19世紀ピアニスト列伝

フレデリック・カルクブレンナー 第3回 ピアノ製造と「マスタークラス」

2014/01/23
ピアノ製造と「マスタークラス」
フレデリック・カルクブレンナー

「ものづくり」に優れた実用者の助言は欠かせません。演奏、作曲活動にとどまらず、カルクブレンナーはショパンが愛したことでも知られる有名なピアノ製造会社、プレイエル社の経営陣に加わりました。本文後半は熟練者向けに開いていた講座と教師としてのカルクブレンナー像を描いています。

カミーユ・プレイエル1は想像力に富んだ見識ある音楽家で、美的判断力と繊細でデリケートなタッチの持ち主、美しきエリート魂を宿すピアニストであったが、彼はピアノ製造のため、1824年2カルクブレンナーと提携を結んだ。彼ら経営者の知的な意志、楽器製造にもたらされた絶えざる改良のおかげで、はじめはイギリスの名高いピアノ製作者ブロードウッドの楽器をモデルとしていたプレイエル社は、自ら持ちうる個性を勝ち取った。

変わることのない管理、カルクブレンナーの絶え間ない助言と芸術家としての高い名声、彼が製造につぎ込んだ比較的多額の資本のおかげで、共同経営者プレイエルは力強く、プレイエル社を一流にまで押し上げることができた。プレイエル社は、今日、オーギュスト・ヴォルフ3の如才ない経営の下で存続している。

次のことを特記しておく。クレメンティカルクブレンナー、エルツ4はいずれも傑出した音楽家であり著名な楽器製造者であった。フルート奏者のテュルー5、オーボエ奏者のフォークト6もまた著名な弦楽器製造者、より正確に言えば、彼らの友人や同僚のピアノの大家たちと同様に、芸術産業の長であった。

彼が行った数多の特別なレッスンとは別に、カルクブレンナーは非常に人気のある講座を開いていた。ここに認められるには、既に一流の才能を持っていなければならないばかりか、この大家の要求に対する絶対的な服従を余儀なくされた。カルクブレンナーの流派で教育を受けた輝かしいピアニストといえば、異論の余地なく、後にカミーユ・プレイエル夫人となるカミーユ・モーク嬢7であった。この偉大な芸術家は当時神童で、基本的にはジャック・エルツの教えを受け、続いてパリに立ち寄ったモシェレスの助言を受けた。だが、クレメンティとその傑出した継承者たちの特徴となっている彼女が両手のかの完璧な均質さ、かの驚くべき明瞭さは、まさにカルクブレンナーに負っている。後に、魅力、感性、詩情が加わり、才能の第3の、そして第4の最終的な変容を彼女はタールベルクの新奏法の影響、ならびに彼女の夫の助言に負うこととなった。

スタマティ8もまた、カルクブレンナーの愛弟子となり、指のリズミックな独立に基づく彼の教育の伝統に従う恩恵に浴した9。我らが傑出した音楽院院長であるアンブロワーズ・トマ10氏は、ヅィメルマンのクラスの生徒であるが、彼もまた、カルクブレンナーの貴重な助言を受けた。

カルクブレンナーは、1849年6月11日11、プレイエル社に大きな繁栄をもたらして、65歳で亡くなった。一流の音楽家、傑出した作曲家、ヴィルトゥオーゾとして従うべきモデル、流派の長、そして卓越した教授であったこの大芸術家は、性格にいくらかの狭量さがあった。すべての成功は当然の権利として自分に帰するべきであったし、すべてのシステマティックな人間よろしく、彼は自身のメソッドで教育された芸術家、あるいは少なくともその優越性をはっきりと口にする芸術家にしか美点を認めていなかった。我々は、完全な指の独立と指の卓越した動作、例えばアーティキュレーション、打鍵、レガート奏法、テヌート奏法といった動作を目指す素晴らしい原則を認知した最初の人である。だが、この原則はあくまで当座の影響の下に据えられ公式化されたのであって、演奏者は軽妙さ、表情、力強さを備えた調べにおいて、決して手首、前腕と腕の動作を躊躇うべきではない。これに反することは深刻な大きな誤りであり、ヴィルトゥオーゾなら誰でもそのことを先入観なく認識しているのだ。

  1. プレイエルCamille Pelyel (1788-1855) :ピアノ製造・出版を営む作曲家の父イグナツ・プレイエルの長男。彼自身も優れたピアニストであったが、父と共に会社を経営した。ショパンを始め、同時代のピアニスト兼作曲家たちと親交を深めた。ショパンは《前奏曲集》品28を彼に献呈している。
  2. カルクブレンナーがプレイエル社の経営に加わったのは実際には1829年。
  3. ヴォルフ Désiré-Auguste-Bernard (1821-1887) :ピアニスト兼作曲家。パリ音楽院に学んだ後、1853年からI. プレイエルと提携して会社を運営した。
  4. ピアニスト兼作曲家アンリ・エルツは1838年にピアノ製造を開始、85年まで長きにわたって工場を経営した。
  5. テュルーJean-Louis Tulou (1786-1865) : フランスのフルート奏者、作曲家。パリ音楽院の初期の学生で、のちに同学校の教授になったが、世紀中葉、新しいベーム式フルートの導入に一人反対した。1831年からパリで営んでいた自身のフルート製造所の方針との違いが一つの要因とされる。
  6. フォークトGustave-Auguste-Georges Vogt (1781-1870) : ストラスブール出身のオーボエ奏者。テュルーと同様、パリ音楽院に学び教授となった。彼の楽器製造のキャリアについては現段階では不詳。
  7. 結婚は1831年のこと。プレイエル夫人については第7章を参照。
  8. カミーユ=マリ・スタマティ:ピアノ曲事典項目参照。
  9. スタマティは後にまだ幼いサン=サーンスのピアノ指導者となる。カルクブレンナーのメソッドを受け継ぐ彼の教育法はメトロノームを用いて徹底的に指の関節の柔軟性と独立性を高めることを目指した教則本『指のリズム』作品36(1853)で体系化されている。
  10. トマCharles-Louis-Ambroise Thomas (1811-1898):トマは『ミニョン』などのオペラで名高いが、パリ音楽院で29年に一等賞を獲得するほど、ピアニストとしても卓越した腕前を誇った。少数ではあるが、初期には変奏曲やワルツなど質の高いピアノ作品も出版している。
  11. カルクブレンナーの没日を6月10日とする資料もある。彼が亡くなったアンギャン・レ・バンには1850年以前の死亡証明書が保管されていないため、正確な死亡日を知ることはできない。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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