編曲と音楽、その歴史

14.転用・改作─その利点、意味(1)

2019/04/16
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編曲から見るパブリック・ニーズ

前回の記事で、編曲の出版状況から音楽大衆一般の音楽的好みが推測できるという可能性を示しました。同じように、編曲の出版を見ていると、その時代に人気のあった楽器や編成、もしくは人々の手に入りやすかった楽器も反映していると考えられます。

1830年までに出版されたベートーヴェン作品の編曲のうち、もっとも多いのは鍵盤楽器用の編曲です。注釈1ならんで鍵盤楽器とその他の楽器から成る室内楽編成のための編曲も目立ちます。後者のケースでは、「ヴァイオリンまたはフルート」のように、鍵盤楽器以外の楽器は演奏者が選択の自由を持つ編曲も珍しくありません。
また、オリジナルのジャンルや編成ごとの編曲版の数を見たとき、鍵盤楽器のための作品はオリジナル作品の数が他の編成と比べてかなり多いにも関わらず、その編曲版の数といえば、交響曲や室内アンサンブルのオリジナル曲ほど奮わない......という特徴があります。 (興味深いことに、鍵盤楽器のためのオリジナル作品には、歌唱声部と鍵盤楽器伴奏のための編曲版が目立ちます)
この事態は何を表しているでしょうか。
レコーディング・メディアがなかった当時、演奏を録音で聴くことはできません。編曲の役割の一部は、オリジナル作品の普及や、演奏会でオリジナルを聴いた人々が家庭やサロンなどにおいて、自分たちでもう一度楽しむためのものでした。編曲出版(制作)の場合はパブリック・ニーズが大きな制作動機であるのは間違いないでしょう。ということは、編曲がその役割を果たすには、職業音楽家だけではなく広く一般大衆も演奏できた方が良いわけです。そのためには編曲の演奏楽器は、一般大衆の多くが持っているもの、演奏できる楽器である必要があります。これはレコーディング・メディアに置き換えても同じですね。現在、過去の録音をLPレコードで発売しても、その再生できる機器を持っている人は少ないわけですから、大した売り上げは望めないでしょう。どちらかといえばCDやDVD、もっと簡単にはストリーミングなど、より多くの人が再生可能な媒体で発売されるに違いありません。
この観点から鍵盤音楽編曲版の多さ、そして鍵盤楽器のための作品の編曲版の少なさを見てみましょう。すると編曲版の数は、当時の大衆にとって最も馴染みのあった楽器、手の届きやすかった楽器が鍵盤楽器――当時ならピアノ――だったことを反映していると考えられます。 ピアノの普及・流行は、オリジナルでピアノ用に書かれた作品や出版の数を研究することで十分に分かる、という意見はあるでしょう。確かにそれは否定しません。しかしオリジナル作品の場合、作曲家の純粋な芸術的欲求も大きく関わってきます。パブリック・ニーズの他に、ただ自身の表現欲求のためにピアノを選ぶことも多いはずです。さらに出版業者は、ピアノ用の作品であるなしに関わらず、「その作曲家の作品」だから版権を買う確率も編曲より上がるでしょう。
それと比べると編曲は、上に述べたように、もっと大衆の需要によりそう形で制作が行われるのではないでしょうか。ですから、編曲出版は、オリジナル作品の研究から導き出された結論を支える強力なデータを提供してくれると期待できます。

注釈1:ほとんどがピアノ作品ですが、厳密にいえばチェンバロかピアノの選択となっている場合などピアノ以外のケースも考えなければならないため、総称の「鍵盤楽器のための」としておきます。

前回、そして今回と続けて、「編曲版から何が読み取れるか」、その可能性を論じてきました。編曲が書かれる理由、編曲を求める理由は様々ですし、当時の出版業界の複雑な状況もあります。またここではベートーヴェン作品の編曲のみを、年代を絞って見ています。ですからこの二回で示したことはあくまで可能性の一つです。
しかし、編曲版の出版状況から読み取れることをスタート地点として、背景状況や編曲の音楽内容を見ていけば、当時の人々の音楽との取り組み方がもっと鮮明に見えてくると希望が持てます。

それでは次回以降から、ピアノ編曲などを例に、具体的な編曲の中身にも触れていくことにしましょう。


丸山瑶子
慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史専攻後期博士課程入学後、ヴィーン大学に留学(博士論文分野音楽学)。2017年ヴィーン大学にてベートーヴェンの弦楽四重奏曲に関する研究により、博士号取得(哲学)。研究の関心領域は、ベートーヴェンを中心とする18世紀後半〜19世紀の音楽活動(主に現代では無名となった作曲家の様式研究)。これまでにオーストリア政府給費奨学金、ローム・ミュージックファンデーション奨学金、ヴィーン大学修了奨学金受給生。2018年4月より日本学術振興会特別研究員。慶応義塾大学ほか非常勤講師。
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