ピティナ調査・研究

<第5回>忌わしき葬送行進曲

演奏とコンクール
金澤 攝
<第5回> 忌わしき葬送行進曲

小学一年生の時、師事していた吉村(旧姓神田)俊子先生に連れられて行った「安川加壽子ピアノリサイタル」が、私の記憶している最初のコンサートでした。

実際はそれ以前、ずっと幼い頃に母がルドルフ・ゼルキンのリサイタルに連れていってくれていたのですが、覚えていません。幼児は入れないというのを、大人の料金を払って決して騒がせないから、と無理を言って入れてもらい、私は一言もしゃべらず、最後までじっと息を凝らして演奏を見ていたそうです。

この安川氏のコンサートは、私に決定的な印象を残しました。プログラムの半ばで、不吉で嫌な感じの曲が出て来て、早く終わってほしいと思いました。それがショパンの「葬送行進曲」で、第2ソナタを全曲弾いたのでしょう。終わってから、隣にいた先生が「今のはお葬式の曲なのよ」と言って、そんな曲があるのか、と驚きました。

そのインパクトによって、他の曲目が何だったのか、全部飛んでしまいました。そしてショパンの名は、この時のイメージと共に私の心に刻まれることになり、「ショパン嫌い」の原体験となったのです。

演奏が悪かった訳ではなく、むしろ迫真の演技だったのでしょうが、その後ショパンへの偏見を克服するには30年以上の時間と、膨大な音楽史の情報を必要としました。

パリに居た頃、レッスンでこのソナタを与えられた時、私は腹いせも加わって、「葬送行進曲」を終わりから逆に書き直し、「葬送後退曲」として先生を驚かせたことがあります。
私は今でもレコードでこの曲が鳴り出すと、つい飛ばしてしまう習慣があって、実際あのような陰気さは、死者にとっても有難迷惑な気がします。
他の作曲家の葬送曲にこれ程の拒否反応は無いとは云え、この種の音楽は、作曲家の全曲演奏でも意図しない限り、弾かないことにしています。

私が25歳の時、100分を要するアルカンの「12の全短調エチュード」に意を決して取り組み、その東京公演を控えた数日前に父が病に倒れました。直ぐに緊急手術で、生還できるかどうか、この一週間が峠だという状況の中での演奏には気が滅入りました。5曲目が「葬送行進曲」だったからです。家族は誰も聴きに来れず、死力を尽くして弾き終えたところに園田高弘氏が姿を見せ、「素晴らしかった!」と言ってくれたのには驚き、救われた思いでした。同じ曲のポンティのレコードに怒って「こんな演奏の価値はゼロだ」と吐き捨てるように言っていた人が、です。

幸い父は生還できて、当初の死相は影を潜めました。アルトゥール・ルービンシュタインも自伝の中で、葬送行進曲の無視できない威力について悲痛な告白をしています。

特に子供に「葬送ソナタ」を聴かせるには、慎重な配慮が必要だ、と声を大にして訴えておきたいところです。(2018.6.24)

この連載について

金澤攝氏の連載記事「音楽と九星」第一部では、たびたびピアノ演奏のあり方に関わる提言がなされていました。このたび開始する連載「演奏とコンクール」は元々、同連載の第二部に入る前の「コラム」として構想していましたが、短期連載へと拡大して、掲載することになったものです。金澤氏は音楽家として長年にわたり、千人以上におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究し続けています。ピティナ・ピアノ曲事典は、氏が音楽史を通観する「ビジョン」を大いに頼ってきました。その金澤氏がコンクールに関わっていたのは約40年前、コンテスタントとしてでした。現在はピアノ指導には携わっておらず、続く本文でも言及されているように、昨今の音楽コンクールの隆盛ぶりに驚かれています。その金澤氏による「コンクール」論は、コンペティションにピティナ会員の方々には新鮮に感じられるかもしれません。共感されるかもしれませんし、あるいは異論・反論を述べたくなるかもしれません。この連載では、まずは氏の提言を連載しますが、「演奏とコンクール」は多くの音楽家にとって切実なテーマであるはずです。ゆくゆくは様々なコンクール関係者、ご利用される方々にも寄稿をお願いし、21世紀における「コンクール」ひいては「ピアノ演奏」のあり方を考えていく契機にしたいと考えています。(ピティナ「読み物・連載」編集部 実方 康介)