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ハイドン  Haydn, Franz Joseph  オーストリア ]  1732 - 1809

作曲家解説

執筆者: 大崎 滋生
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  1. 生涯と鍵盤楽器

 フランツ[この名を自身は通常記さなかった]・ヨーゼフ・ハイドンは1732年3月31日に、現在の国境区分でいうとオーストリアの東のはずれ、ハーラッハ伯爵の城下町、ローラウで生まれた。声の良さを見出されて、8歳にして彼は少年聖歌隊員としてウィーンの寄宿舎に預けられた。以後、約20年間この地で生活し、この地に教育される。やがて声変わりしたことでご用済みとなって都会の真ん中に放り出され、1750年代の10年間に自己研鑽を重ね、頭角を現していく。最初期の弦楽四重奏曲や鍵盤音楽、そしてジングシュピール等の作曲を試みた。50年代末にモルツィン伯爵の宮廷楽長に就任するも、間もなく伯爵の破産により解雇される。が、ほどなくして、1761年4月に、現在のオーストリアとハンガリーの国境地帯に広大な領地をもっていたハンガリー貴族エステルハージ侯爵家に副楽長として仕えるようになり、新設のオーケストラを任され、シンフォニー等を量産し始める。1765年に前任者の逝去とともに楽長に昇格し、劇音楽と教会音楽も彼の管轄下となり、侯爵家に必要な音楽のすべてを取り仕切るようになる。このころまでに成立したと思われる鍵盤音楽(初期作品)については資料に乏しく、確定的に言えることは少ない。1765年頃から1772年頃までに書かれたことが自筆譜によって確かめられるか、その他によって推定される、ソナタ系の作品(Hob.XVI: 18-19, 44-46.)と変奏曲ト長調(Hob.XVII: 1)はエステルハージ宮廷の需要に応えたものと考えられる。1770年前後にオペラ、教会音楽、そしてシンフォニー、弦楽四重奏曲等において最初の創作の高みに達する。と同時に廷外の要求に応えて、あるいは侯爵の側から言えば臣下の名声を世に知らしめるために、さまざまなジャンルの作品が出版されるようになる。1774年にヴィーンのクルツベック社から出版された6曲の鍵盤楽器ソナタ(Hob.XVI: 21-26)は、そのタイトル・ページにおいて、ハイドンが堅い主従関係を30年近くにわたって結んだニコラウス・エステルハージ侯に献げられた旨が記されており、こうした経過を証言するひとつである。しかし「1776年の6曲のソナタ」(Hob.XVI: 27-32)とまとめられている作品集は、印刷譜ではなく筆写譜集として各地に流布しており、当時の上流階級間におけるハイドン作品の人気をまた別の形で示している。1775年に廷内にオペラ劇場が完成すると、コンサートに代わってオペラ・演劇上演が侯爵家を飾るようになり、ハイドンはオペラ監督としての激務に立ち向かう。コンサート作品はむしろ廷外に向けて発信されるようになり、出版楽譜も大幅に増えて、ハイドン作品を求める世間の声はますます高まる。鍵盤音楽もその例の漏れず、以後は出版を通じて作品はヨーロッパ中で広く受容されていく。
 以下、列挙しよう。1780年にヴィーンのアルタリア社から作品30として出版された6曲のソナタ(Hob.XVI: 35-39, 20)。1783/84年にロンドンで出版された3曲のソナタ(Hob.XVI: 43, 33, 34)。1784年にシュパイアーで出版され、のちのエステルハージ侯ニコラウスII世(ハイドンが最も長く仕えたニコラウスⅠ世の孫で、家督を継いだ後、ロンドンから戻ったハイドンを再び侯家楽長に迎えた)と結婚したばかりの「マリー・エステルハージ妃(元リヒテンシュタイン公女)に捧げられた」3曲のソナタ(Hob.XVI: 40-42)。1784年にパリで出版されたコンチェルト(Hob.XVIII: 4, 11)[後者は同時にヴィーンでも]。1770年代に作曲され、一旦は筆写譜で流布しながら、1780年代末にハイドン鍵盤音楽に対する熱い要望に応える形で改めて出版されたイ長調と変ホ長調の変奏曲(Hob.XVII: 2-3)。1789~90年に各曲、別個に成立し、出版された2曲のソナタ(Hob.XVI: 48-49)と2曲のハ長調変奏曲(Hob.XVII: 4-5)。1794~5年に第2回ロンドン滞在中に書かれ1800年前後にロンドンやヴィーンで出版された、3曲のソナタ(Hob.XVI: 50-52)と変奏曲ヘ短調(Hob.XVII: 6)。

  2. ハイドンとピアノ・ソナタ その名称と楽器について

 ハイドンの創作期は、西欧の高級音楽が宮廷社会とその周辺において受容されていた時代から市民レヴェルで楽しまれるようになっていく時代へのちょうど転換期にあたる。シンフォニーにしても鍵盤音楽にしても、その様式変遷は受容層の変化、創作目的の異化と切り離して、純音楽的に論じることは意味がない。そして「ピアノ・ソナタ」というジャンルの場合は、そのような社会的変化に沿って、対象となる鍵盤楽器がチェンバロからピアノ・フォルテへと転換していく時期と、またパルティータがソナタに変じていく時期と重なる。モーツァルトの場合その拡がりはせいぜい十数年のことであったが、ハイドンにあっては約四十年に及ぶ。
 ハイドンが「(クラヴィ)チェンバロ」のために最初の鍵盤楽器(クラヴィーア)ソナタを書いたことはまちがいない。最初期のソナタに関して信頼に足る資料が乏しく、また最初期の作品を特定すること自体に困難が伴う。それでも、かなり初期であることが確実なHob.XVI: 6の自筆譜や、初期のソナタと見なしうる諸作品群の最も遡りうる(といっても創作後20年以上後のものと思われる)筆写譜のどれもが「チェンバロのため per il (Clavi)cembalo」としているし、また当時の慣習からいっても、これに疑いを差し挟む余地はない。また同時に指摘しなければならないのは、それらが「ソナタSonata」とは呼ばれていなかったことである。彼がこの名称のもとにクラヴィーア・ソナタを書くのは、確実なところではHob.XVI: 20(これはおおざっぱに言えば中期の作品)の1771年付けスケッチにおいてだが、しかしその後つねに「ソナタ」と題されたというわけでもない。そのころ、あるいはそれ以前、彼は一般に「チェンバロのためのディヴェルティメント Divertimento per il(Clavi)cembalo」という表題を付けていた。「ディヴェルティメント」はかつて「嬉遊曲」と訳されてしまったために誤解が生まれたのだが、「嬉しく遊ぶ」といった音楽的性格をこの言葉が意味しているわけではない。全体に対する理解は未だという状況のなかで、西洋語を極力、日本語化しようとし、その言葉を限定的に捉えて訳語が生まれた。18世紀中頃のヴィーン周辺において「ディヴェルティメント」は「曲」といった程度の意味しかなく、独奏曲にも、また弦楽四重奏曲等の合奏曲にも、付されたタイトルであった。
 しかるに、最初期、1750年代に書かれたと思われるHob.XVI: 6の自筆譜においてはタイトルは「チェンバロのためのパルティータPartita per il Cembalo」となっており、同じく最初期のソナタであろう思われる一部の作品の、後代の筆写譜にも「パルティータ」という表示がまま見られる。ハイドンが1765年頃から作成し始めた自作目録(EK=エントヴルフ・カタログ)にHob.XVI: 6はタイトル名が「ディヴェルティメント」に変更されているので、クラヴィーア・ソナタの呼び名は、「パルティータ」から「ディヴェルティメント」へ、やがて1770年代中ごろに「ソナタ」へと変転していったのではないかと考えられる。こうしてみると、器楽独奏曲に付される「ソナタ」という名称の慣習的定着それ自体がハイドンの創作期に起こったとも言えるように思われるのだが、しかしこのことはヴィーン周辺を含む南ドイツ地域に限定される話で、北ドイツ・中部ドイツ、あるいはイタリアやフランス、イングランドなどではまた別の展開となる。
 ところで楽器名の違いは、実際に響き、音色、表現、奏法等々の違いを必然的に内包するので、「ソナタ」のような抽象概念の名称化の場合とは分けて考えなければならない。ハイドンがクラヴィーア・ソナタをチェンバロのためのものとして書き始め、ピアノのためのものとして書き終えた、ということは確実だが、どのようなチェンバロか、そしてピアノフォルテといってもどのような楽器であったかは、その時代の一般論のなかでしか論じることができない。またその転換がいつ起ったかということを断定できる確実な資料は欠けている。ハイドンがピアノについて言及するのは、1788年の手紙においてが初めてだが(それ以後創られたクラヴィーア・ソナタは最後の5曲のみ)、ロンドン旅行に出るまで(60歳直前)のハイドンの書簡というものがそもそもごくわずかしか残存していないので、それを持ち出してもあまり意味はない。一方、ハイドンが奉職していたエステルハージ宮廷には少なくとも1780年まではチェンバロしかなかったし、1770年代にこの若い楽器ピアノがウィーン周辺で強い影響をもっていたと推測できる証拠もないので、1784年に出版されたHob.XVI: 4042の3曲あたりがその分岐点かもしれない。
 しかしハイドンのクラヴィーア・ソナタを、単純に「チェンバロ時代」と「ピアノ時代」に峻別して、この作品まではチェンバロで弾かれるべきだが次の作品からは現代のピアノで弾いてもさしつかえない、などと考えたら、これは大変な誤解である。第一にこの時代のピアノは現代のピアノとはまた違う楽器だと考えるべきであって、同一原理に基づき、同一の名称を引き継いでいるという点で楽器の変遷史上直接的なつながりを持っているということにすぎない。第二に、「チェンバロまたはピアノ・フォルテのための」という表示が印刷譜においてはきわめて一般的であったように(それは単に楽譜の売れ行き促進のためばかりではなく楽器相互の互換性を社会的に示す事実)、当時の実際の演奏では、作品と楽器の対応が現代の私たちが考えるような厳格なものではなかったことも、考慮に入れなければならない。またこのジャンルが「ピアノ」に限定されるわけではないことを含んで、「クラヴィーア・ソナタ」と総称することが無難であろう。

  3. ハイドン:クラヴィーア・ソナタ編纂の歴史

 ハイドンのクラヴィーア・ソナタの全曲と思われるものに通し番号を初めて付けたのは、1908年に始まる史上初のブライトコップ・ウント・ヘルテル社による「ハイドン全集」(1933年に挫折)の一環として、当該巻を担当したカール・ペスラー(1918年出版)であった。彼はそのとき、それまで一世紀以上のあいだ、34曲、あるいは1895年にフーゴー・リーマンが新たに5曲を加えて以来39曲、と考えられていたハイドンのクラヴィーア・ソナタを一挙に52曲へ拡大した。これはハイドン全集を作ろうとする意気に支えられた資料再検討の結果であった。彼はこの52曲のソナタを創作年代順に並べることを意図した。しかし第1~17番を作曲順に並べるにはその判断の助けとなる資料がまったく欠けていたし、ハイドンが有名になってから、1780年代以後に、かなり前に書かれたと思われるソナタが初出版される(第43~47番)などという事情によって、ペスラーが想定した年代順にはいくつかの大きな修正が必要である。そうではあっても、その後約半世紀この配列順序は変更されなかったばかりか、ホーボーケンによって作成された「ハイドン作品目録」(1957年)にも受け入れられた。もっともホーボーケンは、すでに整理されているジャンルについてはできるだけそれを尊重するという方針が採られてのことであった。
 それを全面的に打ち破ったのはヴィーン原典版におけるクリスタ・ランドンである。彼女は新たに13曲を加え(うち6曲は実体がない)、3曲を排除して、62曲とし、さらに大胆にも創作順を新たに推定して全面的に番号づけ直した。しかしこの試みはそれほど根拠のあるものではなく(ことに初期ソナタを年代順に並べるための必要な資料は遺されていない)、ただでさえも把握しにくいハイドンの作品整理をいっそう複雑なものにした。一方、ケルンのハイドン研究所が編纂する「ヨーゼフ・ハイドン全集(JHW)」の当該巻担当のフェーダーは通し番号を付すのをやめ、同時期に作曲されたと考えられるもの、あるいは一緒に出版されたもの、ということを基準に、全54曲を10のグループに分けた。何らかの順序で並べなければならないわけだが、各グループ相互の、およびグループ内の各曲の、創作順関係に融通性をもたせたのである。
 この2つの版は、残存するわずかな自筆譜および当時の重要な筆写譜と印刷譜すべてを比較検討してハイドンのオリジナルな姿の復元に努めようとする、原典版(ウアテクスト)であるが、資料の解釈に違いを見せている。それは、部分的にはハイドンの作品か否かというような点にまで達しているし、また作品の成立年代や創作順序といったことに至ってはその違いは小さくない。
 それらが鋭く対立するのは、初期作品であり得るかもしれない十数曲のクラヴィーア・ソナタについてであり、1760年代末頃以降に成立したと思われる作品については見解の相違はない。20世紀初頭以来広く使用されてきたブライトコップ&ヘルテル(B & H)版を含めて、各版の所収作品の違いを一覧表で示す。

ホーボーケン番号B & H版
(ペスラー版)
ヘンレ版
(フェーダー版)
ヴィーン原典版
(クリスタ・ランドン版)
Hob. XIV: 5
 = Hob.XVI: 5 bis
×
Hob.XVI: 11×
Hob.XVI: 15××
Hob.XVI: 16×
Hob.XVI: 17××
Hob.XVI: 47×
Hob.XVI: 47 bis×
Hob.XVI: G 1×
Hob.XVI: D 1×
Hob.XVI: Es 2×
Hob.XVI: Es 3×
Hob.XVI: 2a××
Hob.XVI: 2b××
Hob.XVI: 2c××
Hob.XVI: 2d××
Hob.XVI: 2e××
Hob.XVI: 2g××
全曲数525462
ペスラー版との比較+6-4+13-3

  3-1. [合奏曲の編曲]

 Hob.XIV: 5(ホーボーケン旧番号) =Hob.XVI: 5 bis(同新番号)は、クラヴィーアに2つのヴァイオリンとチェロの加わったクラヴィーア付ディヴェルティメントと考えられて、そのジャンル番号(Hob. XIV)のもとに整理されていたが、1961年にクラヴィーア・ソナタとしての自筆譜の一部と思われるものが発見された。ただしその部分以外は伝承されていないので、編曲版を参考に補わなければならない。
 Hob.XVI: 15は、合奏ディヴェルティメントHob.II: 11の第1・3・4楽章をクラヴィーア用あるいはクラヴィーアとヴァイオリン用に編曲したもの。このような編曲版は当時の印刷譜としてしか存在せず、真正のクラヴィーア・ソナタとは考えられない。

  3-2. [同一の異稿]

 Hob.XVI: 47には2つの異なる稿があり、へ調稿(Hob.XVI: 47)の第2・3楽章とホ調稿(Hob.XVI: 47bis)の第1・2楽章が一致している。このどちらの稿がオリジナルか。へ調稿が全楽章一致して現われる最初の現存資料は1788年のアルタリア出版譜であること、ホ調稿はそれ以前と思われる2つの筆写譜で伝わっていることからいって、ホ調稿に一分の利があるが、さらにそれを飛び超えて、第3の可能性もある。すなわち、クラヴィーア・ソナタとしてはホ調稿が原曲であっても、彼の他のクラヴィーア・ソナタに例をみない、その特異な楽章配列(緩-急-急)からいって、ホ調稿自体ほかのジャンルの作品(たとえば弦楽三重奏曲はこれと同じ楽章配列を、またバリトン・トリオは緩一急一メヌエットというこれとよく似た楽章構造をとることがよくある)の編曲であるかもしれない。ただしこれは仮説にとどまる。
 Hob.XVI: 11とHob.XVI: G 1もまた、同一曲の異稿という関係にある。ぺスラーは前者を採用し、それにしたがったホーボーケンは後者を疑問作品としての番号を与えたが、のちの研究により、XVI: 11が、XVI: G 1のフィナーレを冒頭楽章に置いた合成作品であることが判明した。なおXVI: 11の第2・3楽章の信憑性については、納得のいく検証は行なわれていない。

  3-3. [他人の作品]

 Hob.XVI: 16の評価について、見解は対立している。ドイツ、ハールブルクの城に遺されているこの作品の唯一の筆写譜は、一見したところ資料としてかなり質の良いものであるようにも思われるが、ハイドンを作曲者として裏付ける資料がまったく欠けている。
 Hob.XVI: 17は、すでに1932年にシュテグリッヒによってこの作品の作者がヨハン・ゴットフリート・シュヴァネンベルガーJohann Gottfried Schwanenberger(またはSchwanbergerまたはSchwanberg)であることが指摘された。
 Hob.XVI: Es 2およびEs 3は、1961年にフェーダーがスロヴァキアのブルノで新発見し、翌年彼が学会で報告し、それ以後ハイドン作品としてほぼ定着した。ところが1974年にC.ハッティンクがブダペストでEs 3のもうひとつの、しかもより完全と思われる3楽章構成で書かれている筆写譜を発見し、その作曲者としてマリアーノ・ロマーノ・カイザーという無名作曲家の名を報告してから、にわかにこの2曲の信憑性は疑われるに至った。フェーダーが発見したのはハイドンのクラヴィーア・ソナタ5曲をまとめた筆写譜集で、そのうち3曲は既知のもの、そしてこの2曲がまったく未知のものであった。この筆写譜集は、既知の3曲を他の資料と比較してみると、書きまちがいの多い、きわめて雑に筆写されたものであり、これを唯一の根拠に信憑性はポジティヴに論じられない。むしろ、ヘンレ版にも偽作が入り込んでいる可能性に対して、警鐘が鳴らされるべきであろう。

  3-4. [未発見]

 Hob.XVI: 2a-2e, 2g は、エントヴルフ・カタログに冒頭テーマが記載されているが、その楽譜は伝承されていない6曲のソナタである。C.ランドンはその未発見作品に「市民権」を与え、そのことは彼女の番号が62曲に膨らんだ主因となっている。

  4. コンチェルト

 ホーボーケン・カタログには作品群XVIIIのもとに、その当時に真作と思われていた(行方不明のものも含めて)11曲のクラヴィーア・コンチェルトが挙げられている。うち1曲(Hob.XVIII: 6[ヘ長調])はヴァイオリンとチェンバロのための二重コンチェルトである。エントヴルフ・カタログには譜例なしでタイトルだけが記入されているのだが、珍しい編成なので同定は間違いないだろう。その他同カタログに記載されている4曲(Hob.XVIII: 1[ハ長調]2[ニ長調]3[ヘ長調]4[ト長調])と、ハイドンがパリの出版者とやりとりした出版交渉の手紙が遺されている1曲(Hob.XVIII: 11[ニ長調])はハイドン作品であることは疑いない。第1番については自筆譜も残存しており、そこには1756年という年号が、1750年代の作品として唯一、付され、「オルガンのためのコンチェルト」と題されている。しかしエントヴルフ・カタログには「クラヴィチェンバロのため」とされているので、教会ではオルガンで、そして宮廷内ではチェンバロで演奏されたのだろう。同じ時期の作品ではないかと考えられる第2番も、同様に、もともとはオルガン用に書かれた可能性がある。第3-4番は1760年代後半に書かれた可能性が強いが、いずれも後年に、パリで有名になった第11番に引き続いてパリで出版され、印刷楽譜においては「クラヴサン(チェンバロ)またはピアノフォルテのため」とされている。その他、Hob.XVIII: 57-10の5曲は真作としての証明が十分ではない上にハイドンの名前以外でも伝承されている。
 真作の6曲はいずれも急-緩-急の3楽章構成で、Hob.XVIII: 36は弦楽器群だけの伴奏、その他は標準シンフォニーとおなじ8声部(弦4部、オーボエ2、ホルン2)のオーケストラ伴奏だが、Hob.XVIII: 1はホルン2に代えてトランペット2が装備されており、その点でも教会でのオルガン独奏による作品で本来はあったことが偲ばれる。
 このジャンルはハイドンの初期においては、クラヴィーアを独奏楽器としヴァイオリン2とバスを伴う四重奏ディヴェルティメント(Hob.XIV)と境界があいまいで、すなわち弦楽器が重複されればHob.XVIII: 3のケースと区別するのが難しくなるし、逆にHob.XVIII: 3が各パート1名の奏者で演奏されればHob.XIVに区分されるべき楽曲ともなる。しかし、本項には、その他、量産されて当時も人気が高かったクラヴィーア・トリオ(Hob.XV)を含む、室内楽曲は取り上げないということなので、これ以外のジャンルの作品については触れない。
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同時期に誕生した作曲家一覧

作曲家参照 ベンダ 1722-1795
作曲家参照 アーベル 1723-1787
作曲家参照 エッカルト 1735-1809
作曲家参照 ゴセック 1734-1829
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登録楽曲一覧

ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ)

協奏曲  [ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ)]
チェンバロ協奏曲  ヘ長調/ Concerto per il clavicembalo F-Dur  Hob.XVIII:3  [-1771(1766?)年] [19'00"]  [piano and orchestra(concerto)]
チェンバロ協奏曲 ト長調/ Concerto per il clavicembalo G-Dur  Hob.XVIII:4  [-1781(1768-1770?)年] [18'00"]  [piano and orchestra(concerto)]
チェンバロ協奏曲 ト長調/ Concerto per il clavicembalo G-Dur  Hob.XVIII:9  [-1767年] [18'30"]  [piano and orchestra(concerto)]
チェンバロ(またはオルガン)協奏曲 ハ長調/ Concerto per il clavicembalo C-Dur  Hob.XVIII:10  [-1760年] [12'40"]  [piano and orchestra(concerto)]
チェンバロ協奏曲 ニ長調/ Concerto per il clavicembalo D-Dur  Hob.XVIII:2  [-1767(1756?)年] [21'00"]  [piano and orchestra(concerto)]

ピアノ独奏曲

ソナタ  [ピアノ独奏曲]
ソナタ 第31番(ウィーン原典版番号) 変イ長調/ Sonate für Klavier Nr.31 As-Dur  Hob.XVI:46  op.54-3  [-1788(1767-70?)年] [19'30"]  musse  text  audio
ソナタ 第33番(ウィーン原典版番号) ハ短調/ Sonate für Klavier Nr.33 c-moll  Hob.XVI:20  op.30-6  [1771年] [16'00"]  musse  text  audio  concert
ソナタ 第34番(ウィーン原典版番号) ニ長調/ Sonate für Klavier Nr.34 D-Dur  Hob.XVI:33  op.41-1  [-1778年] [14'00"]  musse  text  audio
ソナタ 第37番(ウィーン原典版番号) ホ長調/ Sonate für Klavier Nr.37 E-Dur  Hob.XVI:22  op.13-2  [1773年] [12'00"]  musse  text  audio
ソナタ 第38番(ウィーン原典版番号) ヘ長調/ Sonate für Klavier Nr.38 F-Dur  Hob.XVI:23  op.13-3  [1773年] [13'30"]  musse  text  audio
ソナタ 第46番(ウィーン原典版番号) ホ長調/ Sonate für Klavier Nr.46 E-Dur  Hob.XVI:31  op.14-5  [-1776年] [9'30"]  musse  text  audio
ソナタ 第54番(ウィーン原典版番号) ト長調/ Sonate für Klavier Nr.54 G-Dur  Hob.XVI:40  op.37-1  [-1784年] [10'00"]  musse  text  audio
ソナタ 第55番(ウィーン原典版番号) 変ロ長調/ Sonate für Klavier Nr.55 B-Dur  Hob.XVI:41  op.37-2  [-1784年] [10'30"]  musse  text  audio
ソナタ 第56番(ウィーン原典版番号) ニ長調/ Sonate für Klavier Nr.56 D-Dur  Hob.XVI:42  op.37-3  [-1784年] [11'30"]  musse  text  audio
ソナタ 第58番(ウィーン原典版番号) ハ長調/ Sonate für Klavier Nr.58 C-Dur  Hob.XVI:48  op.89  [-1789年] [11'00"]  musse  text  audio
ソナタ 第59番(ウィーン原典版番号) 変ホ長調/ Sonate für Klavier Nr.59 Es-Dur  Hob.XVI:49  op.66  [1789-90年] [22'30"]  musse  text  audio
ソナタ 第60番(ウィーン原典版番号) ハ長調/ Sonate für Klavier Nr.60 C-Dur  Hob.XVI:50  op.79  [1794-95頃年] [19'00"]  musse  text  audio
ソナタ 第62番(ウィーン原典版番号) 変ホ長調/ Sonate für Klavier Nr.62 Es-Dur  Hob.XVI:52  op.82  [1794年] [18'30"]  musse  text  audio
幻想曲  [ピアノ独奏曲]
変奏曲  [ピアノ独奏曲]
メヌエット  [ピアノ独奏曲]
12のメヌエット/ 12 Menuette  Hob.IX:3  [mid-1760s年] [14'40"]  text
12のメヌエット/ 12 Menuette  Hob.IX:8  [-1785年] [15'30"]  text
12のメヌエット/ 12 Menuette  Hob.IX:11  [-1792年] [24'30"]  text
その他の舞曲  [ピアノ独奏曲]
カプリス  [ピアノ独奏曲]
リダクション/アレンジメント  [ピアノ独奏曲]
トランスクリプション  [ピアノ独奏曲]
種々の作品  [ピアノ独奏曲]

ピアノ合奏曲

組曲  [ピアノ合奏曲]
パルティータ  ヘ長調/ Partita F-Dur  Hob.XVIIa:2  [1768-1770頃?年] [8'30"]  [1 piano 4 hands]
リダクション/アレンジメント  [ピアノ合奏曲]
種々の作品  [ピアノ合奏曲]

室内楽

プレスト/ Presto  [pf, vn, vc]  audio
ソナタ ハ長調/ Sonata C-Dur  Hob.XV:3  [pf, vn, vc]
ソナタ/ Sonata  Hob.XV:4  [pf, vn, vc]