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【19世紀ピアニスト列伝翻訳シリーズ】 ~ジョン・フィールド 第2回
掲載日:2013年9月10日

21歳のショパンがパリに到着した1831年、フィールドは50歳を迎えようとしていました。ちょうど同じころ、名声の絶頂にあったフィールドの自宅を、パリ音楽院の学生だった著者のマルモンテルが訪問します。夢にまで描いた尊敬する音楽家、フィールド。しかしその現実の風貌とは・・・

ジョン・フィールド(1782-1837)

1831年、ジョン・フィールドはロンドンに戻り、ゆく先々の夜会と演奏会で熱狂的な喝采を浴びた。1801年にこの若き芸術家を称賛した人々は、見事な変貌を遂げた彼らのヴィルトゥオーゾを目の当たりにしたのである。甘美で優しく、また悲壮な表現が、初期の輝かしい美点に加わっていた。1832年、ジョン・フィールドは再びパリを訪れた。ここは彼の成功を最初に目撃した街だ。私はこの当時16歳だったが、子供じみた空想にまかせてお気に入りの巨匠の人相を思い描いてはこれを美化していた。とりわけ、私は頭の中で空想上のフィールドを創り出していた。その魅力的で詩的な作品、旋律的で洗練された繊細な輪郭、軽快で空気のように重量感がなく、曲がりくねる旋律を貫く光線の如く漏れ来る走句を持つ旋律的な作品、こうしたものが私に彼の顔を推測させたのだ。そして終(しま)いには、ショパンほどの情熱や薄暗い夢想、心を引き裂くような悲痛さ、病的な側面はないにせよ、私は好んでフィールドの中にショパンの先駆者の姿を見出していた。

私はヅィメルマン1 のクラスの生徒だったが、先生はパリに一時滞在する外国の芸術家たちのことを熱心に私達に教えてくれた。紹介状をもって、私は同門生のプリューダン 2、A. プチ、F. ショレと一緒にフィールドの住む館を訪れた。私たちの驚きと幻滅といったらいかばかりだったろうか。なにしろ、この著名なピアニストの煙でいっぱいの部屋に足を踏み入れるや、私たちの目に飛び込んできたのは、この巨匠が安楽椅子に腰かけ、とんでもなく大きなパイプを口にくわえ、ビールジョッキにあらゆる地方のワインボトルに囲まれた姿だったのだから!彼の頭は少々大きくて頬の血色がよく、重苦しい顔の輪郭は彼の人相にファルスタッフ3 のずるそうな雰囲気を与えていた。

彼がこんな有様で午前中から酩酊しているにも拘わらず、私は次のことを証言せざるを得ない。そう、ヅィメルマン先生の手紙に目を通したフィールドは私たちを快く迎え、大変愛想よく我々にいくつかの曲を演奏してあげようと言ってくれたのだ。類稀な完成度と驚くべき仕上がりでクラーマークレメンティのエチュードが二曲演奏されると、我々はこの偉大なヴィルトゥオーゾの指の敏捷さとタッチの上品な繊細さを認めた。別れ際に、彼は次回の音楽院ホールで行われるコンサートの入場券を何枚か渡してくれた。我々はこの芸術家に大変満足して彼のところから引き揚げたが、この人物にはみじめな印象を抱いた。

思うに、ジョン・フィールドが節制を欠く有害な習慣を身につけたのは、サンクトペテルブルクとモスクワの長期滞在のときだろう。彼が過剰摂取していたアルコールやシャンパンは彼の頑強な健康を浸蝕し、少しずつ演奏の見事な美点を破壊していった。


1 パリ音楽院ピアノ科男子クラス教授。1816年に有給の助教授、のちに教授として1848年まで在任。彼の門下から輩出される学年末コンクールの受賞者数の多さによって、当時もっとも著名なピアノ教授に数えられる。作曲家としてはケルビーニに師事、厳格な様式の作曲家としても名を馳せた。
2 以下4名はいずれもマルモンテルと年の近い同門生。エミール・プリューダンEmile Prudent (1817-1863; 33年一等賞), フランソワ・ショレLouis-Fra?ois Chollet (1815-1851 ; 28年一等賞), オーギュスト・プチCharles-Auguste (Anatole) Petit (1818-?, 36年一等賞)。
3 シェイクスピアの喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』の主要登場人物。老年で好色、狡猾で太った醜い人物として描かれる。ヴェルディのオペラ『ファルスタッフ』の台本もこの作品の翻案。

ファルスタッフのイメージ。フォン・フリュッツナーEduard von Gr?tzner (1846-1925) 画

執筆者:上田 泰史 
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