イギリス、オランダ、デンマークを経てロシア到着した彼は、リスト、ヘンゼルトら西欧のヴィルトゥオーゾたちを歓迎していたロシア貴族たちの歓待を受け、数年間ここに留まることとなる。彼はサンクトペテルブルクで既にピアニスト兼作曲家、教育者としてのキャリアを確立していたドイツのA. v. ヘンゼルトやフランスのレオン・オノレといった音楽家たちと交友関係を築き、多大な創作上の刺激を受けた。彼は前者に《3つのロシアの歌》作品60(1846)を、後者に《<夢遊病の女〉による幻想曲》作品66(1847)を捧げているが、それまで以上にスケール感のあるこれらの作品はいずれもロシア時代の主要な成果に数えられる。ロシアでの成功は、デーラーを更にオペラ《タンクレーダ》の創作へと駆り立てた。