19世紀ピアニスト列伝

プレイエル夫人 第2回

2013/06/18

マリー・プレイエル(1811-1875)

今日は伝説的なピアニスト、マダム・プレイエルの小伝第二回。ヨーロッパ各地を遍歴するなかで、リスト、タールベルク、メンデルスゾーンから熱烈な支持を受けます。そんなプレイエル婦人は、パリを訪れた折、著者マルモンテルのサロンで演奏します。彼女の圧倒的な演奏は「あらゆる面で完全性を具現」していたと言います。本文冒頭、「こうした辛酸を舐めた」は前回の末尾で芸術家が表現の高みに達するまでに歩む険しく辛い経験のことをさします。

プレイエル婦人はこうした辛酸を舐めたのだ。芸術家プレイエル婦人は、女性として苦悩の内に失ってしまったあらゆるものを、霊感の中に見出した。彼女はまた、じわじわとやってくる疲労、悲しみを帯びた亡命に苛立ちを覚えた。そして到底愛着の湧くはずもない放浪生活が望郷の念と帰郷熱を起こさせることたびたびであった。だが、運命はその願いとは別に彼女の進むべき道を定めた。人生の大部分、プレイエル婦人は著名なヴィルトルオーゾたちによくある命運を辿ったのだ。彼女はヨーロッパ中を駆け回って演奏会を開き、その圧倒的な才能のおかげで熱狂を巻き起こし、愛好家の群集を夢中にさせた。この芸術家はウィーン、ドレスデン、プラハ、サンクトペテルブルク、ロンドンを狂騒の渦に巻き込んだ。メンデルスゾーンとリストはプレイエル婦人の擁護者を買って出た。人々は、この二人が彼女に喝采を送り、一連の大成功に協力を惜しまない姿を見たのだった。

ドイツとロシアを長く旅行する間に、リストタールベルクの演奏を何度も聴いたことは、彼女の様式と高度なヴィルトゥオジティのある種の効果に決定的な影響を及ぼした。リストの大胆な走句、タールベルクの美しく力強い響きはプレイエル婦人の新たな研究テーマとなった。己の与(くみ)する芸術を熱烈に愛した彼女は、何年にも亘(わた)り、耐えざる修練によって、彼ら現代的なヴィルトゥオジティの巨匠がもつ超越的な美点を我が物とするために、自分と向き合うことを熱心に望んだ。

まさにこの時期のことだ。彼女の度重なるパリ旅行のうちのあるとき、私はこの大芸術家を自宅に迎え、招待客の前で演奏してもらうという喜びに与(あづか)った。プレイエル婦人は、非の打ち所なきほど優美に、メンデルスゾーンのトリオ、フンメルのアンダンテ、ジュール・コーエン1の練習曲の一曲、リストの幻想曲、そしてロッシーニの『夜会』2からタランテラを演奏した。その晩、私には彼女の素晴らしい才能があらゆる面で完全性を具現しているように思えた―表現、力強さ、うっとりするような繊細さ、完成、情熱、そして何にもまして比類なき演奏の純粋性。私は今でも特徴的でこの才士の至上の力を証明する細部を覚えている。私の隣にはサントレール公爵婦人がおられた。彼はウィーンで既にプレイエル婦人と知己を得ており、どういう事情があったのか今でも知らないが、彼女を紹介することは避けて欲しいと私に頼んでいた。だがどうだろう、魅力に抗うことができず、幻惑に屈して、立ち上がり、真っ先にこの比類なきヴィルトルオーゾに手を差し伸べ、熱烈な祝辞を述べたのはこの高貴な奥方だったのだ。

感受性が強く、大胆で高揚した素質をもち、自らの熱狂に省察を加えることなく身を委ねるプレイエル婦人は、知らぬ間に夢から現実へと移っていく。だが、彼女は世界が変わったことを疑わない。プレイエル婦人は魅力的な才気の下に熱気、憂鬱、悲哀を帯びた核心を秘めていたが、快活な閃きがそれを下手に隠していた。彼女の気品はけっしてわざとらしさからくるのではなかった。彼女の会話は豊かな機知に富んでいた。そして、この大芸術家の心は極めて寛大な感情と大変に繊細な感覚に開かれていた。プレイエル婦人は壮年期に入っても、なお成功で輝いていたころと変わらぬ若さを保っていた。自身の芸術に愛を捧げた彼女は、その驚嘆すべき演奏の情熱的な衝動に身を委ねようと思うときには、霊感に満ちた詩神(ミューズ)をピアノから連れ出すのだった。彼女の演奏に耳を傾けていると、その才能の支配力に抗うことは不可能であった。それを証明する出来事として、再び放浪を強いられたのちにこの無類のヴィルトゥオーゾがパリに再び姿を現し、イタリア座で演奏会を開いて勝利を手にしたあの時以上にめざましいものを挙げることはできない。

  1. ジュール・コーエン Jules Cohen(1835-1901):フランスのピアニスト兼作曲家。パリ音楽院ではマルモンテルの初期の生徒で、1850年にピアノで一等賞を取った後にアレヴィに対位法・フーガ、オペラ作曲を師事。数々のピアノ曲、オペラコミック、キリスト教音楽を手がけた。ユダヤ人であり、1851年、アルカン、アレヴィとともにパリ・ユダヤ教長老議会が設置した歌曲委員会の委員をつとめ、ユダヤ教音楽の作曲にも力を注いだ。19世紀後半のフランスを代表する作曲家。ここで演奏されたのは、彼が1856年に出版した《12の様式の練習曲》作品7。パリ音楽院の教材にも採用された若きコーエンの力作。
  2. ロッシーニの『夜会』:1835年にパリで出版された声楽曲集『音楽の夜会』。8つのアリエッタと4つのデュオからなる。様々なジャンルのイタリア歌曲を集めたもので、タランテラは第8番に収められている。

(訳・注釈:上田泰史)


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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