第5回(最終回):リースの傑出した美点―高貴さ

2015/03/25
フェルディナント・リース
第5回(最終回):リースの傑出した美点―高貴さ

 今回でリースの章は最後になります。第3、4段落で著者マルモンテルは、再びベートーヴェンとの比較で下されるリースに対する評価の見直しを試みます。リースベートーヴェンの幼馴染で医師のヴェーゲラー Franz Gerhard Wegeler(1765~1848)と共に著した『ベートーヴェンに関する覚書』に垣間見られるベートーヴェンの粗野な性格についての描写は、後世の批評家たちからベートーヴェンに対する敬意の欠如と見做され、リースにたいする批判の口実となりました。しかし、マルモンテルリースのような人士が「師に忘恩で報いる」などということは考えられないとして、過度な批判をたしなめます。
 最後の5段落は、お決まりの人相と性格の描写です。

リース

リースの作品では、限られた領域の中でではあるものの、個人的な気質が苦労やわざとらしさなく、最終的にそれ相応の形式の下ではっきりと示される。リースは自然でありながらも申し分なく独創的になったのだ。目新しく熱狂的だが誠意のない手法が探求されることで、多くの凝りすぎた作品、時にまた、単なる贋作に過ぎぬような作品が生み出された世紀においては、得がたい才能と称賛に値する見本なのである。

もっぱら感情に由来し、芸術家ではなく人柄を損なうもう一つの非難がフェルディナント・リースに向けられた。フェティス1は、温情あふれる善意をもってリースを迎えてくれた天才[ベートーヴェン]の想い出に対して尊敬と敬意を持っていなかったのではないか、としている。フェルディナント・リースは実際、ボンのヴェーゲラー氏と共にベートーヴェン伝を出版した2。かの大家の粗野な性格は、この著作でも和らげられてはいない。時には、そうした[性格上の]粗さはとりわけて強調されさえしていることは認めなければならない。このベートーヴェンの弟子は、せいぜい嫉妬深く重箱の隅をつつくような注意力だけが第交響曲作家の作品に発見できるような趣味の欠如、太陽にできた小さなシミに対する幾つかの辛辣な批評が書かれるようなことがあれば、フェティスに[師に対する]称賛の手紙を書き送ることもあっただろう。

こうしたことは惜しむべき事実ではあるが、リースの[師に対する]賛辞はフェティスの批評ほど[称賛的]ではないが、ベートーヴェンに関する追想を傷ものにしたわけではなかった。少なくともはっきり言えることは、幾らかの不注意があるにせよ、ヴェーゲラーとリースにはベートーヴェンの人生の中で起こった私的な出来事について、彼らなりの印象や個人的な想い出を公にしようということだけを念頭に置いたということだ。彼らの小さな伝記を支配している性質は、天才、寛大で優しく強い感受性を持ちつつも、苛立っていて存在の中間的な状態を知らぬ魂の持ち主に捧げられた称賛の証なのである。全く同様に、忘恩ということはフェルディナント・リースの善意と好意―彼の友人なら誰もがこれらを証言している―にはそぐわないことであろう。

不屈の勤労者でありながら社交人だったリースの人相は気品が漂い、均整のとれくっきりした顔立ちはエネルギッシュな意志をはっきりと示していた。額には厚く縮れた髪の毛を戴き、目には厚い眉が陰を落としていた。微笑んだ口、えくぼのできる顎は顔つきに皮肉な揶揄を含んだしわを作っていたが、人柄は善良で寛大で、[彼の死後は] ただ愛惜の念だけを残した。芸術家としてのリースに関して、ベートーヴェンの威光に包まれるという彼の最大の幸運、後世の眼から見れば完全にはそこから解放されていないという彼の運命を一つに合わせたものだった。だが、フェルディナント・リースの名声におけるこの著しい名誉を考慮にいれながらも、このベートーヴェンの弟子には、彼が最終的に完全に手中に収めた個性的な美質を認めなければならない。すなわち、信念、雄々しさ、誠実さ、そして彼の明確な性格であり続けるであろう、かの高貴さがその美質なのである。

  1. 過去の連載記事脚注7参照。
  2. Ferdinand Ries and Franz Gerhard Wegeler, Biographische Notizen über Ludwig van Beethoven, Coblenz, K. Bädeker, 1838.

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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