19世紀ピアニスト列伝

ジギスモント・タールベルク 第5回

2014/09/16

前回は、タールベルクに続く世代には二つの流派が存在することが指摘されました。一方は、中声部(ピアノの鍵盤の中音域)にメロディーを配置し、これを取り巻く大きなアルペッジョの背景の上に、くっきりとメロディー浮き上がらせるタールベルクの手法を引き継いだ一派、他方はこの流行を敢えて受け流し、詩情あふれる音楽を独自の手法で書き続けた一派。ですが、19世紀も半ばを過ぎると次第にタールベルクの様式は過去の流儀として顧みられなくなります。

こうした流行と趣味の移ろいで、タールベルクの栄誉が奪われるということは全くなかった。この傑出したヴィルトゥオーゾが追い求め到達した目標とは、華麗な効果を急速な全音階や半音階的な走句の上に立脚させる古いピアノの流派を、新しい定型に置き換えること、つまり、鍵盤のいっそう広い音域を活用し、最も低いバス音から最も高い極限の音に至るまで、和声の織り込まれた布地を展開することだった。一見解決不可能とも見えるこの問題を、タールベルクはその幻想曲や声楽、器楽編曲を通して堂々と実現させたのだった。旋律のフレーズは中音域に配置され、強調される音を両手に分けることで親指が歌唱声部をたいへんしっかりと際立たせ、非常に力強い和声は深みのあるバスの音、急速なアルペッジョを用いる両手で支えられる―要するに、こうしたことがタールベルクによって採用され、比類なき創意をもってして実行された手法である。

かくして、このヴィルトゥオーゾとしてのタールベルクも作曲家としてのタールベルクも、いずれもピアノの流派における真の革命を起こしたのである。古い時代の巨匠や、その才能・独創性のおかげでこうした新しい効果が必要とされなかった大家たちは自らの様式を何ら変えることなく、アルペッジョのへの熱狂をやりすごした。エルツショパンヘラーカルクブレンナーは自身の書法をごくわずかしか変えることはなかったが、タールベルクの後に熱狂的に従った若き流派はそうではなかった。プリューダン、コンツキ、ゴリアデーラー、オズボーン1、ゴッドフロワ2は彼の熱烈な信奉者となり彼の教義の宣伝者となった。全ての革命がそうであるように、そこ[後継者たち熱狂ぶり]には過剰が見てとられた。クレメンティクラーマーフィールドカルクブレンナーの流派、フンメル、モシェレス、アンリ・エルツの流派はいずれも旋律の配置、和声、華麗な走句については殆ど同じ流儀から出発していた。音楽の構造によって、両手にはそれぞれに相応しい、同程度の重要性が割り当てられたが、語り口の面白みはいつも分断されており3、旋律を伴奏する同時的な両手4の使用法は殆ど含んでいなかった。

単純な音階の走句、装飾的な走句、ときには分散和音の形をとる走句は、常にシンメトリックな構成とっていたが、それは常にヴィルトゥオーゾ [の資質] よりも音楽家 [資質] を上位に位置づけるものだ。フレーズの運び、保つべき形式は大きな効果を狙う演奏者の独自の振る舞いや気まぐれよりも重視された。ハイドンモーツァルトといった巨匠はヴィルトゥオジティを排除はしないが、まずもって自身の着想をもっとも美しい音楽言語の中で表現することに集中した。彼らにとって、これこそが[音楽で]巧みに語ることができる極めて確かな手段だったのだ。もっぱら楽器の美しい響き、演奏者の個別の美点をいっそう際立たせることを目的とするフレーズや走句を書くという発想は、ごくまれにしか彼らのもとに降りてはこなかった。

  1. オズボーン George-Alexander OSBORNE (1806-1893) : アイルランドの出身のピアニスト兼作曲科、初め神学を学ぶがピアノに転向。1826年にパリに到着しピクシスとカルクブレンナーに師事。作曲家として身を立てるべくフェティスに和声と対位法を学んだ。ショパンとも交流があり、共演もしている。1843年にロンドンに移住し、ピアノ音楽以外に室内楽、オペラ、管弦楽曲、歌曲など幅広いジャンルに取り組んだ。
  2. ゴッドフロワ Dieudonné-Joseph-Guillaume-Félix GODEFROID (1818-1897) : ベルギー出身のハープ、ピアノ奏者。1824年、11年生まれの兄ジュール=ジョゼフと共にフランスに移住、32年にパリ音楽院に入学しハープを専攻した。やがて時代はハープよりもピアノへの取り組みへとゴッドフロワを導いた。ハープとピアノ両刀使いのヴィルトゥオーゾとしてベルギー、ドイツ、スペイン、ロンドンを旅行し名声を広げた。ピアノ作品に2つのソナタ、練習曲集があるほか、オラトリオ、ミサ曲がある。
  3. つまり、ある旋律やモチーフが演奏される際には、必ず左右どちらかの手がこれを演奏し、タールベルクのように両手で交互にとるということがなかった、ということを言っている。
  4. 両手が旋律と伴奏の両方を担うタールベルク流の奏法のこと。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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