ピアノ連弾 2台ピアノの世界

第04回 タンスマンのピアノデュオ作品(下)

2009/09/07

タンスマンとコレット夫人は、長女ミレイユ、次女マリアンヌの二女をもうけました。私たちは、ご令嬢のお二方に連絡をとり、数多くの貴重なお話を伺うことができました。私たちの3回のコンサートのプログラムには、毎回、マリアンヌ・タンスマン・マルティノッツィさんが日本のお客様に向けた文章をお寄せ下さいましたが、特に、2004年4月のプログラムには、私たちからたってお願いし「父アレクサンドル・タンスマンと母コレット・クラ」とのタイトルで長い文章をご執筆頂きました。この中でマリアンヌさんは、タンスマンとコレット・クラの印象的な馴れ初めから説き起こし、娘の目からみた両親の姿を率直に述懐されています。タンスマン夫妻が家で日常的に即興による合奏や弾き比べをしていたことや、両親の弾く「大西洋横断ソナチネ」や「カーニバル組曲」に合わせて姉妹で楽しく踊った思い出、また、タンスマンが数多く書いた子供の為の小品群にタイトルをつけるときコレット夫人の助言があったことなど、貴重なエピソードの数々を快くご披瀝頂きました。

タンスマンの初心者向きピアノ4手連弾曲集「ママのために弾きましょう」(Nous jouons pour maman, 1938)や、全4巻からなる初中級者向き4手連弾曲集「ピアノを弾く若者」(Les jeunes au piano, 1939-40)などの作品からは、妻や娘たちへの、タンスマンの暖かな愛情が感じられます。一方、高度の技法が随所に頻出する2台ピアノ用の本格的作品群の多くは、明らかに、タンスマンが全幅の信頼を置くコレット夫人との共演を前提に作曲したものです。ここでは具体的に、先に挙げた5つの2台ピアノ作品のうちの3作品を見てみます。ナチスによる祖国ポーランドへの蹂躙に胸を痛めながら、明日の命も知れぬ不安な日々を送っていた時期に絞り出すように書き上げた「ポーランド狂詩曲」(管弦楽版、ピアノ独奏版もあり。2台ピアノ版は特に素晴らしい)、ハリウッドで大好評を博した映画音楽「肉体と幻想」(監督ジュリアン・デュヴィヴィエ)に基づいて編まれた軽快な「カーニバル組曲」、アメリカの20世紀の重要なパトロンであったクーリッジ夫人に献呈され、持ち前の鋭敏な現代感覚をいかんなく発揮した「セレナーデ第3番」(2台ピアノ版)など、いずれもタンスマンの中期作品の中で外すことのできない重要作となっています。さらに言うならば、タンスマンが後年、2台ピアノの為に美しくロマンティックな「ヨハン・シュトラウスのワルツによる幻想曲」(Fantaisie sur des valses de Johann Strauss, 1961)を書いたときでさえも、亡きコレット夫人との幸福な楽興のひとときを思わなかったはずはありません。こうした背景を持つことから、タンスマンのピアノデュオ作品には、同じタンスマンの他楽器・他編成用の作品と違った特別の輝きが具わっており、また、他の作曲家の2台ピアノ作品とも全く次元を異にする独自の世界が構築されているように思われます。

コンサートでは、コレット夫人の父で、タンスマンの義父にあたる、フランスの作曲家ジャン・クラ(Jean Cras, 1879-1932)の6手用合奏曲「子どもの魂」(Ames d'enfants, 1918)も演奏しました。ジャン・クラは、フランス海軍の高級将校・航海機器の発明家でもあり、ほとんどの作品は多忙な軍務の間をぬって軍艦の上で作曲されたものです。「子どもの魂」は、クラの三人の娘(イゾール、コレット、モニク)のために書き下ろされたものです。心なごむ優しさ、不思議な安らぎ、詩的な余韻にあふれる「子どもの魂」がご来場のお客様の大きな反響を呼んだことも、忘れられない体験となりました。

そして、三回目のコンサートを終えて9ヵ月後の2005年1月、コンサートで4手連弾と6手合奏を担当したピアニスト、小山 佳枝さんが渡仏した折、パリ在住のタンスマンの長女ミレイユ・タンスマン・ザヌッチーニさんと念願の面会を果たし、積もるお話を直接にお伺いする機会を得ました。私たちは、その後さらにタンスマン作品への取り組みを続け、2007年10月のコンサート「ネオクラシック・アンソロジー」では「セレナーデ第3番」(2台ピアノ版)を、2008年2月のコンサート「モダン・バレエによせて」では「夜行列車」(Le train de nuit, 1951 / クルト・ヨースのために書き下ろされた2台ピアノのためのバレエ音楽)をそれぞれ取り上げることで、3回のコンサートでは知り得なかったタンスマンの、また別の新しい側面に接することができました。私たちにとっては、原 智恵子さんから繋がれた機縁が何より印象深いタンスマンですが、もともとタンスマンと日本との関わりは深く、世界ツアー中の1933年(昭和8年)に日本に滞在した際には日本中で大きな話題となりましたし、タンスマンも後年まで日本への愛着を口にしていたといいます。叙情性と現代性を両立させたタンスマンの洗練された音楽は日本人の耳にもことのほか親しみやすいものではないでしょうか。私たちは、これからもタンスマンの音楽を折にふれ取り上げ、その魅力を一人でも多くの方にお伝えしてゆきたいと思っています。

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