音楽における九星

第一部<第6回>相生II ─ ドビュッシー、ラヴェルを中心に2

2017/10/31
◆ 第一部
<第六回>  相生 そうしょう ─ ドビュッシー、ラヴェルを中心に Ⅱ

引き続き、四緑木星のチェリスト氏です。今度はラヴェルのピアノ・トリオをやりたいと考えました。あとの二人をどうしたらいいでしょうか。

幸いラヴェルも四緑とは気の合う八白ですから、自分の都合上は、四緑・八白・九紫で組むのが理想ということになります。一白・三碧でもいいのですが、作曲家への共感という点で、一人は八白か九紫が欲しいところです。

ピアノ・トリオの場合、どうしてもピアノのウェイトが大きいので、ピアニストと作曲家の相生関係を優先させるのが望ましいと考えます。

ここで気を付けなくてはならないのは、作曲家と相性がいいから、と二黒と六白を呼んでくるようなケースです。即ち、自分と相剋する相手二人とトリオを組むと、向うの二人は気が合うので結託してしまい、自分だけが孤立することになりかねません。やはり九紫なり一白なり、彼らとの間を仲介できる人に入ってもらうのが賢明です。

特に作曲家と自分が相剋関係にある場合は、仲介者を入れる、が鉄則です。作曲家と相生関係にある人は、自分に見えない角度から、作曲家の本質・美点を掴んでいる、ということを理解するのは重要なポイントです。

4人以上のアンサンブルになると、メンバーの相性というよりは、リーダーの資質が問われるように思います。

もう10年前になりますが、私の知るオーケストラの団員5名が、自主的にプロコフィエフの五重奏曲(Op.39)でコンサートを行うことになり、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスという編成の曲が他に見つからないので、何か作曲してもらえないか、と頼まれたことがあります。偶々、私と共演経験のある方たちばかりで、誰がリーダーという感じでもなく、仲良くまとまっているのを不思議に思っていたら、「木火土金水」が全員揃っていた、という訳です。勿論、彼らはそんな事情を知りません。

この時に書いたのが、ドビュッシーの「子供の領分」作曲から百年を記念した「シュウシュウとその父へ―『子供の領分』の創作的編曲」です。ご存知のように、ドビュッシーのピアノ作品は、ピアノ以外の楽器に置き換えられない性質のものです。しかし、「子供の領分」だけは余地があると感じた私は、この原曲が"ピアノ編曲"に聴こえるような"オリジナル"に、先の編成で踏み込めると考えました。それと同時に全6曲が次第に原型を崩していき、7曲目「追伸」が加わります。

私が作曲家として自信を持って言えることは、その作品を最も深く理解しているのは作曲家本人とは限らない、ということです。ここにこそ、演奏家が目指すべき"理想郷"が存在します。それは原作者と等しいレベルで作品に対峙でき、「自作」として掌握し得ることが前提となります。

ドビュッシーのルーツをショパン、ラヴェルのルーツをリスト、とする考え方は、九星上でもそれぞれの「親」を指すことから、理に叶ったものといえます。(2017.10.25)


◆この連載について
作曲家でピアニストの金澤攝氏は数千人におよぶ作曲家と、その作曲家たちが遺した作品を研究対象としています。氏はその膨大な作業に取り組むにあたって、「十二支」や、この連載で主にご紹介する「九星」を道しるべとしてきました。対人関係を読み解く助けとなる九星は、作曲家や、その人格を色濃く反映する音楽と関わるに際して、新たな視点を提供してくれるはずです。「次に何を弾こうか」と迷っている方、あるいは「なぜあの曲は弾きにくいのだろうか」と思っておられる方は、この連載をご参考にされてみてください。豊かな音楽生活へとつながる道筋を、見出せるかもしれません。 (ピティナ読み物・連載 編集長)
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