播本 枝未子理事、平成21年度社会教育功労者表彰

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2009/11/27
播本 枝未子理事、平成21年度社会教育功労者表彰

去る11月20日、文部科学省講堂において平成21年度社会教育功労者表彰式が行なわれ、当協会からの推薦を受け、理事 播本枝未子先生が、文部科学大臣より表彰された。これは社会教育の振興に功労のあった方々に対して行われるもので、播本先生は全国的規模をもつ団体(ピティナ)理事としての多年の活動を認められての表彰。

・・・・・・・文部科学省ホームページより・・・・・・・
社会教育功労者表彰について
(中略)
一 趣旨
地域における社会教育活動を推進するため多年にわたり社会教育の振興に功績のあった者、及び全国的見地から多年にわたり社会教育関係の団体活動に精励し社会教育の振興に功労のあった者等に対し、その功績をたたえ文部科学大臣が表彰する。
(後略)

9月4日の申請締切を受けて秋に文部科学省内で選考が行われ、11月20日(金)文部科学省講堂にて表彰式が開催された。当協会からは2001年の故福田靖子前専務理事、田渕進理事(当時、現監事)、中山靖子副会長(当時、現顧問)、宝木多加志監事、嵐野英彦理事、松崎伶子理事に続く、7人目の表彰。 平成21年度は、全国的な社会教育の振興に功労があった者として播本理事を含め26名、その他地域における社会教育の振興に功労があった者77名、文部科学省が所管する独立行政法人における社会教育の振興に功労があった者12名が表彰対象となった。

播本枝未子先生は、現在ピティナ理事のほか、東京音楽大学教授の職にあって多忙な日々を過される傍ら、ピティナ・ピアノコンペティション審査員、ピティナ・ピアノステップアドバイザーもおつとめ頂いている。ピティナ創立当初から協会を支えて下さっているメンバーのお一人で、圧倒的な指導力は常に高い評価を受けている。またフェスティバル実行委員長として、ピティナ・ピアノフェスティバルを開催し、毎回斬新なアイディアと実行力をもって、著名な教授陣による公開講座で平均800名以上を集客。現場のピアノ指導者として、常にピアノ演奏界の現状、教育界の問題点を認識しつつ、広く一般の音楽愛好家をも啓蒙する、数々の企画を提案しつづけている。 数々の国際コンクールにも審査員として参加し、社団法人 全日本ピアノ指導者協会の広報に貢献する他、各国のピアノ教授と交流を深めている。



~播本先生受賞記念緊急座談会~

集合写真
座談会出席者

播本 枝未子(東京音楽大学教授、ピティナ理事)

小嶋 貴文飯野 明日香伊賀 あゆみ
佐藤 展子泊 真美子/永野 英樹/服部 浩美

聞き手:福田 成康(当協会専務理事)


[ INDEX ]
大学院生の先生と高校生の弟子~小嶋貴文先生ピアノを辞めるはずが~服部浩美先生
こんなに怒られてどうして続けるの?~永野英樹さん母親の直感、この先生にぜひ!~飯野明日香さん
先生そのものが芸術品~泊 真美子さん怖い、けれども。。。伊賀あゆみさん、佐藤展子さん
何故入賞の山?~見極めと独学が出来る教え方私の所は駆け込み寺


福田成康
福田成康 専務理事
福田:

今日は先生の社会教育功労者表彰を記念して、生徒さんをはじめゆかりの方に集まって頂きました。播本先生は、ピティナのコンペでも数え切れないほど生徒さんを出し、そして次々と入賞させている。それならせっかくですから生徒さんに先生を語って頂こうか、とこのような機会を設けさせていただきました。

播本:

「もう何人育てたのかしら」と考えてみたら、ざっと千人以上は育てているようですね。

大学院生の先生と高校生の弟子~小嶋貴文先生

小嶋:

先生とは6歳違いなんです。僕は、高校3年の途中から突然気が変わって音楽やろうと思い始めたので、初めてバッハを弾いたのが先生の所だったという感じです。レッスンの初日、先生が目の前で「革命」と「木枯らし」を弾いてくださったんですよね、バーッと(笑)。こっちは音楽会すらあまり行った事が無かったので驚いてしまって。

播本:

彼はまともにクラシックの勉強をしていなかったのですよ。よく聞いたらバンドをやっていると言うから、これはクラシック音楽の凄さを見せなくてはいけないと思って。

小嶋:

もう目が点でしたね。僕は結構生意気な高校生だったので色々な本を読んでいたのですが、先生はもっと読んでいらして、「これ読んでないの?あれ読んでないの?」と言われて、慌てて買って読んだりしていました。最初に出会った音楽家が先生だったというのは、本当に良かったと思っています。僕の音楽に対する基本姿勢は、明らかに先生から得た音楽家のイメージなんです。作曲を始めてもピアノはどうしても続けたくて、でも子供の頃からやっていないからクラシックは思うように弾けないし、現代音楽もなかなかぴんと来なくて、結局バークリーに行ってジャズを。昨年は、勤務先の洗足学園大学で、「トライアルコンペティション」という、コンクールを受ける学生・受験者の練習になる様な、コンクールよりもさらに厳しい模擬コンクールをやりはじめました。そこで、播本先生をお呼びしたのですが、やはり、音楽に対するアプローチや受験者へのコメントの内容が素晴らしかったです。

播本:

彼は対抗心が強い人だったから、私が本を読みなさいと言えばあっという間に読んでくるし、こんなに出来るはずがないと思って目いっぱい宿題を出すと、その倍やってくる。それも指に全部絆創膏を付けているから「どうしたの?」と尋ねると、「徹夜で消音ペダルをつけてさらいました」と。やっぱり男の子のエネルギーは凄いなと思いました。ある意味張り合う感じで師弟関係があった。そういう火花が散るようなものを私は覚えていますね。


ピアノを辞めるはずが~服部浩美先生

服部:

私は、愛知県芸に入る時に、受験の前に1回だけ県芸入試の曲で見ていただいたのが、播本先生との出会いです。そのときは、「もう全部悪い」とか言われてしまって(笑)結局それでも受かったんですけれどね。これから先生の生徒になるという春休みの時、私は先生に「私は音楽的ではないんです」と自分のことを言ったのを覚えています。「指は動くけれどもあなたは音楽的ではない」と小さい頃から言われていて、ひそかにいつかピアノをやめてやろうと思っていたんですよ。母にも「県芸にだけは入って欲しいけれど、入ったら即辞めていい」と言われていたほど。すると、播本先生は「音楽が無い人はいない、歌を歌わない人はいない、感受性が無い人はいない。あなたは出し方を知らないだけだ。全部私が教えてあげるからついていらっしゃい」とおっしゃったんですよ。私はそんな事を言われた事がなくて、そのときは本当に嬉しくて泣けました。人知れず、この先生について行こうと思ったんです。
大学のレッスンでも、先生は本当に掟破りだったんです。私が朝一番のレッスンをすると、「上の練習室でここを練習してからもう一度いらっしゃい」と言われて、一日に何度も先生のレッスン室と自分の練習室を往復しました。ある時は「副科の声楽専攻のあの子はあなたが教えなさい、その代わりあの子の時間はあなたをレッスンしてあげるから」と(笑)

播本:

掟破りってそういう意味だったのね。ちょっと汗が出てきた...(笑)

服部:

大学卒業前、私が学年で成績1番になったときは、先生の熱心な気持ちに応えられたとホッとしました。先生が責任感を持って、私を教えてくださっているのを強く感じていましたから。

播本:

あなたが辞める気持ちで県芸に入っていた、なんて知ったのは初めてです。彼女は優秀な子で、高校は進学校に通っていましたから、後で「ピアノの道を選ぶのは辞めておけば良かった」、という気持ちにはさせたくない。預かったからには磨き上げてあげなければ、という気持ちも強かった。責任感、ある意味では愛情でもあります。


こんなに怒られてどうして続けるの?~永野英樹さん

永野:

僕の場合、先生とのご縁はやはりピティナ。コンペ予選に通った直後に、僕がその時に習っていた先生が、ハンガリーに行かれてしまって、その代わりに播本先生を紹介していただいたのがきっかけだったんですよね。

播本:

彼のことはよく覚えています。「練習」という事を全然知らなくて、私の所に来た時は、先生のレッスンで20分弾くのが練習だと思っていたくらい。でもとても音楽的な感性のある少年でした。私は、特に男の子を簡単に引き受けるのは躊躇していて、だから彼にも「ピアノで食べていくことはとても大変。乞食をしてもこの道を選びたいか?」と聞きました。「それでもやりたい」と彼は答えたのでこれはしっかり育てなければ、と思って引き受けましたが、それが今では、乞食どころかパリの本場で素晴らしい活躍をしていて、2000年に私が審査したオルレアンのコンクールに、来年はあなたが審査に呼ばれているのですから、私はとっても嬉しい。

永野英樹さん
永野英樹さん
永野:

小6で初めて先生の所に行った時、ここは世界が違うと思いました。小2や小3の子達が皆、僕より先の曲を弾いていたんですよ。
一度、2歳下の弟が母親と一緒にレッスンについてきた帰りに、うちの母親に「どうしてお兄ちゃんはこんなに怒られて続けなければいけないの?」と言ったらしいんですね。学校では結構優秀なお兄ちゃんがレッスンでは叱られてばかりで、弟は弟なりに不思議に思ったのでしょう。

播本:

私がドイツから帰ってきたばかりの頃は確かにとても厳しかったでしょう。彼も素晴らしい音を作っていたのですけれど、ほんのちょっとの狂いがあっても嫌なぐらい、当時は神経質でしたね。

服部:

永野さんのお母様が、「初めて先生に褒めてもらいました」と涙ぐまれていた瞬間を私は横で見ていました。レッスンが次なので待っていた時です。

母親の直感、この先生にぜひ!~飯野明日香さん

飯野:

私は中学生から先生にお世話になっていました。母が学生音コンで、先生の生徒さんの演奏を聴いて、「うちの子に足りないのはこれだ」となぜかピンと来たらしいんですよ。それがきっかけで播本先生のレッスンに通うようになりました。 先生には怖い時代とやさしい時代があると思いますが、私は多分怖い時代の最後の方なんですよ(笑)私は最初、先生の名前の「播本」の「播」が「針」の字だと思っていてそのイメージがピッタリでした(笑)一週間一生懸命さらって、レッスンで1行バッハを弾いたとき「明日香ちゃん一週間何やっていたの?」と。もうアイタタタって感じです。周りの生徒さんも、物凄く努力なさる方ばかりでした。私、レッスンで鍛えられているから大抵の事は怖くないんですよ。根性がもう出来てしまっているから。だから今どんなに大変だろうとどうにか前に行けるというのは、あの時代に鍛えられたお陰です。 先生は怖いのですけれど、その裏に音楽に対するものすごい愛情が溢れ出ていたんだと思います。だからこれは良いものなんだと無意識に子供ながらにわかっていて。親が子供を叱る時の愛情と同じものを感じたのだと思います。だから私は播本家の子供。だから家族的に、親的に怒られていたのだと思います。


先生そのものが芸術品~泊 真美子さん

泊:

絶対的カリスマですよね。先生の存在そのものが一流芸術品というか、私はそこから多くを学んでいるし、言葉一つ一つが実体化の音であり圧倒的に普通のピアノの先生とは違います。私の中では先生が弾くピアノは詩的で鮮やかで、それが全てです。

播本:

泊さんはとっても感性の強い子でした。

泊:

先生の所に初めて行ったのは大学受験の前でした、前の人のレッスンを眺めたら未知の世界。イスに座っておられる背中、言葉、その全てが、目からウロコ。その空気感ってやはり真似しようと思っても出来るものではないんです。もちろん先生は最高のプロフェッサーですが、私にとっては先生の存在そのものこそが、すばらしい「作品」だと思っています。

播本:

私は先生と呼ばれたいなんて1度も思った事がないの。ただ私は先に歩いているから、険しく苦しい道も知っている。でも、苦しくてもそこに登りつめた時の充足感は生きている証になるんですよ。その感覚というのは日常生活の中では味わえない、やはり神から我々への最良の贈り物です。私はその味を知っています。それを彼らも少しずつ知ってきてしまっているから苦しくても辞められないのでしょう。レッスンで聴けば、その子の過去が見える。練習の仕方、生活の仕方、心身の健康状態などが透けて見えるから、今どういう言葉をかければその子が目覚めるかわかります。それで、わざと言わなかったり、ちょっと視点を変えさせたりとか、はぐらかしたりもするんです。
コンクールでも、演奏を聴いたらどういう性格で、どういう教育を受けたか大体わかりますね。音楽って言葉よりもっと語りますでしょう?
私がよく言うのは、「練習していないのに私が上手くなったと言ったら、あなたは一人前よ」と。私、練習しなさいってあまり言わないんです。勿論レベルにもよりますが...やみ雲に練習すれば良いというものではないでしょう。練習して下手になる事っていくらでもありますから。私は、生徒の興味を引き出して本気でやる気を起こさせるレッスンをしたい、ピアノから離れても何かに真剣に立ち向かえる力を養ってほしい。

怖い、けれども。。。伊賀あゆみさん、佐藤展子さん

伊賀:

先生との最後のレッスンからもう10年ぐらいになります。先生は、普段のレッスンでも芸術や哲学的な話など音楽以外のいろいろな話をしてくださいました。だから今日は久しぶりにレッスンに来ている様な気持ちでちょっと緊張しています(笑) 私はあまり努力が好きではなく、怒られる事も非常に多くて、本当に先生の前に座っただけで見透かされて、一番そこに座る事が怖いんですよね。先生についていくのが必死で、とにかく毎週怒られない様にしようという事ぐらいしか考えていませんでした。でも今になると、先生があの時おっしゃったことが私の中で結びついてくるようになって、そこに近づいていけたらと思っています。

佐藤:

私は、音楽高校の受験1週間前に初めて先生のレッスンを受けたのですが、その時にはもうすでに私よりも若い方で活躍されている方達がたくさん来ていて本当に緊張しました。
入学してからは、同期の伊賀さんといつも二人で「怖いよね」と言いながら先生のレッスン室に入っていました。でもその中でも、どうにかしてついていかなきゃと思わせるオーラを先生が放っていたので、ただただ頑張って練習していました。
音楽に対する厳しさというのは、やはり愛情から生まれてくるものだというのは幼いながらに感じていました。ピアノの譜面ってただの印刷物じゃなくて、例えば「ショパン」とタイトルが書いてあるけれど人間だったのだという事を教えて下さったのが先生だったと思います。私、楽譜を本だと思っていたのです。音の一つ一つが作曲家の言葉であるという事を本当に時間をかけてじっくりとレッスンの中で教えて頂き、それが今のベースになっています。そういう世界に目覚めさせて頂いたことに本当に感謝しています。


何故入賞の山?~見極めと独学が出来る教え方

福田:

伊賀さん、佐藤さんは同じ学年でともに特級グランプリですね。ほかにもあらゆるコンクールで次々と生徒さんを入賞させていますよね。

播本:

偶然入賞するのではなくて、この子はこのコンクールだったらこの位の所に入るだろうと大体わかっているから、今のこの状態ならこの順序でやらせる、と考えて行くのです。あるいは、かなり無理があると分かっていても、今成長のためにチャレンジさせる事が必要だと考える場合は、入賞は度外視してわざと厳しいレベルに挑戦させる事もあります。また、ここまで完成度高く出来ていて、もし賞がもらえなかったら私が賞を出すから、と言って送り出したこともあります。そのレベルまで来た時は必ず入りますけれど。

福田:

レッスン時間はどのくらいだったのですか?

播本:

いろいろです。10分位レッスンして問題点を指摘したら、「この後自分で考えて練習して、また後で来て」といって何回か繰り返したり、、。とにかくその日のうちにこれだけは理解させる、勉強すべき課題が本人に見えてくるまでは帰さない、という主義で、、、。
それは今でも同じですが。伊賀さん、佐藤さんの時代は特に忙しい時だったから一人一人に時間がかけられない。けれど、成果は出さなければいけない。練習分まで全部付き合っていたら他の子達の時間がなくなるから、必要な事を言っては練習させてまた戻してという風にやっていました。何しろその頃私は大学関係とプライベートを入れると多分生徒百人は超えていたんですよ。ほんの一言で百倍の意味を持たせないと教えきれない様なぎりぎりのきついスケジュールの息苦しい中で、生徒全員を引き上げようと思っていました。

伊賀:

それはありました。最初の数小節を弾いただけで1週間の自分の全曲を聴いて頂けた様なエネルギーを持って取り組めたというか。全部で1時間ぐらいのプログラムでも結局先生の前ではそれぞれの曲の頭ぐらいしか弾いていない時もあったんですけれどそれだけで充分というか。

播本:

私は独学で出来る様に教えるのが基本的な教育方針です。つまり楽譜から音楽を探り出す方法。演奏の形を作りあげて行くにはどうしたらいいか、弾けないところはどのように練習すれば弾ける様になるか、そのためにはどのように考えて行けば良いのか、という勉強方法のノウハウを教えたい。私の様に弾きなさい、という事を言うつもりはありません。人間一人一人違うように演奏も一人一人違うはず。その個性をどう伸ばして行くか、その見極めが最も大事なところです。


私の所は駆け込み寺

播本:

こうやって皆さんに久しぶりに会って話していると、皆それぞれのポジションで一生懸命生きているという事がわかってとても嬉しい。私は、ヨーロッパに行っていた5年半位は、生きた心地がして幸せでした。日本に帰って来てからはずっと息苦しい状態で...けれどその中でも皆さんがこうして立派に育ってくれたという事は、それが私の人生の果実だったのだ、とつくづく今日は思いました。 私は駆け込み寺のように、彼らが困った時、そこにいて手を差し伸べられる人でありたい、と常々思っています。真剣に生きようとするほど生きにくいのが世の常。私の門下生に限らず、若い人が本物の勉強をして日本に帰って来てもなかなか生かされる場所がない、結局海外に流出したままになっているのを何とかしたい、という気持ちが最近になって強く湧き上がって来ました。こんなに大きく成長したピティナが次の課題、或いは使命として本物の芸術家が生かされる、育つ国を作って欲しいと願っています。 今日は一期一会の会だったと思います。福田専務理事のお声かけで偶々このメンバーになりましたが、初めて会った方も何人かいらっしゃいます。今日のこの出会いが皆さんの輪になって、いつかどこかで助け合える繋がりになってくれれば、と心より願います。皆さん、それぞれの道をまた力強く歩んで行って下さい。福田専務理事、このような企画をして下さって心より感謝します。

福田:

ありがとうございました。




播本枝未子 播本 枝未子(旧名、三恵子)【所属団体】日本演奏連盟、社団法人全日本ピアノ指導者協会(理事、研究事業部長、フェスティバル実行委員長)
【賞歴】学生音楽コンクール東日本2位。日本音楽コンクール入選、芸大在学中に安宅賞。ドイツ音楽コンクール2位。社会教育功労賞。
【師事者】斎田四方、井口愛子、田村宏、エリザ・ハンゼン、ウィルヘルム・ケンプ 1963年東京芸術大学付属音楽高校入学、1966年東京芸術大学入学、1969年、日本音楽コンクール入選、学内で安宅賞を受ける、1970年卒業。読売新人演奏会、卒業特別演奏会出演。1970年同大学大学院入学、1972年修了、翌年留学するまでの間、全日本指導者協会にてピアノ指導者の実技指導を行う。1973年ドイツ、ハンブルグ国立音楽大学に入学。1975年イタリア・ポジターノにおけるウィルヘルム・ケンプ・ベートーベン全作品解釈マスターコースに招かれ受講。ドイツ・ホッホシューレコンクール(ハノーファー)2位。ドイツ各地で演奏、放送など活動を始める。1976年最優秀でディプロム取得、マスターコースに進む。リューベッリク国立音楽大学公募試験に合格、ピアノ科講師として勤める。1978年マスターコースをハンブルク国立音楽大学6年ぶりの最優秀Auszeichnungを受賞し修了、国家演奏家資格取得。1978年帰国。1979年から4年間愛知県立芸術大学、1982年から東京音楽大学、1984年より2007年まで23年間東京芸術大学、同大学院、同付属音楽高校、に務める。1991年から東京音楽大学の教授に就任、主任教授として8年間ピアノ科の改革、整備に努める傍ら、全日本指導者協会の理事、企画委員長として公開講座、フェスティバル、国際シンポジウム、など斬新なアイディアと実行力で多くの企画運営に携わり、現在の公開講座形式の教育活動の先駆的役割を担った。また国内外の多くのコンクールの審査員も務め、これまでにキル国際ピアノコンクール(スウェーデン)、ジーナバッカウアー国際ピアノコンクール(アメリカ)、ミュンヘン国際音楽コンクール、シューベルト国際音楽コンクール、(ドイツ)、オルレアン国際20世紀音楽コンクール(フランス)、マイ・リンド国際ピアノコンクール、(フィンランド)、第1回アジア国際ショパン・ピアノコンクール(韓国)に審査員として、2000年のショパンコンクール(ポーランド)に名誉ゲストとして招聘された。
小嶋 貴文◎東京芸術大学作曲科卒業(在学中安宅賞受賞)、同大学院修了。Berklee College of Music Performance Major(ピアノ専攻)卒業。自作のオペラの演出・制作から音楽活動を始める。オペラ制作団体"真夏座"主宰。室内楽を中心に作曲を続けるかたわら、クラシック、ポップスのアレンジ・出版、シンセサイザー、クラビノーバなどの音楽データ作成に関わる。音楽企画会社"トリゴ"を設立しファッションショー、企業のコマーシャルなどを手がける。ジャズの勉強のためボストンへ留学。4年間の滞在の後帰国し、ジャズのライブ活動を始める。それと同時にT&T Music Workshopを設立し、小編成のクラシック音楽のコンサート、チャリティーコンサートなどを企画・制作。現在洗足学園音楽大学教授・音楽学部長
飯野 明日香◎東京芸術大学附属音楽高校、同大学卒業。パリ国立高等音楽院ピアノ科およびフォルテピアノ科、ブリュッセル王立音楽院ピアノ科マスターコースをともに一等賞で卒業。ベルギー政府給費留学生。オルレアン20世紀ピアノ国際コンクール他に入賞し、パリ・エコール・ノルマル音楽院他でクラス伴奏者も務めた。東京・パリでの毎年のリサイタルを中心にロシア、スペイン、台湾など各地で幅広い演奏活動を行っている。現在洗足学園音楽大学非常勤講師。
服部 浩美◎愛知県立芸術大学卒業、同大学院修了、名古屋音楽学校講師、ピティナ・ピアノコンペティション、ピティナ・ピアノステップにのべ約500名の生徒を参加させる。2009年度までに指導者賞19回受賞、ピティナ・ピアノコンペティション審査員、ピティナ・ピアノ・ステップアドバイザーの他、アールンピアノコンクール他で審査員をつとめる。当協会正会員

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