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    <title>第０７回　オーストラリアのピアノ教育：ジョーダン・エレリー氏の場合</title>
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    <published>2008-03-26T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-30T05:42:01Z</updated>

    <summary> 連載第4回でご紹介したとおり、オーストラリアでのピアノ教育システムは全体として...</summary>
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<div class="txt"><a href="/report/04ess/au/2008/03/24_5200.html">連載第4回</a>でご紹介したとおり、オーストラリアでのピアノ教育システムは全体としてAMEBのグレードを軸として、理論と実践の両面から体系的に子供たちに音楽的能力を付けさせることがわかりました。<br />
さて、今回お話を伺ったのは、現在EMIで音楽プロデューサーとして活躍されているジョーダン・エレリー氏です。シドニーで生まれ育ち、子供の頃より徹底したピアノ教育受け、AMEBでも最高レベルのグレードAMusAをお持ちのエレリーさんは、現在31歳。幼少のころ、彼がどのような音楽教育、ピアノ教育を受けてこられたのか伺ってみました。 </div>

<div class="t1">◆実技</div>

<img src="/report/04ess/au/images/007_01.jpg" alt="007" class="right">

<p>5歳のころ、家にあったハモンド・オルガン<span class="t3"><a href="#01">(1)</a></span> が最初の鍵盤楽器との出会い。お母さんが横に座って簡単な曲を教えてくれたそう。家族と毎週末教会に通い、聖歌やオルガンといった教会音楽にも親しんでいた。ピアノや読譜を本格的に習い始めたのは9歳から。レッスンは入学した私立小学校で始まります。トリニティ・グラマー・スクールTrinity Grammer Prepatory School、ここで出会ったクリスティーヌ・マッカーシー先生Christine MacCarthyが週に2回、ランチタイムの後30分のレッスンを特別に付けてくれた。「そのために僕は午後の国語の授業に遅刻していくことになるのだけど、あとで補習をすればいいことになっていた。それがトリニティの方針だったんだ。」マッカーシーは40年にわたりオルガニスト、指揮者として豪・米で活躍し、ABC放送局専属伴奏者を務め、シドニー音楽院でも後進の指導にあたっているという多忙な先生。レッスン開始2年後からは、先生のご自宅でレッスンを受けることに。<br>
「レッスンの始まりは聴音から。先生がピアノで弾く音程や和音、アルペジオによる音型を度数で答えました。それからハノンのスケールをやって、次に課題の曲を弾きます。グレードのために選んだ曲が中心。演奏では、よく指や手首の使い方に注意を受けました。また、曲についての知識、たとえば『ミクロコスモス』ってどんな意味か、この作曲家はどんな人だったのか、辞典類なども使って教えてくれました。曲は最後の仕上げ段階で、先生の解釈によるフレージングやスラーを付けてもらいました。」非常に包括的な内容のこのレッスン、1時間あたり当時で90ドルの謝礼。「先生はいつも暖かく指導してくれました。僕の手が赤インクで汚れていたとき、僕が流血しながら弾いてるんじゃないかと慌ててくれて・・・（笑）」<br>
ピアノ作品との出会いはグレード用にまとめられた課題曲集があり、ほとんどがそこからだったという。毎年、グレードをクリアするごとに、先生が次のグレードの課題曲集を丸ごと一冊目の前で演奏してくれた。「そこから好きなのを自分で決めるんです。バッハやモーツァルトが僕は好きでした。」</p>

<p>15歳、トリニティでの最終年にこの学校で得がたい体験をした。オーストラリア出身の代表的なピアニスト、ロジャー・ウッドワードの公開レッスンを受けることが出来たのだ。「楽曲の構成を非常によく説明してくれた。このレッスンのおかげで、僕は数日後のインナー・ウェスト・ピアノコンクールで優勝することができたんです。」</p>

<div style="border-top:solid 1px #cccccc;margin-bottom:20px;padding-top:5px;">
1 ハモンド・オルガンとは、もとはアメリカで1934年に発明された電子オルガン。安価で教会に設置できることを狙いとしていましたが、後にジャズやロックで使用されるようになりました。耳にすれば「ああこの音色」と思われる方も多いと思います。（少々古いですが、昔のTVドラマ「太陽にほえろ」のテーマ音楽はハモンド・オルガンで演奏されているそうです。）日本のエレクトーンに見た目は良く似ていますが、音を出す仕組みは違っています。</div>



<div class="t1">◆学校教育</div>

<p>また、学校の通常の音楽科目も非常に充実していた。生徒たちは全員自分専用の鉄琴か木琴を使って授業を受けるという。バロック、古典派、ロマン派といった音楽史の流れはそこで押さえることができた。<br />
しかし、ここで残念なのは、こうした授業やレッスンでは、ほとんどオーストラリア人作曲家について触れられる機会はなかったという。エレリーさんは、受容層が薄かったことが原因だと見ている。しかし前回の連載でもご紹介したとおり、AMEBの課題曲ではオーストラリア人作曲家の作品を多く取り入れている。エレリーさん自身はグレード５の課題曲リストの中から、スカルソープの《雪月花》を選曲し、演奏した。 </p>



<div class="t1">◆理論</div>

<p>AMEBのグレードは実技だけでなく理論の試験もあるため、同じく9歳のころから、理論の個人レッスンも開始する。楽典やソルフェージュ全般はミリアム・ハイド Myriam Hydeに師事した。ハイドといえばオーストラリアを代表するコンポーザー・ピアニストであり（<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/hyde/index.html">ピアノ曲事典参照</a>）、AMEBのシラバスを書いたその人だ。「先生の家の裏庭には温室があってね、先生は植物に水をやりながら僕に問題を出すんですよ。」なんとも大胆でおおらかなレッスン風景・・・。「いつも大き目のドレスを着て、快活な方でした。でも時に厳しい先生でしたね。」</p>

<p>ところで、オーストラリアといえばスポーツが非常に盛んな国。野球とよく似たクリケットというゲームが国民に人気だ。トリニティではこのクリケットの課外練習も必修だったそうで、エレリーさんは毎日クリケット練習のあと、週4回（実技２理論２）のレッスンに通い、夜は自宅でまた30分ピアノに向かうという忙しい子供時代だった。</p>


<div class="t1">◆音楽を生涯の仕事に</div>

<p>高校はニュータウン・パフォーミング・アーツ Newtown High School of the Performing Artsへ進学。トリニティと個人レッスンで習得した技術によりオーディションには楽々合格。この学校で舞台音楽や指揮法などを身につけ、さらに奨学金を得てオーストラリア音楽大学 Australian Institute of Musicへ進学。ここでは専攻をジャズへと切り替え、現在の音楽プロデューサーの仕事へとそのキャリアを繋げた。大学在学中にグレード最高レベル AMusAを取得。現在も自身の音楽活動の根底には、クラシックで培った基礎が息づいていることを実感しているという。</p>

<p>このように、エレリーさんの受けた音楽教育は、<br />
１．学校教育と個人レッスン両面からの充実したサポート<br />
２．AMEBのグレード制度を主軸とした包括的アプローチ（実技・理論・音楽史）<br />
により支えられている点が特徴的だと感じます。現在でもオーストラリアはピアノを習う子供は多く、日本からのヤマハやスズキ・メソッドによる音楽教室の活動も盛んです。今後、オーストラリア出身の若いピアニストたちが大いに活躍することを楽しみにしたいと思います。 </p>

******************************************************************************</div>
<div class="hp" style="margin-bottom:30px">
<img src="/report/04ess/au/images/004_prf.jpg" alt="004" class="left">
<div style="background: #eee; font-size: 120%;">　ジョーダン・エレリー　Jordan Ellery</div>
1976年、シドニー生まれ。1994年AMEBのAMusA (Associate Music in Australia)取得。EMI、SONY、MGM、ATAおよびシドニー・サウンドスタジオ301にて音楽プロデューサー、伴奏者として活動中。室内楽、オーケストラ、ロック、ジャズの録音を手がける。オーストラリアのテレビ局Channell10やSBSでも活躍。映画のサウンドトラックの録音や米・日でのFMの音楽制作に携わる。また一方フリーランスでピアノセッションをJulio Iglesias、Sir Bob Galdolfといった国内外のアーティストと行う。ロックおよびポップスのシンガーとしての顔も持ち、歌詞の哲学的な表現力には定評がある。過去に発表した作品としてEP Jordan "Suburbia"、Single "Kosovo"、Single "Everybody Knows" "MGM"、Album Released In Australia only - Jordan - "Diary Of A Broken Man" "MGM"(Air play includes (AUS), (U.S.) (JAP Single "Something Unbelievable" continueous Rotation)等がある。目下アコースティックなピアノサウンドに主眼をおいた自作品のアルバム制作にも取り組んでいる。
</div>

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    <title>第０６回　グレードが熱い！ＡＭＥＢ</title>
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    <published>2008-03-25T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-30T05:33:37Z</updated>

    <summary> 前回はABCというオーストラリアの国営放送局が、いかにしてオーストラリアという...</summary>
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<div class="txt">前回はABCというオーストラリアの国営放送局が、いかにしてオーストラリアという国の音楽文化構築に貢献したのかをお伝えしましたが、今回はもう一つの柱ともいえる、この国の音楽教育の現場に欠かせない<strong>グレード制度</strong>について取り上げたいと思います。</div>

<div class="t1">◆グレードの威力？勢力？in オーストラリア</div>
<p>ある日曜の朝、私はシドニー郊外のアパート管理人のピアノを借りて、久しぶり演奏を楽しんでいました。弾いていたのはショパンのノクターン。そこへやってきた小学生の子供を持つ近所のお母さんが「いい曲ですね。今、何級ですか？」と突然聞いてこられました。続けて、私の子供は今グレード３級でどうのこうの...と話し出すので、私が「グレードって何のグレードですか？」と尋ねると、そのお母さんは「えっ...グレードは...グレードですよ」と、まるで私がヘンな質問でもしたかのような顔で答えました。その時初めて私は、「どうやらこの国には『○○のグレード』と言わなくても通じるほど幅を利かせた何らかのグレード制度があるらしいぞ」ということに気付きました。じつはそれ以前にも楽譜屋さんなどで、何度も「Grade 5&#65374;6」などと付された楽譜を目にしていたのです。<br>
<br>
日本ではピアノの「グレード」と言えば、ヤマハやカワイといった大手の楽器店または地域団体の主催するグレード制度などがいくつも存在します。それぞれのグレード試験には独自の特性があります。ピアノ指導者の先生方には、生徒たちに明確な目標を持たせたり自分の実力を測らせる手段として、コンクールとともに、そうした試験を利用される方も多いと思います。生徒の間では、友達同士で自分のレベルを示すのに、コンクールやグレードの話をするかもしれません。「ピティナのコンペティションではD級を受けた」とか、「ヤマハグレードでは７級をとった」などなど。でもオーストラリアでは、どうやらただ単に「○級だよ」というだけで当然のように通じるグレードがある様子・・・。</p>
<table class="right"><tbody><tr><td class="ct"><img src="/report/04ess/au/images/au006a.jpg" alt="第6回-1" width="206" height="156"><br>
楽譜店のAMEBテキストコーナー
</td>
</tr></tbody></table>
<p>それがAMEB（Austraian Music Examinations Board）の認定するグレードだということを知ったのは間もなくのことでした。私の所属する大学院の地元学生が教えてくれたのです。現在このグレードは、先生・生徒・保護者の間で共通言語のように語られるほど浸透しているばかりでなく、AMC（連載第4回で紹介）で公開されている「オーストラリア作曲家によるピアノ曲データベース」にも、1000曲を越えるそれぞれの作品に「グレード○級程度」という情報が付されています。つまり、オーストラリアの人たちは、弾く曲を選ぶときなどに<b>難易度を測る共通のバロメーター</b>を持っているのです。<br>
AMEBは1918年に全国規模の団体として発足。もとは大学の研究者たちが母体となる団体を作っていました。イギリスの英国王立音楽検定ABRSMをほぼそのまま踏襲したと思われる8段階システムは、広い国土をまたがり、連邦と各州レベルの音楽教育の権威が連携し綿密に練り上げ、独自の体系的グレードシステムとして機能するようになりました。</p>



<div class="t1">◆AMEBグレードとは</div>

<p>わかりやすい8段階設定、理論と実技のそれぞれにグレードが設定されている点などは、イギリスのグレードとそっくりです。ですがAMEBでは、課題曲に自国オーストラリア人の作品を取り入れているところが特徴的。グレインジャー、スカルソープ、サザーランド、カッツ=チェルニン、スィッツキー、ウィリアムソンといったAU作曲家作品は、グレード試験の課題曲となることで、多くのピアノ練習者のレパートリーとして親しまれているようです。実技試験にはスケールやアルペジォの課題、初見演奏や一般的な音楽についての口頭試問が含まれています。数字が高くなるとレベルもあがります。例えばグレード１の課題曲にはシューマンの子供のためのアルバムから5番「小曲」、グレード３ではJ.S.バッハのフランス組曲やブルグミュラーの25練習曲の「清い流れ」等が課題曲に含まれ、グレード８ではベートーヴェンのソナタやショパンのノクターン、シューベルトの楽輿の時などが入ってきます。</p>

<table class="left"><tbody><tr><td class="ct">
<img src="/report/04ess/au/images/au006b.jpg" alt="第6回-2" width="156" height="206"><br />
グレード情報が満載の要綱<br>
『シラバス』07年版
</td></tr></tbody></table>

<p>また、オーストラリア老舗の楽譜出版社アランミュージックから各級の課題曲集が出され、その楽譜はピアノ教育のための良質なテキストとして使用されています。楽譜店の一角には、そのテキストコーナーが設けられています。</p>

<p>グレードの浸透力が強ければ、それだけ「認定資格」としての効力も発揮します。最高ランクのグレード８を終えると、さらに上位のAmusA（Associate diploma in Music, Australia）やLmusA (Licentiate diploma)というプロとしての指導者や演奏家にふさわしい権威あるグレードがあります。オーストラリアのプロたちは、公式のプロフィールにそうしたAMEBの認定を載せています。ちなみに、日本の作曲家、武満徹の「雨の樹素描II」がAmusAの課題曲に入っていました。</p>

<p>次回は、AmusAの資格を実技・理論の両方でお持ちの音楽家にインタビューします！</p>
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    <title>第０５回　ＡＢＣ&#65374;放送局が築いた音楽文化&#65374;</title>
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    <published>2008-03-24T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-30T04:21:22Z</updated>

    <summary> ◆AU音楽に気軽にアクセス！ ＡＢＣのトップページ（2008年1月現在） オー...</summary>
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<div class="t1">◆AU音楽に気軽にアクセス！</div>
<table class="t2" align="right"><tbody><tr><td class="ct">
<a href="http://www.abc.net.au/classic/"><img src="/report/04ess/au/images/au080131.jpg" alt="ABCホームページ" width="250" border="0" height="148"></a><br>
ＡＢＣのトップページ（2008年1月現在）
</td></tr></tbody></table>
<p>オーストラリアの音楽を聞いてはみたいけれど、日本では情報が少ないし、CDも簡単に手に入らない・・・。ならば、オーストラリアのラジオ番組を聞いてみてはいかがでしょうか。日本にいながらにして、パソコンからインターネットでオーストラリアの番組を聞くことが可能です（2008年1月現在）。<b><a href="http://www.abc.net.au/classic/">ここ</a></b>をクリックすると、飛んでいく先はオーストラリアの国営放送局ABC Classic FMのWebサイト。ページ左上の方にある「Listen Online」をクリック、そこから今放送中の内容や、過去に制作された番組のいくつかを聞くことができます。放送中の番組は「Listen Now」をクリックします。そこからReal PlayerやWindows Media Player、mp3音源を聞くためのソフトウェアを選択するように指示が出ますので、いずれかを選びます。ご自宅のパソコンがWindowsの場合、Windows Media Playerを選べばさっそく放送が聞こえてきます。</p>

<p>ABC Classic FMでは、さまざまなクラシック音楽が放送されていますが、<b>オーストラリア作曲家の作品を日々無料で紹介</b>しています。ですので、この連載でも取り上げたスカルソープやスィッツキーといった作曲家たち、またオーストラリアで活躍中の演奏家の奏でる音楽に出会うことが出来ます。<br>
サイトから番組表を見ることもできます。ページの左上部分「Music Details」とあるところの上から3番目「Today」をクリックすると、今日の番組表が出てくるので作曲者と曲名をチェックできます。日本とオーストラリアは冬2時間、夏1時間の時差があるので注意して下さいね。夜7時までは、1時間毎に5分間のニュースが流れます。英語のリスニングの強化に努めたい方や、オーストラリアの「今」に関心がある方にとってもオススメです。</p>

<p>またサイトからは過去に特集した番組を聞くことができます。左端のところを下に見ていくと「Australian Music」や「Features（特集）」あります。ここからはAU音楽史や作曲家特集などの特集番組を何度も繰り返し聞くことができますよ。<br>
こうした番組に世界中のどこからでもアクセスを許すABC、じつに太っ腹であります。そこには「AUの音楽事情はこうなっているのだ！」という発信の熱意のようなものを感じます。</p>

<div class="t1">◆ABCのスゴイところ&#65374;放送局が創り上げた音楽文化</div>
<p>
ABC（Australian Broadcasting Corporation）はオーストラリア連邦政府が支える国営放送局です。上記のClassic FMのほか、AMラジオ、テレビの放送があり、また書籍・CD・DVDの出版、そしてその販売を行うABC ショップの運営もしています。<br>
ですが、ABCの本当にスゴイところは、単なる放送局という枠を越えて、オーストラリアが国として音楽文化を形成しようとした時代に、まさにその中心的な役割を担ったというところにあります。1932年の設立以降、ABCが主力となって各都市にプロの放送オーケストラが設置され（メルボルン交響楽団やシドニー交響楽団などもその一つでした）、演奏会の模様がラジオ放送されるようになりました。<br>
その立役者は、自身も指揮者である<b>バーナード・ハインツ</b>(1894&#65374;1982)という人物です。ABCの総監督のポジションに就いた彼はヨーロッパやアメリカに出向き、ラジオ放送が音楽文化の向上に果たす役割を調査しました。彼の尽力のもと、戦後にはオーストラリアの6つの州都全てがプロオーケストラを所有することになり、アラウやギーゼキングといった世界一流のピアニストをソリストとしてヨーロッパから迎えられるようにもなりました。音楽的に後進国であったオーストラリアですが、オーケストラという演奏陣、放送網というメディアがここに整いました。しかし、そうしたインフラだけが整ったところで、国の音楽文化全体が充実するわけではありません。のちにハインツは、全国をまわっての学校コンサートにも従事し、新しい聴衆層そのものを育てることにも力を注いだのです。<br>

1956年、オーストラリアは国の法律として、テレビ・ラジオ番組の5パーセントをオーストラリア人作品で占めるようABCに義務付けます。放送というメディアが誕生した20世紀のダイナミクスの中、ABCは作曲家・演奏家・聴衆の国内ネットワークを築き上げました。ABCのこうした一大プロジェクトなくして、オーストラリア音楽が現在のレベルに到達した過程を語ることはできません。ABCは音楽文化におけるメディア組織の役割を大規模に示した一例と言えるでしょう。</p>

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    <title>第０４回　調査はここから-オーストラリアン・ミュージック・センター</title>
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    <published>2008-03-23T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-30T04:12:21Z</updated>

    <summary> ◆白い貝殻&#65374;オペラハウス オーストラリアのシドニーといえば、その...</summary>
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<div class="t1">◆白い貝殻&#65374;オペラハウス</div>
<img src="/report/04ess/au/images/004_01.jpg" alt="オペラハウス" class="right">
<p>オーストラリアのシドニーといえば、そのシンボルとも言えるのがシドニー・オペラハウスです。その真っ白い貝殻のようなたたずまいは、一度見たら忘れられない独特な風情。オペラだけでなく、シドニー交響楽団の演奏会、または2007年のAPEC会場となるなど、日々大きな催しもので賑わうスポットです。メインのコンサートホール内は、舞台をぐるりと囲む客席が、割と急斜面に設置されています。後ろの方の席を押さえると、舞台をはるか下に見下ろすような恰好になります（高い所の苦手な人は怖いかも）。以前、シドニー響のブラームスの交響曲の演奏会に出かけたとき、日本の交響楽団の定期演奏会などとははるかに違った雰囲気に驚きました。シドニーの聴衆の皆さんは、楽章間に拍手しまくり、演奏後にはただちにフラッシュを焚いて写真を撮りまくり、まるでお祭りのように盛り上がる雰囲気。皆、ちょっとドレスアップもしていて、演奏会を心底楽しんでいる様子が伺えました。</p>


<div class="t1">◆本気です、AMC</div>
<img src="/report/04ess/au/images/004_02.jpg" alt="Rocksの風景" class="left">
<p>さて、このオペラハウスからさほど遠くないところに「ロックス」と呼ばれる一帯があります。ここに、オーストラリアの音楽調査をするのに重要な場所、その名もオーストラリアン・ミュージック・センター Australian Musica Centre （以下AMC）があります。この施設の利用なくして私のこの連載も成り立たず。今回はここAMCのご紹介をしてみたいと思います。</p>

<p>AMCは一言でいうと、音楽専門図書館のようなところ。とはいえ、ここが普通の図書館や、日本の音楽研究の資料室などとひと味違うところは、資料の収集や利用者への貸し出しを行うだけでなく、楽譜出版から録音、販売、作曲家の自筆譜保存、研究者・教育者支援までを手がけていること。そして何よりそこはかとなく漂うそのパッション。ただ単に「音楽資料持ってるよ、使えば？」というのではなくて、「私たちがオーストラリア音楽文化をまとめてるんです！！」的な熱意が静かに立ち込めているんです。すごいです、本気です、AMC。</p>

<p>その一端は、AMCのホームページを見ていただいてもわかると思います。<a href="http://www.amcoz.com.au/">ここ</a>をクリックしてみてください。左上、「COMPOSERS」(作曲家)というところをクリックすると、およそ460名のオーストラリア人作曲家のリストが現れ、そこから各人の詳細情報（「Biography 経歴」からAMC所蔵の文献・スコア・音源情報までが一気にたどることができるようになっています。実はこの「Biography」に載っている情報については、AMCにご協力いただいて、翻訳版を<a href="http://www.piano.or.jp/enc/index.html">ピティナピアノ曲事典</a>に反映させる作業を進めています。「ざっくり音楽史」で触れた作曲家らの情報を日本語でもご参照いただくことが出来ます。<br>
<img src="/report/04ess/au/images/004_04.jpg" alt="AMC" class="right">
センターは、こうしたAU作曲家による12,500曲を越えるスコアを所蔵し、2,200タイトルを凌ぐ作品群を同センターレーベルVox Australisからリリースしています。利用者はこうした資料をセンター内で閲覧できる他、借りたり買ったりできます。何か質問があれば、専門の司書さんが電話・メール・直接窓口で親切に相談に乗ってくれます。一つ聞けば、五つ答えが返ってくるみたいな親切ぶり。これは演奏家や研究者にとって強い見方です。ただ、残念ながら、こうした徹底したサービスは、このセンターのメンバーにならなくてはなりません。会員種別は複数ありますが、一般個人は年会費70ドル（１AUドル＝105円、2007年現在）。私は学生なので40ドルでした。日本からでも会員になれますが、資料の貸し出しは出来ないと聞きました。会員にならなくても、ホームページにあるアドレスにメールか電話一本で、CDや楽譜を買えるそうです。これも日本からでもOK。</p>

<div class="t1">◆キャリガンの功績</div>

<table class="left" style="border-collapse:collapse;"><tr><td class="ct"><img src="/report/04ess/au/images/004_05.jpg" alt="Piano Works.jpg" width="200" height="150"><br>Australian Solo Piano Works<br><br>
<img src="/report/04ess/au/images/004_06.jpg" alt="CDs" width="200" height="150">
</td></tr></table>

<p>さて、AMCはオーストラリアのピアノ曲情報を入手するのに大変な貢献を果たしてくれます。
ここに一冊の本と4枚のCDがあります。本は「Australian Solo Piano Works」と題され、2006年末に第4版が刊行されたもの。ここには過去25年間に発表されたオーストラリア人作曲家286名による1199作品がカタログのように詳細なデータとともに紹介されています。<br>
<span style="font-size:90%">書誌情報：
Carrigan, Jeanell. Australian Solo Piano Works of the last twenty-five years; Fourth Edition. Sydney: Australian Music Centre. 2006.</span></p>

<p>4枚のCDには、いずれもこの本の中でも紹介されているオーストラリアのピアノ作品が計43曲収録されています。これらはいずれも、ここAMCにより出版されており、購入することもできますが、センターで閲覧・視聴が可能です。演奏のレパートリーを増やしたい人や先生たちがいつでも利用できるようになっています。<br>
この本の制作と演奏録音をおこなったのはオーストラリアで活躍するピアニスト・教育者、ジェネル・キャリガン(Dr. Jeanell Carrigan)さん。彼女はオーストラリアの数々の音楽大学や音楽機関でピアノを指導する中、ウーロンゴン大学での博士論文の研究でとりまとめたデータをもとに、このカタログを更新しています。作曲家の情報、各曲の難易度・演奏時間・出版情報・キャリガンさん自身によるコメントなどが詳細に付けられています（この内容も少しずつですが、<a href="/enc/index.html">ピティナ・ピアノ曲事典</a>に反映させています）。</p>

<div class="t1">◆楽しいピアノ作品たち</div>

<p>4枚のCD「それでも私はハーモニカが欲しい・・・But I Want the Harmonica...」(VAST023-2)「スピンSpin」(VAST029-2)「「ピアノ・ゲームPiano Games」(VAST026-2)「ハンマード Hammered」(VAST027-2)はいずれもおしゃれなジャケットで魅力的。内容は1970年以降のオーストラリア産ピアノ曲ばかりが集められ、これが実にバラエティーに富んだ仕上がりになっています。シリアスで難易度の高い無調の音楽から、サロン音楽のような気楽な音楽、音数の多いジャズのような響きをもつ作品、ケージのプリペアドピアノを引き継いだ作風のもの、映画音楽のようにロマンチックで、でもどこか侮れない不思議な雰囲気を漂わせるもの、そして聞いていて思わず笑みが溢れてしまう「ズバリ教育用！」的なかわいらしい小品・・・。まぁよくぞここまで、というくらい多様性に満ちた作品集です。<br>
一曲ずつ紹介したいくらいですが、ここでは私のお気に入りを二つだけ紹介してみたいと思います。</p>

<p><span style="color: rgb(0, 148, 180); font-size: 90%; font-weight: bold;">その１：ニゲル・セイビン作曲《もう一つの秋の様相》</span><br>
（詳しくは<a href="/enc/dictionary/composer/sabin/014715.html">ここ</a>）
オーストラリアといえば、南半球なので北半球の国々とは季節の移り変わりが真逆です。日本が冬のとき、こちらは夏。とはいえ、ユーカリなどの常緑樹に囲まれていて、ほぼ一年中景色が変わりません。また、冬と夏の気温さははっきりとありますが、春や秋の空気感というのはほとんど感じられることなく季節が変わってしまいます。セイビンは自分が作曲を学んだニューヨークの美しい秋に思いを馳せたのでしょうか。この曲をニューヨークの友人に宛てて書きました。静謐に、切なく。秋の空気のような音楽。</p>
<p>
<span style="color: rgb(0, 148, 180); font-size: 90%; font-weight: bold;">その２：アンドリュー・フォード作曲《8羽のオーストラリアの鳥、20世紀の音楽を発見》</span><br>
８つの小品からなります。これ、全体のタイトルもおかしいですけど、個々の曲のタイトルになると、もっとおかしい。</p>

<p style="padding-left: 50px;">
1. エミューがアルバン・ベルクを真似る<br>
2. オーストラリアヅルがバルトークのように振舞う<br>
3. コトドリがリゲティに恋をした<br>
4. オウムがアルヴォ・ペルトのために羽づくろい<br>
5. ワライカワセミがジョン・ケージを想う<br>
6. モモイロインコがぽかんとグラスを見つめる<br>
7. ツカツクリがスカルソープに降参<br>
8. ありふれたマイナがメシアンのものまね</p>

<table class="right" style="border-collapse:collapse;"><tbody><tr><td class="ct"><img src="/report/04ess/au/images/004_07.jpg" alt="鳥楽譜の絵" width="200" height="150"><br />鳥楽譜の絵</td></tr></tbody></table>
<p>
オーストラリアと言えば、実は鳥。カンガルーやコアラよりも、断然、鳥。彼らの存在感はものすごく、カラフルで大きな鳥たちがそこいら中にいて、ものすごく大きな鳴き声（というか雄叫び）を上げるので、朝なども叩き起こされる感じです。そんなオーストラリアの鳥たちが、20世紀の作曲家に恋したり、見つめたり。発想がすごい。<br>
内容はというと、それぞれの作品が、それぞれの作曲家「っぽい」音がするんです。正直、笑えます。あ、そうそうペルトってそんな感じ、グラスはやっぱり繰り返しですか、みたいな。20世紀作品が好きな方にとっては楽しいですよ。ところで、先のカタログでこの曲の解説を見てみると、なんでも「これらの作曲家の特徴的な音使いが見事に提示されており、現代音楽の音や技術に興味をもつ子供たちのための、優れた教材」ということになっています。あ、そうですか。笑っていてはいけないのでした。本気なのです。ええ、優れた教材なのです。</p>

<p>その他まだまだ素敵作品がありますが、また改めてご紹介できればと思っています。上記の本とCDはいずれもAMCに日本から注文して購入できます。</p>

<hr size="1" noshade>
<br />
<img src="/report/04ess/au/images/004_03.jpg" alt="AMC" class="left">
<p>Australian Music Centre　基本情報<br>
<a href="http://www.amcoz.com.au/">http://www.amcoz.com.au/</a><br>
所在地：Level 4, The Arts exchange  10 Hickson Road  THE ROCKS, Sydney, AUSTRALIA<br>
電話 +61 2 9247 4677<br>
一般向け開館時間：月曜&#65374;木曜、10時&#65374;17時</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第０３回　オーストラリアざっくり音楽史（３）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/au/2008/03/23_5199.html" />
    <id>tag:www.piano.or.jp,2008:/report/04ess/au//29.5199</id>

    <published>2008-03-22T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-30T03:58:33Z</updated>

    <summary> ざっくり音楽史の第三回は20世紀後半の流れを中心にまとめてみます。「オーストラ...</summary>
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        <category term="エッセイ・紀行" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/04ess/au/">
        <![CDATA[<style type="text/css"><!--
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<div class="txt">ざっくり音楽史の第三回は20世紀後半の流れを中心にまとめてみます。「オーストラリア的なもの」を求める作曲家たちの探求です。 </div>

<div class="t1">◆この大地を音楽で表したい！！</div>
<p>　ざっくり音楽史（2）でお伝えしたように、20世紀前半のオーストラリアの音楽シーンは、イギリスの影響からの強い保守性に縛られていました。たとえば<b>初のオーストラリア産交響曲</b>としてうたわれる作品も、とりたてて当時として斬新な響きがうかがえるものではありません。「<b>ブッシュ</b>　The Bush」と題されたこの作品、作曲者はロンドン生まれの<b>フリッツ・ハート</b>( Fritz Hart 1874-1949、1901年よりオーストラリアで活動)です。ハートは組曲「惑星」で有名なホルストと友達だった人で、「ブッシュ」はホルストからの影響もあってカラフルな音遣いが実現したのだとも評されています。ところでブッシュとは、オーストラリアでしか見ることの出来ない大自然の未開地をいいます。林とも森とも山道とも違う、オーストラリア独特の自然地帯です。オーストラリア人は頻繁にブッシュ・ウォーキングを楽しみます。斬新じゃないなんて書きましたが、曲自体は雄大な南大陸のランドスケープを彷彿とさせる美しい音楽です。<br>
　ハートの他にも、アルフレッド・ヒル Alfred Hill、ウィリアム・ジェームスWilliam James らといった作曲家たちが、オーストラリアに生息する鳥や動植物をテーマにして作曲をしていますが、いずれも英国的なセンスで書かれたもの。また当時は先住民族アボリジニの音楽が取り入れられることはほとんどありませんでした。</p>


<div class="t1">◆脱英の兆し</div>
<p>　一方、早くにイギリス音楽の影響から離れた作曲家として、オーストラリア生まれの二人の作曲家、<b>ジョン・アンティル</b>( John Antill 1904シドニー~1986シドニー) と<b>マーガレット・サザーランド</b>（Margaret Sutherland 1897アデレード~1984メルボルン）があげられます。アンティルは、21歳まで州の鉄道会社で製図工として働いていた人。その後シドニー音楽院へ入り、音楽の道に方向転換をはかって成功しました。彼はアボリジニの儀礼音楽を初めて本格的に取り入れ、1946年彼のバレエ作品《<b>カラバリ</b> Corroboree》を完成します。これは「最初で本物のオーストラリア音楽」と高く評価され、グーセンスが欧米で指揮をして紹介し一躍有名となりました。またその土俗的な響きから「<b>オーストラリアの『春の祭典』</b>」とも呼ばれました。またサザーランドも、これまでの英国民謡風なアレンジに頼らず、アボリジニの音楽を独自の語法で自作に取り入れた作曲家として注目されています。</p>


<div class="t1">◆「ヨーロッパってこんなことになってたの？！？！」</div>
<p>　さて、コンセルヴァトワールでの保守的な教育は依然として根強い一方、1950年代ころには蓄音機とLPレコードがオーストラリアで普及するようになります。若い作曲家たちは20世紀の半ばになって初めて（！）ヨーロッパからの最新の音楽（シェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキー、メシアン、ブレーズ、シュトックハウゼンなど）に出会うことになります。無調やセリエスムなどによる新しい響きには相当驚いたことでしょう・・・。V. プラッシュ（AU作曲家）によれば、「両大戦間、オーストラリアがヨーロッパの知的精鋭たちの後を引き継ぐことはなく、ストラヴィンスキー vs. シェーンベルクの議論などもおよそ私たちの前を通り過ぎていってしまった」とあります。この頃新しいヨーロッパの響きに出会ったのは、<b>リチャード・ミール</b>( Richard Meale、 シドニー生 1932&#65374;) 、<a href="/enc/dictionary/composer/schulthorpe/index.html"><b>ピーター・スカルソープ</b></a>(Peter Sculthorpe,  タスマニア生1929&#65374;)、<b>ニゲル・バタリー</b>(Nigel Butterly シドニー生 1935)、<a href="/enc/dictionary/composer/sitsky/index.html"><b>ラリー・スィッツキー</b></a>（Larry Sitsky 天津生 1934&#65374;）といった作曲家たち。彼らは1960年代から、ヨーロッパのアヴァン・ギャルドな語法を取り入れ、次世代の音楽創作へと目覚めていきます。<b>スィッツキー</b>はとくに、ピアノ音楽において大きな貢献を果たしています。セリエスム音楽にある緊張溢れる作品を生み出すばかりでなく、録音活動や著作を通し、オーストラリア人作曲家によるピアノ作品を体系的にまとめた大人物です。</p>


<div class="t1">◆脱欧から「オーストラリア的なもの」へ、アジアへの接近</div>
<p>　そうした中で、もう一段階、彼らは次なるハードルを強く意識します。それは何かと言えば、「<b>オーストラリア的であること Australian-ness</b>」。アンティルやサザーランドらによって意識された「脱英化」。その先にあるヨーロッパの語法を知った上で、さらに「脱欧化」をはかり、オーストラリア音楽として独立した「アイデンティティ」を獲得すること。次世代が目指したものは、実態こそ掴むことのできない「自分たちの声」でした。<br><br>
　ここで興味深いのは、作曲家たちがそうした「オーストラリア的なるもの」すなわちアイデンティティを求める上で、<b>アジア</b>を見出したということです。地球儀で見れば一目瞭然、オーストラリアはイギリスよりも、地理的にはずっとインドネシアやタイや中国、日本と近い国です。そして、アジアから多くの移民を受け入れている人種混合国家です。アジアへと歩み寄ることは「オーストラリア的なもの」を求めるための手段の一つなのです。アジアの音楽語法を取り入れることは、アボリジニや広大な砂漠といったご当地ランドスケープと同じくらい、彼らにとって有効な装置なんですね。<br>
　<b>スカルソープ</b>はいち早くアジアに目を向けた作曲家。バリの民謡を取り入れ（弦楽四重奏曲第８番）、また日本のエッセンスも使用し始めます。ピアノ曲では、日本の雪月花のイメージをモチーフにした《夜の小品集》（1971）（響きは、武満徹のピアノ作品と通ずるものがあるように感じます！）や、テープによるオスティナートを伴った《Koto Music I &amp; II》(1976)といった作品が顕著です。また、スカルソープらより一世代若い作曲家に<b>バリー・カニングハム</b>(Barry Conyngham シドニー生1944&#65374;)や<a href="http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/edwards/index.html"><b>ロス・エドワーズ</b></a>（Ross Edwards シドニー生1943&#65374;）がいますが、両者ともに作曲をスカルソープに師事しました。彼らもまた、アジア、とりわけ日本に強い関心をよせています。カニングハムは大阪万博のあった1970年に半年間だけ武満徹に師事していて、それがとても貴重な経験だったと認めています。その頃の作品《水・・・足跡・・・時間》(1970)は楽曲のタイトルからしてすでに武満の影響が明らかです。エドワーズのピアノ曲《5つの小さなピアノ曲集》(1976)は五音音階で構成されていて、あまりに「アジア的」な雰囲気をかもし出しています。</p>



<div class="t1">◆どこかの国と似たような・・・？</div>


<p>　ところで、こうしたオーストラリアの作曲家たちの動き、どこかの国の作曲家たちの動向と、似たものを感じませんか？そう、それは<b>日本の作曲家</b>たちです。<a href="/report/02soc/pmj/">連載「ピアノ曲MADE IN JAPAN」</a>でも紹介されていますが、明治以降、日本が西洋音楽を受容して以来、日本の作曲家たちを少なからず悩ませてきたのは、いかにして西洋音楽をもってして「自分たちの音楽」を作り出すか、という課題でした。しかしながら、実はこの問いに明らかな答えなど生まれることはありません。「こうだからオーストラリア！」「こうだから日本！」というのは、結局のところは実態なきもの。むしろ、「西」と「南」あるいは「東」の振幅運動の中で、作曲家たちは創作活動のレンジを広げてきたのだと思います。上述の<b>武満徹</b>などは、よく「西と東を融合した作曲家」と描写される一人ではありますが、私はむしろ、彼は「西」と「東」の「<b>間</b>」という一番ワケがわからず、しんどいところに留まり続けて創作に燃えた人だと感じています。彼とオーストラリア作曲家との交流は、そのような意味で興味深いものがあります。今後の研究が待たれるポイントのひとつでしょう。</p>



<p>オーストラリア音楽事情はまだまだ未開封のポイントだらけ。ここでは「ざっくり」したご紹介に留まっていますが、今後、彼らの作品が日本でもたくさん紹介されていくことを期待したいと思います。<br>
<br>
次回からは、実際にオーストラリアの音楽にアクセスする方法、音楽機関のご紹介をしていきたいと思います。お楽しみに。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>第０２回　オーストラリアざっくり音楽史（２）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.piano.or.jp/report/04ess/au/2008/03/22_5198.html" />
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    <published>2008-03-21T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-30T03:49:09Z</updated>

    <summary> 前回にひきつづき、連載第2回ではオーストラリアの音楽史をざっくりご紹介いたしま...</summary>
    <author>
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<div class="txt">前回にひきつづき、連載第2回ではオーストラリアの音楽史をざっくりご紹介いたします。いよいよ20世紀の到来です。 </div>



<div class="t1">◆国として独立！</div>
<p>オーストラリアが国家として誕生したのは1901年。イギリスの植民地ではなくなって、連邦制に基づく独立した国となります。それから約20年の間に、裁判所、銀行、電話、紙幣、そして空港など、国として必要なあらゆるインフラが急速に整えられていきます。</p>

<div class="t1">◆音楽インフラ整備</div>
<p>音楽についてはどうかというと、20世紀半ばまでには、メルボルン、アデレード、シドニーをはじめとする主要な都市に次々とコンセルヴァトワールが誕生しました。有名なシドニー音楽院は1914年に設立されます。また、オーストラリアでピアノを習っていれば必ず耳にすることになるのが、「グレード」という制度ですが、この制度を整える団体、Australian Music Educations Board 通称AMEBが誕生したのが1918年です*。一方、国内のオーケストラの誕生には、国営放送ABCが非常に大きな役割を果たしました。19世紀末から20世紀始めまでには、オーケストラはシドニーやメルボルンでちらほら誕生していましたが、あくまでアマチュアとプロの混合団体で、演奏の質は今ひとつでした。そんな中、1936年からABCが壮大なプロジェクトを開始しました。各州に一つずつプロオケを設置し、常勤演奏家を抱え、公開演奏会を主催し、その演奏のラジオ放送を行ったのです。世界にも例を見ないほどの一大オケネットワークの誕生です。これにより聴衆が育ち、著名な指揮者や演奏家がオーストラリアに来るようになりました**。</p>

<div style="margin-bottom:20px;">* AMEBはここオーストラリアのピアノ教育を考える上で欠かすことのできない存在ですので、これについては個別に取り上げようと思います。<br />
** ABCについても、あらためて個別記事で取り上げます。 </div>




<div class="t1">◆ときの音楽スター</div>
<p>20世紀前半、当時のオーストラリアの音楽家として名高い人物と言えば、パーシー・グレインジャー(1882&#65374;1961)やユージン・グーセンス(1893?1962)があげられるでしょう。</p>

<p>グレインジャーは作曲家かつピアニスト、発明されたばかりの蝋管で行ったヨーロッパの民謡収集や、またグリーグとの交流から彼のピアノ協奏曲を広めたことでも有名です。一方、北方人種主義や菜食主義、さらには母親との近すぎる関係が指摘されるなど、何かとユニークな人物像で知られています。昨今では日本でもＣＤや楽譜で彼の音楽が紹介されるようになりました。人気のあるピアノ作品《カントリー・ガーデン》はまさに田舎風の楽しく温かみのある作品です。彼は生まれこそメルボルンですが、13歳でオーストラリアを離れ渡欧、1918年には米国に帰化しています。なので、厳密には彼は「オーストラリアの作曲家」と呼べないのかもしれません。しかしオーストラリアとしては、グレインジャーは国の音楽史上手放したくない存在。オーストラリアの音楽辞典をひもとけば、彼が何年にオーストラリアに「帰郷」して親戚に会い、演奏活動をしたのか、どんな作品がオーストラリアへの「郷愁」が込められているか（具体的にはじんわりと歌い上げる作品《コロニアル・ソング》など）が声高に（？）指摘されているのが面白い点です。</p>

<p>グーセンスの名は指揮者としてご存知の方もいるでしょう。彼もまたイギリスで生まれ活躍していた音楽家なので、「オーストラリア人」ではありませんが、1946年に来豪後、シドニー音楽院での教育や、真白い貝殻のようなシドニー・オペラハウスの設立に尽力し、シドニー交響楽団主席指揮者としての立場からも、どっぷりとこの国の音楽文化向上に努めたその人です。作曲家としてはピアノ作品も数多く、こちらもＣＤの全集で聴くことができます。作風はロマン的ですが、《自然詩》のように同時代のラヴェルやドビュッシーからの影響が伺える作品もあります。 </p>

<div class="t1">◆異様なまでの保守的な流れ</div>
<p>20世紀前半は、国づくりと共に音楽的なインフラも急速に整う一方で、オーストラリアの全体的な音楽的潮流は、極端なまでに保守的な傾向にありました。これはコンセルヴァトワールで教鞭をとっていた先生たちがイギリスからやってきたオルガニスト＝コンポーザーであったパターンが多く、伝統的なイギリス音楽の強い影響下にあったからです。その保守的な流れは単なる趣向に留まらず、教授陣の糾弾にまで発展します。メディアが特定の先生を取り上げて、神秘主義的であるとか非正統的な教授法だとスキャンダラスに書き立てることもありました。実際に、なんと上述のグーセンスはその煽りで1956年にオーストラリアにいられなくなってしまいます！原因は、あるオカルト芸術家の女性との交流。ヨーロッパからの旅行帰り、彼はオーストラリアの空港で待ち受けていた警察により勾留されてしまいます。なんでも彼のカバンの中には怪しい写真や道具があったとか・・・。結果、グーセンスはシドニー音楽院やシドニー響の職を失い、イギリスに戻ることになります。しかしオーストラリアよ、それはないだろう？グーセンスはこちらの音楽文化を底上げしてくれた恩人なのに・・・。今日では、このグーセンスの事件について疑問視（でっちあげ？等）の声があがり、また当時の風潮を、「滑稽なまでに保守的な時代」として振り返られるに至っています。 </p>
<p>次回は20世紀の後半に光をあてましょう。「なぜか」知られざるオーストラリア人作曲家たちがぞくぞく登場します。</p>
<hr size="1" noshade>

<b>♪CDのご紹介</b><br>
グレインジャー作品⇒<a href="http://www.amazon.co.jp/Grainger-Works-Solo-Piano-Vol/dp/samples/B00022M48C/ref=dp_tracks_all_1/249-9864319-4645929?ie=UTF8&amp;qid=1192407568&amp;sr=1-31#disc_1">こちら</a>&#65374;Amazonへリンク。試聴可能！
<br>

グーセンス作品⇒<a href="http://shop.abc.net.au/browse/product.asp?productid=363730">こちら</a>&#65374;ABC（オーストラリア国営放送）のウェブサイトへ。
]]>
        
    </content>
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    <title>第０１回　オーストラリアざっくり音楽史（１）</title>
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    <published>2008-03-20T15:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-30T03:47:32Z</updated>

    <summary> 大陸は古く、国は新しいオーストラリア。20世紀には数々の優れた音楽家や作品を生...</summary>
    <author>
        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[<style type="text/css"><!--
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<div class="txt">大陸は古く、国は新しいオーストラリア。20世紀には数々の優れた音楽家や作品を生み出しているにも関わらず、そのほとんどが日本では紹介されていません。日本とオーストラリアは同じ環太平洋地域という枠組みにありながら、音楽的には遠い国と言えるでしょう。その「なぜ？」に光を当てるため、連載の第一回では、この国における「西洋音楽」の受容と発展の姿を展望してみたいと思います。 </div>


<div class="t1">◆はじまりはここから&#65374;植民・囚人・軍楽隊</div>
<p>ときは18世紀後半、ヨーロッパでは古典派音楽の真っ盛り、モーツァルトがピアノ協奏曲26番「戴冠式」を書いたその年に、南半球に広がる大陸「terra australis」（南の土地）は、イギリスからやってきた船団により植民地となりました。場所は現在のシドニー。1788年、最初の政府が誕生しました。<br />
ご存知の方も多いかと思いますが、この南の大陸は、最初はイギリスからの流刑の地でした。囚人と守備隊の生活ですから、最初の20年間はほぼこの地に「音楽」と言えるものはありませんでした*。<br />
19世紀に入るころには、海軍や囚人ではない移民たちによって、少しずつ楽器が入り込んできました。軍楽隊が組まれ、兵舎や船上で吹奏楽やダンス音楽などが奏でられるようになります。ところで、ここからおよそ50年後に、日本でも文明開化を向かえ西洋音楽が入り始めます。やはり始まりは、軍楽隊からでした。日豪における西洋音楽の広がりが、ともに「軍楽」から波及していることは興味深いことです。音楽がその発生の地から切り離されて輸出入されるとき、政治の力が大きいことが伺えます。 <br />
<a name="c1"></a><span style="font-size:10px;">*先住民族アボリジニの文化については別ですが、ここでは対象としていません。 </span>
</p>



<div class="t1">◆公開演奏の場</div>
<p>さて、時はすでに19世紀。まだオーストラリアはイギリスの植民地です。1814年にやっと呼び名が「オーストラリア」とされました。1826年には、シドニーのホテルで最初の公開コンサートが開かれます。奏者は軍楽隊メンバーや地域の音楽教師とその生徒によるアマチュア集団。これは当時の政治的トップの位置にあったラルフ・ダーリンという総督が、ずいぶんと音楽活動に力を注いだことによります。1825年にはジョン・エドワーズという人が初の音楽専門店をシドニーで開業し、ピアノ販売を始めました。この人はまたセント・ジェームス教会（27年にオルガン設置）で聖歌隊を結成したり、1833年には初の小さなオーケストラを結成するなど精力的な活動を見せた人物です。</p>

<div class="t1">◆最初の音楽家</div>
 

<img src="/report/04ess/au/images/v-wallace.gif" alt="ヴィンセント・ウォラス" width="81" height="107" class="right">


<p>では、オーストラリア初の音楽家と呼べる人物はいつ頃の、どんな人物だったのでしょうか。ヴィンセント・ウォラスという人物がその一人です。彼はアイルランドに生まれ、1835年、33歳のときにオーストラリアにやって来ました。ヴァイオリニストであり作曲家であった彼は「オーストラリア移住者初の音楽的逸材」とみなされ、「オーストラリアのパガニーニ」とまで呼ばれます。しかし、音楽専門店のビジネスに手を初めると、借金が苦しくなり、妻と息子を捨てて、オーストラリアを飛び出してしまいます。移住後、たった４年後のことです！ウォラスはその後欧米で音楽活動を続けていますが、最初の逸材をほんの4年で失ったオーストラリア・・・。なんだかちょっと寂しいですね。</p>

<img src="/report/04ess/au/images/i_nathan2.gif" alt="アイザック・ネイサン" width="170" class="left" height="210">

 
<p>しかし、ここにもう一人。このイギリス植民地時代に活躍した音楽家といえば、アイザック・ネイサンがいます。彼はイギリスでオペレッタや歌曲の作曲で活躍していましたが、パトロンを失うなどの理由で生活が苦しくなっていました。1841年、49歳のときに彼はオーストラリアへと渡りました。移住先のシドニーで、作曲、演奏、出版業で活躍し、オーストラリアで最初期のオペラ「オーストリアのドン・ジョン」（オーストラリアではないんです！）等を書いています。またネイサンは、先住民族アボリジニの音楽を始めて西洋音楽に取り入れる試みも行っています（とはいっても、これは非常にヨーロッパ音楽調に仕立てられたものではありますが）。1864年、71歳でその生涯を閉じるまでシドニーに定住し、音楽家として活動しました。<br />
生計が苦しくなって植民地オーストラリアを立ち去ったウォラス、本国イギリスでの生活苦から逃れて成功したネイサン。オーストラリア西洋音楽の幕開には、こうしたドラマティックな人生をおくった二人の音楽家が関わっていたのです。</p>


<div class="t1">◆怒涛のとき</div>
<p>19世紀後半はまさに、オーストラリアが一歩また一歩と着実に、かつ急速に発展していく時代です。メルボルン、アデレード、パースなどの主要都市が設立され、1851年にニュー・サウス・ウェールズで金が発見されると人口は激増し、89年の段階では300万人に到達します。こうした流れと共に音楽文化の基盤も作られていきます。蒸気船の出現により、ヨーロッパから著名な音楽家が演奏旅行でオーストラリアを訪れるようになります。また当時イギリスの音楽文化の主流であった合唱団が、オーストラリアの各都市でも次々と誕生しはじめました。<br />
次回連載では、独立国家オーストラリア連邦の誕生の20世紀、いよいよこの国の音楽シーンが花開く模様についてお伝えしたいと思います。</p>]]>
        
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