19世紀ピアニスト列伝

ファランク夫人 第2回―名高い芸術一家に生まれる

2014/10/07

名高い芸術一家に生まれる

ファランク夫人は音楽史における女性の貢献を再評価しようという動きのなかで20世紀後半になって「再発見」された音楽家です。男性の領分とされた「知的な」作曲の世界に身を投じることは19世紀前半には大変なことでしたが、地位の高い芸術家の家に出自を持った、そして厳格な音楽家・出版者だった夫の理解によって社会進出の道が開かれました。

ジャンヌ=ルイーズ・デュモンとして生まれたファランク夫人は彫刻家でローマの寄宿生1ジャック=エドム=デュモン2の娘、学士院会員で現代の著名な彫刻家の一人であるオーギュスト・デュモン3の妹として生まれた。ファランク夫人はまた、女性を通して18世紀の画家の名家コワペル家4にも出自をもつ。彼女の幼少時代は、神童たちの初期の歩みとともに見られるような、いかにもたいへん特別な適性を示すような目立った特徴を見せていない。そこには驚くべき伝説は何も見られない。だが傑出した芸術一家の一員であるというこのすばらしい運命は確かに将来のヴィルトゥオーゾの資質と初期の学習の方向づけに大きな影響を与えたに違いない。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンは、この若き新信徒が最初の信心を捧げた音楽の三位一体であり、モシェレスとフンメルは彼女の助言者であると同時に模範でもあった。

14歳のときから、彼女はレイハ5の下で和声と対位法を学んだ。17歳のとき、彼女は厳格な才能の持ち主でフルート奏者、優れた作曲家として名高いヴィルトゥオーゾ、アリスティード・ファランクの伴侶となった。妻の見上げた優越性、彼が妻に抱いていた深い賞賛から、彼は戦闘的な音楽家人生を手放し出版社になることに決めた。それでも、彼の出版した楽譜の中には非の打ち所が無い修正、配慮、良心、真の芸術家の趣味を再び見出された。人々はフンメルの『練習曲集』『大メソッド』、チェルニーの『ヴィルトゥオーゾの学校』6、『ベートーヴェン作品』集といった非常に価値の高い多数の楽譜の出版を彼に負っている。妻の作品の熱烈な信奉者だった彼の主導のおかげで、我々は彼がいなければ皆に、また内輪の者にすら知られていなかっただろう重要な数々の作品を知っている。というのも、ファランク夫人は自作品を上演すること自体に強い反感を持っていたからである。彼女の平素の慎ましさは、白昼の下に自身の芸術的個性を見せることが問題となる時には苦しみにさえなった。

既に述べたように、ファランク夫人が和声と対位法を長くしっかりと学んだのは著名な対位法作曲家レイハの熟練の指導の下でであった。教授法がケルビーニの教義とは多くの点で異なるこの作曲家、とりわけて厳格な様式の作曲家だったこの教授は、彼女の知性と熱心な知性のスコラ的な学習姿勢に強い関心を持った。彼は自身の対位法とフーガの授業を彼女に重ねて推奨した。だが勇ましき音楽家 [ファランク夫人] は類まれな純粋さで主題変奏(エール・ヴァリエ)やロンド、練習曲を書く事には飽き足らず、オーケストレーションのあらゆる秘訣、あらゆる手法を徹底的に知りたいと願った。ファランク夫人は高度な様式の作品、すなわち三重奏曲、四重奏曲、五重奏曲、九重奏曲、序曲、交響曲の作曲を前にして後ずさりすることはなかった。ファランク夫人は大胆にピアノ、弦楽器、ピアノと管楽器のための協奏的な音楽に着手することができた。著名な大家たちの名に相応しい数々の交響曲にも言及しておこう。これらの作品はただ一つの批評しか許さないものだ。すなわち、ファランク夫人はこれらの作品で、敢えて満足に彼女自身であろうとはしなかった。彼女の着想は、すっかりその模範に向けられており、これらの作品ではそれらの模範の型にあまり溶け込みすぎていて、彼女は自身の個人様式を十分厳格に表明しなかったのだ。

  1. ローマの寄宿生:ジャック=エドム・デュモン(1761~1844) は1788年に芸術家の登竜門であるローマ賞を受賞、褒賞として芸術家が集うローマのヴィッラ・メディチの宿舎に滞在した。
  2. デュモン気は代々2世紀にわたり彫刻家を輩出し続けた名家。主な系譜は次の通り。ピーエル・デュモンPierre Dumont (?~1737)、フランソワ・デュモンFrançois Dumont(1687/8頃~1726)とその弟ジャック・デュモンJacques Dumont(画家、1701~1781)、フランソワの息子エドム・デュモンEdme Dumont(1719~1775)、その息子ジャック=エドム・デュモンJacques-Edme Dumont(1761~1844)、オーギュスタン=アレクサンドル・デュモンAugustin-Alexandre Dumont(1801~1884)。ファランク夫人は最後に挙げた人物の妹ということになる。
  3. 注2の最後に挙げたオーギュスタン=アレクサンドル・デュモンのこと。通常はオーギュストの名を使用していた。オーギュストはパリのバスティーユ広場にある七月革命の塔の頂上を飾る天使像やヴァンドーム広場の頂点を飾るカエサルに扮するナポレオン像の作者である。
  4. コワペル家:注2に挙げたフランソワ・デュモンの義理の兄が画家のアントワーヌ・コワペルAntoine Coypel(1661~1722)。
  5. レイハ:過去の連載脚注4参照
  6. 訳者によるチェルニーについての連載記事参照

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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