19世紀ピアニスト列伝

モシェレス 第1回 ― 幼少期の勤勉さと並はずれた記憶力

2014/12/09
モシェレス 第1回 ― 幼少期の勤勉さと並はずれた記憶力

今週から19人目のピアニスト兼作曲家、イグナーツ・モシェレス(1794-1870)の評伝に入ります。モーツァルトを熱狂的に受け入れたプラハの街の音楽院でバッハクレメンティモーツァルトといった古典を学び、当時最新の音楽だったベートーヴェンも積極的に吸収したモシェレスは、ポスト・ベートーヴェン時代の模範的な作曲家兼ピアニスト、教育者として国際的な活動をしました。その端正で趣向を凝らした作品はショパンを魅了し、また彼の博識はメンデルスゾーンが創設したライプツィヒ音楽院ピアノ教授として絶大な信頼を寄せられました。

フンメル

名声の険しい絶頂を極め、比類なき個人的資質と誰もが認める第一流の美点によって芸術の頂点に到達する芸術家は数少ない。公正を欠く批評に悲しまされることを全く知らず、対抗意識や嫉妬の痛ましい攻撃を意識することのなかった芸術家はさらに少ない。モシェレスはそのような芸術的特権をもつ一人であった。音楽家、作曲家、ヴィルトゥオーゾとしての卓越した彼の能力は非常に高度な位置を占めていたので、彼の音楽人生の中であまりに頻繁に現れたいかなる卑しい情熱も、小さな憎悪も、彼の見事で純粋な誉れに触れることは出来なかったのだ。さらに、彼の誠実で気高い性格は、彼に即座の、しかも強い好感をもたらした。この偉大な芸術家、この紳士が万人の好評を得るためには、ただ姿を現しさえすればよかったのだ。

モシェレス(イグナーツ)1は1794年5月30日にプラハで生まれた。彼の父はユダヤの卸売商人で、息子がごく幼い時に音楽の勉強を始めさせた。彼の最初の先生はここに載録するに値する名の慎ましい音楽家、ツァブラトカZabradkaとツォツァルクスキZozalkski2だったが、彼らは十分早い時期にプラハ音楽院に入学できるように、自らの生徒に初歩を教えた。当時、プラハ音楽院の長を務めていたのはディオニス・ヴェーバー3という学識の深い優れた音楽家で、直ちにモシェレスの類稀な資質に心を奪われた。

父のような愛情に満ちた指導の下で、幼いピアニストはJ.S.バッハ、ヘンデル、モーツァルトクレメンティの作品を教えられた。彼の並はずれた記憶力と驚嘆すべき能力は、12歳にして公開演奏会で演奏し、小さなヴィルトゥオーゾには稀にしか見られない演奏の堅実さによって芸術家たちの好評を得るほどの進歩をもたらした。早熟で豊かな素質には、既にモシェレスがその様式を熱心に学んだ大家の厳格で輝かしい美点が染み込んでいた。

この最初の成功は、モシェレスの自尊心を掻き立てるどころか、ただ彼の学習意欲に火を付けるばかりだった。彼の家族は彼の善き意志に援助の手を差し伸べて彼をウィーンに送りだすことに決めた。彼はこの首都で自らを完成に近づける手立てと従うべき模範を見出した。著名な教師アルブレヒツベルガーの和声のレッスンのおかげで、彼はしっかりとした対位法の学習をし、またサリエーリの助言も受けた。彼らは真の原則と健全な教義を知ることを切望するあらゆる芸術家が助言を求めた大家で、彼らは自身の若き弟子に大変な愛情を注いだ。モシェレスの想像力とけた外れの記憶力は古今のあらゆる傑作で満たされた。

  1. モシェレスは "Isaac" というユダヤの出自を示す名前ももったが、社会活動においてこれを用いることはなかった。
  2. マルモンテルと同時代の学者フェティスによればこれらの名前はZahradka、Zozalskyと表記されている。
  3. ヴェーバー Weber, Bedřich Diviš, (1766~1842):ボヘミアの作曲家。プラハ音楽院の創設に尽力し1811年から院長を務めた。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

【GoogleAdsense】
ホーム > 19世紀ピアニスト列伝 > > モシェレス 第1回 ...