わたしたちのピアノ教育史

弓削田優子 第3回 音楽に誠実であれ

2017/09/07
弓削田優子 第3回
音楽に誠実であれ
高良芳枝「音楽に誠実であれ」

 高良芳枝は、丁寧にピアノの基礎から弓削田を導いた。
 「これから先、ピアノを弾く上で、作曲家の意図や曲の時代背景などを踏まえた基礎的な知識や技術を身につける必要がありました。例えば『古典の弾き方とはなんぞや』といった、曲の様式感などですね。そういったことも、一から高良先生に教えていただきました」と弓削田。
 基礎の手始めに、高良は藝高入学後の弓削田に《ツェルニー60番》を課題として与えた。「私の高校時代と違い、今は小中学生でショパンのエチュードを軽く弾くような子も多いと思います。当時も、周りではショパンのエチュードを弾いていましたが、高良先生は『ツェルニー60番の全曲を隅から隅まで全部おやりなさい。これがきちんと弾けたら、ショパンのエチュードも、なんてことありません』とおっしゃいました。入学してから1年半くらいかけて59番まで仕上げ、最後60番だけは、『よくやりました』と免除となりましたけど!(笑)」。
 ピアノ学習者でも、ツェルニー60番の最後まで辿り着いたという人はそういないだろう脚注1。しかも指導したのは、妥協しない高良である。その積み重ねは地味かもしれないが、重くずっしりとした土台となり、本気でピアノと向き合い始めた弓削田の自信となった。

 

 例え高校生相手であろうが、高良が曲に向き合う姿勢に一切の妥協はなかったという。「先生は、『音楽に誠実でありなさい』とおっしゃいました。上手そうに聞こえるコツや、小手先の技術を教えるようなことは一度もありませんでした。楽譜を丁寧に深く読み込み、“音符や記号などが何を意味しているのか、どう解釈すればよいのか”を、深く考えることを繰り返し教えて下さいました。先生の耳は、上辺だけを取り繕うような演奏を決して聴き逃さず、許しませんでした」。

高良先生の温かいお人柄が伝わる大好きな一枚

 厳しいレッスンの一方で、高良はレッスン以外ではまだ高校生の生徒を母親のように見守った。藝高生は、授業が終わるとレッスンに直行するという。高良は、そんな生徒をお菓子を用意して迎えることもあった。さらに、忙しい時間の合間を縫って料理を作っては、下宿している生徒にお弁当を持たせることもあったそうである脚注2
 また、夏の合宿の際には、生徒が師匠に暑中見舞いの手紙を出すことが習慣になっていた。門下生でまとめて出すのだが、「あなたはお手紙の書き方もご存じないのね」と、後輩の書いたものが達筆な字で添削されて戻ってきたこともあった。
 そんな高良を、弓削田は「すべてにおいて完璧でとても素敵な先生なのです」と言い表す。レッスン中に響かせる高良の音色は生徒が感動するほど素晴らしく、言葉遣いや所作は品があり、レッスン以外でも家の家事、このような手紙の書き方に至るまで「人としてこうあれ」という姿を生徒に示し、自ら生徒の手本であり続けた。つまり高良の誠実さ厳しさは、音楽だけではなく生きる姿勢においてそうであるのだろう。多感な時期に弓削田は、高良という模範から、ピアノの音作りはもちろん素晴らしい人間性まで大きな影響を受けた。

高良の厳しくも温かい愛情に包まれて

 高校大学を通じて、どのような曲を弾いたのか尋ねると、「バロック、古典、ロマン派はもちろん、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルなどのフランス音楽まで幅広く丁寧に見ていただきました。先生は、安川加壽子門下でいらしたので、安川先生の音楽も伝え教わりました」と話す。
 大学3年の時、モーツァルトのコンツェルトを弾いたエピソードが、当時のレッスンをよく物語っている。「最初の1音を弾いた瞬間、『弓削田さん、それでよろしいとお思いになって?』と言われ、よろしくはないんだけれど、“あれじゃない、これじゃない”と理想の音を求めること40分。それに続く4小節に1時間半。その日のレッスンは、それで終わってしまいました」。
 高良は、「これ」という音が出るまでとことん極め磨き上げる。しかも、それを「できるまでやっておいてね」ではなく、生徒と一緒に曲に向き合い、直前まで諦めることはない。弓削田が試験当日に、練習室で練習していると突然扉が開き、高良が「これとあれを気をつけて」と伝えに来ることが常であったという。どうしても高良が練習室に行かれない時は、練習室に友人がやってきて「先生がこう言ってたよ」と伝言したこともある。少しでも時間があれば、「ちょっと弾いてみて」と言い、「これを気をつけて」と助言していく。生徒の試験だが、まるで自分のことのように一緒に背負っていたのである。

「1992年2月卒業生の追い出し会にて。高良の柔らかい表情が印象的で、レッスンの厳しい面とは別に、チャーミングであるという人柄が伺える。

 弓削田が藝大時代を振り返り、「大学生くらいになると、“自分の音楽の世界”を持つようになります。必ずしも、表現したい音楽性が先生と一緒ということはないと思います」と切り出した。少し意外な切り口のようだが、この弓削田の話が興味深い。
 「先生は『大人になったら、自分に合わないと思うものを捨てることはできます。今は吸収して、引き出しを増やすことが大事』とおっしゃいました。『今は吸収しなさい』と。生徒もこだわりがあればあるほど、自分が弾きたいものを主張して、先生とぶつかることは珍しくないと思います。ただ、自分の意思を通すことで、一つ先生から教えてもらえることを減らしてしまったらもったいない。まだこの時期は、教えていただけることは全部教えていただく。一人前になったら、いくらでも選ぶことができますから」。弓削田が言うように、ピアノ学習者がこんな葛藤を抱えることは少なからずあるだろう。そんな時のヒントとして、名教授の言葉は、弓削田を通して解読され我々に貴重な助言として響いてくる。
 弓削田が大学3年を終える時に、高良は退官を迎えた。約7年、高良の愛情深い厳しさに育てられたこと、それはすべて弓削田の勲章になった。

   
脚注1
カール・ツェルニーによる基礎技術の習得のためのピアノ練習曲集で、日本では長い間多くのピアノ学習者に利用されている。ツェルニー100番、30番、40番、50番、60番の順に難易度が上がり、初級から上級まで幅広く網羅されている。
脚注2
全国から生徒が集まる藝高ならではのエピソード。地方出身の生徒は、下宿しながら、音楽の勉強に集中している。1学年40名という小規模なところも、教師と生徒の距離が近い理由の一つだろう。

深水悠子
企業広報の仕事を経て、東京藝術大学大学院音楽文化学音楽音響創造に入学。電子音響音楽の作品制作、及び「日本におけるエリック・サティの受容」の研究を行う。現在、音楽ライター、東京藝術大学音楽学部教育研究助手。
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