書物の流通業を営む一家の5人の子供の末子として生まれた。若年の頃よりやや情緒不安定なほどに繊細、かつ情熱的な気質を示したという。一時ピアニストを目指したものの指を痛めて断念し作曲家を志した。また、『音楽新報』を創刊して音楽ジャーナリスムの分野において開拓者となった。妻となったクララ=ヴィークとのエピソードの数々は西洋音楽史上の恋愛物語として有名。同時代の作曲家ではメンデルスゾーンと親しく、ショパンやリストとも交流があった。青年期のブラームスに深い影響を与えたこともよく知られる。晩年は精神に異常をきたし、2年にわたる孤独な闘病ののちに世を去った。作品は情熱的で気まぐれ、時には狂気を帯びたように感じるほど目まぐるしく、幻想的な気分に覆われている。いわゆる「ロマン派」を代表する音楽家と言える。(実方 康介 2007/5)