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    <title>楽器と音楽</title>
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    <updated>2009-10-19T03:02:29Z</updated>
    <subtitle>私達は生活の中で様々な道具を使う。それぞれの道具に各々の歴史がある。</subtitle>
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    <title>第１８回　庶民の楽器</title>
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    <published>2008-08-15T09:11:57Z</published>
    <updated>2009-10-19T03:02:29Z</updated>

    <summary> 【演奏】　演奏：武久 源造　♪  バッハ/ゴルトベルク変奏曲「アリア」を３つの...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　演奏：武久 源造　♪  バッハ/ゴルトベルク変奏曲「アリア」を３つの楽器で (MP3)<br />
　　　　　　　　　　<small><a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/bach_aria01svm.m3u">1.ジルバーマン・ピアノ</a>／<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/bach_aria02ctf.m3u">2.クリストフォリ・ピアノ</a>／<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/bach_aria03zmp.m3u">3.ツンペ・ピアノ</a></small>
<br /> <a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/mozart_zmp.m3u">ツンペ・ピアノによるモーツァルト</a>(MP3)
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>


<p>　ピアノとチェンバロの違いについては、様々に叙述することができるけれども、今真っ先に私の脳裏に浮かぶこと、...、それは、ピアノが演奏家本意の楽器である、ということだ。そのことを私は、ある小さな初期のピアノと付き合ってみて確信することができた。そのピアノとは、ツンペのスクェアー・ピアノ（１７６７年製）のレプリカである。まずは、このピアノについて、理解していただくために、少し詳細な説明を試みたい。幾分込み入った叙述になってしまうかも知れないが、どうかお許しのほどを。</p>

<p>　<a href="http://mvsica.sakura.ne.jp/eki/kubota/" target="_blank">久保田チェンバロ工房</a>によって、試験的に製作されたその楽器は、長さ１５０センチ、奥行き５０センチ、厚さが２０センチほどの長方形で、専用の台に乗せて演奏する。音域は５オクターヴ（Ff--F'''）。<br />
これには、エスケープメント（ハンマー離脱装置）もチェック（ハンマー止め）も着いていない。考えうる限り、最も単純なアクション（打弦機構）である（当時、シンプル・アクションと呼ばれた）。<br />
　鍵盤を押し下げると、梃子の原理で、反対側が上がる。その部分に取り付けられたジャック（突き上げ棒）がハンマー・レバーの根元を突き上げる。ハンマー・レバーは、鍵盤とは別の細長い台に、柔らかい羊皮紙を蝶番にして、演奏者側から楽器の奥に向かって取付けられていて、自由に動く状態にある。その先端に小さなハンマーが装着されている。ハンマーは梨の木で、軽くとがった形に整形されていて、やはり、羊皮紙が１枚貼り付けられている。弦はほぼ真横にびっしりと張られていて、１音につき２本ずつである。これをハンマーが的確に打つよう、細心に調整されているのである。ダンパーの方は、楽器の奥側から奏者に向かって取付けられていて、鍵盤に似た細長い木片の下部にフェルトが貼ってあって、それが弦を抑える。これは鯨骨のスプリングによって、上から圧力をかけられているが、真鍮の棒によって、鍵盤の先端と繋がっており、連動して動くようになっている。つまり、鍵盤を離すと、直ちに消音されるように工夫されているわけで、この上から抑える式の消音機構は、スクェアー・ピアノ独特の新発想であった。（後にはこれがグランド・ピアノにも採用される。）<br />
　さて、エスケープメントがない、と言っても、ハンマーが弦を打った後は、直ちに自由落下しないと、弦の振動を止めてしまう。そのために、鍵盤に取付けたジャックが、ねじ込み式になっている。つまり、長さを調整できるわけだ。これで、ジャックがちょうど、ハンマーが弦を打つ直前のところまで押し上げていくように調整する。鍵盤の下には分厚いフェルトが敷いてあり、鍵盤の動きの範囲（キー・ディップ）を決めている。それは、ほぼ５ミリほどで、モダン・ピアノに比べると、かなり浅い。一般的なクラヴィコードとほぼ同じ感触である。これらの調整によって、打弦の直前直後の僅かな間、ハンマーが自由行程となるわけで、これは「自然エスケープメント」と言いうる。<br />
　これらの「新機構」によって生まれたスクェアー・ピアノは、それまでにあったクラヴィコードによく似ているが、それよりは音量が豊かで、明瞭でもある。また、スクェアー・タイプの楽器と言えば、ヴァージナル、スピネット（エピネット）などが古くからあったわけだが、それらと違って、スクェアー・ピアノは、なんと言っても強弱を自由自在に変化させられる。そして、この楽器は、ジルバーマンやクリストフォリのグランド型に比べて、調律が遥かに長持ちする。（この点、良質なクラヴィコードと同じである。）これらは紛れもなく、この新楽器の長所である。しかし一方、まだまだ開発途上のこの楽器には、様々な欠点もあった。</p>

<p>　ところで、ご案内の通り、ツンペは、ドイツで最初にピアノを作ったジルバーマンの１番弟子であった。彼は、「７年戦争」の戦火を逃れて、兄弟弟子たちとともにロンドンに移り、１７６１年に自分の工房を開く。そして、早くも翌年にはスクェアー・ピアノを完成したのであった。<br />
この楽器は、その後多くの音楽家、愛好家の間に流行していった。モーツァルトは、１７６４年から翌年にかけてロンドンからハーグへと旅行し、クリスティアン・バッハにも教えを受けるが、そのときクリスティアンは既に、このスクェアー・ピアノを試しており、モーツァルトにも紹介したであろうことは、十分に想像できる。記録としては、１７６８年６月に、クリスティアンが開いたコンサートに、この楽器が使われたことが分かっている（だけなのではあるが）。<br />
　私は、この楽器を弾いてみて、モーツァルトが持っていた移動式クラヴィーアを直ちに思い出した。モーツァルトの持っていたスクェアー型の小型クラヴィーアは４台が現存しているが、それらは、殆どこのツンペ型と同じであった。そこから考えても、８歳のモーツァルトが、ロンドン旅行中にツンペ・ピアノに触れたに違いない、と想像できるのである。<br />
　しかし、モーツァルトは１７７７年にシュタイン製の新しいピアノに出会い、ピアノの「思いもよらなかった」豊かな可能性を知って、狂喜することになる。<br />
　そのときの感激を綴った父親への長い手紙が残っている。その中で、彼は、それまでのクラヴィーアが、「かたかた鳴ったり、音が出なかったり、不揃いだったりした」ことを列挙し、それがシュタインのエスケープメント装置によって格段に改良されていることを激賞しているのだが、まさにその「かたかた鳴る、不揃いである、そして、不注意に弾くと音が出ない」というのは、このツンペ・スクェアーの切実な問題点でもあるのだ。<br />
さらにもう一つ、重大な欠点を挙げなければならない。つまり、ツンペにはチェックがないために、ハンマーは落下した後も自由な状態にある。だから、フォルテで弾くと、しばしば２度打ちしてしまうのである。これは音楽的効果としては、かなりマイナスと言わねばならない。これを解決するには、１７８０年代に入って開発された、いわゆるダブル・アクションの登場を待たねばならない（今から考えると、ずいぶん、時間がかかったものだ）。</p>

<p>　しかし、そうは言っても、このツンペ・ピアノ、なかなか捨てたものではないのである。というのも、このピアノは、いろいろの部分が、比較的容易な作業によって微調整できるようになっていて、奏者の感覚や、手や指の具合に合わせて「お好みの」タッチに近づけることができるのである。つまり、弾く曲によって、高音部をクリアに出したいか、低音部を豊かに出したいか、キー・ストロークをどのくらい深くまで感じて弾きたいか、フォルティッシモとピアニッシモは、どの程度の落差をつけたいか、などなど、つまり、奏者にとって気になるコントロール内容が、楽器サイドでかなり繊細に調整可能なのである。<br />
　チェンバロやクラヴィコードでは、そうではない。チェンバロの場合、共鳴箱、弦、そして、それをはじくプレクトラム（爪）には、各々固有のキャパシティーがあり、それを変えたければ、例えば、異なるゲージ、異なる製法の弦に張り替えたり、爪に使う羽軸の種類を代えたりする必要がある。それによって、音の全体的な特性を変えることはできるが、しかしそれでも、奏者のコントロール範囲を自由に変えることはなかなか難しいのである。つまり、チェンバロには、それぞれの楽器に、また、楽器のパーツに、いわば理想の鳴り方、理想の生かし方というものが、かなり明確に「プログラム」されていて、むしろ、奏者の方がそれに合わせなければならないのである。いわば、奏者は楽器に仕え、楽器の一部となる。そのとき、奏者の「思い」を超えた音の世界を、楽器は奏で始める。それこそがまさにチェンバロの（オルガンも同様であるが）楽器としての魅力なのである。それは、「自然と人間の合一」にも似た悦びである。</p>

<p>　もちろん、こうした面、「楽器としての主張」はピアノにもある。しかし、ピアノでは、その最初期から、奏者のタッチが発音に直結していた。だから、「自分の音楽」をするためには、どうしても「自分のタッチ」に合わせて、楽器を調整する必要があったのである。</p>

<p>　このことは、先に触れたモーツァルトの手紙の後段で、彼が引用しているシュタインの言葉からも明らかである。「シュタインは（このすばらしい状態を生み出すために、クラヴィーアの前に座って、ありとあらゆるパッセージや走区や跳躍を試したり、ぶったたいたりして、ピアノがどんなことにも耐えられるようになるまで仕事を続けるのです。なにしろ彼は、ひたすら音楽に役立つために働いているので、自分自身の利益のためではありません。さもなければ、たちまち仕上げていたことでしょう。...」（ロヴァート・L.マーシャル編著、高橋英郎・内田文子訳「モーツァルトは語るーー僕の時代と音楽」　１９９４年、春秋社）<br />
　このシュタインの苦労は、今、私たちも追体験することができる。つまり、ピアノでは、調整に時間をかければかけるほど、「快いタッチ」が得られるのであり、それは、やりだすとどこまでも追求したくなるような「無限の可能性」を感じさせるとともに、「限りない忍耐」をも要求するのである。最もプリミティヴなツンペ・スクェアーであっても、現代ピアノであっても、その事情は同じである。<p>

<p>　さて、ツンペのスクェアー・ピアノについて、最後に、最も重要な点に触れなければならない。それは、音色である。これ以前のピアノ、すなわち、クリストフォリやジルバーマンは、ご案内の通り、基本的に「強弱を変えられるチェンバロ」であった。クリストフォリ・ピアノの音色は、少し離れて聴けば、本当にチェンバロと聴き違えるほどに、よく似ている。この楽器は、鍵盤楽器として魅力的であるのみならず、工芸品としても美しい。この点で、これはまさに「チェンバロの新種」である。これに比べるとジルバーマン・ピアノは、かなり無骨な重構造で、チェンバロと言うよりは、かなり、「ピアノ」のイメージに近づいている。音色も、鉄弦を叩いているために、クリストフォリの真鍮弦に比べてかなり太い音がする。それだけ、チェンバロから遠ざかっている、と言える。しかし、ジルバーマンはそれを「補う」ために、「チェンバロ・レジスター」と呼ばれる装置を着けて、チェンバロ的な音も出るように工夫した（参考⇒<a href="http://www.piano.or.jp/report/tkhs/080110.html">こちら</a>）。<br />
　ところが、ツンペ・スクェアーは、これはもう、どう聴いてもチェンバロの音ではない。少し離れて聴けば、かなり後のピアノと勘違いするほどだ。音色に関して、ピアノの歴史はここで、大きな一歩を踏み出したと言っていいだろう。<br />
そして、もうここには、視覚的装飾の要素はない。元々、家庭音楽のための普及型を意図して作られたせいもあろうが、しかし、チェンバロの時代には、そういう家庭用の楽器であっても、工芸品としての美しさへの配慮は、けっして忘れられなかった。ピアノは、合理性と節約を好む、新時代の「庶民」の楽器として、受け入れられていったのである。</p>

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    <title>第１７回　バッハをピアノで弾くのは、「変なこと」か「変じゃないこと」か？その１</title>
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    <published>2008-01-14T09:04:19Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:18:47Z</updated>

    <summary> 【演奏】　♪  バッハ無伴奏チェロ組曲第一番より 編曲：武久源造 (MP3) ...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　♪  バッハ無伴奏チェロ組曲第一番より 編曲：武久源造 (MP3)<br />
<small><a href="http://www.piano.or.jp/music/m3u/tkhs071228a.m3u">♪  プレリュード</a>：ジルバーマン・レプリカによる演奏／<a href="http://www.piano.or.jp/music/m3u/tkhs071228b.m3u">♪  クーラント</a>：ジルバーマン・レプリカ、チェンバロ・レジスター使用時</small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>


<p>　実は、分からないことだらけである。何が分からないかというと、今私のスタジオに置いてある楽器の正体である。それは、ジルバーマン・ピアノのレプリカであって、深町研太という、若い有望な製作家の仕事になるものである。そして、これはバッハが出会ったピアノとして、よく知られている。（現在、ベルリン・サンスーシーの博物館にある）<br />
　よく知られているのだが、いったいバッハがどの程度、どのように、この楽器と付き合ったか、それは実際のところ殆ど分からない。いくつかの断片的な事実が、噂話の類に属するような仕方で伝わっている。それに関する解釈も、今日の学者たちの間で意見の一致を見ていない。一致どころか、正反対の間で揺れ動いている。「バッハはピアノなどは、殆ど稀にしか弾かなかった」とするものから、「いやいや、チェンバロ協奏曲、平均率の2巻などは、もともと新鋭フォルテピアノのための曲だったかも知れない」とするものまで、その議論の幅は大きく広がっているが、なにしろ確たる根拠を立てることが難しいのである。だいたいが大作曲家の、それも重要な作品、重要な時代、重要なポイントについては、それが重要であればあるほど、肝心なことは靄に包まれるものだ、という印象を、私などは持ってしまうのだが。<br />
　しかし、まずは、この「分からない」をスタートにして、実際の楽器に当たってみよう。ジルバーマンは、クリストフォリのアクションを、殆どそのまま模倣している。ここから見ても、クリストフォリがいかにすばらしい発明家だったかということが分かる。少なくともアクションに関しては、この跡に続く百数十年のピアノの歴史を先取りしているのである。だから、ジルバーマンがこれをそのまま借用したのは、全く賢い選択であった。しかし、ジルバーマンは、楽器のボディに関しては、クリストフォリに従わなかった。つまり、遥かに重構造にし、弦も、クリストフォリが全て真鍮だったのに対して、低音部以外を鉄弦とした。これによって、打鍵された音は、驚くほどよく響く。そして、さらにジルバーマンはここに、チェンバロ・レジスターと呼ばれる装置を工夫したのである。これは、弦に触れるか触れないかのところに、柘植(つげ)の薄い板が降りてくる仕掛けで、弦が打たれるとこの板のふちにぶつかって、幾分ノイズを含んだ硬質の音となる。うまく調整してやると、これがまた、すばらしい効果を産むのである。<br />
　また、鍵盤をずらすことによって、ウナ・コルダとドゥエ・コルデの選択も可能であり、ダンパーを一斉にオフにする、いわゆるダンパー・ペダルに相当するレジスターもある。チェンバロ・レジスターを使わない、ウナ・コルダの弱奏は、あたかもハープのように柔かく、魅力的である。<br />
　つまり、この楽器では4種類の、非常にカラフルな音色を使い分けることができるのである。<br />
　さて、そのような楽器で、バッハの音楽がどのように弾けるのか、それを順々にご紹介していきたい。
</p>
<br />
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    <title>第１６回　スタッカートの意味をめぐって</title>
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    <published>2007-07-18T09:00:51Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:18:10Z</updated>

    <summary>　スタッカートについて、考えたい。 　ブラームスの親友であったことでも知られる名...</summary>
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        <![CDATA[<p>　スタッカートについて、考えたい。<br />
　ブラームスの親友であったことでも知られる名ヴァイオリニスト ヨーゼフ・ヨアヒム は、かつて、「われわれは雨のスタッカート、雪のスタッカート、雹のスタッカート を区別しなければならない」と述べた。この言葉は、特に、ピアノ音楽と楽器の関係 においても、極めて意味深い。</p>

<p>　チェンバロの時代、特にフランスでは、イネガル（不均等）な奏法が好まれた。これは、使う状況と、そのやり方が厳密に規定されていた。たとえば、４分の４拍子のアレグロの曲では、１６部音符の順次進行の楽区において、この方法が許される。実際 にどうするかというと、音符を二つずつのペアーにして、表を少し長く、裏を短くする。あるいは、単に重い軽いの差をつける。また、音符のペアーは、四つずつにして、どれかの音符に力点を置いてもいい。それをどのぐらい不均等にするかというのは、その曲、あるいは、部分の表現の強さによって変わる。激しい、濃厚な表現になるほど、より不均等さが増す、というわけだ。この方法は、フランスだけでなく、各国の音楽にそれぞれ、若干異なった在りようで、習慣的に使われていた。したがって、時に作曲家は、「ここでは不均等に弾かず、各音を均等に弾いてくれ」という指示を楽譜に書き込まなければならなかった。そういうときには、Marqueと書くか、それぞれの音符に点が付された。だから、このような場合の点は、短く切る、という意味ではなかった。しかし、均等さを強調するためには、それぞれの音を少しずつ切って弾くのがいい。モーツァルト時代の理論化デュルクも、「いわゆる普通の、何も特別なことのないところでは、音と音とに僅かな間をあけて弾きなさい」と述べている。
というわけで、これが徐々にスタッカートの意味に繋がっていくのである。</p>

<p>　その後、スタッカートを表すさまざまな記号が考案された。縦線や楔(クサビ)形の記 号である。これらの示す内容は、状況によってまったく異なる。普通の均等奏法より も目だって短く弾いてくれ、という意味で縦線が使われたり、フレーズの切れ目を表 すために点や楔形が用いられることもあった。感嘆符に相当するような、つまり、び っくりさせるような音に楔形がつけられたりもする。これらの目的を達するには、場 合によって、うんと短く弾いた方がいいときもあるし、逆に、かなり長めに弾いて、 それをばさっと切る、という弾き方がいいときもある。</p>

<p>　１７８７年４月、若きベートーヴェンが生地ボンからウィーンにやってきて、晩年のモーツァルトの演奏を聴いたことがあった。あわよくば弟子になろうと思っていたのかも知れない。しかし、ベートーヴェンは、モーツァルトの演奏に、何か肯けないものを感じた。「彼の速球演奏見事でしたが、音と音が途切れていて、レガートになっていませんでした」という意味のことを書き残している。<br />
　このことを理解するのに、モーツァルトの愛用したピアノと、ベートーヴェンのそれを比較してみるといいかも知れない。ベートーヴェンが後に使ったブロードウッドなどが典型的だが、ダンパーが意図的に小さく設計されていて、音を切ろうとしても余韻が残ってしまう。この点、モーツァルトが使ったワルター・ピアノでは、ダンパーは十分に大きく、鍵盤を上げると、音は完全に切れる。モーツァルトはピアノのこの機能を愛していた。「鍵盤を上げても音が残ってしまう、というようなことが、このシュタイン・ピアノではまったくないのです」と、ワルター・ピアノに出会う数年前、１７７７年に書いている。</p>

<p>　しかし、われわれはこのことから早急に、モーツァルトはスタッカートを好み、ベートーヴェンはレガートを好んだ、などと短絡してはなるまい。確かに、楽器というものは、音楽家の要求で変わってくるものであるから、ベートーヴェンは、レガートの表現を望んだことは間違いない。モーツァルトの自筆譜を見ると、実に多くの縦線や楔形記号が、丹念に書き分けられていることに驚かされる。モーツァルトは確かに、千変万化のスタッカートを弾き分けたのに相違ない。ベートーヴェンは、ある意味でその間口を広げ、レガート方向にも可能性を見出した、ということだろう。結果として、ベートーヴェンの演奏はかなり大味なものになったかも知れないが、その分、シンフォニックなピアニズムが拡大した。<br />
　興味深いことに、これと同じ推移は、クララ・シューマンとブラームスの間にも起こった。ブラームスはしばしば、クララの娘たちのピアノ・レッスンをしていたが、その娘の一人が書き残しているところによれば、クララが軽いスタッカートで弾くところを、ブラームスはレガートで弾かせた、というのである。<br />
　ひとつの楽器が生まれ、育ち、いつしか滅びていく、その歴史を見ると、不思議な共通点があることが分かる。最初はその音は訥々としてすぐに減衰する。この段階で は、あたかも言葉を語っているような演奏が好まれる。その後、楽器は「改良」され、よりダイナミックで、音量も大きく、音も長く保持できるような楽器へと変貌する。<br />
　それにつれて、オーケストラや合唱を髣髴させるサウンドが求められるようになる。かつて、チェンバロもそのような軌跡を辿った。リュートからギターへの一連の変化も、これに似ていた。オルガンですら、最初、人力のフイゴを何十個も必要としてい たころには、音を安定持続させることが難しかった。<br />
　しかし、この変化は、決して１方向の改良ではなかった。得るものがあれば、失うものもある。ワルター・ピアノやブロードウッド・ピアノは、それぞれに、他では代えがたい美点を持っていた。それは、初期フレミッシュのチェンバロや、ルネッサンス・リュートの場合と同じである。</p>

<p>　雨のスタッカート、雪のスタッカート、雹のスタッカートを使い分けること、それ は、われわれがどのような楽器を弾いていても、常に配慮せねばならないことではな いだろうか。</p>
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    <title>第１５回　アントン・ワルターのピアノ</title>
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    <published>2007-05-11T08:50:11Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:17:24Z</updated>

    <summary> 【演奏】♪  ベートーヴェン：ソナタ作品27の2「月光」第1楽章　３つの楽器で...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/02soc/tkhs/">
        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】♪  ベートーヴェン：ソナタ作品27の2「月光」第1楽章　３つの楽器で弾き比べ (MP3)演奏：武久源造<br />
<small><a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/btvn27_2_1_1cb.m3u">チェンバロ（2m39s）</a>｜<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/btvn27_2_1_2wt.m3u">フォルテピアノ（アントン・ワルター・レプリカ）（4m46s）</a>｜<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/btvn27_2_1_3bw.m3u">ピアノ（シングルエスケープメントのブロードウッド）（6m01s）</a></small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>


<p>さて、今回はモーツァルトが晩年に愛したピアノ、アントン・ワルターのピアノについて触れます。</p>

<p>　ワルターピアノは現在3台残っていますが、いずれもかなり後期の物で、モーツァルトの最晩年、あるいは彼が亡くなってから作られたものです。　ワルターは、ピアノにいろいろと改良を加え、その結果彼のピアノは最終的に、膝レバーが二つ付いたものに落ち着きました。つまり、ダンパーを上げ下げするためのものとモデラートと呼ばれる弱音装置のオン・オフのためのもので、現代ピアノでは足ペダルで操作している物に似ていますが、これが膝の上げ下げで動くようになっていたのです。足ペダルに比べると幾分奏者の体の動きが制限されてしまいます。</p>

<p>　ところが、ワルターの初期のピアノでは、これがもっと不自由でした。モーツァルトが買い求めた頃のピアノも含めて、モデラート装置、そして、ある場合にはダンパー装置までもが、手動操作だったからです。つまり、演奏中にこれらの装置をオンオフすることは難しかったわけです。<br />
モデラート装置というのは、レバーを膝で押しあげると、ハンマーと弦の間にラシャなどの薄い布が挟みこまれるように工夫された物です。巧みに作られたモデラート装置を使うと、ハープに似たとても美しい音を出せます。それは単なる弱音のためのものではなく、独特の音色を生み出す機構でした。例えば、ベートーヴェンの若い頃はこの種のピアノに親しんでいたと思われますが、「月光」のニックネームで知られたソナタ（作品27の2）の第1楽章などで、このモデラートの真価を発揮させることができます。</p>

<p>ワルターピアノは、典型的な跳ね返り式のウィーン・アクションを持ち、ハンマーには洋ナシの木でてきた芯に鹿革が2あるいは3枚重ねて貼ってあります。指で鍵盤を押すと、アクションの機構によって、指の速さの4倍ほどの速さでハンマーが弦に向かって飛び上がります。このアクションは、指の力を弦に伝えるという点で極めて優れており、かなりの大音量から際弱音までを自在に弾き分けることができます。また、タッチは驚くほど軽快で、急速なパッセージでも楽に軽やかにひけるのです。</p>

<p>（続く）</p>


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    <title>第１４回　モーツァルトのピアノ</title>
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    <published>2007-02-16T08:47:29Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:17:04Z</updated>

    <summary>　今回からモーツァルトのピアノについてコメントしてみましょう。 　モーツァルトが...</summary>
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        <![CDATA[<p>　今回からモーツァルトのピアノについてコメントしてみましょう。</p>

<p>　モーツァルトが自分自身のピアノを手に入れたのは、意外にも遅く、1782年から翌年にかけて、或いはそれよりも後のこととされています。<br />
　既にウィーン時代、彼の晩年と言ってもいい時期です。この頃の彼の鍵盤曲には、クレッシェンドやスフォルツァンドが多用されていて、チェンバロでは表現困難、或いは不可能な内容を持っています。ですから、当然、もっと前から彼はピアノを持って、その可能性を組み尽くしていたのでは、と思いたくなります。<br />
　実際彼は、1765年にロンドンでクリスティアン・バッハの教えを受け、ピアノを知った時以来、ピアノの発展の歩みを常にチェックしていました。ウィーンのピアノ製作の草分けであるシュタインとの交友は有名です。シュタイン・ピアノを激賞した手紙が残っています。また、モーツァルトの3台のピアノとオーケストラのためのコンチェルトは、シュタイン自身（第3ピアノ）、モーツァルト（第2ピアノ）シュタインの娘（第1ピアノ）というメンバーで何度か演奏されてもいます。（1778年マンハイムなど）</p>

<p>　現存のシュタイン・ピアノを見ると、楽器のテール部分（鍵盤の反対側）が円くなっていて、ツェルなどのジャーマン・チェンバロと似た形をしています。ハンマーも幾分華奢で、鍵盤のストロークも浅く、音色もチェンバロ寄りだと言えます。音量こそ出ないものの、まろやかで軽快なタッチのすばらしい楽器です。これをモーツァルトが気に入ったのも当然でしょう。モーツァルトのKV300代のピアノ・ソナタを弾くには適しています。<br />
　しかし、このことを考えるとき、シュタイン以前のピアノ（例えばシュペートのピアノなど）が余りにも未完成で、モーツァルトにとって、とても満足の行く物でなかったことを念頭に置いておく必要があるでしょう。シュタインは、新しいエスケープメントの機構を開発し、ハンマーの2度打ちを防止するためのバック・チェックと呼ばれる装置も編み出し、それまでのピアノと比べれば、信じがたいほどのクオリティー、強弱の可能性、軽やかさ、歌うような音の伸びなどを実現しました。しかし、シュタイン・ピアノは、管楽器を含む、当時の大オーケストラを向こうに回してのピアノ・コンチェルトには不向きでした。<br />
　実は、モーツァルトのピアノ・コンチェルトは、初期の物はチェンバロで弾かれた、チェンバロ・コンチェルトであり、10番代の曲はシュタイン・ピアノのような、比較的音量の弱い楽器で弾かれたものと思われます。演奏の場所も、普通、個人の邸宅など、小さなスペースのことが多く、オーケストラの編成も小さく、管楽器は省略可能と指示された物もいくつかあります。<br />
　それが、いよいよウィーン時代となると、さらに要求が高まってきます。大きな会場、大オーケストラを背景に演奏されるコンチェルトに、モーツァルトはチャレンジします。そのためには、さらに音量があって、重量感と鋭いアクセントが出せて、強弱の幅も広いピアノが必要でした。<br />
　それが、アントン・ヴァルターの楽器でした。</p>

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    <title>第１３回　幻のガイゲンヴェルク</title>
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    <published>2007-01-05T08:43:44Z</published>
    <updated>2011-09-28T03:40:23Z</updated>

    <summary> 【演奏】　♪  モーツァルト　アレグロ KV3 (MP3)　演奏：武久 源造 ...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/mzrt3_ggv.m3u">♪  モーツァルト　アレグロ KV3 (MP3)</a>　演奏：武久 源造</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>



<p>　このところ小生も、少しばかり忙しくなってきて、原稿の執筆をサボっておりました。期待してくださっていた方々には、真に申し訳なく思います。<br />
　さて、今年最初のお話しは、最も珍しく、ある意味最も奇妙な鍵盤楽器、ガイゲンヴェルクについてです。</p>

<div class="thumb tright"><div class="thumbinner">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="背面。白い円盤は弓を回転させるレバー" src="/report/images/tkhs070105a.jpg" width="196" height="157" class="mt-image-none" style="" /></span>
<div class="thumbcaption">
背面。白い円盤は弓を回転させるレバー</div></div></div>

<p>　この楽器の起源は意外に古いのです。かのレオナルド・ダビンチが発明したことになっており、ダビンチ自身によるスケッチも残ってはいるのですが、それは余りに不完全で、実際に、使える楽器であったかどうか分かりません。例によってダビンチの発明のことですから、空想に終わっただけのものだったかも知れません。でも、その発想はすばらしかった。つまり、鍵盤で弦楽器の音を出してやろうという物だったのです。<br />
　 元々、鍵盤楽器というものは、発音法から見て、独自の分野を持っているとは言えません。例えば、ピアノは打楽器の一種であり、ハンマー・ダルシマーやツィンバロンに鍵盤を付けた物という言い方ができます。チェンバロは、トルコのカーヌーンや中世ヨーロッパのプサルテリウムを鍵盤で弾けるようにした物、そして、オルガンは、笛やラッパを鍵盤仕掛けにした楽器に他なりません。となれば、当然、弓奏弦楽器を鍵盤で鳴らそうという考え方にも大いに必然性があるわけです。<br />
　とはいうものの、この楽器を成功裏に仕上げるのは、大変な困難を伴いました。ダビンチ以後も、この楽器にチャレンジする製作家は後を絶たず、17世紀の大理論家プレトーリウスも、有名な『シンタグマ・ムジクム（音楽大全）』の中で、この楽器について解説しています。それらの資料を読むと、かなり成功した例もあったらしく、オーケストラの豪快さと消え入るようなピアニッシモを可能にするような、優れた楽器も作られたようです。しかし、その殆どは失われてしまいました。また、そういう楽器がいつでも手に入るようにするために、量産できるノウハウを創ることは、結局誰にもできなかったのです。<br />
　にも関わらず、この楽器は、鍵盤奏者の夢の一つとして存在し続けました。バッ ハの次男エマーヌエルも、「ガイゲンヴェルクこそは、最高の鍵盤楽器である」と いう意味のことを言っていますし、彼にそう言わせるだけの名器が、当時存在したことは確かのようです。 19世紀になって、ピアノの時代になっても、この夢は消え去りませんでした。回転 する弓を備え、擦弦音も出せるようにしたピアノが、何台も作られ、その一つ、20 世紀初頭の楽器がウィーンの博物館に保存されています。</p>

<div class="thumb tright"><div class="thumbinner">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="演奏風景。レバー製作者の小渕さん" src="/report/images/tkhs070105b.jpg" width="196" height="157" class="mt-image-none" style="" /></span>
<div class="thumbcaption">
演奏風景。レバー製作者の小渕さん
</div></div></div>

<p>　 原理は、だいたい以下の様です。何らかの動力（多くの場合、奏者自身の足踏み）で、一つまたは数個のドラムを回転させます。そのドラムの周りにはヴァイオリンと同じような馬の毛や皮革が貼られ松脂を塗布します。鍵盤を押すと、それぞれの弦が弓に接触するようになっているわけです。</p>



<p>　この楽器に現在なお挑戦している製作家が、世界に二人います。その内の1人が、私の友人小渕晶男さんです。今回は彼の楽器の音をご紹介しましょう。これは、彼の4号器で、弓を回転させるためには、もう1人の人が、手でハンドルを回す仕掛けになっています。</p>

<br />
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    </content>
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    <title>第１２回　チェンバロからピアノへ３</title>
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    <published>2006-10-12T08:40:20Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:16:16Z</updated>

    <summary> 【演奏】　♪  モーツァルト　ピアノ・ソナタ　イ短調　第2楽章 (MP3)　演...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.piano.or.jp/report/02soc/tkhs/">
        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/mzrt310d_2.m3u">♪  モーツァルト　ピアノ・ソナタ　イ短調　第2楽章 (MP3)</a>　演奏：武久 源造<br />
<small>※鍵盤音楽の領域vol.6　ALCD-1028より／音盤情報は<a href="http://www.kojimarokuon.com/kogaku.html" target="_blank">こちら</a></small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>



<p>　18世紀に用いられた鍵盤楽器の比較を試みてきました。まずは代表的な三つ、つまり、チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノのそれぞれを、管理のし易さ、使い易さ、そして演奏の可能性という三つの観点から見てきたわけです。今日はその3回目、フォルテピアノを取り上げましょう。</p>

<p>　既にご紹介しましたように、フォルテピアノは、18世紀になったばかりの頃、クリストフォリによって発明されました。イタリアはフィレンツェでのことです。クリストフォリとその弟子達は、かなり多くのフォルテピアノを試作したようですが、その後の発展の中心地は、イタリアから北方へ、即ちドレスデンやシュトラスブール、そして、ロンドンへと移り、さらに、続く19世紀にかけてはウィーン、パリが ピアノ製造の重要拠点となっていきます。</p>

<p>　 この中で、モーツァルトの活躍したのは、ちょうどロンドンとウィーンがしのぎを 削っていた時期に当ります。豊かな経済力を誇っていたイギリスのことです。自前 の有力作曲家こそ少なかったものの、ロンドンはヨーロッパ各国からスター・ミュージシャンを集めていました。また、産業革命の結果、新しい楽器の開発に必要なハイテクもそろっていました。上流階級の市民には、新しい楽器を自分の家庭で楽しもうとする旺盛な資力と好奇心がありました。ツンペ、カークマン、ブロードウッドら初期のピアノ・メーカーはまず、1760年代に家庭用のスクウェア・ピアノで成 功をおさめ、1770年代後半になって、いよいよグランド型のピアノの試作に取り組んでいます。1777年頃には突き上げ式と呼ばれるグランドピアノ用のアクション、いわゆるロンドン・アクションが完成していたようです。このアイディアそのものは、既にクリストフォリ・ピアノで実現していましたが、クリストフォリやジルバーマンのピアノは、まだ殆どチェンバロに近いたたずまいの楽器でした。ところが、ブロードウッド等のグランドは、ハンマーに木の芯があり、弦の張力も増し、打弦点も改良されていました。</p>

<p>　さらに、これと同じ頃、ウィーンでは、シュタインが、ロンドンとは異なる方式を完成させていました。跳ね返り式と呼ばれるアクション、つまり、ウィーン・アクションです。ロンドン・アクションとウィーン・アクションという二つの方式は その後100年のピアノの歴史を旋回させる二つの極となっていきます。また、ウィーンにはモーツァルト、ハイドンを始め、優れた作曲家が集まり、彼らがそれぞれ好みのピアノを宣伝することで、楽器メーカーの切磋琢磨にさらに拍車がかかったわ けです。ロンドンのピアノ界を代表していたクレメンティをも含め、ピアノ・メー カーの生産競争、発明競争は、そのまま、音楽家達の勢力争いとも繋がっていった のです。</p>

<p>　さて、1780年代にモーツァルト等が弾いていたヴァルターのピアノを例にとって、チェンバロ、クラヴィコードとの比較を試みましょう。この種のピアノの管理はけっして簡単とは言えません。この頃のピアノでは、一点イ音より上は1音につき3本ずつの弦が張られていますが、それを調律して合わせるのは一苦労です。その上、調律は長持ちせず、特にフォルテで弾き続けているとすぐに狂ってきます。また、素早い連打をしたり、微妙なニュアンスを出したり、十分なフォルテを可能にするためには、エスケープメントその他、アクションの調整にかなり気を配っている必要 があります。20年近くこの楽器と付き合ってきた私としては、この点に関して、65 点以上は付けられないような気がします。</p>

<p>　これとは反対に、操作性に関しては、かなり高い点をあげられます。ウィーン・ アクションのピアノは特に、タッチが大変軽快です。管理さえ行き届いていれば、そして、訓練を積めば、極僅かなエネルギーで、殆どあらゆるパッセージを弾きこなせる上、強弱の変化も、驚くほど幅広く、微小な段階をも弾き分けられます。ダンパー・ペダルやモデラート・ペダルと呼ばれる弱音装置も、初期の物では手動式でしたが、後に膝レバーによって、より簡単に操作できるようになりました。というわけで、操作性に関しては90点を付けても良いと考えます。</p>

<p>　最後に、この楽器の可能性についてですが、これがなかなか微妙です。この楽器は確かに、家の中で独奏をして良し、歌の伴奏をして良し、また、室内楽では最良の力を発揮し、モーツァルト時代のオーケストラとならば協奏曲だって快適に弾ける、という点では正にオール・マイティーと言えます。しかし、この楽器の音色は、 チェンバロに比べて、かなり乾いた感じで、遠くへ音を飛ばしたり、朗々と歌ったりすることは不得手です。また、強弱が自由に出せるとは言え、エスケープメントが一つしか無いために、微妙な陰影を出すことにおいても、クラヴィコードに一歩譲るところがあります。そして1780年代、フォルテピアノは、やはりまだまだ入手困難な高価な楽器でした。前回にも引用したテュルクも、その鍵盤教本の中で、鍵盤を学ぼうとする者はまずクラヴィコードを購入すべきだという意味のことを語っています。その理由として、クラヴィコードが、しなやかなタッチを身に付けるのに最良の楽器だということと共に、それが比較的安価である、ということを挙げて います。 さて、この頃のフォルテピアノが有する可能性についての私の採点ですが、ああでもないこうでもないと考えた結果、85点という煮え切らない結果になってしまいました。 </p>

<br />

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    </content>
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    <title>第１１回　チェンバロからピアノへ２</title>
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    <published>2006-09-13T08:35:34Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:15:42Z</updated>

    <summary> 【演奏】　 ♪  スヴェーリンク　「涙のパヴァーヌ」 (MP3)　演奏：武久 ...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　
<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/swlnk_pvn.m3u">♪  スヴェーリンク　「涙のパヴァーヌ」 (MP3)</a>　演奏：武久 源造<br />
<small>※※2006/8/1　東音ホール（東京・巣鴨）におけるライブ録音<br />
※録音機材と環境の都合により、雑音が多くなっています。あらかじめご了解下さい。</small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>

<p>　18世紀というのは、ヨーロッパ音楽が、内容、形式共に、かつてないほどに劇的に変わった時代でした。特に、その前半にはヴァイオリンの名器が数多く産み出されました。ヴァイオリン音楽は、17世紀から18世紀への変わり目あたりに、最初の開花期を迎えます。音楽家はみな、ヴァイオリンが弾ける、というのが、この頃の最低条件だったのです。バッハもヘンデルもモーツァルトも、ヴァイオリンやヴィオラの名手でした。正にヴァイオリンの時代だったと言えます。しかし、18世紀の後半になるとそのピークは過ぎ、楽器の花形は鍵盤楽器、特にピアノに移っていくわけです。上にあげたバッハ、ヘンデル、モーツァルト等は、いずれも、最初はヴァイオリニストとして出発し、ついで鍵盤の名手として持て囃され、最後は有力な作曲家として、声楽を含む大曲の創作に没頭するという人生をおくりました。図式的に見ると、この3人はよく似ていますが、この時代の音楽家は、多かれ少なかれ、だいたいこれと同じような人生コースを考えていたと思われます。</p>

<p>　18世紀にヴァイオリンを押しのけるようにして浮上してきた鍵盤楽器ですが、活気はあったものの、特に最初は浮き沈みが激しかったようです。まずは、新しい鍵盤楽器の発明ラッシュが起こりました。例えば、ダニエル・ゴットロープ・テュルクの鍵盤教本には、1780年代に鍵盤奏者が知らねばならなかった様様な問題が包括されていますが、その序文で、彼は、当時の鍵盤楽器をカタログ風に並べて紹介しています。それを見ると、まずその種類の豊富さに驚かされます。</p>

<p>　さて、今日は前回に引き続き、この時代の鍵盤楽器の比較を続けましょう。　クラヴィコードは、チェンバロよりも古い歴史を持つ楽器ですが、ドイツ以外の国では17世紀前半までに廃れてしまいました。ところが、ドイツ・オーストリア、そして、北欧諸国、およびポーランドなどでは、この楽器の人気は絶大であり続け、ベートーヴェンやショパンさえも、この楽器を愛しました。</p>

<p>　前回示した基準からこの楽器を見てみましょう。クラヴィコードは、倍音成分が少なく、したがって調律の狂いがあまり気になりません。一本の弦を数個の鍵盤で共有するタイプのクラヴィコードの場合、調律は簡単、かつ、短時間ですみます。タンジェントという、ドライバーの先のような物で、張力の弱い真鋳弦を押し上げて発音するため、弾いた後、さらに鍵盤に力を加えることで、音程を上げることができます。調律が狂って僅かに音が下がっていたとしても、この方法で補正しながら弾く事もできるわけです。そのうえ、いったん調律するとかなり長持ちします。その他の点でも、楽器を維持するのにそれほど手間はかかりません。前回挙げた基準の１に関しては、だから、80点を付けて良いでしょう。</p>

<p>　次に、クラヴィコードは、長方形で比較的小型の楽器です。どんなに大きくても、長さ170ｃｍ、幅60ｃｍは超えません。持ち運びの簡単な旅行用のクラヴィコードという物も、当時数多く作られました。勿論、ペダルなどの付属物も無く、殆どの場合、ストップ操作も不要なので、操作性、使いやすさに関しては、95点を付けても差し支えないと思います。</p>

<p>　問題は、基準の３、つまり、可能性についてです。クラヴィコードは、あらゆる鍵盤楽器の中で最も繊細な楽器です。微妙なタッチの差がこれだけはっきりと音に現れる楽器は、全ての楽器を通して見ても稀です。特に、いったん出した音に変化を付けられる、つまり、音程を変えたりビブラートを付けたりできるという点で極めてユニークです。18世紀ドイツの音楽教師達は、まずこのクラヴィコードでの練習を強く勧めたものでしたが、それはまず、豊かなタッチの感覚を身に付けさせるためでした。</p>

<p>　強弱の変化も自由自在で、特に弱音の世界は殆ど無限に広がっている感じです。しかし、残念ながら、フォルテには限界があります。大型のクラヴィコードで思いっきりフォルテを出しても、現代ピアノのメゾフォルテぐらいの音量しか出せません。タッチも独特なので、慣れるまでは、自由に弾きこなすところまで行くのはなかなか大変です。これらのことを総合すると、基準３に関しては、75点、というところでしょうか。 </p>

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    <title>第１０回　チェンバロからピアノへ１</title>
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    <published>2006-08-10T08:15:38Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:15:24Z</updated>

    <summary> 【演奏】　 ♪  G・ガブリエリ　カンツォーン　「陽気な女」 (MP3)　演奏...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　
<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/gbrr_czn.m3u">♪  G・ガブリエリ　カンツォーン　「陽気な女」 (MP3)</a>　演奏：武久 源造<br />
<small>※ 2006/8/1　東音ホール（東京・巣鴨）におけるライブ録音<br />
※ 録音機材と環境の都合により、雑音が多くなっています。あらかじめご了解下さい。</small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>

<p>　これから徐々に、鍵盤楽器の歴史を辿りつつ、時代を少しずつ進めてまいりましょう。<br />
　先日ご紹介したクリストフォリ・ピアノから50年余、ピアノ製作の歴史は一進一退を繰り返していました。そして、一般的にはまだ、チェンバロやクラヴィコードが鍵盤楽器の首座に座っていたのです。<br />
　ところで、誰でも、道具を評価するときには、主に次の三つの観点から考えるのではないでしょうか。</p>

<p>　1．　耐久性、或いは、保守調整がどのぐらい簡単に行えるか。<br />
　2．　操作性、つまり、使いやすいかどうか。<br />
　3．　可能性、つまり、それを使ってどんなことができるのか。</p>


<p>　ここで、この三つを基準に、それぞれの鍵盤楽器を比較してみましょう。（私としては、できるだけ公正な立場を取るつもりではありますが、どうしても、個人的な偏見が混じってしまうかも知れません。その点、お許しください。）</p>

<p>　さて、チェンバロの音には、倍音成分が多く含まれるので、僅かな調律の狂いが気になります。また、大きなチェンバロではそれだけ弦も長くなりますが、張力は低いので、環境変化の影響を受けるなどして、ピッチが動きやすいのです。つまり、割に細目な調律を常に必要とします。弾くための爪も、本当の鳥の羽を使った場合、少なくとも半年に一度は新しい物に取り替えねばなりません。また、演奏の場所の響きや共演する楽器に合わせて、爪を変えることもあります。バッハは一日に5本から10本の爪を取り替えねばならなかった、と言われています。（現在殆どのチェンバロでは、デルリンと呼ばれる合成樹脂が代用されています。これだと、より長持ちはしますが、音質とタッチに問題があります。また、デルリンの爪は、折れるときには根元から一気に折れてしまいます。これが本番中に起こるとかなり悲惨です。<br />
この点、本当の鳥の羽は、折れる時にも徐々にひびが入って行くので、まさかの場合にもこちらに対応するゆとりがあるわけです。）というわけで、1．に関して、チェンバロという楽器は扱いやすいか、となると、かなり厳しい。まあ、60点ぐらいでしょうか。</p>

<p>　2．についてはどうか。チェンバロは比較的軽い楽器です。普通に使われている物では、どんなに重くても80キロは超えず、小型の軽い物では、20キロほどの楽器もあります。普通は、ペダルなどの付随装置も無く、傾けても横倒しにしても、それで壊れるということはありません。これならどこえでも持っていくことができます。ストップの操作も簡単で、誰でもすぐに憶えられます。基本的なテクニックさえマスターすれば、何時間弾いても、基本的に楽器は傷みません。とまあ、こういうわけで、使いやすさに関しては、90点以上を付けてもいいと思います。</p>

<p>　3．に関しては評価が分かれるかも知れません。チェンバロの表現力は豊かで、バランスも大変良く、だからこそ、ヨーロッパ人は400年以上もこの楽器を愛し続けたのです。しかし、この楽器には恐るべき欠点があります。言うまでも無くそれは、細やかな強弱表現、クレッシェンドやディミニュエンドが難しいということです。 <br />
これを克服するために、様々な新工夫が成されました。その中から、クリストフォリ・ピアノも生まれてきた、ということについては、先日お伝えした通りです。というわけで、いろいろ悩んだ末に、私としては3．に関して、チェンバロには75点を与えたいと思います。（続く）</p>

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    <title>第０９回　装飾音について３</title>
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    <published>2006-07-28T04:22:57Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:15:04Z</updated>

    <summary> 【演奏】　 ♪  モーツァルト　「ピアノソナタ第８番　イ短調　第2楽章」 (M...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　
<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/mzrt310_2.m3u">♪  モーツァルト　「ピアノソナタ第８番　イ短調　第2楽章」 (MP3)</a>　演奏：武久 源造<br />
<small>※CD：「鍵盤音楽の領域vol.6」より （2000 ALM RECORDS：ALCD-1028） </small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>


<p>　今回は、和声的装飾音をご紹介する番です。これは特に鍵盤音楽で、大変重要な働きをする技法です。リュートやチェンバロ、ピアノやオルガンのように、多くの声部を弾き分けることのできる楽器では、和声の流れを自由にコントロールできることが大きな魅力ですね。例えば、不協和音でどれだけの衝撃を与えるか、それをどれだけの時間をかけて解決し、その緊張をいかに緩和するか、そのやり方は無数にあり、同じ曲でも、演奏の度に変えて楽しむことができます。ここで大きな力を発揮するのが前打音、特に長い前打音です。</p>

<p>　前打音というものには、それこそ無数の種類があります。非常に素早く、拍の頭にぶつけるような前打音によって、強いアクセントを付けることができます。従ってこれは、リズム的装飾音に属します。拍と拍の間に、さり気なく滑り込ませるように前打音を弾くと、それは旋律を滑らかにするように働きます。バロック時代の多くの前打音はこのタイプでした。モーツァルトやベートーヴェンもこれを好みましたが、特にシューベルトは歌曲においてこの種の前打音のすばらしい実例を書き残しています。前打音を記譜するには特別な記号を用いるか、或いは、小音譜で表すか、または、普通の音譜で書き下すかのいずれかです。記号や小音譜の場合は、その前打音をどのタイミングで弾き始めるか、つまり、拍より前に出すか、拍の頭にぶつけるか、拍と拍の間に割り込ませるか、そして、それをどのくらい伸ばすか、といったことは、奏者の判断に任されているのです。これは我々が演奏の自由を楽しめるすばら しい場の一つです。しかし残念ながら、ある種の規則を機械的に当てはめて解釈されることが非常に多いようです。</p>

<p>　さて、前打音を和声的に機能させるためには、それを拍の頭にぶつけて、なおかつ、長く伸ばす必要があります。例えば最上声部にこれがある場合、まず前打音によってバス声部との間で鋭い不協和音を作ります。それをある程度以上長く伸ばしてから、徐に協和音に解決させるわけです。これは、バッハが活躍した18世紀前半に流行し始めた、当時としては新しい手法でした。しかしバッハの音楽では、まだ短い前打音が主流だったと言っていいでしょう。（ただし、これについては、今日の研究者達の間でかなりの混乱が見られます。）これが、バッハの次男エマーヌエルの音楽となると、長い前打音への偏愛が顕著に認められます。エマーヌエル・バッハの名著『正しいピアノ奏法』では、「前打音は主音の音価の半分かそれ以上の長さを持たねばならない」という意味のことが書かれています。しかもその言い方は、 かなり硬直した命令調です。これは彼が、当時ベルリンに集まっていた新世代の音楽家達の頭目としての地位を意識した結果であろうと思われます。実際には、エマーヌエル自身の音楽ですら、いつも前打音を長くすればいいと言うものではありません。まして、この「規則」を父親の大バッハの音楽に適用するのには大きな無理があります。それどころか、モーツァルトの前打音ですら、短く解釈した方がいいケースが多いのです。モーツァルトは、前打音を長く弾いて欲しいところでは、誤解の無いように、より長めの小音譜で書いたり、普通の音譜で書き下したりしてくれています。ですから逆に言えば、普通の音譜で書かれていても、それが実は装飾音であることがしばしばなのです。特に和声的装飾音は、音楽の本体の一部として溶け込んでいることが多く、そういう場合、「付加物」として、これを切り離して見ることはできません。 （続く。）</p>

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    <title>第０８回　装飾音について２</title>
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    <published>2006-07-13T04:16:30Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:14:26Z</updated>

    <summary> 【演奏】　 ♪  クープラン　「恋するウグイス」 (MP3)　演奏：武久 源造...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　
<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/cprn_lrelamr.m3u">♪  クープラン　「恋するウグイス」 (MP3)</a>　演奏：武久 源造</a><br />
<small>※CD：「恋するウグイス」より（1993 AEOLIAN：AEO-513）</small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>

<p>　今日は、装飾音の働きについてのお話の第２回をお届けします。</p>

<p>　前回は、リズムを強調したり、より生き生きとさせるための装飾音をご紹介しました。今回のテーマは旋律的装飾音です。これも考えてみれば、あらゆる民族の民謡から芸術歌曲まで、ジャズから演歌まで、歌というものには必ずと言っていいほど登場する装飾技法です。</p>

<p>　私はかつてこんな経験をしました。あるとき、ヴァルターの音楽辞典の装飾音の所を読んでいました。ヴァルターはバッハの従兄弟で、作曲家、理論家として有名な人物です。さて、その中でたまたまアクサンと呼ばれる装飾音についての個所に目が止まりました。アクサンは、長く伸ばした音の最後を瞬間的に半音、または一音上げる、という装飾技法で、バロックの後期にはずいぶん流行ったようです。これは普通楽譜には指示されておらず、奏者が任意に付け加えて表情を豊かにするためのものでした。ヴァルターは、「情熱が高まった時、これを用いると良い」という意味のことを書いています。</p>

<p>　と、ここまで読んだところで、私は疲れて一休みすることにし、何気なくラジオのスイッチを入れたのでした。すると、聞こえてきたのはラジオ演歌教室といった風な一種の視聴者参加番組でした。局に電話をかけると、スタジオには先生がいて、電話口で歌ってレッスンしてもらう、という趣向の番組でした。聴くとも無く聴いていた私は、その演歌の先生の一言に飛び上がるほど驚かされたのです。彼いわく、「ここは情熱が高まっていますので、楽譜には書いてありませんが、音の最後を少ししゃくりあげると良いでしょう」</p>

<p>　なんと、300年前のドイツの音楽理論家が書いたのと寸分たがわず同じ技法を、全く同じ目的のために使え、と、現在日本の演歌の先生が教えておられるのです。これは私にとって、天恵ともいうべき大きな感動でした。300年の時間の隔たりがあっても、日本とヨーロッパという距離があっても、人間の根源的な音楽性は共通している部分がある。ひょっとしたらその部分はかなり大きな広がりがあるのではないか。いや、実は人類は皆、殆ど同じなのではないだろうか、とさえ思えてくるのです。勿論、この種のことは非常に注意深く考えねばなりません。演歌とバロック歌曲をいっしょにすることには大きな無理がある。それは言うまでもありません。ただ、装飾音というのは、我々の根源的な音楽の質、表現意欲の部分に深く根ざしていることは確かです。</p>

<p>　ところで、今例に挙げたアクサンという装飾音ですが、これは鍵盤楽器でやるのはなかなか難しいのです。ヴァイオリンや笛ならば効果的にやれます。つまり、音を出してからそれを膨らませてその最後を聴こえるか聴こえないぐらいのほんの一瞬、軽く上げてこそ巧くいくのです。音が減衰してしまうピアノやチェンバロ、強弱の変化がタッチによっては付けられないオルガンなどでは、やってみてもかなり興醒めなことになってしまいます。残念なことです。しかし一方、鍵盤楽器には鍵盤楽器のお得意の装飾技法があります。例えば、ターン付きトリル、スナップと呼ばれる短い前打音や素早いモルデント、音と音とを結ぶ流れるようなルーラードなどがそれです。フランソワ・クープランに代表されるフランス・ロココ時代の鍵盤曲、そして、エマーヌエル・バッハに代表されるドイツ疾風怒濤時代の鍵盤曲を見れば、すばらしいサンプルが無数にあります。ふんだんに貝殻を使って装飾を施したことで知られる、あのロココ(貝殻のという意味)工芸を思い出してください。人工的に創るのが困難なあの自然な曲線、一つ一つが異なっていながら絶妙なバランスを持つ貝殻の美しさ、それをクープランは音楽に散りばめようとしたのです。トリルとターンを組み合わせ、それをいろいろな速さで弾く。また、一つの装飾を弾きながら音の速度を自在に変えることによって、さまざまな曲線を表現することができます。エマーヌエル・バッハからモーツァルト、ベートーヴェンにかけて、これらの装飾技法はまた新たな展開を見せますが、機能は似ています。旋律に柔らかな曲線を付加して優美さを産み出すのです。この種の装飾音を弾く秘訣は、それがいつ弾かれたか、聴いている人にあまり意識されないように、柔軟に、さり気なく、伸縮する時間間隔の中で奏することです。</p>
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    <title>第０７回　低音と高音</title>
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    <published>2006-06-27T04:13:20Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:14:07Z</updated>

    <summary> 【演奏】　 ♪  メンデルスゾーン／交響曲第4番「イタリア」　第４楽章（ピアノ...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　
<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/mdssn_sym4_4.m3u">♪  メンデルスゾーン／交響曲第4番「イタリア」　第４楽章（ピアノ連弾版） (MP3)</a>　演奏 ：武久 源造／山川　節子
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>


<p>　ピアノは言うまでも無く打弦楽器である。そして、ピアノのすばらしさと可能性、或いはその問題の全てはここから発する。</p>

<p>　最近、クリストフォリが発明した新型チェンバロ、つまり、「フォルテとピアノの自在なチェンバロ」の研究が進み、そのレプリカに触れる機会も増えている。クリストフォリの偉大な発明については、前にも述べたし、また言及することもあろうかと思うが、ともかくも、その楽器の本体はチェンバロとあまり変わらない。響板と胴体、弦の材質と張力、全体のサイズ、どれをとってもイタリアタイプのチェンバロと同じなのだ。だから、それを叩くか弾くかというところに違いの全てがある と言っていい。</p>

<p>　さて、クリストフォリを実際に弾いてみて、まず感じることは、勿論自在な強弱 が出せることだ。しかし一方、低音がすばらしく鳴るのに高音があまり出ないことにも気づかされる。正にかつてバッハが指摘した通りである。したがって、ピアノ発達の歴史は、まず高音をいかに充実させるか、いかに歌わせるか、という課題を追求する歴史であったと言えるかも知れない。面白いのは、これがチェンバロとは逆転していることだ。つまり、弦を弾くチェンバロでは、豊かな低音を産み出すことが難しいのだ。初期のチェンバロ、1段鍵盤の小型の楽器などでは、中音から高音部にかけては実にすばらしいのに、低音部はちょっと寂しい。爪を強化して無理に 大きな音を出そうとしても、耳障りな倍音だけが強調されてしまう。この問題を解決するため、後期のフレミッシュ、ジャーマン、フレンチのチェンバロでは、楽器の胴体を大きくしたり、高密度の木材を使ったり、響板上のブリッジのレイアウトを工夫するなど、さまざまな努力がなされた。その結果、各音域のバランスの良い名器が産み出されるようになったのだが、一口に良いバランスと言っても、それは一通りではない。演奏者の感性は十人十色、曲の構造も千変万化する。その全てにオールマイティーなチェンバロ、というようなものはあり得ないのである。</p>

<p>　このことはピアノにも言える。弦を叩く方式では高音が弱くなる。そこで、モーツァルトの使ったピアノなどでは一点イ音の辺りから弦を増やして一音につき3本ずつ、それより下は2本ずつとした。この傾向はさらに進み、ショパン時代のピアノでは、大文字のヘ音辺りから上は3本弦、その下の1オクターヴが巻き線2本弦、最低音部が同じく巻き線の一本弦となった。現代ピアノではさらに1オクターヴ下から3本弦となっている。弦の数だけでなく、ブリッジのレイアウトがメーカーによってかなり違う。ということは高音部と低音部の張力バランスが異なるのだ。例えば、スタインウェイの現代ピアノでは、高音部の張力は比較的弱い。しかしセカンド・ブリッジと呼ばれる部分によって、弦の一部が共鳴弦として働くようになっている。これによって高音部が伸び、よく歌うのである。旋律中心のピアノ曲やコンチェルトのソロなどには威力を発揮する。これに対してベーゼンドルファーでは、高音部の張力が強い。したがって、弱く弾いても緊張感のある音が得られ、豊かな低音に 対して程よく溶け合う。その理想はオーケストラや合唱のそれに近づこうとしてい る。楽器にはそれぞれの製作者の思想と音楽観が込められている。それを感じ取り、 弾く曲やシチュエーションに合わせて楽器を適切に選び、生かしてやりたいと思う。</p>

<p>　我々は去る21日、交響曲の連弾版を中心とするコンサートを行ったが、その際新 しいベーゼンドルファーを用いた。これを弾きこなすにはなかなか骨の折れる面もあったのだが、オーケストラを思わせる立体的な響きを得るには、やはりベーゼンドルファーはすばらしい、という感慨を新たにさせられた。</p>

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    <title>第０６回　鍵盤音楽の新ジャンル</title>
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    <published>2006-06-12T04:10:31Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:13:37Z</updated>

    <summary>　前回は、表現としての装飾音について、まず、そのリズム的な側面を論じました。今回...</summary>
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        <![CDATA[<p>　前回は、表現としての装飾音について、まず、そのリズム的な側面を論じました。今回はそれに続いて、と言いたいところなのですが、ここでちょっと閑話休題。というのも、実は、交響曲の連弾版のお話をしたいのです。いかにも唐突な、と思われるかも知れません。しかし、全く繋がらない話でもないのです。</p>

<p>　私がチャイコフスキーの『悲愴交響曲』に、ピアノ連弾版が存在していることを知ったのはほぼ一年前のことでした。チャイコフスキー最後の傑作であるこの曲を、勿論私はオーケストラの演奏で、何度も聞き知っておりました。しかしそのスコアーの隅々まで熟知していた、とはとても言えませんでした。それでも、この途方も無い曲には魅了され続けていました。そのピアノ連弾版、しかも作曲者自身による編曲があると聞き、早速その初版本を持っていらっしゃるコレクターの方にお願いして見せていただいたのでした。すぐさま取り付かれたようになって、20の指で音にしてみたときの驚きを何と言い表したら良いでしょうか。私がまず驚嘆したのは、チャイコフスキーの音楽語彙の空間的時間的広がりでした。ご存知のように『悲愴』の中心テーマの一つに4度下降の音型があります。このテーマが様様に変形され、異なる衣装を纏って、循環モティーフとして全曲に渡って現れるのですが、バロック音楽に親しむ者にとってこの音型は、あの「涙の音型」に他ならないのです。</p>

<p>　「涙の音型」は、ダウランドの名歌「流れよ、我が涙」に端を発します。この歌が殆ど4度の動き、特に下降4度だけでできているのです。当時の哲学では、涙は「土」から生まれた人間が、「空気」を呼吸し悲しみの「炎」に身を焦がして、涙という「水」が生まれる、つまり、自然界の四大元素を含む稀有な物質と考えられたのでした。ダウランドはそれを音楽で神秘的に表そうとしたわけです。この音型はバロック時代を通じて、しばしば悲しみの比ゆとして引用され、バッハもこれを多用しました。</p>

<p>　バッハと言えば、『悲愴』の冒頭部分のアダージョは、全曲がロ短調なのに、なぜかホ短調で始まるのですが、ここに洗われるモティーフは、バッハの『マタイ受難曲』の冒頭のモティーフそのものなのです。また、『悲愴』第1楽章の展開部、フェローチェの指示から始まる部分では、駆け巡るような音型と激しい連打が何度も現れますが、これは「戦争」を現すためにルネッサンス初期以来用いられてきた典型的な音型です。それがクライマックスに達すると今度は、人が倒れて絶息していくかのようなゆっくりとした、しかしフォルティッシッシッシモの下降、そこに、これまたバロック時代以来西洋音楽の重要な語彙として使われてきた「溜息の音型」が繰り返されているのです。</p>

<p>　ここに挙げたのはほんの僅かな例に過ぎません。実は『悲愴交響曲』には、過去数百年間にヨーロッパ各国で蓄積された音楽語彙が全曲に渡ってふんだんに詰め込まれているのです。チャイコフスキーをロシアの作曲家として、少しローカルなイメージを持っていた私の偏見は完全に吹き飛ばされてしまいました。そしてそれらの語彙を駆使して、ある壮大なドラマが語られていることが、だんだんに見えてきたのです。それは1人の男の人生。戦いに敗れて非業の死を遂げる。しかし、死に際に人生の様様な場面を回想する。最後は、心臓の鼓動が一段と激しく打った後に停止する、その様子までもが極めてリアルに描かれているのです。</p>

<p>　ここまで読んでくださった方の多くはたぶん、「本当かなあ」と訝っておられることと思います。私もオーケストラ演奏で聴いただけであれば、こんなことは思わなかったでしょう。ピアノ連弾版を自分の指で弾いている内に、チャイコフスキーが渾身の力を込めて伝えようとしている遺言が、直に聴こえてくるような気がして仕方がない、そんな気持ちに囚われたのでした。ピアノで弾く場合、オーケストラの持つ多彩な音色、音量の豊かな変化はある程度諦めなければなりません。しかし、その代わり各々の細部に使われたモティーフとその変形、内声部の彫琢の様子、作曲家がそれを通して何を言おうとしたのか、それを一層明瞭に聴くことができる、と言えるでしょう。</p>

<p>　実は、モーツァルト以後の有名交響曲の殆どが、ピアノ独奏、ピアノ連弾、2台ピアノのどれかの形に編曲されています。しかも、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ドヴォルジャーク、そして、このチャイコフスキーなどは、作曲者自ら筆を取り、念入りな編曲を施しているのです。これはピアノ音楽の新しい、価値あるレパートリーとして、これからますます注目されて良い分野だと思うのですが、いかがでしょうか。</p>
<br />

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    <title>第０５回　装飾音について</title>
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    <published>2006-05-26T04:06:24Z</published>
    <updated>2009-10-19T02:13:17Z</updated>

    <summary> 【演奏】　 ♪  バッハ／ゴールドベルグ変奏曲　第23変奏 (MP3)　演奏：...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　
<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/bach988_v23.m3u">♪  バッハ／ゴールドベルグ変奏曲　第23変奏 (MP3)</a>　演奏：武久 源造
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>


<p>　今日は、前回までの話題と関連させながら、少し角度を変えて、「表情として の装飾音」という話をしましょう。</p>

<p>　装飾音の起源は大変古く、そもそも人間が音楽を始めたとき、もう既に、豊か な装飾音が存在していたことは間違いのないところでしょう。それは、アフリカの諸部族、或いはカナダのイヌイット（エスキモー）などの音楽を聴いてみれば直ぐに合点がいきます。彼らの音楽の中には、何万年も前から変わっていないと思われるようなものもありますが、それらの中にバロック音楽と全く同じ装飾音を見つけることは簡単です。インドやペルシャの古典音楽でも、装飾音は音楽の本質の一つと見なされてきました。この考え方は、ルネッサンスやバロックのヨーロッパ音楽にも通じていて、例えば、有名なエマーヌエル・バッハの『正しいクラヴィア奏法』でも、「鍵盤演奏に大事なことは、適切な運指、巧みな装飾法、豊かな演奏感性だ」という意味のことが述べられています。</p>

<p>　さて、装飾音には大きく三つの機能があると考えられます。それは、リズム的装飾、旋律的装飾、和声的装飾です。鍵盤音楽を中心に、その三つの機能を簡単にご紹介しましょう。私の最初の連載の時にご紹介したジョン・ブル作曲の『王の狩』という曲を思い出してください。鋭いトリルやモルデントが散りばめられていましたね。ここではそれが、馬が駆けたり、鉄砲を撃ったり、という狩の場面を描写するために、効果的に用いられています。装飾音がリズムを際立たせているのです。まるで、トリルやモルデントが、鈴やシンバル、小太鼓の連打のように聴こえます。</p>

<p>　 モルデントという言葉には「酸っぱい」という意味があり、あえて訳すならば「ぴりっと」という感じでしょうか。モルデントが過度に穏やかに、或いは少々間延びして弾かれるのをよく耳にします。確かに緩やかな音楽の中では、それなりにマイルドに弾くべきモルデントもあります。しかし、「ピリッと」という特色を失 っ てしまったら、それは古くなった蜜柑の味と同じ、と言わなければなりません。</p>

<p>　 バッハの例を出しましょう。『ゴールトベルク変奏曲』の第23変奏には、リズム的装飾音が横溢しています。バッハはここで、モルデントを記号でなく音符で書き 表しています。バッハの頃には、イタリア風の装飾法と、フランス風のそれとがヨーロッパ中に流行し、特にドイツでは、その二つの違いを弁えつつ両方に精通することが、音楽家に求められた良識だったのです。しかしこれはなかなか至難なことでした。バッハは長年の経験から、自分の得た知識を誤解なしに人々に伝えようとしました。この頃フランスで活躍していたリュリの弟子達、例えばモンテクレールの『音楽の原理』では、10数種類のトリルが列挙されており、そのそれぞれに記号が付けられています。バッハは彼らフランス人の音楽を丹念に勉強したのですが、装 飾に関してはフランスの記号をそのまま輸入するのでなく、細かい音符を使ってできるだけ丁寧に書き下そうとしたのでした。その結果、バッハの譜面は、時に大変 複雑な概観を呈することになりました。この第23変奏などもその例です。</p>

<p>　 しかし装飾音の元々意味するところに戻って考えれば、バッハの意図は明快です。 この曲では、左手と右手が戯れるように追いかけあっていますが、その中で、やはり鈴や様様な種類の太鼓が打ち鳴らされ、信じられないほど、巧緻で立体的なリズ ムの対位法が繰り広げられています。</p>

<br />

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    <title>第０４回　チェンバロからフォルテピアノへ</title>
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    <published>2006-05-12T02:20:03Z</published>
    <updated>2011-09-28T03:40:48Z</updated>

    <summary> 【演奏】　♪ バッハ／イタリア協奏曲　ヘ長調　BWV.971（第１楽章・部分）...</summary>
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        <![CDATA[<div class="hp">
<div class="curve-01" style="background-color:#F4F8EF;"><div class="curve-head"><div></div></div><p class="fontsize80">
【演奏】　♪ バッハ／イタリア協奏曲　ヘ長調　BWV.971（第１楽章・部分） (MP3)演奏：武久 源造<br />
<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/bach_itc_cmb.m3u">♪ チェンバロ</a>　|　<a href="http://www.piano.or.jp/enc/audio/takehisa/bach_itc_fp.m3u">♪ クリストフォリ・タイプ</a>　　<small>※<a href="http://mvsica.sakura.ne.jp/eki/kubota/" target="_blank">久保田彰チェンバロ工房</a>にて録音 （2006.5.3.） </small>
</p><div class="curve-bottom"><div></div></div></div>
</div>



<p>　それまで音楽の作り方は、一曲一曲が完結した世界の中で安定している、という形、つまりバロック的な作曲法が一般的でした。だから、色で言えば原色の対立、という感じだったのですが、この時代になって中間色を使うことがだんだん流行し始めたわけです。これに加えて18世紀が進むに連れ、自然な揺らぎ、気まぐれな変化、変わり身の素早さ、などの新しい特質が求められるようにもなったのでした。これは当時ギャラント・スタイルと呼ばれました。これを効果的に演奏するには、瞬時に強弱を変えられる楽器が必要です。ヴァイオリンや歌の人たちにとってこれは元々得意なことでした。しかし例えば、リコーダーにとってこれはやや難しかった。それで、リコーダーは横笛のフルートに木管楽器の人気者の座を奪われることになってしまいました。</p>

<p>　鍵盤の世界では、クラヴィコードが持て囃されるようになります。なにしろ、ク ラヴィコードでは、強弱の変化は自由自在です。特に小さい音の分野では無限とも言えるほどの自由があります。ただし、クラヴィコードはどうしても、フォルテに限界がありました。かたや、チェンバロは音量の加減が難しい。</p>

<div class="thumb tright"><div class="thumbinner">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="クリストフォリ・タイプのアクションを引き出したところ" src="/report/images/tkhs060512.jpg" width="288" height="192" class="mt-image-none" style="" /></span>
<div class="thumbcaption">
クリストフォリ・タイプのアクションを引き出したところ
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<p>　そこで、工夫されたのがフォルテピアノだったのです。これを発明したバルトロメオ・クリストフォリが最初に目指したのは、だから、けっして音量の大きな楽器ではありませんでした。そのことは、現在忠実に復元されたクリストフォリ・ピアノ を弾いてみれば一目瞭然です。その音はたいていのチェンバロよりも小さいのです。ただ音量の変化は自由に、しかも快適に付けられる。その点で実に優れた楽器でした。しかし、やはりフォルテには限界がありました。ピアノが発明されて50年間は、 この楽器に人気が無かったのも当然かも知れません。とても、クリストフォリの段階では、オーケストラと共演することは望めまなかったのです。しかし、これを何 とか、より豊かに鳴る楽器に改良する試みが不断に続けられました。この道のりは 大変険しく、紆余曲折が続きました。</p>
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<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ハンマー打鍵部分は筒状の部品" src="/report/images/tkhs060512b.jpg" width="288" height="192" class="mt-image-none" style="" /></span>
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ハンマー打鍵部分は筒状の部品
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<p>　ただ、その努力のプロセスには、バッハやヘンデルも大いに関わっていたと思われます。ここが我々にとって実に面白い陰影を持つのですが、それについてはまた改めてお話しましょう。</p>



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