ハイドンの創作期は、西欧の高級音楽が宮廷社会とその周辺において受容されていた時代から市民レヴェルで楽しまれるようになっていく時代へのちょうど転換期にあたる。シンフォニーにしても鍵盤音楽にしても、その様式変遷は受容層の変化、創作目的の異化と切り離して、純音楽的に論じることは意味がない。そして「ピアノ・ソナタ」というジャンルの場合は、そのような社会的変化に沿って、対象となる鍵盤楽器がチェンバロからピアノ・フォルテへと転換していく時期と、またパルティータがソナタに変じていく時期と重なる。モーツァルトの場合その拡がりはせいぜい十数年のことであったが、ハイドンにあっては約四十年に及ぶ。
ハイドンが「(クラヴィ)チェンバロ」のために最初の鍵盤楽器(クラヴィーア)ソナタを書いたことはまちがいない。最初期のソナタに関して信頼に足る資料が乏しく、また最初期の作品を特定すること自体に困難が伴う。それでも、かなり初期であることが確実なHob.XVI: 6の自筆譜や、初期のソナタと見なしうる諸作品群の最も遡りうる(といっても創作後20年以上後のものと思われる)筆写譜のどれもが「チェンバロのため per il (Clavi)cembalo」としているし、また当時の慣習からいっても、これに疑いを差し挟む余地はない。また同時に指摘しなければならないのは、それらが「ソナタSonata」とは呼ばれていなかったことである。彼がこの名称のもとにクラヴィーア・ソナタを書くのは、確実なところではHob.XVI: 20(これはおおざっぱに言えば中期の作品)の1771年付けスケッチにおいてだが、しかしその後つねに「ソナタ」と題されたというわけでもない。そのころ、あるいはそれ以前、彼は一般に「チェンバロのためのディヴェルティメント Divertimento per il(Clavi)cembalo」という表題を付けていた。「ディヴェルティメント」はかつて「嬉遊曲」と訳されてしまったために誤解が生まれたのだが、「嬉しく遊ぶ」といった音楽的性格をこの言葉が意味しているわけではない。全体に対する理解は未だという状況のなかで、西洋語を極力、日本語化しようとし、その言葉を限定的に捉えて訳語が生まれた。18世紀中頃のヴィーン周辺において「ディヴェルティメント」は「曲」といった程度の意味しかなく、独奏曲にも、また弦楽四重奏曲等の合奏曲にも、付されたタイトルであった。
しかるに、最初期、1750年代に書かれたと思われるHob.XVI: 6の自筆譜においてはタイトルは「チェンバロのためのパルティータPartita per il Cembalo」となっており、同じく最初期のソナタであろう思われる一部の作品の、後代の筆写譜にも「パルティータ」という表示がまま見られる。ハイドンが1765年頃から作成し始めた自作目録(EK=エントヴルフ・カタログ)にHob.XVI: 6はタイトル名が「ディヴェルティメント」に変更されているので、クラヴィーア・ソナタの呼び名は、「パルティータ」から「ディヴェルティメント」へ、やがて1770年代中ごろに「ソナタ」へと変転していったのではないかと考えられる。こうしてみると、器楽独奏曲に付される「ソナタ」という名称の慣習的定着それ自体がハイドンの創作期に起こったとも言えるように思われるのだが、しかしこのことはヴィーン周辺を含む南ドイツ地域に限定される話で、北ドイツ・中部ドイツ、あるいはイタリアやフランス、イングランドなどではまた別の展開となる。
ところで楽器名の違いは、実際に響き、音色、表現、奏法等々の違いを必然的に内包するので、「ソナタ」のような抽象概念の名称化の場合とは分けて考えなければならない。ハイドンがクラヴィーア・ソナタをチェンバロのためのものとして書き始め、ピアノのためのものとして書き終えた、ということは確実だが、どのようなチェンバロか、そしてピアノフォルテといってもどのような楽器であったかは、その時代の一般論のなかでしか論じることができない。またその転換がいつ起ったかということを断定できる確実な資料は欠けている。ハイドンがピアノについて言及するのは、1788年の手紙においてが初めてだが(それ以後創られたクラヴィーア・ソナタは最後の5曲のみ)、ロンドン旅行に出るまで(60歳直前)のハイドンの書簡というものがそもそもごくわずかしか残存していないので、それを持ち出してもあまり意味はない。一方、ハイドンが奉職していたエステルハージ宮廷には少なくとも1780年まではチェンバロしかなかったし、1770年代にこの若い楽器ピアノがウィーン周辺で強い影響をもっていたと推測できる証拠もないので、1784年に出版されたHob.XVI: 40~42の3曲あたりがその分岐点かもしれない。
しかしハイドンのクラヴィーア・ソナタを、単純に「チェンバロ時代」と「ピアノ時代」に峻別して、この作品まではチェンバロで弾かれるべきだが次の作品からは現代のピアノで弾いてもさしつかえない、などと考えたら、これは大変な誤解である。第一にこの時代のピアノは現代のピアノとはまた違う楽器だと考えるべきであって、同一原理に基づき、同一の名称を引き継いでいるという点で楽器の変遷史上直接的なつながりを持っているということにすぎない。第二に、「チェンバロまたはピアノ・フォルテのための」という表示が印刷譜においてはきわめて一般的であったように(それは単に楽譜の売れ行き促進のためばかりではなく楽器相互の互換性を社会的に示す事実)、当時の実際の演奏では、作品と楽器の対応が現代の私たちが考えるような厳格なものではなかったことも、考慮に入れなければならない。またこのジャンルが「ピアノ」に限定されるわけではないことを含んで、「クラヴィーア・ソナタ」と総称することが無難であろう。 (目次へ戻る)