東京生まれ。義兄の宣教師エドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきを受ける。1908年、東京音楽学校(現東京芸大)声楽科卒業。1910年より3年間ベルリン王立アカデミー高等音楽院(現・ベルリン芸術大学音楽学部)に留学し、レオポルト・カール・ヴォルフに作曲を学ぶ。12年には日本人として初めて交響曲(『かちどきと平和』)を作曲。14年に帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団を組織、24年には近衛秀麿と共に日本交響楽協会(現・NHK交響楽団)を結成するなど、日本のオーケストラ活動の基礎を作る。同時に歌曲、ピアノ曲、舞踊詩、劇音楽を創作。17年には、ニューヨークのカーネギーホールにて2度にわたり自作の管弦楽作品を指揮するなど、活発な発表活動を行う。また詩人・北原白秋らと雑誌「詩と音楽」を共同創刊、演出家・小山内薫と劇団「土曜劇場」「新劇場」を結成。20世紀前半の日本の芸術界全般に大きな影響を及ぼした。 太平洋戦争期には戦時楽壇体制作りに参与。戦後は脳溢血後遺症のため作曲活動はままならず、65年心筋梗塞で他界した。特に「からたちの花」「この道」「赤とんぼ」など日本語と西洋音楽の融合を図った数々の歌曲は、多くの日本人に今なお愛されている。
存命中にレジオンドヌール勲章、朝日文化賞、放送文化賞、文化勲章受賞。

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