19世紀ピアニスト列伝

ステファン・ヘラー 第2回:浮世のパリと芸術家魂

2013/02/05
S.ヘラー(1813-1888)の肖像
S.ヘラー(1813-1888)の肖像
浮世のパリと芸術家魂

今日はマルモンテル『著名なピアニストたち』の第3章、「ステファン・ヘラー」の第2回。ピアニストとして名を上げたヘラーは故郷のペストを離れアウグスブルクを経てパリに到着。華々しい社交界から距離を置き、流行に迎合することもなく、ヘラーはドイツで培った芸術家気質をじっくりと醸成させていきました。

ステファン・ヘラーのピアノ教師は、ペストではブロイアー1で、その後ウィーンではチェルニーとA. ハルム2に師事した。シュラール3とチブルカ4という老オルガニストは、この若い芸術家に和声と作曲の基礎を教えた。だが、ステファン・ヘラーは、大家たちの作品を注意深く読み、彼らの作品をよく考えながら分析し、さまざまな様式・優れた数々の霊感を比較し、彼らの天分を導いた思考を深く掘り下げることで、最初の着想を表現し展開する技法において彼が見せたあの確かな手腕と経験を獲得したのだ。それは、まさしくヘラーの作曲家としての才能の際立った特徴の一つである。

ステファン・ヘラーは十年間休むことなく、青春時代と若き活力を費やしてハンガリー、ポーランド、ドイツのあらゆる主要都市で演奏会を行った。だが、喝采や歓迎にもかかわらず、この絶え間ない大旅行、つまり放浪の生活はこの芸術家の穏やかで瞑想的な性格に合うものではなかった。彼はもっと大きな反響と静かな環境を欲していた。パリを訪れ、この地で作曲家として名を挙げよういう思いに駆られて、ヘラーは1838年、アウグスブルクを離れて、お気に入りの街、たくさんの愛すべき想い出に溢れたパリの街に行く決心を固めた。

ヘラーはこのパリで新たな戦いとたくさんの労苦、そして危険に挑み始めた。パリは文明の中心、啓蒙と知性の発信地、揺るぐことなき栄光の祖国である。だが、一方ではやりとはかない流行の安息地でもある。パリの俗世では悪趣味が白昼堂々と横行し、成功は狡猾さの成果であって必ずしも才能の報いではない。己の力量を信じたヘラーは勇敢に闘い、絶え間なく仕事を続けた。そして卓越した作品のすべてによって、無感動ですらある群衆にその価値を認めさせた。この芸術家にとっての成功と芸術にとっての成功―それは大きな一歩を踏み出した。筆者は、世の人々にステファン・ヘラーの作品が知られ、高く評価され、愛されるように力添えしつつ、今日の世代の音楽の趣味を向上させ教育を完成させるのに真摯に貢献したと考えている。

ステファン・ヘラーは、気高き感情と良心に長けたかの雄々しき芸術家という種族の一員だった。芸術と類まれな個人の尊厳に深い敬意を払う彼ら芸術家は、強靭に鍛えられた心と選り抜かれた知性の持ち主であり、理想信仰の至上法則を生み出す人々である。そのような人々にとって、成功や束の間の人気に、一体何の意味があるだろうか。もし己の欠点や妥協と引き換えにそのようなものを買い求めたり、流行を追い求めて悪趣味に追従したりしなければならないのだとしたら。自身の知的で道徳的な歓びのために芸術を愛する芸術家たちは、大衆など気にかけはしない。彼らはもっと高尚な目的をもち、たえず純粋な霊感と魅力的な形式を追い求めている。ステファン・ヘラーはこうした自覚的で倦むことのない求道者の小さな一団に属している。引き締まった様式、自然で健全な形式は彼の作品の特徴であるが、それらは第一に、彼の知的な実直さと、あの類まれな曇りなき誠実さからきている。安易な作品が量産される昨今において、これらの特徴はどんなに賞賛してもしすぎることはない。また、それらはまた、古今の大家を熱心に研究する姿勢、深く瞑想し、高度に意識を集中させる習慣にも由来している。ヘラー作品が持つ上品で高貴な特徴はまさにこうした複合的な要因に負っているのであり、後世の人々にとってそれは想像力溢れる作品へと導いてくれる真のパスポートとなるのだ。

【脚注】
  1. 原文ではBauerとなっているが、Bräuerの誤記。ブロイアーFerenc Bräuer(1799~1871)はペストに生まれペストに没したハンガリーの作曲家。1812年にウィーンでフンメルの門弟となり、以後ハンガリーのペストの代表的音楽家として活躍。ヘラーは1824年、11歳のときにF. リースのピアノ協奏曲を師ブロイアーの指揮で演奏。
  2. ハルムAnton Halm(1789~1872)。ウィーンの作曲家。ソナタ、数々のソナタ、性格的な練習曲(《演奏会用大練習曲》作品59、《旋律的練習曲》作品60、《悲愴的練習曲》作品61)。
  3. シュラールChelard, Hippolyte-André-Baptiste(1789~1861)。フランスの作曲家、指揮者、ヴァイオリン奏者。父はオペラ座のクラリネット奏者。パリ音楽院に学び1811年に作曲のローマ大賞を得てイギリスに留学したのちフランス、イギリス、ドイツで活躍。代表作にオペラ《マクベス》(1827初演)。ヘラーはアウグスブルクでシュラールに会い作曲の助言を受けた。
  4. チブルカAlajos Czibulka (1768~1845):ペストのオルガン奏者、作曲家。
参考音源 
《3つの即興曲》作品7(1831)より〈憩いなき愛〉 演奏:林川崇

ドイツ時代の作。若書きながら一貫した主題の展開は青年ヘラーの力量を遺憾なく示している。ヘラーと親しかったシューマンはこの曲をみて感じ入り、親しみを込めて「まるで自分の作品を弾いているようだ、即興曲に至っては明らかに僕の自筆譜からとったんじゃないか」と強い共感を顕にしている(1836年10月23日付の手紙)。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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