19世紀ピアニスト列伝

ダニエル・シュタイベルト 第4回 ロシアのオペラ座監督としての後半生と 演奏家・作曲家の評価

2014/07/29
ロシアのオペラ座監督としての後半生と
演奏家・作曲家の評価
ベートーヴェン
ロシア皇帝アレクサンドル一世
(1777~1825)
ダニエル・シュタイベルト
ダニエル・シュタイベルト
(1765~1823)

ロシアに移住したシュタイベルトは、後半生を同地のオペラ座監督として過ごします。にもかかわらず、金銭感覚に疎いシュタイベルトは財産を残すことはありませんでした。テキストの後半は、演奏と作品に対する批判が展開されます。演奏・作曲における知性、論理を重んじる著者マルモンテルはパリ音楽院教授として、シュタイベルトの一貫性のない―しかし優れた着想にあふれた―作品に批判の眼差しを向けます。

シュタイベルトは1805年に再びパリを訪れ、1806年に[ナポレオンが] アウステルリッツの戦場から帰還した際に1平凡な機会カンタータ『3月の祝祭』を上演させた。だが、あちこちから借金をして暮らして債権者たちに絶えず付きまとわれた彼は、1808年、すぐにロシアに向けて再出発した。この長い旅路の間中、彼はフランクフルト、ライプツィヒ、ワルシャワ、その他の都市で数々のコンサートを開いた。サンクトペテルブルクに到着2すると、ロシア皇帝3は[ロシアの]フランス・オペラ座監督の地位を彼に与えた。大芸術家であると同時に紳士だったボイエルデュー4は当時この劇場の正監督だったが、彼は故国[フランス]に郷愁を抱き、再び国に戻ろうと思っていた。シュタイベルトはこうしてこの役職を得たわけが、ボイエルデューと同等の権威も威厳もオペラ座にもたらすことはなかったものの、なおも素晴らしい霊感を発揮する熟練の芸術家であることに変わりはなかった。この時期は彼にとって最高の年月だった。絶対的で破棄することの出来ない契約のおかげで、彼は1808年から亡くなる1823年9月20日までこの地位を保証された。この長期間のうちに、彼は各地のオペラ座で『シンデレラ』、『サルジーヌ』、『ロミオとジュリエット』、『バビロニアの王女』を上演させ、『ミタスの審判』に着手した。彼は死に際して家族に財産を残さなかったので、彼を庇護する慈善家の計らいで寄付と演奏会を通してこの惨憺たる状況に生計を賄うだけの資金が賄われなければならなかった。

こうした彼の人生には秩序の乱れが見て取れる。この乱れは、よからぬ方向を目指した見事な能力、十分な教養なき天賦の才がもたらす不均等に対応して生じている。シュタイベルトの演奏は魅力的ないくつもの美点を見せていたが、同時にその作品の重大な欠点もまた示していた。その大部分は長すぎ、混乱し、定まった構想のない全くの即興であり、それらにおいては好ましいいくつものモチーフが論理的な順序もなく立て続けに現れた。シュタイベルトの演奏はどんな流派にも先例がなく、彼自身にのみに、つまり独創的であると同時に単に奇妙な気まぐれ属し、自身の演奏技巧(メカニスム)を軽視し、その瞬間の霊感まかせのもので、そこには自身の自在な技を過信している寄席芸人にみられる必然的な不正確さがあった。輝かしい想像力にかけては逞しく、彼が流行らせたいくらかのペダルの効果、トレモロ、反復音、変奏にかけては確かであったシュタイベルトは、まだ趣味が形成されていない聴衆に自身の価値を認めさせたが、繊細な耳と正しい均衡の感覚をもつ真面目な芸術家の批判は避けられなかった。

譜 例 1
『ソルティコフの死に寄せる哀歌』(1816)、序奏の冒頭8小節。3段目にトレモロの例が見られる
  1. アウステルリッツの戦い:1805年12月20日、ナポレオン率いるフランス軍がロシア・オーストリアの連合軍を破り対象を収めた戦役。
  2. サンクトペテルブルク到着は1809年のことだった。
  3. ロマノフ王朝第10代皇帝、アレクサンドル一世(1777~1825)のこと。
  4. ボイエルデューFrançois Adrien Boieldieu(1775~1834):ルーアン出身のフランスの作曲家。1803年から1811年までフランス・オペラ座の監督を務めた。過去の連載注5も参照。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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