ピアノ連弾 2台ピアノの世界

第02回 ピアニスト 原 智恵子さんと2台ピアノ

2009/08/07

皆さんは、ピアニストの 原 智恵子 さんをご存知でしょうか。
原 智恵子さんは、日本人ピアニストの草分けです。1914年(大正3年)、神戸に生まれた原さんは、十代でパリに留学してピアノを学び、その洗練された美貌と卓越した演奏は、帰国した日本で一大センセーションを巻き起こしました。1937年(昭和12年)の第3回ショパンコンクールには、甲斐 美和子さんとともに日本人として初参加、その演奏がワルシャワの聴衆を魅了して「東洋の奇蹟」と称えられ、「聴衆賞」が贈られたことはよく知られています。
戦中戦後にわたり、日本を代表するピアニストとして、日本全国で精力的に演奏活動を続けていたさなかの1959年(昭和34年)、チェロの世界的巨匠、ガスパール・カサドと再婚して再び渡欧、原さんは、カサドの伴奏者としても活動を開始、「デュオ・カサド」はその名を世界中にとどろかせました。「マダム・カサド」こと原さんは、カサドの没後も長くフィレンツェに住み、若きチェリストの登竜門、カサド・コンクールの主催・運営、留学生の支援などにも尽力されました。2001年(平成13年)12月に逝去されてから、原さんの存在はふたたび世の脚光を浴び、世界的な名ピアニストであった原さんの業績はあらためて高く評価されることとなりました。
日本では特にショパンシューマンのピアノ独奏曲やコンチェルトを演奏することの多かった原さんですが、実際には、古典から現代までの幅広いレパートリーの持ち主であったうえ、「デュオ・カサド」結成後は、ソリストとしての活動と併行して、カサドの弾くあらゆる楽曲の伴奏をつとめました。さらに、原さんが、2台ピアノにも、大きな熱意をもって取り組まれていたという事実があります。これは、日本の2台ピアノの歴史に残る、重要なエポックの一つとして銘記されるべきでしょう。
原さんが取り組まれたのは、恩師であるフランスの名ピアニスト、ラザール・レヴィを招いての2台ピアノのコンサートでした。レヴィは、原さんのほか、安川 加壽子さん、野辺地 勝久さんの師としても知られています。レヴィは、1950年(昭和25年)に来日し、当時の大ニュースとなりましたが、帰国の途につくレヴィのために、二夜にわたる告別演奏会が日比谷公会堂で催されました。第一夜(11月4日)は、弟子たちとの2台ピアノの演奏会でした。レヴィは、野辺地さんとモーツァルト≪2台のピアノのためのソナタ≫を、安川さんとサン=サーンス≪ベートーヴェンの主題による変奏曲≫を、最後に原さん
とシャブリエ≪3つのロマンティックなワルツ≫を演奏しました。ちなみに、レヴィと原さんは、別の所では、シューマン≪アンダンテ変奏曲≫も演奏しています。第二夜(11月5日)は、コンチェルトの夕べで、レヴィはフランク≪交響的変奏曲≫サン=サーンス≪ピアノ協奏曲第5番≫のソリストをつとめたのち、最後にバッハの≪3台のピアノのための協奏曲≫を、原さん、安川さんと共演しました。原さんと安川さんは、大切な恩師を囲むコンサートのために3台のグランドピアノを準備すべく、大変なご苦労をされたと伝えられています。
私たちは、原さんが逝去されて3ヶ月後の2002年3月、2台のピアノの夕べ≪原 智恵子さんを偲んで≫を開催しました。コンサートでは、レヴィ告別演奏会第一夜のプログラムを再現しました。私たちにとっては、モーツァルトサン=サーンスシャブリエという、いずれも、2台ピアノの最もスタンダードなレパートリーに、あらためて腰を据えて取り組むための良い機会ともなりました。御来場のお客様とともに、原 智恵子さんの功績の一端をたどりながら、2台ピアノの名作を充分に堪能するひとときとなったと思います。原さんが半世紀以上も昔に、日本で、2台ピアノのコンサートの開催のために尽力されたという事実は、今でも、私たちにとって大きな支え、励みとなっています。
ところで、一人の芸術家を深く知ろうとすることは、また別の、新しい芸術家との出会いにつながってゆくもののようです。私たちは、≪原 智恵子さんを偲んで≫のコンサートを終えたあとも、原さんの活動記録を調べ、次々と出てきて興味のつきない、原さんにまつわるエピソードを集め続けていました。とりわけ、欧州で人々の敬愛を集めたカサドと原さんが関わった著名人、そうそうたる芸術家たちとの交友録は、それだけで幾冊もの本が書けるほどのものです。音楽関係者だけに限っても、あらゆる作曲家、演奏者たちの名前が挙がりますが、そうした人々の多くが、ピアノデュオの分野にも少なからぬ関わりを持っていたことを知るにつけても、ピアノデュオの世界の広がり、奥の深さを実感することとなりました。
これは抽象論で言っているのではありません。実際に、一例を挙げましょう。カサド夫妻は、作曲家アレクサンドル・タンスマンと親しく、家族ぐるみで交友がありました。私たちが、たまたま、タンスマンのピアノデュオ作品のことで、イタリアのルッカ在住のタンスマンの次女、マリアンヌ・タンスマン・マルティノッツィさんと連絡をとったとき、自然に、原さんの話題が出て、驚いたことに、マリアンヌさんが、カサドと原さんの結婚式に、父タンスマンの名代として出席された話を伺ったのです。
マリアンヌ・タンスマン・マルティノッツィさんは、私たちのコンサートのためにお寄せ下さった文章の中で、次のように述べていらっしゃいます。・・・「この友情(タンスマンとカサドの友情)は、カサドのために書き下ろされ、有名なピアニストのアリシア・デ・ラローチャにも献呈され、1957年にミラノで初演された≪チェロとピアノのためのパルティータ≫に結実することとなりました。カサドが、このうえなく美しくて才能あるピアニストの 原 智恵子さんと結婚したとき、私はシエナにおり、キジアーナ音楽院での婚礼の式典に参列することができました。カサドが結婚をするのにこれほどの長い時間がかかったことは、彼の全ての友人と同様に、私にもよく理解できます。カサドは多くの女性から求愛を受けましたが、誰も彼の心を射止めることはなく、彼の人生に重要な変化をもたらしませんでした。しかし、魅力と美と芸術的感受性の象徴であった智恵子さんは、彼の夫人としても、音楽的伴侶としても、まさにふさわしかったのです」
≪原 智恵子さんを偲んで≫から、およそ一年を経た2003年4月、私たちは、まるで原さんからつながれた不思議な縁に導かれるようにして、≪アレクサンドル・タンスマンの世界≫(ピアノ独奏、連弾、2台ピアノ)を開催するに至ったのでした。タンスマン作品によるコンサートはその後もさらに2回開催し、これら3回のコンサートには、毎回、タンスマンの令嬢、マリアンヌさんから、日本のお客様へ向けた、懇切なお言葉を頂戴しました。
次回の連載では、タンスマンのピアノデュオ作品を御紹介させていただこうと思います。

記事・資料提供 グループPCC ホームページ


動画
Chabrier:
Trois Valses Romantiques:

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