会員・会友レポート

音楽における九星 実占編/金澤攝

2017/11/29
「音楽における九星」金澤攝
◆ 実占篇

今回、ピアニストでもあるピティナ事務局の田口翔氏から三名の若手ピアニストの姓名、生年月日、ピティナで収録したいくつかの曲名を伺いました。私はまだこの三人の方の録音・録画に接しておらず、勿論面識もないので、以上のデータしか知りません。
 これだけの情報から、それぞれの方の持ち味や傾向、新たなレパートリーとして何が相応しいか、について「九星」をベースに”診断”・アドヴァイスを行うことになりました。三人のうちお一人は匿名での結果お知らせとなりますが、やってみましょう。

◆1.脇岡洋平氏の場合(1980.08.08生れ)

脇岡さんは二黒土星生れ、月命も五黄土星とあって、完全な土星体質です。ここではリスト=ワーグナーの編作で占められていますが、実はリスト(九紫)とワーグナー(七赤)は相剋で、本質的には折り合わない関係です(火剋金)。両者は意気投合していた訳ではなく、リストが先見性と鷹揚さをもってワーグナーを容認していた、と見るべきでしょう。この両者の間に入って、どちらにも相生するのが土星生れです。リスト=ワーグナーは理想的なパターンといえます。

土星生れにとって、九紫のリストは頼もしく、憧れの存在です。基本的にはアントン・ルビンシテイン(九紫)、ブゾーニ(八白)など、巨匠的なピアニズム指向の方と想像します。

勧めたい作曲家として最初に浮かんだのはリストの高弟、ズガンバーティ(Giovanni Sgambati, 六白)です。ワーグナーの協力者でもありましたから、ここを足場に、ドイツ・イタリアのより新しい世代への展望が開けるでしょう。

今後求めるべき方向性のキーワードは「簡潔さ」です。軽やかさも含めて、意識転換に有効なのはゴダール(Benjamin Godart, 七赤)でしょうか。まるでタイプが違うようですが、違和感はない筈です。同じフランス物として、淡白かつ過激な名技性を持ったイジドール・フィリップ(Isidore Philipp, 二黒)や、知的なサマズイユ(Gustave Samazeuil, 八白)も向いています。

最も合わない有名作曲家=プロコフィエフ:ノリが全く違い、軽率な感じに苛立ちます。

脇岡さんの感想

とても興味深い結果でした。確かに、硬い響きの必要な作曲家は割と苦手な傾向にありますので、プロコフィエフはわりとそれに当てはまるといえます。 おすすめいただいた作曲家は正直、あまり存じ上げなかった作曲家ですが、ぜひ機会をみて作品を聴いてみたいと思います!

◆2.西本夏生氏の場合(1982.07.15生れ)

西本さんは九紫火星年の九紫火星月生れ、根っから「火」の人です。掲載曲は自分から見て「子供」にあたる作曲家が多く、ベートーヴェン、アルベニス、レクオーナいづれも五黄土星です。モンポウは八白土星。

シューマン、グラナドスは九星上は相剋ながら、西本さんが戌歳生れであることから、午歳、卯歳とは三合、支合の法則(本編で後述)により調和が生じます。

生来華やかな人で、鮮烈な色彩と能動的なリズムに反応し易いようです。スペイン系の作品が主力のようですが、ファリャ(七赤)には大らかさが欠けていると感じます。

今後求めるべき方向性のキーワードは「深遠さ」でしょう。落ちついた風情、瞑想的な性格の作品が表現世界を拡げます。

火にとって「親」にあたる木星の作曲家にヒントがあります。ヴィドール(Charles Marie Widor, 三碧)などは視野を転ずる堅実な足掛りとなるでしょう。

特に勧めたいのは、近代フランスの隠れた名匠、ブレヴィル(Pièrre de Breville, 四縁)と、スケール感の大きな、ルーマニアのミハロヴィチ(Maecelle Mihalovic, 三碧)です。奥床しいフローラン・シュミット(Florent Schmitt, 四縁)も適性です。

最も合わない有名作曲家=ハイドン:夢のない貧しい音楽に感じます。

西本さんの感想

『根っから「火」の人』という一行目、、、私、実際にヨーロッパ時代にコンクールの場で審査員から「君は、全く「火」って感じだよね」と言われたことがあります(笑)。鮮烈な色彩と、能動的なリズムに反応しやすいのも子供の頃に自分でわかってしまったことで、特にスペインものの作品に出会ったときには、体と心に稲妻が走ったような、何かの殻が割れていくのを感じたのでした。ここであげてもらった作曲家の作品に、これから縁があるような予感がします。今後の活動の刺激とさせていただきます。ありがとうございました。

◆3.匿名の方(生れた年月は1986年3月)

この方の演奏曲目にはモーツァルト、グラナドス、ラフマニノフの名前が並んでいましたが、これは「九星」の観点からは疑問がある選択です。本当に弾きたいのはグラナドス(七赤)だけではなかったでしょうか。モーツァルト(一白)はまだしも、ラフマニノフ(一白)との接点が判りかねます。

この方は五黄土星で、五黄は九星の中心に位置することから、総ての星に対して、つまり相剋関係への柔軟な対応が可能な面はあります。とにかく根気がいいので、練習したり、美しく曲を奏でることそのものに喜びを感じ、その裏返しとして、各作曲家の個性や表現に深く向き合わないで来てしまった、という感が「無きにしもあらず」ではないでしょうか。子供の頃から多くのコンクールを受け続ける方は、演奏技術は磨かれる一方で、本来「自分が何に向いているのか掴みかねる」という問題を抱えがちです。

これからを考える上で必要な方向性は「アンチ・ピアニズム」です。テクニック中心のショー的要素をなるべく持たない、内容の濃い作品への取り組みが求められます。

ダンディ(Vincent d’Indy, 五黄)やマリピエロ(Gian Francesco Malipiero, 一白)が確かな啓示をもたらすでしょう。現代ドイツのハルトマン(Karl Amadeus Hartmann, 五黄)もいいかもしれません。あらゆるテクニックは、「表現のための手段」であることを実感させてくれます。

最も合わない有名作曲家=グリーグ:自分には何の関わりもない、遠い世界のお話に聞こえるのでは。

この方は広いレパートリーをお持ちということなので、追加の情報次第では別の診断結果が得られたかもしれませんが、実際の演奏も聴いておらず、生年月日と挙げられた曲目だけで「診断」するやり方だと、上記のとおりになります。

◆追記

以上、思いつくまま、三名の方の出生データから筆を進めましたが、ここでピアノに関わる若い人たちに、是非お伝えしておきたい2点のことがあります。

第1、それぞれの方が誕生した時点で、生きていた作曲家の作品をたくさん知り、弾いておく必要があるということです。
20世紀という時代は、音楽家を「作曲家」と「演奏家」に分けてしまいました。現代に生きる演奏家は、何よりも現代の作品を弾く義務を負っています。次の世代に向けて、”これが私たちの時代の音楽だ”と伝えないで、誰が行うのでしょうか。過去の名作は過去の人たちによって伝えられてきたことを忘れてはなりません。

自分と同時代、同世代の音楽は、本来最も共振するようにできています。天才作曲家は今も生きているのです。こうしたことを先生は教えてくれませんから、自分で行動を起こすしかないのですが、これができる人が、歴史からその価値を保証される演奏家だと私は信じています。まず自分の立ち位置、足許を確認しないで、過去の作曲家の歴史的価値を語ることなど不可能なのです。

例えば、「ベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏」のような、もはやわかり切った”記録作り”のために、貴重な時間や労力を浪費されないように願っています。ソナタばかりを集めたところで、ベートーヴェンを網羅したことにはなりません。こんなことが”快挙”とされる時代は終わりました。

第2には、演奏家自らの、作曲への回帰です。好きなオーケストラ曲の編曲でも構いません。人前で披露するか否かも不問です。

音楽家として、自分のコンサートのアンコール・ピースすら自分でまかなえない、というのは致命的なことだと私は考えています。美術や文学、その他のアート・ジャンルではあり得ないことです。

演奏家は「俳優」のような演じ手だと考える人がいます。従って脚本まで書く必要はない、という訳です。しかし、これは考え方が足りません。俳優はドラマにおける一つの役回りに過ぎません。オーケストラの1パートということです。それ故に指揮者が必要とされます。

しかし、ピアノは多くの場合、ひとりでステージに立ちますから、それは、ドラマにおける総ての役柄、演出家を総合する力量が必要とされる訳です。原作者の意図を自らのものとするために、自分自身が原作者の立場に身を置くことが重要なのです。同じことを言って、説得力のある人と無い人の差は、自ら体験しているかどうかの違いにかかっています。結局、こちらも自分で行動を起こすしかありません。音楽家としての本当の勉強は先生を離れてからが勝負です。作曲への入り口、誘い水として効果的なのは、自分が心底共鳴する作品を手書きで筆写することです。百回読む以上の力が付くことを実感するでしょう。

「定番曲」だけがクラシックの王道、とされる時代は、早かれ遅かれ終ります。そもそも「定番」を規定したのは演奏家ではなく、20世紀の音楽業界の商業戦略でした。21世紀の現在、それらがもはや通用しないレベルにまで、聴き手の感性は成熟してきています。今後演奏家は独自の視点を持って「新たな古典」を伝えていかなくてはなりません。

自己の本質を知ること。そこに未来を開く鍵があるのです。(2017.10.16-17)

この連載について

作曲家でピアニストの金澤攝氏は数千人におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究対象としています。氏はその膨大な作業に取り組むにあたって、「十二支」や、この連載で主にご紹介する「九星」を道しるべとしてきました。対人関係を読み解く助けとなる九星は、作曲家や、その人格を色濃く反映する音楽と関わるに際して、新たな視点を提供してくれるはずです。「次に何を弾こうか」と迷っている方、あるいは「なぜあの曲は弾きにくいのだろうか」と思っておられる方は、この連載をご参考にされてみてください。豊かな音楽生活へとつながる道筋を、見出せるかもしれません。
(ピティナ読み物・連載 編集長)


ピティナ編集部
【GoogleAdsense】
ホーム > 会員・会友レポート > 音楽における九星> 音楽における九星 実...