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【今日の一曲】 チェルニー: 《シューベルトの有名なワルツに基づく変奏曲》 Op.12
掲載日:2012年4月21日

ピアノフォビアPianophobiaという言葉はありふれた造語かもしれませんが、「ピアノ恐怖症」という意味の一種のユーモアです。
統計学的な根拠があるわけではないのですが、日本にはチェルニーの練習曲が原因で「ピアノ恐怖症」になってしまう学習者は少なくないのではないでしょうか。味気ない指の反復練習を長時間強いられて知らず知らずのうちに深く根を下ろしてしまった恐怖心を取り除くのはそう容易ではないでしょう。さて、今日はチェルニーへのトラウマを和らげるための薬を処方してみたいと思います。効能のほどは保証致しかねますので、まずは保険にお入り頂くことをお勧めいたします。

冗談はさておき、まずチェルニーについて回る一般的なイメージを確認してみましょう。チェルニーと言えば練習曲、機械的な指の体操、長時間の練習で手を痛める、精神的苦痛、退屈、逃避…逆に、ポジティブなイメージはといえば、ベートーヴェンのソナタの演奏に通じる輝かしい扉、耐え忍んででも練習する価値のある演奏技法の基礎、それから…どうやら、ネガティブなイメージの方がすらすら出てきてしまうようです。ピアノ恐怖症、いや、「チェルニー恐怖症」を克服するには、この現状が逆になるように、つまりポジティブ・イメージがたくさん思い浮かぶようにすればよいのではないかと思います。

そのために、まず「チェルニー」=「練習曲」という公式を「チェルニー」=「作曲家」という公式に置き換えてみましょう。作曲家としてのチェルニー(日本では「ツェルニー」で通っていますがこちらの方が彼の母語であるチェコ語の発音に近い読み方です)は65年の生涯に番号付の作品だけでも861曲の作品を出版しました。19世紀の他のピアニスト兼作曲家でも多くてせいぜい300番代まで出版していれば多い方ですから、この数字は恐るべきものです(因みに若くして亡くなったショパン遺作を入れても74番までです)。番号なしの作品を含めれば1000曲を越える作品を書いていることになるでしょう。実は、この中で、練習曲の占める割合はさほど多くはありません。多いのは当時人気だった歌曲や舞曲に基づく変奏曲です。ですが、チェルニー作品の森に分け入っていくと、数多くの大規模なピアノ・ソナタや交響曲、室内楽に出会うことが出来ます。ベートーヴェンの弟子、リストの先生としてチェルニーは創造力豊かな作曲家でもあったのです。

チェルニーのピアノ作品の最高峰として是非PTNAピアノ曲事典に音源を追加しなければならないは、ピアノ・ソナタはもちろんですが、二つの前奏曲とフーガ集です。一つはメンデルスゾーンに捧げられた《フーガ演奏の学校》作品400です。フランスでは「フーガ演奏のエチュード」として1837年に出版されたこの作品は、実用的な練習曲の枠をはるかに超えた12曲対の前奏曲とフーガ集です。全編通して演奏すると75分近くはかかる厳格な内容の大作で、「19世紀の平均律クラヴィーア曲集」というに相応しい内容です。もう一つは晩年の作でフランツ・リストに献呈された《古典様式のピアニストー全24の長短調による前奏曲とフーガ》作品856です。いずれもドイツ・オーストリアの音楽的風土が培った多声音楽の伝統と19世紀の高度なピアノ演奏技法を調和させた傑作です。

大小様々な作品を書く傍らで、教則本の執筆・翻訳、過去の作品の編集・校訂、毎日12時間のレッスンをこなしたという超勤勉なチェルニーにとって、ピアノと共に生きるということは既に「ピアノ道(どう)」とでもいうべき人格形成の道でした。このことを知った上でチェルニーに向き合うと、そこに見えるのはピアノ音楽を通して生徒を一個の人格者に高めようとする気高き「ピアノの父」チェルニーの姿かもしれません。

しかし、彼が本当の姿を私たちに見せるにはまだ時間がかかることと思います。そう遠くない将来、PTNA本部事務局のスタジオで作曲家チェルニーのまだ見ぬ主要作品の録音が実現することを期待しましょう。本日の一曲1821年に出版されたシューベルトのワルツ(D365 第2番)に基づく変奏曲です。丁度同時期にチェルニーがこのテーマを素材にして再作曲したものと思われます。(上田)

演奏されている赤松林太郎先生もチェルニーに劣らず多忙な演奏活動の傍ら10時間に及ぶレッスンをこなされることがあるそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=oGXZG1hRonc
事典項目「チェルニー」:http://www.piano.or.jp/enc/composers/index/272/
執筆者:上田 泰史 
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