19世紀ピアニスト列伝

ヨハン・バプティスト・クラーマー 第2回 クレメンティ門下のリーダー

2014/05/07
ヨハン・バティスト・クラーマー(1771-1858):
クレメンティ門下のリーダー
J. B. クラーマー《42の様々な調性による訓練課題としての練習曲》、 フランス初版の表紙(1804)
J.B.クラーマー《42の様々な調性による訓練課題としての練習曲》、フランス初版の表紙(1804)

イギリスの著名な音楽家ムツィオ・クレメンティにクラーマーが師事したのは1年間だけだったと言われます。それにもかかわらず、クラーマーはクレメンティの正統な継承者としての名声をほしいままにしました。

非常に勤勉な性格のクラーマーは、自分の時間を、教える時間と作曲の時間に分けた。だが、J. B. クラーマーが、自身クレメンティの忠実な弟子たることを示したのは、なにも厳格(スコラスティック)な様式、和声の運び方、嬉遊曲、フーガ、メカニックな走句等々についてでもなければ、指の均質性においてでもない。この大家クレメンティの偉大なる原則は、簡素で節度ある装飾、歌唱的なフレーズの旋律的で歌うような節回しにも認められるのだ。最後に、[クレメンティクラーマーの]様式・手法の類似は、我々には非常に著しく思われるので、クラーマーの際立った個性を賞賛しつつも、我々は、彼の中にクレメンティの長男の姿、すなわち彼の流派の直系の代表者であり、最も権威ある継承者の姿を認めている。

この比類なき系譜はヴィルトゥオジティという点だけから認識すべきものではない。それは、さらに、極めて明瞭にとクラーマーの全作品に認められるのであり、とりわけ我々が[クレメンティの]《パルナッソス山への階梯》1と同等に評価している、正当な名声を得た練習曲集2においても然りだ。この類似は、ジョン・フィールド―彼はクレメンティの贔屓の生徒であった3―の作品以上にはっきりと際立っている。両手が同じ動きをする全音階の書法、クレッシェンドとデクレッシェンドの長い周期で徐々に鍵盤の音域を広めながら駆け巡る軽快で輝かしい走句は、大家クレメンティとその高名な弟子たちの作品の中に、非常に多様な形で見出される。これらの2つ書法はまた、芸術の純粋な源泉から汲み取られたものであり、ゼバスティアン及びエマヌエル・バッハヘンデルスカルラッティといった偉大なチェンバロ奏者を範としたものだ。クレメンティのレッスンは非常に人気があり、イギリス貴族はクレメンティの堂々たるライバルを高く評価していた。私の旧友で著名な交響曲作家のジョルジュ・オンスロー4は彼[クラーマー]の愛弟子の一人だった。作曲家クラーマーに話を戻すなら、彼の全作品は全てが等しい価値を持っているというわけではなく、また面白みと様式が、全てにおいて同じ水準にあるわけではない。また、次のことを認めなければならない。この作曲家の正当な名声には相応しからぬ、速筆に任せて書いた多くの編曲さえある。晩年の作品は霊感を欠く。そこにはもはや推敲された厳格な文体をもつ書き手の姿は認められない。クラーマーの大部分のソナタと協奏曲は、せいぜい図書館にしか残っているに過ぎない。印刷の原版は溶かされてしまったし、現代のピアニストは、彼の作品の大部分を伝聞でしか知らないのだ。

  1. 《パルナッソス山への階梯》(《グラドゥス・アド・パルナッスム》はクレメンティによる100曲からなる曲集。単なる機械的な練習曲ばかりでなく、フーガ、ソナタ等、多様な様式の作品が組曲形式で提示されている。1817年、19年、26年に3巻に分けて出版された。ピアノ曲事典項目参照
  2. クラーマーが19世紀初頭に出版した84の練習曲を指す。これらは次の2巻に分けて出版された。《42の様々な調性による訓練課題としての練習曲》(1804)《42の訓練課題形式としての一連の練習曲》(1809)。日本で「クラマー=ビューロー」のタイトルで知られる練習曲集は、ここから60曲を抜粋してハンス・フォン・ビューロー(1830-94)が再編集したもの。
  3. フィールドとクレメンティの関係については過去の連載記事参照。
  4. オンスローGeorge Onslow(1784-1853):イギリス系のフランスの作曲家。生まれはマルモンテルと同じクレルモン・フェランで同郷の先輩に当たる。1829年に狩りで誤って銃弾を受けるが奇跡的に復活し以後も楽壇の先頭に立って活躍した。オペラも書いたが、とりわけ厳格な室内楽、交響曲の分野で優れた作品に優れ、生前から古典的で権威あら作曲家として認められていた。その名声は、フランスのみならずイギリス、ドイツ、オーストリアでも確固たるものだった。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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