グランド・ピアノはピアニストから見て右側に音が飛んでいきますから、この配置は音響の面で合理的なのですが、ドゥシークが始めたのは別の理由からとされています。
ドゥシークは晩年、肥満に苦しむことになりますが、若い頃は容姿も評判となっており、「美しい横顔を女性たちに見せる」ため、ピアノをこの向きに置いたのだと言われています。
その後、この配置がどのようにして定着したかについては、「実際に音響が評価されたから」や、「他のピアニストも横顔を見せようと真似したから」など色々な説があり、よくわかっていません。
実は、ドゥシークもクレメンティ同様、当時としては非常に斬新なピアノ・ソナタを数多く残しました。楽譜の見た目からもわかりやすい例として、1807年に書かれたソナタ「パリへの帰還」から、第3楽章メヌエットの冒頭を挙げておきます。見た所、何やら複雑そうですが、実に自然なハーモニーの流れを持ち、リピートした時も綺麗につながる辺りは見事の一言です。(林川)
ドゥシーク『パリへの帰還』(1807)より第3楽章、「メヌエットのテンポで、スケルツォ、殆どアレグロのように」の冒頭。変イ長調でありながら嬰ヘ短調の素振りを見せる冒頭は、当時の玄人たちを驚かせたことでしょう。
ソナタ「パリへの帰還」の音源はこちら
YouTubeで検索:Dussek le retour a Paris
ドゥシークの曲は作品番号が資料によって違い混乱が生じていますが、見つかった動画ではOp.64と表記されています。