ドビュッシー探求

前奏曲集第1巻より第8曲「亜麻色の髪の乙女」

2008/01/18

今回の曲目
音源アイコン 前奏曲集第1巻より第8曲「亜麻色の髪の乙女」 2m50s

 第7曲と対極に属する曲想の可憐な作品で、ポピュラリティーもあって、いろいろなところでBGMで流れているほど有名です。理由は、メロディーがわかりやすいこと、和声が柔らかく刺激が少ないこと、そして、楽譜を見ればわかりますが、最強音はmfでとても優しいことなどがあげられます。また、後世の人たちがさまざまな楽器編成で編曲しています。この作品を好む人は、前奏曲第2巻の第5曲、「ヒース」を好むはずです。どちらも甲乙つけがたい名曲です。
 しかし、この作品が単純に作られているかというと、まったく違います。また、演奏が容易かというと、まったくそうではありません。難しさは、たとえばベルガマスク組曲の第1曲に通じるものがあります。音楽の質感は対極にあるベートーヴェンのように、モチーフがさまざまな形で用いられ、有機的に結合しています。そして、用いられている和音は、わかりやすい響きなのにちょっとした工夫がほどこされ、飽きのこないデリケートな響きになっています。
 いずれにしても、極めてデリケートで柔らかく、決して急激で大袈裟な変化をせず、ほんの少しの、しかし、はっきりした表現をするべき作品です。


演奏上の問題について
 調性はGes-durです。この柔らかい、ちょっとした暖かさと、ちょっと曇ったニュアンスをもった調の特性を理解したいところです。これが、半音違いのG-durでは脳天気に明るすぎるし、F-durでは落ち着きすぎて線が太い感じがします。つまり、調が変わるとまったく曲想が異なってしまいます。この違いを認識できるかが、曲想を正しく表現できるかどうかの鍵の1つになります。また、この作品では、ドミナントにおける導音がほとんど用いられないという特徴があります。これをどう表現に生かすかもポイントでしょう。
 1~4小節を見てみましょう。この4小節だけでも、ドビュッシーがいかにたくさんのことを考えていたのかがわかります。「ヒース」と同様、旋律のみで始まります。和声は気になりますが、普通、8~9小節の和声をつける人はいないでしょう。さまざまな解釈が成り立つでしょうが、揺れ動く感じを考えれば、1小節の最初の3音、すなわちdes, b, gesでGes-durのI和音、次の3音、すなわちes, ges, bでGes-durのVIの和音と考えると、2小節まででこの和音の交替が2度起こります。こうとらえると、Iという長3和音とVIという短3和音の交替があたかも薄曇りの日差しの微妙なゆらぎを感じさせます。そして、2小節3拍目でIV、そして3小節でIに解決します。ドビュッシーは当然、このIV→Iという柔らかい終止をさりげなく、しかししっかりと表現して欲しいと思ったのか、テヌートと小さい強弱の指示があります。この部分はまだ話がつきません。この2小節は、3拍子ととらえることもできるし、ヘミオラとしてとらえることもできます。どっちともつかない揺らぎを表現するために、「厳格でなく」という指示を与えています。曲中いたるところに書き込まれた「ほんの少し」という指示から考えても、これは、なにもここを自由にテンポルバートをしていいという意味ではないと思います。ゆるく3拍子を感じながら、しかしタクトを厳しくとらないで演奏するということでしょう。3小節2拍目から4小節2拍目まではとても長い音符です。音を消さずに4小節3拍目のesにつなげることは非常に難しいです。しかし、ここでもしもフレーズを4小節目の3拍目のところで切ったら4小節目までのゆったりとした感じがなくなります。その我慢が、5小節からの部分に現れます。ここではメロディーのほぼ1音ごとに異なる和音がつけられていることで、1~4小節に比べ、少し運動性が出てフレーズ後半が引き締まります。5小節の最初はVですが、次の音がこだわりが感じられます。普通は、5小節の2番目の音のdesはdとして、VI度上のVとして次のVI(es, ges, b)に収束するように用いますが、desで用いることで、この間に微妙な教会旋法(エオリア調)を感じさせます。4番目はIで、これが6小節でも繰り返されると思いきや、その予想はいま述べたdesをdとして、しかもVIでなく、+VI(同主長調)に収束します。この突然の+VIはgによってもたらされるので、このgはさりげなく響かせるといいでしょう。また、この部分は要するに一時的にEs-durのV→Iで、曲中で珍しくVの導音dが用いられています。しかし、V7としていないので、和音の連結はデリケートに表現しないとドミナントモーションが表現できません。4小節の3拍目、7小節の2,3拍目は休符をしっかりと表現したいところですが、その前の和音を突然消すのではなく、ハーフペダルでスッと消える感じにしたいところです。また、6,7小節は最初のフレーズの最後なので、ヘミオラを感じさせますが、いま述べたように2,3拍目がV→I的なので、ここをヘミオラで切ることはあまり好ましくありません。したがって、ここも、拍子を厳しくしないでどちらともとれるような緩い拍子で表現したいところです。
 8~11小節は、通常の和声進行をほんの少しだけ、しかしとても趣味良く変更するとこうなるという好例です。ふつうなら、8小節の冒頭の和音はGes-durのIV度上のV7と解釈できますから、その後は当然IVの和音、すなわち、ces, es, gesで作られる和音が来るはずです。つまり、8~10小節の流れは、(IV度上のV)→IV→I2→V9→Iという形が普通です。これをどう変えているかというと、まずIVのcesを上方変位してcとすることでV度上のV9の和音になっています(8小節目3拍目、9小節目2拍目)。これにより、1,2小節でIとVIで作られた揺れ動きが8,9小節では長2度関係にある2つのV和音の揺れ動きとして和声的に変奏されていることになります。そしてI2であるべき9小節目3拍目表拍では、テノールにあるべきdesが次の和音のV9の第9音の先取音として変位しています。更に9小節目3拍ウラのV9では、前述の通り、導音fが省略されていて、強固なカデンツのニュアンスを回避して柔らかさを与えています。この最後の16分音符esがfなら平凡な響きになるのですが、これがesであるため、この9小節目最後の和音には、IVの和音(ces, es, ges)も含まれていることになります。つまり、ドミナントとサブドミナントが同時に響いているのです。
 以上のことから、この8~11小節の特徴的な音は、8小節3拍目、9小節2拍目のc、9小節3拍目表のes、そして、9小節3拍目ウラから10小節I拍目にいく、導音と主音の関係以外の限定進行音、すなわち、ces→bと、バスのdes→ges、テノールのes→desなどを、いわば拡張された偶成和音と主和音の揺れとして表現することが重要になると思います。
 11小節で初めて「だんだん遅く」という指示があります。この指示と、4、7小節のように、小節の1拍目の音がタイで結ばれていることなどを考えると、ここまではテンポを揺らさずに演奏されるべきです。一方で1小節目に「厳格でなく」という指示があるので、それに矛盾するという解釈も成り立ちますが、この意味については前述の解釈を適用すれば無矛盾性は保障されると思います。
 そもそも、ドビュッシーの作品では、ラヴェルの作品などもそうですが、作曲者がすべて楽譜に書いてくれていますので、指示のないところは原則的にテンポは一定だと考えるべきです。テンポを変えずにフレーズや和音や調の変化を表現することで趣味の良い音楽になると思います。
 12小節は9小節3拍目が1小節に拡大されたと解釈できます。すなわち、バスにGes-dur の根音のオルゲルプンクトがあり、ここにGes-durのV7(ドミナント)とIV(サブドミナント)が同時に鳴っているということです。これが13小節でIに解決します。先ほどの和音の揺れを形作るces→b、des→ges、es→desの響きの変化を大切にしたいところです。これは15,16小節でもCes-durで同様の進行をしています。また、ここでは、ソプラノのメロディーが上行し、下降しています。大きな強弱をつけたいところですが、何度も申し上げているように、「ほんの少し」「さりげなく」表現するべきです。13小節冒頭はsubito Pと解釈するべきです。14小節はGes-durでIV→V→IV→III→II→Iと並進行して1,2小節や8,9小節と同様の揺れを表現し、15小節でCes-durに転調しています。
 15~16小節では、12,13小節より少し大きめの強弱のふくらみがありますが、これも「ほんの少し」さりげなく表現します。ペダルをうまくつかって、テンポの揺らぎをほとんど起こさずに清潔に表現したいところです。
 17小節では、またGes-durに戻り、II7→V9と進行しているために、Iへ向かうカデンツを予想させますが、18,19小節で6小節と同様、そうならずにEs-durに転調します。Ges-durに比べ、Es-durは相対的に明るく、運動性が高い響きですから、「ほんの少し動いて」という指示があります。また、I音のオルゲルプンクト上にV9とIVが同時に響く偶成和音とI和音のゆれが縮節を伴って2回起こり、21小節では、3回目にはes-durに転調して22小節の2拍目表で疑終止(V→VI)することで曲中の最大の、しかし、極めて控えめなクライマックスを迎えます。
22小節2拍目ウラでは、ロマン派までで多用されているドッペルドミナントが現れますが、ドミナントには素直に向かわず、23小節の最後でさりげなくドミナントに向かいます。しかし、その導音fは24小節で主音gesに解決していません。つまり、あらゆる意味で、堅固なカデンツの連結を避けているのです。ここのリタルダンドは少したっぷりとしても良いでしょう。
 24小節から25小節I拍目までは、Ges-durの6音付加のI和音が4度や5度の積み重ねで作られた和音の進行によって確保され、25小節2,3拍でIV7からVとIVの合体した和音に向かい、26小節でまた6音付加のI和音に収束して、音域を高めた形で同様に繰り返されます。27小節2,3拍では、IV9→Vとなっているため、今度こそIに向かうと見せかけて、結局IVに向かいます。ここのソプラノのb→desは、平凡な作曲家ならb→asと連結するところです。意外な進行なので丁寧に表現するために、テヌートがつけられています。また、ここでのV→IVの進行は、バロック時代にヘンデルやヴィヴァルディなどが多用していた形で、こういったところにさりげなく古風な響きを用いています。
 28小節からの部分は、音量はピアニシモですが、曲中の最大の聴かせどころです。28小節の3拍目のソプラノのdesは、これ以上あり得ないほどのデリケートな響きで演奏したいところです。ここから32小節までは、大きく見ればGes-dur でIV→(VI度上のIV)→VI→Iと進行しています。和声進行がとても柔らかいものになっていて、ちょっと哀愁の漂う雰囲気にさりげなく花を添えています。
 33~34小節は14小節と同様に並進行しますが、2倍に拡大されていて、より静かに、丁寧に演奏されることでコーダを表現します。35小節は再度IVとVが同時に響き、36小節で付加音のない純粋なI和音に収束して曲全体を終わります。
 音楽史上で、かつてこれだけデリケートな音楽はほとんど存在しませんでした。それをよく理解した上で、安易なロマンティシズムに陥らずに演奏することが大切だと思います。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

【GoogleAdsense】
ホーム > ドビュッシー探求 > 前奏曲集第1巻> 前奏曲集第1巻より第...