会員・会友レポート

アジアの音楽教育事情とピアノ I.ベトナム

2018/09/25
アジアの音楽教育事情とピアノ Ⅰ ベトナム
安藤 博(正会員)(2018年9月記)

アジア各国は、20世紀後半に至るまで外国からの様々な干渉を受け、また国内事情にも起因する様々な試練を経て今日を築き上げている。そうした国々の音楽教育事情についてレポートする。

まずは、ベトナム編。
東南アジア各国への基本認識として、ほぼすべての国(タイを除く)が19世紀以降ヨーロッパの列強に植民地化されていたという事実がある。また多くの民族が居住している「多民族国家」である点も忘れてはならない。ちなみに、ベトナムは主要民族のキン族(ベト族)(全人口の約86%)を含め、全国土には54の民族が居住している。

ベトナムはインドシナ半島の東側、南シナ海沿いに南北に細長く位置している。歴史的に中国支配が紀元10世紀まで約千年間続き、その後の独立王朝時代にも元や明の侵攻が続くなど、中国の干渉、また文化面でも中国の影響が色濃い。文字に関しても、17世紀に入ってローマ字に声調やアクセント記号を付した現代のベトナム文字が発明されるまでは漢字が使われていた。19世紀に入ってからはフランスの干渉を受け、1884年に完全にフランスの植民地となっている。その後20世紀にはいってからも、インドシナ戦争(対フランス)、第二次大戦後も第二次インドシナ戦争(対フランス)、ベトナム戦争(対米国)などをくくりぬけ、現在のベトナム社会主義共和国が樹立されたのは実に1976年である。

ホーチミン市音楽院
ホーチミン市音楽院(学院パンフレット)

現在のベトナムには高等教育機関としての音楽大学(音楽院)が三つある。

  • ハノイ音楽院 Hanoi Conservatory of Music
  • ホーチミン市音楽院 Ho Chi Minh City Conservatory of Music
  • フエ音楽アカデミー Hue Academy of Music

今回はホーチミン音楽院を訪れ、学院長のタン・クヮン・ドン先生(ピアノ)とピアノ科主任教授のレ・ホ・ハイ先生にお話を伺った。

タ・クヮン・ドン学院長。モスクワのグネーシン音楽学校出身のピアニストである。
レ・ホ・ハイ ピア科主任教授。フランスのサンモール音楽院とヴェルサイユ音楽院で学ばれた。

ホーチミン市音楽院は1956年創立、1980年に「大学」資格の認可を受け、以来、現在の名称となった。

学科・専攻
作曲・指揮・音楽学学科、ピアノ学科、声楽学科、弦楽器学科、管打楽器学科、音楽教育学科、ポピュラー音楽・音楽テクノロジー学科、ベトナム伝統音楽学科そして、ギター・マンドリン・アコーディオン学科。

ギター科は東南アジアの音楽大学には多く見られるが、マンドリンとアコーディオンはちょっと珍しい。

同音楽院は学士・修士・博士の学位を授与することができる最高高等教育機関であるが、その他修学コースとして15歳以上が学べる短期高校音楽コース(4年間)と9歳以上が学べる長期高校音楽コース(7~9年間)を設置している。4年間の短期コースは日本でもよく見られる「附属高校」に似ているが、9歳から学べる長期コースに所属する子供たちは、通常の小学校・中学校に通いながら、夕方から音楽院に来てレッスンやソルフェージュ、合唱などを学んでいる。ちなみに今年度の受験者は約100名でそのうち合格者は約30名だったそうである。こうしたシステムは、ベトナム戦争が終結(1975年)し、社会主義国家として再出発した頃から旧ソ連のコンセルヴァトワールのシステムを真似て導入されたとも聞く。日本では「音楽院」という名称は学位を授与することができない専門学校のようなイメージだが、この国では最高学府としての大学と児童からの専門教育を機関としてシステマティックに同時に行っているということになる。
実は、ベトナムの教育機関は大半が教育・訓練省のコントロール下にあるが、音楽院は文化・スポーツ・観光省の傘下にある。こうしたことも、以上のような高等教育機関としての「大学」とコンセルヴァトワール・システムが併用できる下地になっているのではと思う。

ピアノ教育に関しては、近年中古ピアノの価格が大幅に下がっていることもあり、大変多くの子供達が学んでいるという。レ・ホ・ハイ先生によると、センターやスクールといった名前のある教室からアパートの一室で教えているような名もない教室まで含めると、ホーチミン市内に実に300以上のピアノ教室があるとのこと。ハノイにはそれ以上の数があるだろうとおっしゃっていた。

  • 中古ピアノの価格は下がっておりアップライトが500米ドル(約55,000円)くらいから購入できるとのこと。日本でもテレビコマーシャルでおなじみの中古ピアノ買取の「Tピアノ」も大変有名だそうである。
音楽院の通りにある東洋ピアノ(Apollo Piano)のお店。ウインドウに「ピアノ・レンタル・調律・再調整・ピアノレッスン」と描かれている。屋根に金色のグランドピアノが見える。

さて、同音楽院の教育システムは1975年社会主義民主共和国として再出発した際に旧ソ連のコンセルヴァトワールのシステムを真似て導入されたと述べたが、これは、単に機関構成にとどまらず、和声学、音楽理論、さらにはピアノ・カリキュラムといった教育カリキュラム全般に及んでいた。ただ、ハイ先生によると、現在では、教育システムはかなり多様化しており、今後イギリスのABRSM (Associated Board of the Royal Schools of Music)の試験や評価システムの導入も検討されているとのこと。実は、このお話が出た際に、私自身が寡聞にもABRSMについて知らなかったため、ちょっとチグハグなやりとりになってしまったのだが、いずれにしても、同音楽院が教育システムをインターナショナルなスタンダードに近づけようとする努力が垣間見られた。

ABRSM

ピアノ・コンクール

音楽院では、去る6月12日~18日「ホーチミン市ピアノ・コンクール」 (HCMC Piano Competition)を開催している。

参加年齢:6歳~24歳
グループ I:プロフェッショナル部門(9歳~24歳)
グループ II: ノン・プロフェッショナル部門(6歳~24歳)

各グループは年齢別に4つのカテゴリーに分けられている。

参加人数:106名(グループI 26名、グループII 80名)

参加者はさほど多かったとは言えないが、入賞者の顔ぶれをみると、国内では、ハノイやフエ、また海外からもハンガリーや韓国からの参加者も見られ、今後、このコンクールの認知度が高まるにつれ、成長が期待できるコンクールと思われた。また、同音楽院のレ・ホ・ハイ先生を審査委員長とする9名からなる審査委員は4名が在外のピアニストで、1名がハノイから、その他米国、ハンガリーそしてロシアから各1名が招かれていた。

コンクール詳細はウェブページを参照

ホーチミン市芸術・文学センター HCMC Center for Arts and Literature

同センターは2年前、2017年11月に設立されたばかりの新しい機関で、その名前のとおり、市の行政管轄下にある。実は、同センターのディレクター、ヴァン・ティ・ミン・フォン先生は、センター設立前まで音楽院の院長をされていた方で、ご本人の専門は音楽学、それもベトナムの宮廷音楽など伝統音楽を専門とされている音楽学博士である。また、先生はかつて国立音楽大学に留学されていたこともあり、私とも旧知の仲でもある。

センター長のHuong先生

同センターの活動の中心は「芸術家スクール」Artiste School といい、子供達が学校の授業を終えてから同スクールに来て、様々なコースを学ぶというシステムである。開設コースは音楽・ダンス・写真・映画・造形芸術の5つで音楽にはピアノ、声楽、弦楽器、ギター、作曲それにベトナム伝統楽器の専攻が含まれている。生徒数は約300名、そのうち音楽がもっとも多く約200名が在籍しているとのこと。
スクールは日本の機関にあてはめると専門学校に似た位置付けになり、小・中高校の卒業資格を得ることはできないが、修了証書を発行しており、また、特別に優秀な生徒には留学費用の支給などもおこなっているという。音楽院の9歳から学べるコンセルヴァトワール制度とほぼ同じと言って良いだろう。 ベトナムの教育制度は、5・4・3・4で最初の9年間が義務教育である。公共教育の中で音楽は学科として教えられている*が、それを補完する制度を公的機関である音楽院や同センターが行っているという点にベトナムの新しい息吹を感じさせる。

  • 実は、東南アジアには公共教育に音楽という学科がない、あるいはあっても実態として行われていない国もいくつかある。
スクールの受付。洗練された雰囲気をもっている。
同センター内のレッスン室扉、各部屋は有名作曲家の名前が付けられていた。
終わりにかえて

ベトナムでは日本語教育が盛んで、専門学校だけでなく、多くの大学に日本語学部や学科などが設置されている。また、2016年には、ベトナム全土の小学校で英語と並んで日本語を第一外国語として教えることを教育・訓練省が発表している。さらに、日本国内の高等教育機関や語学学校でも多くのベトナム人が日本語を学んでおり、留学生数は国別第2位と聞く。これら日本語を学んでいる人たちの目的は、数年前までは「就職・キャリアパス」というものが多かったが、近年では日本文化そのものの理解を深めることを目的とする人も多いそうだ。
私が勤めていた国立音楽大学はホーチミン音楽院と大学間交流協定を締結しており、これまでに同音楽院から2名の交換留学生(ピアノとフルート)を迎え入れている。
本年(2018年)は、1973年日本とベトナムが外交関係を樹立して45周年にあたっている。私が音楽院を訪問した9月5日の夜には、NHK交響楽団がホーチミン市を訪問し、市内のオペラハウスで記念コンサートを行った。日越は経済関係だけでなく文化面でも交流の幅が確実に広がりつつある。
日本の音楽大学もこうした機運を鋭敏に察知し、ベトナムだけでなくアジア各国から留学生を積極的に迎え入れる方策を立案すべき時が来ている。

安藤 博 Ando Hirohi
東京芸術大学楽理科卒業
前 国立音楽大学演奏部事務室・学長事務室室長
現在、タイ・バンコク市近郊のマヒドン音楽大学(College of Music. Mahidol University)客員教授としてタイ在住。
ピティナ正会員、日本音楽学会正会員

ピティナ編集部
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